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キスツス  作者: 裏庭その子
9/9

No9

「玄ちゃん…玄ちゃん…一緒に遊ぼう?」

「…うん。じゃあみんなで遊ぼう。」

「嫌だ…玄ちゃんと2人が良い。みんなは俺を嫌いだもん…」

俺は玄ちゃんと遊びたかった。

でも、玄ちゃんは俺と2人で遊ぶのを嫌がった…

きっとつまらなかったんだと思う。

おしゃべりしながら境内の穴を掘るなんて…きっと、楽しくない。


「玄ちゃん…押された…」

膝から血を流して泣いている俺を、どこからともなく現れた玄ちゃんが、手を繋いで保健室へ連れて行ってくれる。

「梅ちゃんっておかまだね、玄ちゃん可哀想!」

小学校に上がると、俺は虐めの恰好の餌になった。

玄ちゃんはいつも複雑な顔をして、俺の手を引いてくれた。

嫌だったよね…

嫌だったはずだ…


中学に上がると、性に興味が出た子は俺をホモだと言って蔑んだ。

玄ちゃんも年頃だったから、俺を避けていた…

「玄ちゃん…一緒に」

目の前を素通りされて、胸が苦しくなって1人で涙を流す。

俺の泣いてる姿を見て、玄ちゃんは引き返して来て、俺の手を引いてくれた。

「学校でやめてよ…梅ちゃん」

そう言われているのに。

俺は全然言う事を聞かなかった…

「玄ちゃんって、梅之助と出来てんの?」

そんな風にからかわれて嫌だったよね…

悔しそうにしている玄ちゃんの顔を思い出す…

ごめんね…玄ちゃん。

ごめんね…

「お前なんて大嫌いだ。もう2度と顔も見たくない。」

玄ちゃんの家に遊びの誘いをしに行くと、玄関で彼にそう言われた…

「どうして?玄ちゃん…玄ちゃん…やだよ。怖いのやだよ…」

体に抱きつこうとする俺を、思いきり蹴飛ばしたよね…

俺はそのまま後ろに転んで、石畳で頭をぶつけて切った。

思った以上に血が出て、怖がって泣く俺を、謝りながら抱きしめてくれたよね…

ごめんね。

玄ちゃん、ごめんね…


目を覚ますと自分の布団で寝ていた。

時計を見るとお昼の1:00

「あれ?なんで、なんで寝てるんだろう…」

俺は不思議に思って、布団を出ると、誰かを探して本堂の方へと歩いて向かった。

歩くとカタカタ音が鳴る事に気が付いて、足を止める。

首に垂らした白い紐を持ち上げて、木札を覗くと、真っ二つに割れていた。

寝相が悪かったのかな…

俺は木札を服の上に出したまま玄ちゃんを探した。

「玄ちゃん、玄ちゃん、どこ~?」

結局誰にも出会えなくて、自室に戻ると、まだ眠っている俺の傍に玄ちゃんが座っていた。

割れた木札を手のひらに乗せて、じっと眺めている玄ちゃんはとても悲しそうで、可哀想だった…

俺は彼の後ろに立って、そっと背中におぶさった。

「玄ちゃん。ごめんね…愛してるよ…」

俺はそう言って彼を後ろから強く抱きしめた。


これは夢の世界なのかな…まだ眠ってる自分を見下ろして、途方に暮れる。

外から甘ったるい声が聞こえてきて窓を覗く。

そこには死神と彼に纏わりつく俺が居た。

俺は彼ならなんとかしてくれるんじゃないかと思って、玄関から外に出た。

近付くにつれて、笑いながら彼に甘える自分の話声が聞こえる。

「もっと一緒に居たい。一つになりたい。」

「なれるよ。梅ちゃん。」

「俺だけを愛してよ」

「お前しか愛さないよ。」

2人だけの世界になって甘い言葉を囁き合っている。

俺は死神の傍に行って、服を引っ張った。

彼は甘える俺を体に付けたまま、こちらに振り返ると、恐ろしい形相になって言った。

「触るな!小僧!殺してやるぞ!」

凄まれてひるむ。

どうして…俺にそんな事言うんだよ…

次の瞬間、幼い頃に時間が巻き戻る。

さっきの言葉は初めて会った時に言われた言葉。

本当に幼すぎて、記憶に残っていなかったけど、確かに言われた。


両親と墓参りに来ていたんだ。

幼い俺にとって墓地は黒くて大きな石が沢山あるだけの場所で、退屈した俺は墓の周りをフラフラと歩いて探検していた。

目の前にボーっと突っ立っている黒い服を着た人がいて、俺は構ってもらいたくてその人の服を掴んだ。

ちょうど、さっきみたいに後ろから、そっと掴んだ…

振り返ったあの人はとても怖い形相をしていて、俺は驚いて、泣いた。

そして、言ったんだ。

「どうして怒るの?怒るの嫌だ!もっと優しくしてよ!」

世の中には意地悪な大人も居るって知って、俺は無性に腹が立ったんだ。

だから、そう言って彼を…死神を蹴飛ばして泣きながら怒った。

「触るな!小僧!殺してやるぞ!」

そう彼に凄まれて、俺はもっと怒った。

「嫌だ!馬鹿!お前なんてやっつけるから!梅ちゃんがやっつけるから!」

そう言って彼の足にパンチやキックをして意地悪な大人と戦っていた。

しばらくそうしていると俺は疲れて、彼を蹴るのを止めた。

抵抗されることもなく、ただ一方的にやられる彼を見上げると、恐ろしい顔を止めて俺をじっと見ていた。

「その顔の方が、梅ちゃんは好きだ。」

そう言って、彼の足に抱きついて言った。

「おじちゃん、遊んで?」


その墓参りの帰りに俺のお父さんとお母さんは事故で死んだ…

そして、俺も死にかけた。

俺が死神を蹴飛ばしたから…お父さんとお母さんは死んでしまったのかな…

それとも…


こちらを見下ろして凄む、夢の中の死神に俺は言った。

「どうして怒るの?怒るの嫌だ…もっと優しくしてよ…」

すると彼の顔がどんどん穏やかになって、俺に微笑む。

「その顔の方が、梅ちゃんは好きだ。」

そう言って彼の背中に抱きつく。

それを反対側から見ていた夢の中の俺は、死神の背中に抱きつく俺に、低く唸り声をあげて、目を金色に光らせている。

今にも殺されそうだ…そのくらいの気迫に圧倒されて死神から離れる。

まるで妖艶な女神の様に、死神の体を求めて、俺の目の前でおっぱじめる…

これは人じゃない…

俺は自分の姿を見て、ドン引きしてそう思った…


この状況が、まるで選択を迫られている様な…そんな気分になって、頭を抱える。

「まるで…どちらになりたいのか…聞かれているようだ…」

玄ちゃんと人として暮らすか…死神とエロいビッチになって暮らすか…

悩むまでもない事なのに…悩んでしまう。

だって…眠る俺を見ていた玄ちゃんは…決して幸せそうじゃなかったから…


俺は玄関に戻って、玄ちゃんの傍に行き、そこで眠る俺の体に戻る様に重なった。


あんなエロビッチになりたくない…

そう思って目を瞑る。玄ちゃんの悲しそうな顔を見上げながら、ゆっくりと目を瞑る。


外の音が聞こえてきて、お経を唱える音に目を覚ます。

微睡みの中、すごく近くでお経が聞こえる。

体を起こすと、俺は吉尾が入れられていた檻の中に居た…

「ん、なんで…?」

そう呟いてお経の主を見ると、玄ちゃんのお父さんとその隣にいる玄ちゃんだった。

俺は檻の中から2人を見上げて聞いた。

「なんでここに入れたの?早く出してよ…」

異様な事態に頭が混乱してくる。

「玄ちゃん…怖いよ。早く出して?」

「玄太。惑わされるな。梅之助はもういない…」

何言ってんだよ。トンチンカンジジイ!

