第3話「愛憎」
犯人のドロドロした感情が明らかになります。
暗い町を、二人の男が駆ける。静かな住宅街の細い道を、静かに駆けている。
「待て。……多いぞ」
「あぁもうクソが。走り続けで疲れてんだぞ」
ミコトは悪態をつきながらも、バッグから模造刀を取り出した。なにか見えるわけではない、感じることすらできない。それでも、晴翔の言葉は信用できる。
「まったく、めちゃくちゃな女だよ。ここまでお人好しとは聞いてないんだがな」
「仕方ねぇだろ。……それより、あんまやりすぎんなよ。さっき喰ったばっかだろ」
「さて、どうすべきかな」
二人はいま、仙道一花を探している。誘拐なのか、事故なのか。なんにせよ、依頼主の危機である。
情報を受けた時点で、二人は走っていた。
「俺が欲しかったのは、こんな力じゃなかった。だがいまは、感謝しているんだ」
幼いころ願った魔法は、幸せなものだった。空からお菓子が降ってくる魔法。両親が仲良く笑いあう魔法。
なのに、いまの晴翔が使える魔法は——。
「心の奥底に眠る憎悪よ、いまこそ解き放て!フリーダムワールドへ!」
自身の憎悪を、解放することだった。
「さぁ、行こう。全部蹴散らしながら」
深紅の瞳をした、穏やかな少年。手には波立つ白の大剣、エモーションソードが握られている。その、目と剣以外は晴翔である。しかしミコトには、同一人物と思えない。
「大丈夫だよ。だから、一花を助けに行こう。それが、俺たちの仕事だ」
にこりと微笑んで、夜闇の中へと入ってゆく。人も車もない、音がない。不安を煽る黒は、ミコトの心をざわつかせる。
「まずは一つ」先を行く晴翔の、大剣がひらめいた。
ミコトの目には、なにも映らない。しかし晴翔の目には、はっきりと映っている。
胴体から切断された、人型の影が。
「先走んなよ!……記憶は、有限なんだぞ」
「わかっているよ。でも急がないと」
忠告は聞こえている。実行する気がないだけで。やはり尋常ならざる速度で、闇を駆け抜ける。ミコトも慌てて追うが、一向に追いつけない。
「二つ、三つ、四つ……五つ六つ七つ」
なんども大剣が振られている。斬ったものが影であれば、ミコトには見えない。だがさきほどのように人であるなら————
見える。道路に転がる、気を失った人間たち。
「八つ、九つ」九を数えたところで、晴翔は足を止めた。
視線の先には街灯がある。
その光に照らされて、一人の男が佇んでいる。晴翔でなくとも理解できた。あの雰囲気、並ではない。
「大物、だね」
晴翔が飛ぶ。瞬間移動と錯覚するほどの速さだった。ミコトが理解したときには、すでに大剣を振りかぶっている。
「……へぇ。想像以上だ」
斬るというより叩き潰す。大剣の形状的に、引きちぎるやりかたのほうがいいのだろうが、狙える相手ではない。
とにかく、行動させてはならない。
「ミコト!救援要請だ!」
「だったら先走るなっての!」
エモーションソードは、負の感情を喰らう。
喰われたやつは、動きを止める。だがこの男は、斬れない、喰えない。バリアのようなものに、弾かれる。
「あああ、あるじ、あるじさま、ぼぼく、ぼくの、ぼくだけののの」
「うっせぇ!壊れたラジオは黙ってろ!」
無造作な腕の一振り、晴翔の体は簡単に吹き飛んだ。心配はしない。信頼はしている。ゆえに、ミコトは模造刀で逆袈裟斬りを仕掛ける。……
見事、顎に入った。
「ぎ、ぎぎぎ…………!」綺麗に決まった刀をものともせず、腕を振りあげる。
危険なのは、腕じゃない。ミコトの直感はよく当たる。
だから、後方へと大きく跳んだ。
「ミコトォォォオオオッ」
しかし、男は目の前まで迫っていた。体一つに見える。なのに『圧』を感じる。
きっと、見えないだけで、触れれば壊されてしまう。
「甘いよ」
腕が下りる、その前に。晴翔の大剣が、男の胸を貫いた。血は流れていない。ゆっくりと引き抜かれ、男は倒れる。顎にも、怪我はない。本気の振りぬきだったというのに。
「嫌な敵だったな。まさか、俺の名前叫ぶなんて」
「知り合い?」
「情報提供者だ。一花の家を教えてくれた。知ったのは、偶然らしいけどな」
普通に考えれば、この男が怪しい。一花の家を知っている。だが、偶然とはどういうことだろうか。戦いの中言っていた『あるじさま』とやらが犯人なのか。
「考えても仕方ねぇよな。どうせ犯人は捕まえるんだ」
「そうだな、助けなきゃな。……絶対に、絶対に」
「ん……んん?ここ……どこ?」
19
一花は目を覚ました。椅子に縛られている。場所は木でできた小屋のようであるが、辺りにはなにもない。月の光さえ届くことはない。頭はぼんやりとしており、前後の記憶はない。
