第6話「暗闇」
午後7時、公園のベンチに、人影一つ。影は人工の光に彩られる街を、見下ろしていた。美しさのかけらもない、落ち着くはずもない、そんな街を。
「やっぱり……信用するもんじゃない」
少し集中すれば、見える。歩く人々の感情が。それらはすべて、醜いものだ。
誰もかれもが、自分のことしか考えていない。抱く夢は、やはりすべてが独善的である。
「誰も、信じてくれないじゃないか。だから動くんだよ。なのになぜ、止めてくれる」
影が、振り向いた。その目は黒、やはり見たこともない黒であった。その、闇を詰め込んだ瞳は、ボロボロの男を捉えた。
「どんな願いであれ、それが過ぎた欲望であるなら、喰らう。人に迷惑かけんなって、昔から言われるだろ。お前みたいなやつは、俺が裁くんだよ。俺にしかできないんだよ」
「残念だよ、神崎晴翔。君ならば……理解してくれると思ったのに。本当に、残念だ……」
影から溢れる感情は、確かに悲哀を感じさせた。拒絶されたことによる、多大なる悲哀を
「私はあきらめないよ。どうしても君が欲しいんだ。……また会おう」
影が手をあげた。それを合図に、晴翔の背後から多数の気配。桃奈がしとめた男と同じだ。操られている。きっと、あの影に。性別も年齢もわからない、あの影に。
「頭を殴って出ていかせる……。我慢しろよなッ!」
振り向き様に一閃。二人、斬った。まだいる。
晴翔は駆け出す。見えるだけで六人。効率的に狩らねばならない。そうしなければ、体が持たない。
「三つ、四つ、五つ……!」
走りながら、斬る、突く、叩き潰す。慈悲のない刀身は、意識のない人々を作りあげる。
「六つ、なな、つ……ッ!」
背に響く激痛。その痛みを感知した瞬間、振り返り斬る。晴翔を殴ったのは、金属バットだった。崩れ落ちる体から、明確な殺意を感じる。
「はぁぁぁ……————消すぞ、てめぇら」
大きく息を吐き、見据えた。動かないならば好機、と襲いかかる。拳、スコップ、バット、ラケット、物干し竿。得物はそれぞれ、思いは殺意一つ。
「死ね、死ね、死ね……!死んじまえよォッ!」
狂気。動く道理のない体を、無理に動かすもの。命が燃える痛みを、叫びでかき消してゆく。止まってしまえば、もう動けはしない。
「おらァ!全員、ぶっ潰してやるわァッ!」
深紅の瞳、深紅の剣。血ではない。しかし、血にしか見えない。叫びは慟哭、叫びは歓喜、すべてが狂気。
「っはははは!弱い、弱い弱い弱いなァ!」
無造作に叩きつけ、横薙ぎに吹き飛ばす。
美しさなどなく、明確なものは殺意だけ。誰一人、晴翔を止められない。
「はぁ……はぁ、はは……。これで……しまいにしてやるわァーッ!」
ゆっくりと、影につかれた男は得物を振りあげる。そんなもの、晴翔にとっては隙でしかない。振り下ろされるより早く、打ちあげた。
「は、はは……ざまぁ、みろ……ってんだ」
最後の敵を討ち、帰ろうと歩き出す。光が揺れている。
街灯の光だ。ぼやけてくる。足は地面を踏んでいるのに、どうにもおぼつかない。
「あぁ……ちくしょう……もう、限界、か……」
光が、消える。感覚が、失われる。地を踏みしめる感覚も、剣を握る感覚も、なにもかも。
「……晴翔さん?」
そんな晴翔を見つける者が、一人。慌てて駆け寄ってくる。呼吸と、胸の鼓動を確認する。死んではいない。ならば、助けねば。一花は晴翔の頭を抱える。
「大丈夫ですか!?聞こえますか!?」
激しく揺らして呼びかけるも、返事はない。一花は知らない、さきほどの戦闘を。ここまで傷だらけになる理由を。
「えぇっと、そうだ……!ミコトさんなら……!」