「玄ちゃん!俺だよ?早く出してよ!」

興奮して、檻を掴むと電気が走ったようにビリッと痛い。

「何これ?電気が走ってるの?怖いよ。玄ちゃん!玄ちゃん!!」

俺は檻の中で泣きわめく。

両手で顔を抑えて、泣く。

悲しみが怒りに変わるのは一瞬だった…

「俺にこんな事して…ただで済むと思うなよ!!」

次の瞬間そう言って、玄ちゃんのお父さんと玄ちゃんに威嚇する様に唸り声をあげる。

「梅ちゃん!」

玄ちゃんが俺の顔を見て、悲しそうに…とても悲しそうに涙を落とす…

玄ちゃん…

玄ちゃん…

「あの人に殺されてしまえばいい!お前らなんて、あっという間に殺されればいい!」

成瀬君に思ったように…吉尾に思ったように…

玄ちゃんのお父さんと、玄ちゃんに…そう言い放つ。

信じられない…

俺はどうしてしまったの…?


頭の中で彼を呼ぶ…早く助けてよ…俺の事、早く助けてよ…!!

すると、それに反応する様に、廊下の奥から彼の気配を感じて、俺は歓喜した。

「早くここから出してよ…そして、こいつらを殺してよ!!」

誰か俺を止めてくれ…玄ちゃんと玄ちゃんのお父さんに暴言を吐く、俺を止めてくれよ…

死神が現れて、玄ちゃんのお父さんの隣に立って俺を見下ろす。

ジッと俺を見つめて、玄ちゃんと同じように悲しい顔をする。

俺を助ける気配も、玄ちゃん達を殺す気配もなく…ただじっと佇んで見下ろす。

その様子に、俺は察した…

「…助けてくれないの…?見捨てるの…?」

放心したまま彼を見上げて尋ねる。

目から涙が頬を伝って落ち続ける。

「ど、どうして……」

絶望に落ちて、項垂れる。

彼に見放された…

どんどん涙が落ちて檻の床にあっという間に水たまりが出来る。

濡れた部分を指でなぞって、彼が自分に付けた模様を描く。

酷い…

こんなのって無い…

肩が揺れて慟哭する様に突っ伏して泣く。

体が引き裂かれるような…激しい痛みを感じて悶える。

俺が泣くと、檻が揺れて振動した音で頭が痛くなる。

「梅之助…聞いて。」

死神が俺を呼ぶ声がする…

顔を上げて彼を見ると、しゃがんで檻の中の俺に手を伸ばしている。

俺はその手を掴んで泣いた。

「どうして…どうして……」

「梅之助…ごめんね。私がお前を抱いたから…お前がおかしくなってしまった…。梅ちゃん…ごめんね。ひと時離れよう…。そうすれば落ち着くから…ひと時…」

死神に抱きつきたくて、脇まで手を突っ込んで檻の外に手を伸ばし彼を捕まえる。

顔を檻に付けて彼を近くに感じるために体もつける。

ジュウッと皮膚の焼ける匂いがして、自分が焦げていると気付く。

でも、良い…このまま離れたくない…

こんなのどうでも良い…

「梅之助…離れて!この檻はお前を傷つけるからっ…大人しく待っていて。」

死神が俺の名前を呼んでいるから、彼の顔を見上げる。

「愛してる…愛してるのに…俺を置いていくの?酷いじゃないか…」

そう言って死神に縋って伸ばした手で彼の頬を触る。

顔が歪んで、涙が落ちて…音を立てて檻で焼けて煙になって消える。

死神は俺の体から離れると、立ち上がって、廊下の奥に消えて行く…

檻の跡を付けた顔で、俺は必死に泣いて彼を呼ぶ。

空しくなって…体が動かなくなる…

もう何も残っていない自分をこの檻で痛めつける様に、ジュウ…と焼ける音をさせながら、檻にもたれて、彼の帰りを待った…


「死にはせん。人じゃない。」

玄ちゃんのお父さんの声に、涙を流す玄ちゃん。

俺を独りこんな所に残して…廊下の奥に消えて行ってしまった…

俺はいったい…どうしてしまったんだ…

焼かれるのにも飽きて、俺は檻の中央に戻ると、体を丸めて静かに眠った。


「梅ちゃん…ご飯だよ。」

玄ちゃんの声がする…

俺は顔を上げて彼に言った。

「玄ちゃん…ここを開けて?どうしてこんな事するの…?」

弱々しい声で彼に縋る。

やけどの跡はいつの間にか消えていた…

本当に…人じゃなくなったみたいだ…

「これって元に戻るの?玄ちゃん…これって元に戻る?怖いよ…どうして…こんなになってしまったの…?玄ちゃん…うっうう…」

怖くて体が震える…

玄ちゃんに触りたい…

玄ちゃん…

「ご飯、ここに置いておくから…」

彼はそう言って、ご飯を置くと…廊下の奥へ消えて行ってしまった…

まるで吸血鬼の様だ…

首を噛まれたから?それとも、抱かれたから?

どちらにせよ…元に戻らないなら、人として生きてはいけない…

これが一時の欲に流された結果なのか…代償がでかすぎる…

俺はまた檻の中央に戻ると、静かに眠った。


次の日も、その次の日も、俺は朝と昼、夕方にお経を上げられて、檻の中で寝起きした。トイレにも行けなくて、用意されたもので済ませて、あまりの状況に放心したまま過ごした。

