第20話「因縁」
それは、初めての経験だった。
複数の悪意を喰らう。記憶が混濁する。
なのに、よみがえる。昔のことだ。あの子に関することだ。幼馴染と遊んだ記憶、約束した記憶。そして、失った記憶。
「喰らえば喰らうほど、強くなるみたいだな」
「あなたは、思い出さなきゃいけないのよ」
「そのために、死ぬか?」
晴翔の前には、母がいた。辺りに散らばる悪意が消えていく。
もはや、止まることはない。どちらかが死ぬまで、止まれない。
「解せんな。俺が過去を思い出したところで、貴様になんの得がある」
「あなたがあなたであるために。偽物になんて、興味ないのよ」
「俺は、ここに一人しかいないんだがな……」
天を仰ぎ見る。この空は美しい。人間の心もこうなれたなら。
晴翔は思う。こうやって、無駄に戦うこともなかったのだろう。
「私は、あなたと生きたかった」
「安心しろ、俺が負けたら舌をかみちぎる。お前の理想なんざ、絶対に叶わない」
「……酷い子ね」
不思議だった。なぜにこうも、落ち着いていられるのだろう。
体の芯から、力があふれてくるというのに。強すぎる力を、なぜだか制御できている。
「お前の心は、俺が殺す」
晴翔が構える。
「あなたは、私が手に入れる」
母も構えた。
「晴翔ッ!」
「母よッ!」
上からくる、影の奔流。下から打ちあげる、剣の一閃。どちらも譲らず、相殺されたように弾きあう。力も、想いも、総量は同じである。
「お前に受けた傷は、まだ癒えてないんだよ!」
「それでも、私はあなたを愛している!」
二撃、三撃、なんども撃ちあう。退けない。守ることもできない。やられる前にやるしかない。だから、傷なんて気にしない。最終的に、勝てばよいのだ。
「私は母なのよ!」
「俺は俺だ!お前の所有物じゃない!」
叫びに乗せて、大ぶりの一撃。そこで————気付く。
力が増してゆく。それは双方。際限を知らぬように。
「お前の歪んだ願い、終わりにしてやる!」
渾身の突き。腕を引く。突きだす。簡単な動作から生み出される、絶大な破壊力。
空気をねじ込み巻き込み、螺旋が突貫する。
「私の願いは純粋だッ!」
必殺の一撃を撃ち返す、こちらもまた必殺の一撃。派手な光が散って、衝撃音が空を揺らして、必殺は決まることなく、体ごと弾かれ消えた。
「どうして……ッ!どうして届かないの!」
晴翔の体に、傷はない。もちろん母の体にも。傷を負ったのは、心だ。渾身の一撃でも届かない。
命を削って、それでも、まだ。
「お前の想いは一人分……。そんなもんで、俺にかなうかよ」
背負っているものが違う。晴翔には仲間がいる。ミコトが、一花が、桃奈が、そして菊理もが、晴翔に力を与えてくれる。
だから、負けない。負ける道理がない。
「想いの強さを、証明する」
静かに、腰を落とした。そして、目をつむる。それは、波紋のない水面。
見えない、聞こえない。なのに、感じる。
敵の動き、撃ちこむべきタイミングと太刀筋。
「そんなもの……私のほうが強いに決まっている!何年も……ずっと待ち続けた私のほうが!」
菊理は言った。長い年月をかけて、想いを募らせる。
それこそが、力の根源なのだと。だからこそ、母は強い。
それでも、晴翔には届かないのだ。
「あなたを貫いて、私の願いを植え付ける」
母の手に、影が集う。目を閉じた晴翔も感じる。危険なものだ。防ぎきれるとは思えない。
「すべてを乗せるとはどういうことか……。教えてあげるわ」
一瞬、母の存在が、消えた。次にあらわれたのは————上。
「終わりよ」
影を握りしめる。圧倒的な破壊が、拳に込められる。あとはただ、振り下ろすのみ——。
「ふっ」
だが、速かった。なにものより、速かった。
晴翔は抜刀のような動きで、下から撃ちあげた。とんでもない破壊は、ぱりん、と小気味よい音を立てて、砕け散った。
「なん、で……!」
「激情だけが、力じゃない」
静かに、目を開けた。光が、強すぎるように感じた。
まぶしさにくらむが、しっかりと見据えていた。
母の姿を、見据えていた。
「俺は負けない。お前が強さをはき違える限り、俺に負けはない」
「想いは……!想いは力なのよ!そこに、正解も不正解もあるものかぁーっ!」
今度は、両手に集まる。母の足が、震えていた。
命を削っている。想いが暴走して、壊れそうになって、それでもと力を振り絞っている。
「私の想いは、負けられないのよッ!」
跳んだ。まるで弾丸。構える隙すら与えない。
無防備な晴翔へ向けて、破壊が撃ちだされる。絶対に逃がさぬように、挟み込むように。
「なんだ、やればできるじゃないか」
「こ、の……ッ!」
晴翔は、薄い膜を張って防ぐ。そしてできた一瞬の隙をついて、後方へと脱出した。
よく強敵がやってきた、あれである。
「願えば叶う……。想いとは、形のないものだ。ゆえに、あらゆる形をなす」
晴翔を包むもの。闘気、あるいはオーラとでもいうべきもの。
違いがあるとするならば、晴翔のものは触れられる。防ぐことも、殴ることだってできる。
「悪意ってやつは、こんなにも便利だったのだな。母を名乗る割に、こんなことも教えてくれないのは、ひどいじゃないか?」