急ぎ、携帯を開き、電話をかける。すぐにでも出て欲しい、願いを込めて、祈るように携帯と、晴翔の手を強く握る。
『もしもし、一花?どうした?』
「晴翔さんが倒れているんです!なんか、ボロボロで……とにかく来てください!」
『なんだそりゃ……!すぐ行く!』
ミコトなら、なんとかしてくれる。晴翔の家族よりも、きっと。それが、確実な方法だと知っている。なにせ、剣が顕出しているのだから。
「晴翔さん……起きてください……!晴翔さん……!」
雫が、落ちる。晴翔の顔に、美しい筋を残す。それが原因かはわからないが、童話じみた奇跡が起きた。————晴翔の目が、かすかに開く。
「晴翔さんっ!」
「なんだあ……?一花じゃねぇか……」
小さく、笑った。それが儚くて、強く抱きしめる。失いかけたものを、つなぎとめるように、離さないように。
「おい……苦しいんだが」
「だって……死んじゃうかと思って……」
「こんなもん……傷に入らねぇっての」
少しずつ、元気を取り戻す。そのさまを見て、一花の力も弱まる。もちろん、頭を抱いたままではあるのだが。死からは遠ざかっていると、確信が持てる。
「もうすぐ、ミコトさんが来ます。ゆっくり休みましょう」
「いい判断だ。……超能力関連は、あいつを呼ばないとな」
一花は膝に頭を乗せ、優しく撫でる。抵抗すべきか、一瞬迷ったものの、そんな体力はなく、されるがままになっている。悪い気分ではない。
しばらくして、晴翔の体は完治した。傷こそ残っているものの、いつもどおりの軽さに戻っている。
「一花。もう大丈夫だ。だから、離してくれないか」
「ダメです」
「なんで……。もう治ったってば」
「ダメです」
「あー、もう、わかったよ……」
抗議を止め、目をつむる。穏やかだった。夜であるというのに、暖かな陽光を受けているようで。これまでにないほど、穏やかであった。
「おい!お前ら!なに……してんだ?本当に」
「あ、ミコトさん。早いですね」
「いいや、遅い。もうなんともない」
「そうか?ならいいが……。起きたらどうだ?そこ、地面だろうよ」
指さす場所は、確かに地面。気が動転して、二人は気にしていなかった。しかし指摘されると、汚れが気になり始めるから不思議である。
「そんで、晴翔は無事なんだな?」
「当たり前だろ。俺が簡単に死ぬものか」
「でも……本当に死にそうだったんですよ」
飛び起き、体を伸ばす晴翔。確かに、死など感じさせない。それでも、体表につく傷と、破れた服は激戦を示している。
「晴翔、念のためだ。今日はホテルにでも泊まりな。できれば、エモーションソードも俺に預けて欲しいんだが……それは明日でいいか」
言って、ミコトは財布を投げた。軽い。小銭はなく、札が入っているのだろ。
「でも、お前、ライブがあるんだろうよ」
「気にすんな。あ、でも仕事だからな!」
「ははっ……。ありがとよ、ちゃんと返すぜ」
「あぁ。待ってんぜ」
趣味より親友、ミコトはそんな人間だった。もちろん、無償とは言わないが。
「あ、えっと、私が送りましょうか?」
「いや、いい。むしろ、こっちが送ろう」
「そうだな、そうすべきだぜ」
男二人がいれば、きっと怖いものなどない。それこそ、化け物退治だって、怖くない。
「ありがとうございます。でも、無理はダメですよ?」
「わかっているさ。もう、命を捨てることはできんよ」
顔は笑っている。なのに、ミコトは悲しかった。命を捨てることはない、その言葉は喜ばしいはず。
なのに、まだ引きずっているのだ。まだ、命を。
「詳しくは明日話すわ。桃奈にも言っておきたいからな」