「い~と~まきまき…い~と~まきまき…」

食事も喉を通らず、ただ、横になって虚ろな目で手遊びをしている。

玄ちゃんも失って、死神に見捨てられて…自分も見失った…

「で~きた、で~きた~。玄ちゃんのパンツ~」

そう歌って目から涙が落ちる。

一体いつまでこの状況が続くんだろう…



「梅之助、もう出ても良いぞ…」

玄ちゃんのお父さんが俺にそう声を掛けて、檻の扉を開いた。

俺は体を起こして、外に出て、玄ちゃんと玄ちゃんのお父さんに詫びた。

「酷い事を言ってしまい、申し訳ありません…」

「あれは、お前の意志じゃない。」

玄ちゃんのお父さんはそう言うと、俺の背中を撫でた。

風呂に入って、着替えて縁側に座る。

体に力が入らなくて、いつの間にか横になる。

「梅ちゃん」

声を掛けられても体を動かせない…

「玄ちゃん…ごめんね」

そう言って涙を流すけど、それすらすぐに拭えない。

彼は俺の後ろにそっと座ると、俺の髪を撫でてくれた。

久しぶりに感じた玄ちゃんの手のひらが、とても暖かくて涙が止まらなくなる。

「吉尾君に…殺されかけたの?死神が教えてくれた…その後の事も。父が言ってた。神に近づきすぎると良くないって…障りがあるって…梅ちゃんは、死神の命が体に入っているから、多少は平気だったみたいだけど、今回は人間の体では、耐えられえなかったみたいだね。だから、障りが出て、ああなった…」

終始落ち着いた声で玄ちゃんが話す。

俺はそれを涙を落としながら黙って聞いている。

たまに玄ちゃんの手のひらが、俺の額を掠めていくのを感じながら、ジッと空を見て話を聞いている。

「木札なんかじゃ防げなかった。ああなってしまっては、もう防げなかった。引き寄せられていたのは、障りじゃない。ただ、単純に、死神の愛に心が動かされたんだよ…。」

そう言って玄ちゃんは俺の体に覆いかぶさると、優しく温めて顔を覗き込んで来る。

俺も体を動かして、玄ちゃんの顔を見上げる。

「ちゃんと食べないから、痩せてしまった…」

そう言って俺の頬を撫でてキスする。

「おかゆから食べよう。ちゃんと食べれば、体も動くようになるよ。」

俺の体を起こして、背中を抱いて座らせてくれる。

玄ちゃんの体の温かさを感じて、嗚咽が漏れる。

ずっと好きだったのに…ずっとこの人だけを思ってきたのに…

玄ちゃんは俺の体を後ろから抱きしめて、鼻をすすって泣いている。

「梅ちゃん、梅ちゃん…。愛してるよ。でも、神には勝てそうもない…」

そう言って泣くと、俺の頭にキスして、抱きしめた。

俺は彼の腕を撫でながら、庭に集まる鳥を見て言った。

「死神に会わなければ良かった…あの時…墓地で、家族の傍に居ればよかった…遠くへ行くなと言った、両親の言う事をちゃんと聞いておけば良かった…。そうすればこんな事にならなかったのに…ならなかったのに…両親も、まだ生きていたかもしれないのに…」

これが俺の選択して来た事の結果なんだ…

たらればで他の未来を見たって、今俺の居る所はここなんだ…

玄ちゃんの手のひらを指で触って感触を確かめる。

多分…俺は死神と行く。

そして、玄ちゃんもそう思っている…

俺はそのまま玄ちゃんの体に身を預ける様にしてもたれると、そっと目を瞑った。

お日様の温かさと、玄ちゃんの温かさに包まれて、縁側から天を仰いだ。

雲一つない青空が広がっていて、あまりの綺麗さに羨ましくなる。

「玄ちゃん?あれはUFOかな?」

昼間の空に見える星を指さして、ふざけて言った。

「多分…UFOだよ…」

玄ちゃんはそう言うと、クスクス笑って違う方を指さした。

「あれはフライングヒューマノイドだ…」

「ふふ、玄ちゃんの寺狙わてるよ。UMAに狙われてる…」

こんな下らない話しかしないから、玄ちゃんはみんなと遊びたがったんだ。

自嘲しながらも、懲りずに続ける。

そうなんだ…俺は人の言う事も、自分の言う事も聞かない…

そういう事が考えられる部分を、お母さんのお腹の中に置いて来ちゃったんだ。

「梅ちゃん?あれは何?」

玄ちゃんの指さす草むらをゆっくり見る。

「あれは…チュパカブラだよ。血を吸われちゃうよ?」

そう言って、こんな事で馬鹿笑い出来るんだもん。

俺達は絶対、いい友達なんだ…

いい友達になれたはずなんだ…

俺が愛しさえしなければ、きっといい友達になれたんだ…

「玄ちゃん…大好きだよ。」

「梅ちゃん…俺も梅ちゃんが大好きだよ。」



「玄ちゃんのおかゆ。美味しいよ…」

おかゆを作ってもらって、久しぶりの食事を摂る。

まだ食欲は戻らないけど、食べて行けば戻るって、玄ちゃんのお父さんが言った。

死神の命を分け与えられた。

そう聞いた時から、玄ちゃんのお父さんは危惧していたそうだ。

いつか、こうなると…

心臓移植した人が人格を変えてしまう事がある様に…、俺の中で、死神の命が俺を蝕んだと玄ちゃんのお父さんは言うけれど、蝕んでなどいない…いつも俺を助けてくれた。傍に居て、拠り所になってくれた…。

