たぬき、参上。10
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集落まで景宗を送った狸は岬の社まで戻ってくると、一人、社を見上げた。
『海の安全と太平の世を願います。それから、船の普請に人が集まりますように』
帰り際、景宗は手を合わせて熱心に願っていた。その背中はとっても格好良かった。
そして狸は思う。
「船乗りになりたい」と。
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北条より造船普請のお触れが出たのは、景宗が長浜城に入る少し前。
けれど小さな集落が点在するこの地では人や物資を満足に得るのは難しかった。
景宗が陸に足をつけて三日目。
粒感の少ないほぼ汁気の粥には小田原直送の梅干がうずみ、隣のお皿には目の前の浜で獲れた魚がこんがり焼けて乗っかっている。
「今日はめちゃめちゃ人が集まってるだろうかな」
匙で梅干をつつく景宗は軽くため息をついてから、ぱっと顔をあげる。その表情はぱぁっと明るかった。
「頭ぁ、誰も集まってなかったんだから減りようが無いですって」
「俺らがやりますからそんな落ち込まないで下さい」
「着任早々、んなシケた面されちゃ、朝飯の味がなくなっちまいます」
紀伊国から一緒にやってきた部下の船乗りたちは空元気の景宗などお見通しだ。そして誰もがにかっと笑って見せる。それは船乗りらしい、天道の下で一層輝く溌剌とした笑みだ。
「……だな、お前らがいれば船は造れるもんな。湿っぽい事言ってすまなかった」
鼻の頭に皺を寄せてにかっと笑い返した景宗は、粥にうずんでいる小粒で皺のない梅干を一口。
「お国の梅と違ってカリカリしてるんだな、これもこれでうめぇ。梅だけに」
自分で言って自分でくすくす笑っている姿に、部下たちの表情は一変。氷のような視線を投げかけつつも、内心では微笑ましく見守っていた。
支度を終えて屋敷を出る。
―普請を手伝う領民は誰もいないだろうな
諦め半分で砂浜へ出た景宗の鼻を潮の香りがくすぐって、朝陽に輝く白波が目を楽しませて、やわらかい波の音が耳の中を爽やかな心地にしてくれる。
「んあぁー、いい朝だ」
ぐいーっと伸びをして、目を瞑る。そうするとより一層、浜の香りや音を楽しむ事が出来るのだ。この運動は船の上にいても陸にいても、雨が降っていない朝は必ず行う景宗の日課だった。
潮風を胸いっぱい吸って、いい気分で目を開けると。
景宗の正面に、少年が一人立っていた。
「ぅおっ」
もっさりした長髪を海風に遊ばせて、ビャクシンの葉と似た色の小袖を着て、ただ無言で立っている。
驚いて一歩下がった景宗だが、少年は毒気のない真顔で景宗をじっと見つめている。
―どこかで見たような襟巻きだな
少年が首に巻いている赤橙の襟巻きは、狸にあげたそれとよく似た色合いだった。
長い前髪の隙間から見える顔をよくよく見れば愛くるしい顔をしている。その愛くるしさは狸っぽく……見えなくもない。
―狸が人になるなんざ、大昔の言い伝えよ
少年を勝手に狸に仕立てようとしてしまう思考を振り払い、景宗は気を取り直して言った。
「おはよ。いい朝だな。この辺に住んでるのか」
すると少年は破顔して言った。
「ら」