「あぁ、それが正しいぜ。……んじゃ、行こうか」
◇◇ ◇
赤坂のとあるホテル。一花を送り届けた晴翔は、一人を謳歌していた。静かな部屋、柔らかなベッド。学生にしては豪遊である。
「あー……テレビでも見るかなぁ」
風呂上がりの体温、冷めないうちからベッドでごろごろ。家ではこうもくつろげない。いまのうちに楽しむことが、得策である。
「んで……ノックぐらいしたらどうだ」
テレビをつけ、番組表を見る。さすがはホテル、衛星放送も見ることができる。
「この体に慣れると、人間の常識は不慣れになる」
「言い訳はいい。なんの用だ」
「感想を聞こうと思ってね」
影が、集う。テレビの前に立つ人型は、手下をけしかけた、あの影である。至近距離にいるというのに、性別も年齢も、なに一つわからない。
「テレビの邪魔だ。いま、深海生物特集見てんだぞ」
「命の危機は感じないようだね?」
影が散り、今度はベッドに腰掛けるよう、再集結した。やはり、一瞥もくれてやらない。真剣な表情のまま、深海生物特集に見入っている。
「お前から、殺意は感じない」
「だろうね。だって、どうしても君が欲しいんだ」
受けた感情は、どこか楽しげだった。晴翔と会話することを喜んでいるような感覚。とても、不思議だった。なにせ、そこにいるのは敵のはずである。
「もし、俺よりイイヤツが見つかって、そいつと手を組むことになったら……。お前は俺を殺すか?」
「君よりイイヤツはいないよ。それに……殺したくはないね」
一瞬、迷いが生じた。それでも、振り切った。影には、願いがあるのだろう。その願いと晴翔を天秤に賭け、晴翔を取った。
「なぜ、俺にこだわる」
「それが最善だからさ」
それ以上は、語らなかった。話したくないのか、話せないのか。どちらにせよ、これ以上は、聞くことさえできなかった。
「次は消す」
テレビを消し、晴翔は呟いた。これは決意である。自分へ、そして影へ言い聞かせるように。手を取り合う道などないと、迷いが生まれる隙間を潰そうと。
「……あきらめないよ」
影が消えた。最後に残したものは、哀愁だった。晴翔にとって、気分のいいものではない。
「なにがあろうと、喰らう。絶対に、絶対に」
暗示をかけるように、呟いた。そうしなければ、同情してしまいそうになる。それほどまでに、影の悲しみは深かった。普通の人間では到達できない、感じたこともないほどに。
「さて……寝るぞ、もう寝るぞ、よし寝るぞ」
軽く気合を入れるように、頬を叩く。寝る前の行為としては不適切に感じるが、晴翔には気合いを入れるということが、とても重要な意味を持っているのだ。
(敵なら消す。そうでなくとも……悪意は、消す)
決意が揺らがぬよう、起きたあとも悩まぬよう、強く暗示をかける。
その日はなぜか、悲しい夢を見た気がする。
「晴翔……泣かないで」
そんな夢を察知したのか、何者かが晴翔の頬を包んだ。温かく、どこか懐かしい香り。
「……君、眠りの邪魔だよ」
影はそこにいた。影の語る相手——女性に見える——は、黒一色の顔を向ける。深い愛情、そして、謝罪と後悔、見えないほど複雑な感情。
「邪魔はあなたよ。私は、この子が安心して眠れるようにしたいだけ」
「犯罪者のくせに……。表に出ろ。彼が起きる」
「いいでしょう。勝ったほうが、晴翔を手に入れる」
黒の女が笑った気がした。表情なんてないはずなのに。対して影は、至極真面目に殺意をたぎらせている。この女は、絶対に許すべきではない、そう言わんばかりに。
「どちらの『愛』が大きいのか……」
「決めるべきよねぇ?」
誰にも見えない戦いが、誰にも知られずに行われていた。