俺の目の色が変わった時、こんな未来を覚悟したと、玄ちゃんが言う。

俺だけ何も覚悟しないでここまで来てしまったようだ。

「変わった事があればすぐに教えるんだよ?」

玄ちゃんのお父さんと約束して、俺は普通の生活を続けることになった。

「梅之助は言う事聞かないから…信用無いんだよ。」

そう言って俺の頭を撫でる玄ちゃんに笑うと、笑ってごまかすな!と、怒られる。

何日か過ごすと、体の調子も戻って来て、大学に行けるようになった。


1週間が経って、1か月が経って…1年が経って。

大学を卒業した。

あれから2年が経っても、死神は俺に会いに来ない。

彼は俺に生きて幸せになってほしいんだ…

吉尾に殺された時も、必死に俺を生き返らせた。

そして、泣いて言った。

“梅ちゃんに、生きていて欲しいんだ…”と…

彼は長く居過ぎたんだ…生きている俺と、長く過ごし過ぎたんだ…

彼の意志が決まれば事は進むだろう…

そうなる時を待ちながら、俺は玄ちゃんと、玄ちゃんのお父さんのお世話になって、

ここでいつもと変わらない生活を続ける。

大学を卒業したと同時にバイトを辞めて、お寺の仕事の手伝いをして、玄ちゃんと玄ちゃんのお父さんに食事を作る。

玄ちゃんとは恋人じゃなく、夫婦でなく、親友になった。

彼にも、俺にも、それが1番良い関係だった。

「玄ちゃん…愛してるよ。」

長年使い続けてきた言葉は、封印するより流すことにした。

意味を添えず、口癖のように言って、玄ちゃんもそれを聞き流してくれる。

彼の手が触れてドキドキするのは、彼の目を見て、ドキドキするのは、自分の勘違いだと思うようにした。


いつの間にあれから3年目に突入して、とうとう俺は忘れられたのではないかと、心配になった。

満月の夜。お寺の用事の帰り道。

満月を見上げて言った。

「ねぇ…俺、お爺ちゃんになってしまうよ…」

こんなに黄色い満月は久しぶりだ。

境内に近付いて行くと、胸のあたりがウズウズと疼く感じがした。

「あ…」

胸を押さえて立ち止まると、俺は確かめる様にじっと感覚を澄ませた。

あの人が…

死神が…俺に会いに来た…

やっと…

俺はゆっくり境内に入ると、彼を探す。

この感覚、何年ぶりだろう…そうだ、この感じ。

彼がいると感じるこの感覚…

境内を進む。

居そうな所に視線を向けるが、まだ見つけられない…

「あれ?どこかな…」

「梅之助…」

俺がそう言って立ち止まると同時に、真後ろから名前を呼ばれた。

俺は振りかえって、彼を見る。

そして微笑んで言った。

「遅いな。待ちくたびれた。」

死神が戻った。

俺に会いに戻ってきた。

そして、俺を抱きしめて言った。

「梅之助…愛してる。」

だから俺も言ってやった。

「俺も、あなたを愛してる。」

何年ぶりだろう。

久しぶりの彼の感覚を味わう様にギュッと抱きしめて、彼の腕の締め付けを感じる。

「どこに行っていたんだ…」

俺が尋ねると何も言わないから、俺はちょっとムカついて彼の胸を叩いた。

「あの時、ひと時って言ったじゃないか…3年も経った。3年はひと時じゃない。」

嬉しくて、嬉しくて、涙があふれてくる。

どれ程この時を待ったか…

「玄ちゃん達に会いに行こう?」

俺は死神と手を繋ぐと、彼に微笑みかけながら玄関へと向かった。

「玄ちゃん!帰って来たよ!死神、帰って来たよ!」

俺が玄関でそう言うと、ドタドタとすごい足音を立てて玄ちゃんのお父さんが現れた。

遅れて現れた玄ちゃんは少し、複雑な表情をしている。

「戻られましたか。安心いたしました。」

玄ちゃんのお父さんがそう言って、死神に一礼すると続けて言った。

「この方を、お守り致しておりました。」

そう言って、俺の肩を掴んで体を回すと、また一礼した。

死神は嬉しそうに笑うと、玄ちゃんのお父さんに深々と一礼した。

「今日はお風呂に入って、見たいテレビがあるから、また明日来て?」

なんともつれない態度でそう言うと、俺は靴を脱いで自室に戻った。

「梅之助!」

玄ちゃんのお父さんが俺を諫めるけど、俺には俺の生活サイクルが出来上がってるんだ。今日は玄ちゃんとお笑いテレビを見るんだ。

「死神、帰って行ったよ。」

風呂の支度をしていると玄ちゃんが俺に声を掛けてきた。

「そう。どうせまた明日来るだろ?」

俺はそう言って玄ちゃんに聞く。

「ねぇ、昨日言ってたじゃん。お笑いテレビ見ながらポップコーン食べるって、玄ちゃんポップコーン買ってきたの?」

俺の顔を見て、黙るから…買って来てないんだと把握した。

「そうだと思ったよ~。玄ちゃんはポップコーンが何で出来てるかも知らないだろ?俺は知ってる!トウモロコシだ!だから、俺は買ってきてやったんだ!ほら見ろ!」

俺は振りながらポップコーンを作るやつを買って帰って来ていたのだ。

絶対、玄ちゃんは言うだけ番長だと思ったから、お寺の用事の帰りに買ってきたのだ!

さすがだ!俺、さすが玄ちゃんを知り尽くしている。

満足そうに自分の優秀さに浸っていると、玄ちゃんが言った。

「ちゃんと用意してあるし…もう出来てるやつだし…」

俺は驚いて口を開けて間抜け面をしてしまった…

「うそだぁ、玄ちゃんは言うだけ番長だろ?絶対用意してないと思ったのに…」

ショックだ。

「何だよ。じゃあ急いでお風呂入ってくるから待ってて!」

そう言って風呂の準備を持って、玄ちゃんの立ってる場所を通り過ぎようとした時、彼は俺を急に抱きしめた。

「な、なに…どうしたの?」

「梅ちゃん、行くなよ。」

俺を抱きしめてくるから、玄ちゃんの顔が見えない。

どんな顔して、どんな気持ちで言ってるんだよ…

「お風呂に入らないで欲しいの?」

「違う」

「玄ちゃん…大丈夫だよ。俺は突然居なくなったりしないよ…」

彼の背中をさすって彼の肩に顔を置いた。

「絶対?」

「うん、絶対だ。」

玄ちゃん、お前にそんな不義理しないよ…

やっぱり、俺、信用無いんだな。


「早くしないとお笑いテレビ始まっちゃう!」

俺は玄ちゃんの背中を叩いて、解放願った。

急いで風呂に入って体を洗う。

涙がこぼれてきて嗚咽が漏れるのを堪える。

玄ちゃん…

玄ちゃん…!

3年も心の準備したのに…もう踏ん切りがついたと思っていたのに…

あんな事されたら…揺らぐよ…グラングランに揺らいじゃうよ…


何食わぬ顔をして、パジャマ姿で、我が物顔で玄ちゃんの家のリビングのソファに座る。目の前には袋のまま置かれたポップコーンと麦茶…

「お皿に開けてよ~。袋のままだと、手が汚れる~」

俺が文句を言うと、玄ちゃんは、よっこらしょ…と席を立ってお皿を取りに行く。

彼が戻ると、俺は袋を開けてお皿にポップコーンを入れた。

「ああ~!玄ちゃん!コレ、バター味じゃない!!」

「もう、うるさいんだよ。」

俺は自分の買ってきた振って作るポップコーンを手に取ってコンロで炙った。

ポンポン音がするのが面白いのか、玄ちゃんが寄ってきて袋が膨らむのを見ている。

「子供みたいだよ?」

俺が笑って言うと、玄ちゃんは、中を開けよう…と言ってきた。

「作れなくなるじゃん。中がどうなってるか気になるの?」

俺が言うと、玄ちゃんは頷いて俺の背中にしがみ付いて来た。

俺は彼をそのまま背中に付けて、右足で左足を掻きながら言った。

「カラカラのトウモロコシがポンポンって跳ねて膨らんでるんだよ。」

「見たい…!」

「ダメ!」

そんな事をしていたら、お笑いテレビが始まってしまった。

「梅ちゃん早く」

お前が、中を見たいなんてごねるから時間がかかってんだよ!