「おはよう、一花」
暗闇に目が慣れる前に、声がした。目を凝らすと、おぼろげながら輪郭が見える。しかし一花は、声も輪郭も否定したかった。知らない人物だと、心は決めつけたかった。
「ごめんね。でももう……
限界なんだ」それは一花に歩み寄る。予想は確信に変わる。どれだけ言い訳を考えても、目の前にある現実は砕けない。————最悪だった。最悪過ぎて、想像すらしていなかった。
「どうして?どうしてあなたが、こんなことをするの?」
目が、慣れてしまう。現実を、覆せなくなる。似ている、双子、そんな言葉ではもう、言い訳できない。
彼女は、よく知る彼女なのだ。
「ねぇ……白石さん」白石桃奈。明るいクラスの人気者。そんな彼女が、一花をさらった。
「どうして…………!あ、ストーカーに脅された、とか?そうでしょう?ねぇ?」
必死に言い訳を考える。それをすべて口にする。否定されなければいい。否定されなければ、白石桃奈は悪くない。なにかの間違いなのだ。
「いい加減にしなよ」そんな薄い希望も、砕かれた。心のどこかで、信用している。なのに、砕かれた。なぜ、自身の知り合いが、こんなことを。一花の、まったく望まないことを。
「じゃ、じゃあ!このこと忘れて、帰してくれれば————」
「許せないッ!」
だんッ、と力強く、足を踏み鳴らした。小さな少女のものではない。
もっと怖ろしいものだ。普通の人生では、普通の人間では、こうも憎めないだろうに。
「ずっと、ずっとずっと!アンタが憎かった!アンタを許せなかったッ!」
一花はこの時初めて、憎悪という存在に触れた気がした。ただ嫌いなだけではない。なにか、心を壊すなにかがあって初めて、ここまでの憎悪に昇華される。
「でもね、気付いたんだ。きっとこの執着が、愛なんだって。えぇ、そうなの。仙道一花、私はあなたを愛しているの。この手で、歪ませてやりたいほどに」
「な、に……それ」
「私も初めてだよ!こんなに誰かを愛したことは!きっとこれが、みんなの言う恋ってやつなのね!あぁわかるいまならわかる!……
心の底から愛しているわ、一花」
狂っている。狂って笑いながら、踊っている。その様は、暗闇の空間を支配する魔王のようであった。闇の世界に、希望なんて、ない。
「じゃあ……それが、私の居場所になるなら……」
囁いた。決意になるのかもしれない。仙道一花という少女は、昔からそうだった。必要とされればいい。
居場所があるなら。世界に、自分の役割があるなら。
「どーもこんばんはァッ!」
「なッ…………!なんでッ…………!」
そんな決意を吹き飛ばすように、壁が破壊された。月明かりに照らされたのは、二人の男。
「一花を……返してもらうぞ」
晴翔とミコト。剣を手に立っている。だが魔王は、男二人を前にしても、余裕の笑みを崩さない。それどころか、手を広げている。明らかな挑発だ。
「ふふっ……残念。私は弱いから、あれだけ配置したのに。
まさか、全滅?」
「当然だ。邪魔するやつは全員斬る」
「あぁ、そう。やっぱり、自分で働かなきゃいけないんだねぇ」
広げた手に、武器は宿る。それは、鞭。白く細長い、鞭であった。ミコトの目にも見えている。エモーションソードと、同じように。
「おいおい、冗談きついぜ?」
「冗談だったらよかったねェッ!」
鞭は右手に収束し、撃ち出された。弾丸のごとき一撃を、二人はかろうじてかわす。
「なるべく死人は出したくないの。だから、当たって」
狭い室内なのだから、長い鞭は不利になる。そんな考えが甘いものだと、改めて知る。桃奈の持つ武器は危険だ。人智を超越したものは、人間に使うべきではない。
「ミコト、いけるよな」
「あぁ、当然!」
両雄は並び立つ。仕掛けてくることがわかりきっているのだ、桃奈は構えるだけで撃ち出さない。カウンターを決めるつもりでいる。
「お前じゃ、見えないよ」
ふっ、と。晴翔の姿が消える。だが、圧倒的な殺意は消えない。——
——上から来る。桃奈は鞭を上へと構え、そして。
「もらったァ!」
(ブラフ……)
下から迫る刀に、かちあげられた。華奢な体は天井付近まで飛び、着地後も数回転する。これがただの人なら、とっくに死んでいる威力だ。
「お前の悪意も、喰って———」
歩み寄る晴翔の頬を、なにかがかすめた。頭で考えるより先に、回避行動を行ってたようである。避けられなかったのは、すぐ隣にいる、相棒。
「ミコト…………?」
倒れていた。なにが起きたのかわからない。ただの鞭ではない。なにか、ある。
「あーあ、残念。避けられちゃった。うまく当たれば即死なのになぁ」
