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たぬき、参上。2




伊豆国 田方郡沼津 西浦庄


背中には切り立つ山、目前には浜。

浜に沿って細長く続く土地には、小さな漁村が点在している。

陸路の便はお世辞にも良いとは言い難い。だが急深の海、奥まった湾は船を係留するのに適していた。



「柄じゃねぇって、こういうのは」


岬へ続く発端丈山ほったんじょうやまの尾根沿いをふらふら歩く男。年の頃なら二十五歳くらいで、赤橙の襟巻きをして、黒潮のような紺碧の羽織りものをなびかせている。


羽織りものから覗くのは具足下着と洋風のシャツを足して二で割ったような襟の付いた生成り色のシャツ、袴は膝下丈で黒色、襟巻きと同じ色の腰巻には太刀を挿し。肌は日に焼けて、人より頭一つ分背の高い体には程よい贅肉が付いて、着物を着ていてもその丈夫さがよくわかった。


けれど今、丈夫そうな長い四肢には力が入っていなかった。歩みは千鳥足に近く、覚束ない。


「ったくしつこい殿様には参る……泣く事ないだろ」


転びそうで転ばない男の無造作に結われている長い髪も、歩みと共に揺れている。

額に巻いた手ぬぐいの隙間に長い指を突っ込んでぼりぼり掻いて、至極整っている顔は今、子供のような可愛いふて腐り顔と相成っていた。


「役職も陸も慣れねぇな……丘酔いひでぇ……うっ、」


藪に向かって腰を折り、しばらく吐き気と戦っていたが。

顔をあげると腰に提げていた水筒の水を飲んで。何処にいくとも定かでない足取りでまた、歩き出した。







紺碧の海に浮かぶ小船は、いつもより遅めの漁を始めていた。

奥駿河湾の最奥に建てられたお城―長浜城―の城主、梶原景宗が入城するために西浦庄へ参上したのを総出で出迎えたため、遅れが生じたのである。



漁師が投網を投げるその向こうに、霊峰富士が雪化粧を見せている。

ビャクシンの根元でいつもより遅い漁の風景を眺めていた狸は、冷たい浜風に冬毛をなびかせていたが。

「くしゅっ」

くしゃみを一つ、まんまるのお尻をあげて立ち上がり、慣れた足取りで森へ消えていった。








「っつか、屋敷まで遠いな……こんなに歩かされるなんて聞いてねぇ」


山道を彷徨う丘酔いの男は未だ愚痴が止まる様子はない。


「あ。屋敷がどこか聞いて……」


まとまらない思考で考えても、わかりようはずも無い。


「まいっか」


男―梶原景宗―をヘッドハンティングしたのは後北条の殿様だった。

そして今日、長浜城に着任した景宗を出迎えたのは後北条からつかわされた堅い男らで。

『今日から景宗様の家臣です』

と聞かされれば、城主になる事が乗り気でないことが根底にあったせいで、家臣らのお堅い雰囲気は自由な海の男、景宗の心持ちを途端に窮屈にさせた。


歓迎に沸く民の騒ぎに乗じて、心の赴くままふらりと山へ入った……まではいいものの。

酷い丘酔いに悩まされるわ、丘では極度の方向音痴とくれば、山なんかに入ったら途端に迷うと分かりきっていたのに、足を止める事が出来なかった。


「俺ぁ武人じゃねぇ、商人だ。紀伊国の海賊だぞ!」


大きな声で叫んで歩き続ける。人のいない道を歩きながら愚痴をこぼしたくてたまらないのだ。

けれどそのあと、押し黙ってしまう。

木々の間から見える眼下の海原をじっと見下ろしていた景宗は、頭をがじがじと掻き。それから太陽を見上げ。


「迷いなんてのはいつも、後になって思い出すと……ちっぽけなもんさ」


ハッと笑い飛ばしてまた、ゆらりと歩き出した。







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