内心そう思ったけど言わなかった。

可愛かったから、許す。

出来上がったポップコーンにバターを乗せてお皿をヨッと何回か振る。

一口味見して大満足し、後ろの玄ちゃんの口にも入れてあげる。

「あったかいの、美味しいね。」

可愛いかよ。

俺は玄ちゃんを後ろに付けたままソファに戻った。

そして玄ちゃんが座った所に一緒に座る。

彼が俺の腰に腕を回してきたから、そのままにして、一緒にテレビを見る。

「ふふ、ねぇ、あれ梅ちゃんもやってみてよ。」

玄ちゃんはテレビの芸人さんの真似をしろと、俺に無茶ぶりする。

「玄ちゃんがやったらやってあげるよ。」

俺はそう言ってけん制する。

そしたら、本当にするから、俺はおかしくてテレビよりも彼を見て笑った。

「玄ちゃん、やめてよ!俺の玄ちゃんのイメージが崩れるから…あはは、もう!」

「梅ちゃん、約束したでしょ?やってよ。」

仕方ないよ。俺はそう言ったもんね。

玄ちゃんが全力でやったから、俺も全力で芸人さんの真似をやった。

「ぶはは!すっごいブスだな!」

「玄ちゃんもすっごいブスだったよ?俺の方が可愛いに決まってる。」

俺はそう言って玄ちゃんを見ると、ぶりっ子のポーズをして愛嬌を振りまいた。

「うん…梅ちゃんは可愛いよ。」

そう言って俺の頬を撫でるから、俺は玄ちゃんの手に自分の手を重ねて言った。

「そうだろ?ふふ」

お笑いテレビが終わって、そのままニュースが流れる。

玄ちゃんはまだ俺の腰を掴んでテレビを見ているから、俺もそのまま一緒にテレビを見てる。

「玄ちゃん眠くない?」

「梅ちゃんは眠いの?」

「眠くないよ…でもこうしてると寝ちゃいそうになる。」

彼の体にもたれて、頭を後ろの彼に付ける。

「寝たら運んであげるよ。」

マジか…王子様だな。

「梅ちゃん…これあげる。」

玄ちゃんは後ろでゴソゴソすると、俺の目の前に一つのリングを見せた。

綺麗な模様がついていて、高そうだよ?

「これ、何のリング?」

俺はそれを受け取って玄ちゃんに聞いた。

小ぶりなのに、縁に施された装飾がゴールドで上品な指輪。

女性もの?