それもそうだ。悪意というやつは、たった一つの想いが暴走してできる。
そんなもの、母とは呼べない。
便利なスキルなど、教えてくれるはずがない。
「どうして、お前が悪意の技術を使える……!」
「言ったじゃないか。願えば叶う。想いの力はそういうものだろう?悪の想いに可能で、善の想いに不可能など、そんな道理があるわけない」
再び目を閉じる。晴翔を包むものは、より大きくなる。
それを見た母は、強く歯噛みした。想像以上だ。勝てる気が、どんどん失われていく。
それでも、母は退けなかった。想いは一つ。たった一つの強い想いだけを抱いて、ここまできた。母としての自分自身を、否定などできなかった。
「あなたにできることが、私にできないはずがない」
静かに、目を閉じる。最初はなにも感じられなかった。
雑音と、意味のない光だけが浮かんでいた。それが消えて……。力の使いかたが、わかった気がする。
「面白いな、お前……。それでこそだよ」
晴翔が、小さく笑んだ。静かな水面に、雫が一粒。その波紋は、邪念ではない。次なる力を引き出すための、必要な波紋。
「すべて飲みこんでこその力だ。お前と俺、どちらが強者か……。ここでわかる」
両者、腰を落として構える。タイミングを計ることもない。
通じ合っている。皮肉なことに、親子はここで、通じ合っている。
「晴翔ッ!」「母よッ!」
同時に叫び、同時に駆ける。
なにも言わず、それでいてなにもかもが同時であった。
「この重さ……ッ!俺の母を名乗るだけはある……ッ!」
「本当に……母なのよッ!」
「認めらんねぇなぁ……!」
撃ちあった。縦に、横に、斜めに。こんなこと、なんども経験してきた。
いま違うのは、重さと速さ。かつてない力が、ぶつかりあっている。
「これで……終わらせるッ!」
渾身の一撃は、やはりストレート。防ぐことのできない
一撃を、撃ちだす————!
「な……」
「あなたは、甘いのよ」
晴翔の突きは、母の右腕を貫いた。黒い、液体のごときものを噴き出しながら、右腕は飛んだ。残る左腕は————晴翔の胸を貫いている。
「これで、私の想いは叶う。あなたの心を、私のものにできる」
晴翔は、徐々に狂っていった。母の想いが流れ込んでくる。
浸食され、塗りつぶされ、残すは傀儡となるのみ。やがて膝をつく晴翔に、手が差し伸べられる。
「さぁ、晴翔。私とともに来なさい」
腕を引き抜き、今度は抱きしめた。勝利を確信して、笑っていた。晴翔はなすがまま、動くことすらしない。
「あ、あぁ……母さん……」
「そうよ、晴翔。私があなたのお母さん。一緒に帰りましょう?」
母が、手を差しだした。虚ろな目で、晴翔はそれを見る。手を握って、帰る。仲のいい、親子のような、普通の関係だ。当たり前を、享受するのだ……。
「いい子ね」
母の手を握る。その手につられて、歩きだす。晴翔の目に、意思はなかった。
そのはずだった。
「死ね」
「えっ……!?」
手をふりほどく。そして、顕出する赤の大剣。その目は変わらず虚ろ。
だが、明確な想いが、意思が見えた。
お前を消してやる。憎悪ではない。だが、似たような想いを。
「ミコト、一花、桃奈、菊理……。俺は、帰るぞ。お前たちのもとへ、必ず!」
無意識だった。思考が入り込む余地などなかった。
なのに、その名前が出る。菊理の名前が。彼女も、友人だと思っている。
だからこそ、母は倒す。その想いを、消し去る。
「一撃で、消し飛ばしてやる」
エモーションソードに宿る力。見たことのない、感じたことのない力。確実に、最強といえる一撃を、叩きこむ。
「消えろ、悪夢」
紅い瞳で、紅い剣を振るう。もう逃げられない、防げない。必殺の一撃は、ためらいなく撃ちだされる————。
「ぐ……晴翔……!な、ぜ……なぜぇっ!」
胸を穿たれながら、母は叫んだ。
「俺の、願いは……お前より、強い!」
より深く、刺し込んだ。
「あ、あぁ……ああああああああああッ!!!」
悲痛な叫びだった。未練残した声をあげて……母は、消えた。
それから晴翔も、その場にへたりこむ。なにも考えられなかった。
それでも、無意識のうちに、仲間の顔は浮かんでいた。
ようやく、帰ることができるのだ、と。
「あぁ……温かいじゃないか……」
力なく座り込む晴翔の頭を、なにものかが抱きしめた。とても、古い記憶だった。母の残した、最後の記憶だった。……いまは、この温かさに身を委ねよう。
◇◇ ◇
激闘を見ていたものがいる。姫竜菊理。その中に、少女の顔が見える。表の顔は笑っていた。だが本心は、安堵していた。これでようやく、晴翔を手にすることができる。
「あなたの目覚めまで、もう少しよ……」
菊理は、呟いた。誰に向けたものであるのか……。そんなもの、わかるはずもない。
だが確実に、親しいものに向けた感情である。
「晴翔、あなたは私が手に入れるさ。絶対にね……」
この日、菊理は決意した。晴翔を敵に回す。そして、強制的に手に入れる。
もう、仲間らしく振舞う必要もない。これからは、敵なのだ。
「そのためなら、どんなことだって」