平凡な日常と、なにも変わらない声色。しかし、異常。言葉も、動作も、すべてが異常。
「白石さん!あなたは…………!」
「一花は黙っててよ。全部片付けて、全部貰うから。言葉も、心も、体も」
無邪気な顔で、鞭を振るっている。その姿に、晴翔は怒りを覚えた。心が燃えて、自分までも苦しむような、怒り。
「貴様は許さねぇ……。だから……切り刻んでやるよォ!」
エモーションソードが、紅い。怒りを映したような深紅に染まっている。
「あっははははッ!やっぱり憎しみは、暴れて鎮めないとねェェェ」
狂笑とともに振り下ろされたのは、無造作な斬撃。以前のような、鋭敏さはない。
だが威力は、倍以上となっている。一撃で、床の一部を飛散されるほどに。
「怖くないの?これ、電気だよ?その強さなんと、致死量の約10倍」
「だったら当ててみろよ!怖がってんのはテメェだろうがッ!」
狂気と狂気が交錯する。鞭を斬って払う、そしてまた伸ばす。一進一退の攻防だった。
「私はね、負けられないの。だって私が一番なんだよ。一番じゃなきゃいけないの!」
「強さでもテメェは二番手かなァ」
波打つ鞭は、すべて弾かれる。どんな軌道でも、当たらない。少しずつ、ゆっくりと、晴翔が距離を詰める。
このままでは、いずれ押し切られる。
「なんで…………!なんで当たらないの!」
横に振る。飛んでかわされる。縦に振る。紙一重で当たらない。突き出す。撃ち落とされる。壁の跳ね返りを利用する。やはり撃ち落とされる。
「私より優れた人はいない!私より目立つ人はいない!だってみんな言ってくれる……。
私は可愛い、私は輝いている。私は、私はァッ!」
怒りに任せて、無軌道に振るう。なのに、当たらない。
考えなしの軌道でさえ、読まれている。直接狙っても、間接的に狙っても。
神崎晴翔という男には、届かない。
「幕引きといこうかッ!」
一瞬、道ができた。弾幕のごとき鞭の暴風をかいくぐり、踏み込む。狙うは必殺の一閃。
「終わりだ!」
見えた。ここで撃ち込むべきだと、本能が告げた。断る理由もなく、横薙ぎに振るう。
「お前…………!」
全力の一撃は、集まった鞭と、桃奈の小さな手で阻まれていた。届いたのは、髪留め一つ。
「あなたは……まさか」
晴翔も、一花も、大きく目を開いた。髪のほどけたその姿に、見覚えがあったゆえに。
「そうよ……。私は、白石桃奈。そして——」
避けろ、本能は叫ぶ。従って、晴翔は跳んだ。正解だった。焦げている。
「蒲原ゆいね!最高最強のアイドル!お前たち凡人と、いっしょにするなァ!」
右手でまっすぐ伸ばす。それを——わざわざ跳んで避けた。
左にも、鞭がある。
「一番は私、私じゃなきゃいけないの!じゃないと、誰も私を見てくれない!」
「悲しい過去に興味はねぇよ!」
挟撃をかわし、振り下ろす。しかし当たらない。身体能力があがっているのか。見切られている。それに、少女の体を超えた動きだ。
「学校での一番は一花なんだよ。それが許せない。許せないから、愛しいの」
「歪んだやつだな。もうちょい歪めば、ねじ切れて幸せになれるだろう」
互いに、動かない。撃ち出すタイミングを、踏み込むタイミングを、計っている。
「そろそろ……
飽きてきたかなッ!」
「————ッ」
両手で持った大剣を、全力で投げる。驚いた桃奈は、自身を鞭で囲み防ぐ。
——好機。大剣の当たる衝撃を感じた桃奈は、瞬時に結界を解く。武器のない人間などに、負けるわけがない。だから、いま撃ち込めば。
「経験の差……ってやつだ」
だが、見えたのは。攻撃する気力も湧かなかった。目の前で晴翔が、大剣を振りかぶっている。鞭を解くより速く、走ったのだろう。あとは、座して喰われるのみ。
「見てほしいなら、そう言え。お前はお前が思う以上に、魅力的だぞ」
「えっ…………?」
一瞬、希望が見えた気がした。もちろん、大顎の中には暗闇しかない。それでも、光った気がした。ステージの光とは違う、優しい光。
「……これで終わりだな。顧問を通じて、言い訳しておくよ」
「あ、ありがとうございます!」
「依頼料はしっかり取るからな。……白石さんは……
仕方ないか」
一花を縛る縄を斬る。心に撃ち込む剣にしては、物理的な接触もできる。便利な、便利すぎる武器だ。日常用としては、大きすぎるのが難点だが。
「ミコトは俺が連れていく。白石さんもタクシーに乗せる。一花も、送るよ」
「ありがとうございます。でも、一人で持てますか?」
「なんどかあったからな」
大剣を大顎に変化させ、口の中にミコトと桃奈を入れる。喰わなきゃいいのだ。
「さ、行こうか。色々あるけど、それはまた明日、部室でな」
「はい!」
次回は日常回です。