「それ、家のお母さんの結婚指輪だよ。」

待ってくれ。玄ちゃん。それはもらえないよ。

「玄ちゃん…あの」

「梅ちゃん。梅ちゃんにもらって欲しいの。」

俺の言葉を遮る様に玄ちゃんは言うと、俺の左の薬指に指輪を通した。

手のひらを上に向けて指輪を眺める。

玄ちゃんのお母さん、ごめんね。俺が貰う。

「玄ちゃん、綺麗だね…ありがとう。大切にするね…」

俺はそう言って満面の笑顔で玄ちゃんにお礼を言う。

オレの頬を撫でて、指で俺の涙を拭ってくれる…玄ちゃん…。

「玄ちゃん…愛してるよ…」

俺の言葉に応えないで、にっこりと笑って頭を撫でてくれた。

ありがとう玄ちゃん…

ありがとう。


どのくらい2人でぼんやり過ごしたのか…もう日付を跨いでいる。

「片付けしよう…」

玄ちゃんがウトウトして今にも寝そうだから、俺は体を起こして皿を手に取った。

「梅ちゃん、今日は一緒に寝よう…?」

俺はドキッとして立ち止まって、玄ちゃんを振り返った。

「何もしないよ。一緒に寝るだけ。ね?良いでしょ?」

「良いに決まってる。」

俺はそう言って笑うと、皿を流しに置いて、寝そうな玄ちゃんの手を引っ張って、部屋の電気を消して、玄ちゃんの部屋に連れて行った。

「俺、壁側に寝る~」

そう言って、主より先にベッドに入る。

壁の方を向いて横になると、玄ちゃんにポンポンと後ろのスペースを指示する。

「ハイハイ」

部屋の電気を消して、玄ちゃんがベッドに入って、俺の後ろにくっついた。

暖かい…

玄ちゃんの手が俺を抱きしめてくれる。

「梅ちゃん、お休み。」

「うん。玄ちゃん、お休み。」

俺の髪の毛にそっとさりげなくキスすると玄ちゃんはすぐに眠った。

俺は涙を堪えながら体に回された彼の腕を撫でている。

多分、今日は中々寝られないだろう…

薬指にはめた指輪を見て、彼の思いを感じて、涙を堪えた。


「梅ちゃん…朝だよ。」

後ろから声を掛けられて起きる。

「んはよう…」

俺はそう言って玄ちゃんの腕を放してあげる。

彼は支度をして朝の御勤めに向かう。

俺も支度をして、台所へ向かう。

最近はもっぱらめかぶを食べさせている。

めかぶと、とろろと、あとは明太子だ。

理由は子供舌の玄ちゃんのお父さんだ。

やれ、朝からオムライスが食べたいとか、ビフテキが食べたいとかいうので、俺は言ったんだ。

「おじちゃん、子供みたいだね。」

その一言が玄ちゃんのお父さんの羞恥心に響いたのか、突然めかぶを食べると言い始めたんだ。そういう所、玄ちゃんにそっくりだ。

単純で、明快。子供っぽいくせに、言われるとムキになって隠すんだよな。

可愛い親子だ。特に玄ちゃんは国宝だ。

胸がじんわりして、死神の訪れを告げる。

「おはよ~」

口に出してその場で挨拶して、俺は味噌汁の仕上げにニンニクを少し入れた。

「玄太がやることなんじゃないかなぁ?!」

「知らなかったんだよ…」

親子喧嘩しながらダイニングテーブルに着くと、玄ちゃんのお父さんは、いただきますしてめかぶを食べる。

味噌汁を渡して、俺も席に着く。

「何があったの?」

俺が聞くと、俺の手に指輪が付いている事に玄ちゃんのお父さんが気付いた。

俺の手を掴んで眺めて一言言う。

「久しぶりに見たな~。」

「もらったんだよ。盗んでないよ。」

あなたが奥さんにあげた大切な指輪…俺が頂いちゃいました…

「良かったな。なくすなよ?」

そう言って玄ちゃんとの喧嘩の話をし始める。

「玄関に檀家さんが来ていたのに、玄太が出ないから、俺が出たんだ!」

それで怒ってるのか…

「そういう一つ一つを率先してやって行かないと、ダメだぞ?本当に…もう!」

玄ちゃんのお父さんの小言は続く。

俺は玄ちゃんに明太子を取ってあげる。

彼はそれをお米に乗せてノリで巻いてパクリと食べる。

本当に可愛いんだ。

「大体、いつもいつも写経しながら音楽を聴いて…!そんなんで良いと思ってんのか!」

だんだん声色がヒートアップして来たな…

俺は玄ちゃんのお父さんに残った出汁巻き卵を勧める。

玄ちゃんのお父さんはそれを箸で取るとパクリと食べた。

「お茶は緑茶?ほうじ茶?番茶?」

俺がお茶碗を片付けながら聞くと、2人ともほうじ茶と言った。

それがおかしくて、俺が笑うと、玄ちゃんのお父さんも笑って、玄ちゃんも笑った。

そっくりなんだ。この親子は。

お茶を入れてリビングのローテーブルに離して置く。

テレビをつけて、玄ちゃんのお父さんが好きな番組にする。

これで大抵の小言は終わる。


俺はお皿を洗って彼らの様子を背中で見る。

すっかり玄ちゃんのお父さんはテレビを見始めて、小言は終わったようだ。

面白いな…ほんとに。

「外に来ていたよ?」

俺の後ろにくっついて玄ちゃんが報告しに来た。

「そう。朝、買い物に行く途中で声かけて見るよ。」

俺はそう言って、お皿を洗う。

「別にどっちが出てもいいと思わない?」

さっきの檀家さんの話をぶり返して俺に振ってくる。

止めろよ。もう終わったんだから…全く。

「玄ちゃんが出たら、おじちゃんは息子自慢できるから嬉しいんだよ。」

俺はそう言って、テーブルの上の空いた皿を取る様に玄ちゃんに言う。

「…だって、気付かなかったんだよ?それをいつまでもさぁ~。」

聞こえるから…聞こえるから止めろって。

「今日は気付かなかったけど、気付けた時はそうすれば良いよ。ね?」

残りのお皿も洗って、俺は布巾を手に取った。

「いつまでも言われるのが嫌なんだよ。」

お前もいつまでも言ってるじゃないか…全く、この親子は…

「いつまでも言われるのが嫌なんだね。」

俺がお皿を拭いて、玄ちゃんに渡すと、彼がしまってくれる。

「そうなんだ、一回言われたらそれで十分なんだ。」

「そうだね、一回で十分だと思うんだね。」

片付けも終わって、玄ちゃんのお父さんもテレビを見て笑ってる。

「梅ちゃんだって、何回も言われるの嫌だろ?」

嫌だけど、お前たちは寄ってたかって俺に何回も言うじゃないか…!!

「俺も何回も言われるの嫌だと思うんだね。」

俺が玄ちゃんを見てそう言うと、彼は深く頷いて言った。

「そうだ、一回で十分だ。」

「一回で十分だね」

忘れるなよ…!!その言葉、忘れるなよ!!


掃除は玄ちゃんのお父さんと玄ちゃんのお仕事だ。

俺は買い物に行く準備をして、玄ちゃんに聞く。

「今日は何食べたい?」

聞くや否や、玄ちゃんのお父さんはハンバーグ!と言って、体を揺らしている。

子供の舌だな…。トマトケチャップとソースが大好物だ。

「じゃあ、行ってくるね。」

俺は二人にそう言うと、玄関で靴を履く。

「梅ちゃん。ハンバーグ、待ってるね。」

玄ちゃんが意味深に言う。

大丈夫、俺はちゃんと計画的だ。

「行ってきます。」

そう言って玄関を出る。

境内の御神木の傍に死神を見つけて、俺は笑いながら近付いて行く。

「おはよう。ねぇ、久しぶりのこの境内はどうだい?やっぱりここが一番良いだろ?」

小突くようにして言うと、彼は笑いながら頷いた。

「梅ちゃんを見ると安心するよ。」

「俺も、あなたが居ると安心するよ。」

そのまま手を繋いで歩く。

久しぶりに一つになった彼の命は喜んでいる。

じんわり熱くなる胸元に感じるんだ。

繋いだ手に感じるんだ。

「ねぇ?昨日が満月だ。新月になったらあなたと行こう。」

俺が彼に言うと、彼は頷いて応える。

「玄ちゃんにもそう言おうと思うんだ。どうかな…?」

「玄太は悲しむだろうな…」

意外だよ。

あなたがそんな風に言っても揺らがない自分に驚く。

「玄ちゃんは奥さんをもらって、寺を継ぐんだ。そして、子供を作って、立派に育てる。その子も大人になってあの寺を継ぐ。俺は玄ちゃんが死ぬ所を見て、あの世に連れて行ってあげる。」

それに、と付け加えて言う。

「あなたみたいにこうやって姿を見せられるなら、いつでも会える。悲しくない…」

境内の出口で彼と離れる。

既に手が言う事をきかない。

「離れない。」

反対の自分の手で、指をこじ開けて手を放す。

「新月まで俺が耐えられるか心配だよ…あまり触らない方が良いのかもしれない…」

「そうだね。」

彼はそう言って俺の頭を撫でる。

全く…そういうのだよ。そういうのが良くないんだよ…

「バイバイ」

手を振って彼と離れる。

胸が痛くて、叫んでるみたいにうるさく騒ぐ。

大丈夫だよ。

そう言って心を落ち着けさせるんだ。

新月まで約2週間。

それまでに終活をしよう。

彼にはその後、ゆっくり甘えれば良いだけなんだから…

そうだろ?

俺の心に問いかける。

大切な人がそれなりに居るんだ…

ゆっくりお別れさせてくれ…


「梅ちゃん。はよ~」

買い物に行く前に、益田と百合子ちゃん夫婦の経営するカフェに立ち寄る。

「コーヒー豆買ってみようかな?2週間で消化できる?」

俺が百合子ちゃんに聞くと、百合子ちゃんは量り売りしてくれた。

「赤ちゃん、いつ生まれるの?」

彼女のお腹には新しい命が宿っていた。

この2人が結婚したのは、大学を卒業してまもなくだった。

良い会社に入ったのに、益田は海外赴任を嫌がって速攻辞めてしまった。

元々嫌いなんだ。意味の分からない事をすることが…

そして、プータローの癖に百合子ちゃんにプロポーズして、一度は断られた。

このお店を初めて、軌道に乗った頃、もう一度プロポーズして、OKをもらった。

女性はたくましいよ。

決していい会社ほどの稼ぎをねん出できなくても、彼女は先を読んだんだ。

好きな人と、ずっと一緒に居られる仕事で、ほどほどの収入。

これらを自分の幸せと照らし合わせて、出した答えがこれなんだ。

赤ちゃんの誕生には、俺は立ち会えないだろうな…

彼女のお腹に手を置いて胎動を感じる。

「うぅ…すごい力だ…」

きっと強い女の子が生まれる。

俺はそう思った。

「梅ちゃん、今度のお祭りはお手伝いするの?」

益田が軽食を作りながら俺に声を掛ける。

彼は百合子ちゃんの唐揚げに感銘を受けて、あれから料理をこなすようになったんだ。気付けば趣味だった料理に免許まで取って、あっという間に料理人になってしまった。

こういうのを化学反応って言うの?

お互いの意外な部分を発生させる組み合わせ。

まさか益田が料理をすると思わなかったし、まさかお店を持つとも思わなかった。

「おれはプータローだからね。何でも手伝いますよ。」

そう言いながら、彼の調味料をチェックする。

ふぅぅん…ポーチドエッグってあんな風に作る事も出来るんだな…

あれなら汚れないかもな…かしこだな。

「さて、そろそろ行きます。」

「今日はこれからどこ行くの?」

益田に聞かれて俺は答える。

「ハンバーグの材料を買いに行くの~」

「梅ちゃん楽しそうだな。あはは」

そうだ。俺は毎日気楽に暮らしている。

仕事もせず、玄ちゃんのヒモしてる。

その代わりに雑用を全部やってあげるんだ。

いつ居なくなっても良い様に、俺は新しく生活を広げることはしなかった。

玄ちゃんのお父さんからそう言われたんだ…

残されて悲しむ人が少ない方が良いと。

そう言われた。


「バイバイ、またね。」

益田夫婦と別れて、スーパーに向かう。

玄ちゃんの好きな割けるチーズを補充しないと…またごねる。

忘れる前にカゴに割けるチーズを5個入れた。そのあと、玄ちゃんのお父さんの好きなチータラを買って、スルメも買う。お酒は少ししか飲まないのに、やたらとつまみが好きなんだ。

買う物が沢山あって、カートを押すことにした。

カラカラ言わせて店内を見て回る。

「梅ちゃん」

突然声を掛けられて振り返る。

「こんな所に何しに来たの?」

死神がスーパーで突っ立ているの、シュールすぎるだろ…

俺は意外なところで意外な人に会って、彼に聞いた。

「お買い物しに来たの?それとも俺をストーカーしてるの?」

すると、彼は1人のおばあさんを指さして言った。

「迎えに来たの」

お仕事なんだ…

「そっか、じゃあまたね」

俺はそう言うと、彼から離れて海苔をカゴに入れた。

しばらくすると後ろの方で店内が騒がしくなる。

女性の悲鳴と“救急車”という声が聞こえて、彼があのおばあさんをお迎えしたんだと思った。

ずっと境内に佇んでるのかと思った死神は、こうしてお仕事をちゃんとしていたんだね。

合挽肉を買って、豚のひき肉が安い事に気が付く…

キャベツもニラも安いじゃないか…

きょうはハンバーグじゃない。餃子にしよう…

俺はメニューを変更して買い物をつづけた。


担架に乗せられて運ばれるおばあさんを見る。

俺の愛する人はその後ろをゆっくりと歩いて付いて行く。

周りの人に彼は見えているの?

いや…見えていなんだろうな。

霊感のある人なら、見えるのかな…

見たら驚くだろうな…予想と違ってイケメンだから。

「ただいま~」

買い物から帰って冷蔵庫に食材をしまう。

「わ~い。ハンバ~グだ!」

喜ぶ玄ちゃんのお父さんに、悲しいお知らせをしなくてはいけない。

「ごめんね。今日は餃子に変更になりました。」

「梅ちゃんの手作り?」

そうだ。手作りに決まっている。

俺は頷いて言った。

「合挽より豚肉のひき肉の方が断然に安かったんだよ。ニラもあるし、キャベツもあるから、今日は餃子にしちゃった。」

「梅ちゃんの餃子は美味しいから大好きだ~」

本当に、この親子は似ているんだ。

この年にして、この可愛さはやばいだろ…

「いつにするの?」

突然声色が真剣に変わって、俺の手を取ると、奥さんの指輪を指で撫でながら聞いて来る。

「今度の新月。」

俺は一緒に指輪を眺めながらそう言った。

「これ、おじちゃんが買ってあげたの?」

俺が聞くとフフッと笑って頷いた。

「ごめんね。俺が貰った。」

そう言うと、またフフッと笑って頷いた。

「玄太はお前の事、一生思って行くんだな…」

「違うよ。玄ちゃんは奥さんをもらって子供を2人作るんだ。そして、このお寺を継いで、子供たちに繋いでいくよ。」

俺は玄ちゃんのお父さんに言った。

「お前が前、言った通りに?」

玄ちゃんのお父さんが俺の顔を覗いて、悪戯っぽく笑いかける。

その笑顔が、玄ちゃんにそっくりで…涙が落ちそうだ。

遺伝てなんだろう。こんなに特徴を受け継いでいくものなの?

だとしたら俺のお父さんも、俺のお母さんも、どこかしら俺に似ていたのかな…

そして、俺の子供も俺に似るんだろうか…

繋ぐって…そう言う事なのかな。

「何で泣くの?」

玄ちゃんのお父さんが俺の手を離してオロオロする。

「いや、おじちゃんがすごく玄ちゃんに似ていて、俺、悟っちゃったの。」

俺が笑ってそう言うと、玄ちゃんのお父さんは興味津々に聞いて来る。

でも俺は教えてやらないんだ。

悟りは人から聞く物じゃない。

自分で気づくから悟りなんだ。

「梅之助のけち」

「ハイハイ」

玄ちゃんのお父さんがそう言って、玄関で鳴る電話を取りに行く。

「もしもし、はい、あぁ…左様ですか。それは…ご愁傷さまでございます。」

繋がっている。

不思議だな。

あのおばあさんはこの寺の檀家さんだったんだ…

「梅ちゃん、今日のご飯何だっけ…」

そう言いながら玄ちゃんが台所にやってくる。

買い足した割けるチーズを見て喜ぶ。

可愛いな。本当に…

ずっと…一緒に居たいよ。

俺は小さく深呼吸してから玄ちゃんに言った。

「今日は餃子にしました。」

「わ~い!」

本当に…そっくりなんだ、可愛い。


餃子を包み終えた頃、時計を見ると夕方の6:00ちょいすぎ。

玄ちゃんのお父さんが法衣を着てガサガサと音を立てながら、支度をしている。

「玄太、檀家さんの小林さんのおばあちゃんが、今日急に倒れて、そのままお亡くなりなった。俺はこれからちょっと小林さんの家に顔を出してくるから。少し、ここを頼んだぞ。」

俺の方を見て玄ちゃんのお父さんが言う。

「梅之助、餃子は10個以上残しておいてくれ…頼んだぞ」

馬鹿野郎。

仕方ないんだ、子供みたいな人だから…

「分かった。残しておく。」

そう伝えると、袈裟の袖を直して玄関に向かった。

「気を付けてね~」

玄関で玄ちゃんのお父さんを見送る。

空の月が既に辺りを月明かりで照らし始める。


月を見上げて玄ちゃんに言う。

「玄ちゃん、俺、次の新月に逝こうと思ってる。どうかな?」

長い沈黙が続いて、俺の手に手を入れるとギュッと握って玄ちゃんは言った。

「梅之助が…そう望むなら…」

俺は玄ちゃんの顔を見て、微笑んで言う。

「うん。」

彼は俺を抱きしめて泣いていた。

俺は彼の背中を撫でて、死神の言葉を思い出す。

“玄太は悲しむだろうな…”

「悲しまないで…俺は死ぬけど、悲しまないで。」

変な話だ。

死ぬけど、悲しむななんて…変な話だ…

俺の葬式では玄ちゃんに法衣を着てお経をあげてもらいたい…

でも、俺の腕の中で泣いている彼に、そんな事…今は言えないな。

死神の気配を感じるのに、姿を現さないのは。

この玄ちゃんをどこかで見ているからなんだろう…

「玄ちゃん…愛してるよ…」

まごころを込めて彼を抱きしめる。

「さぁ、餃子を焼くから手伝ってよ。今日は沢山作ってしまって、フライパンが追い付かないよ。」

俺は玄ちゃんの肩を抱いて中に入ると、玄関の扉を閉めた。


「水をいれたら蓋は取らないでね。」

玄ちゃんはすぐに泣くのを止めて、俺のお手伝いをしてくれる。

「火を弱めてね。じっくり中に火を通そう…」

そう言って俺が火を弱める。

それを一緒に確認しながら、復唱する。

絶対玄ちゃんには出来っこない。素敵な奥さんをもらえ。

頃合いを見て蓋を開ける。ごま油を回して入れる。

「良い匂いして来た。」

可愛いな。

本当に可愛くて、堪らないよ。

「さぁ、お皿を取って下さい。」

俺はフライパンにお皿を被せると、ヨッとひっくり返して餃子を皿に移した。

「おぉぉぉ!!」

拍手喝采を浴びて気分が良い。

「そうだ、今日は益田のお店でさ、コーヒー買ってきたんだ。明日からご飯の後に飲んでみる?」

子供舌のこの家にはコーヒーはない。

玄ちゃんも何回か挑戦したけど、やっぱりコーヒーは苦手みたいだ。

可愛いよな…

玄ちゃんは少し嫌そうな顔をしたけど、ちょっとだけなら飲んでみると言った。

そんなに無理すること無いのに。

「焼きたての餃子、食べよう!」

今日は俺達2人きりだ。

「玄ちゃんラー油入れる?」

「うん。」

俺は玄ちゃんのタレにラー油を入れてあげる。

いただきますして、玄ちゃんが食べるのを眺める。

「うん!梅ちゃんの餃子はやっぱり美味しいね。何が入ってるの?」

「そりゃあ、真心と愛情だよ。」

俺が笑って言うと、玄ちゃんは目を潤ませた。

「もっとたくさん食べてね。太ってしまうくらい、たくさん食べてね。」

笑ってそう言うと、俺も箸を取って餃子を食べた。

「やっぱり俺の餃子っておいしいな。」

自画自賛して玄ちゃんと笑う。

残りの餃子もフライパンで焼いてしまう。

「これはおじちゃんの分だ。」

15個。大きな手作り餃子を、玄ちゃんのお父さん用に残してラップに包んだ。

ご飯を食べ終わって、お皿を洗ってしまっていると、

玄ちゃんのお父さんの餃子がどうしてかな…14個になった。

玄ちゃんが食い意地を張って食べたんだ…

本当にこういう所が子供だって言ってるんだ。

全く…可愛いんだから。

「玄ちゃん?お茶何飲む?」

リビングでテレビを見てる玄ちゃんに声を掛けると、彼はコーヒーと言った。

ほほ…チャレンジしてみるかい?

「じゃあ、俺が淹れるからそれを少し飲んでみる?」

「いや、飲んでみる」

意地張ってさ…どうせ残しちゃうくせに…

俺は益田カフェのコーヒーを取り出して、お湯を沸かした。

紙のフィルターにコーヒーを入れて、カップにセットする。

この家ではコーヒーメーカーなんて無いから…

飲みたい時はいつもこうやって淹れてる。

お湯が沸いて、俺はフィルターに直接お湯をかけていく。

細くお湯を落として、じっくりコーヒーを淹れる。

「良い匂いするね。」

玄ちゃんが興味津々で寄ってくる。

「触ったらダメだよ。今俺に触らないでね。」

それくらいポットを持つ腕に集中してゆっくり淹れてます。

「ねぇ、さっきの振り?」

笑いながら聞いて来るから、俺は、違う!と言って、集中してお湯を垂らす。

「振りでしょ?押すなよ押すなよ…みたいな、振りでしょ?」

そう言って俺のわき腹をつつくから、俺の手元が狂ってお湯がドバっと入ってしまった。

「あぁ~!玄ちゃん!今のでコーヒーがもう美味しくなくなった!」

「そんなに一杯作るのに大変なら、緑茶の方が良い!」

俺に怒られて逆切れする玄ちゃん。

何でだろう。いつもならムカつくけど、本当に愛しいよ。

「…コーヒーメーカー買ってくれたらこんな苦労しないよ。」

俺はそう言って、続けてコーヒーを淹れる。

だって、どうせなら美味しいの淹れたいじゃないか…


へそを曲げてテレビを見る玄ちゃんの目の前にコーヒーを置いた。

「どうぞ~。お砂糖とミルクも持ってきたよ~」

そう優しく言ってご機嫌を取る。

「…フン!」

「玄ちゃん、怒っちゃったの?怒らないでよ。ね?ちょっと飲んでみて?」

そう言って、自分のブラックコーヒーを少し飲んでみる。

「ん、美味しいじゃん。益田カフェのコーヒーはいい味だ。」

俺はそう言って、玄ちゃんのカップを持って彼に手渡しする。

「飲んでみて?俺が淹れたんだよ?」

ぶりっこして言うと、玄ちゃんは渋々カップを受け取って、口に付けた。

どうかな…まだ苦いって嫌がるかな…?

「ん、飲める。梅ちゃん。俺、コーヒー美味しくなった。」

本当かな…?無理してんじゃないの?

「お砂糖とミルク入れる?」

「入れない」

あぁ、コレは無理してんな…

でも、いいや。

「あんまり苦くなくておいしいよ。」

俺はそう言って、玄ちゃんの隣に深く腰掛けてコーヒーを飲む。

「ふぅん…そうなんだ」

意外そうな口調だな…やっぱり玄ちゃんには大人の味だったか…

俺と玄ちゃんがリビングでテレビを見ていると、玄ちゃんのお父さんが帰ってきた。

「お帰りなさい。遅くまで大変だったね。」

俺はお出迎えして、荷物を受け取る。

「風呂に入ってからご飯食べる。」

「うん。分かった。」

玄関で既に半分袈裟を脱ぎつつ、玄ちゃんのお父さんは風呂場に向かった。

俺は餃子をレンチンして温めてあげる。

渡された荷物を玄ちゃんに渡す。

「明日はお通夜かな…」

玄ちゃんが言う。

不謹慎とは分かっているけど、法衣を着た玄ちゃんは恰好良いんだ…

俺の時もぜひ、彼にお願いしたい…

「玄ちゃんも行くの?」

「多分…」

俺は明日ボッチ決定だ。

「あの人といる?」

玄ちゃんが俺の方を見て聞いて来るから、俺は首を振って答えた。

「映画でも見て待ってるよ。」

「何で?」

玄ちゃんが不思議そうな顔をして聞いて来る。

「何が?」

俺も不思議そうな顔をして聞き返す。

「何で一緒に居ないの?俺に気を使っているの?」

憮然とした顔をしながら、玄ちゃんが言うから、俺はハッキリと伝えた。

「玄ちゃんに気を使ってるわけじゃない。俺がここに居る間は、俺は家族を優先させる。俺の家族を一番に優先させるって、そう決めてるの。」

家族…つまり玄ちゃんと玄ちゃんのお父さんの事だ。

「梅ちゃん…」

玄ちゃんはそう言うと、俺を抱きしめて言った。

「梅ちゃんは俺の奥さんだよ。もうすぐ死んじゃう奥さんだ。」

俺は玄ちゃんの背中を抱いて、ゆっくりトントン叩いてさすった。

玄ちゃんのお父さんがそんな俺達の後ろを通って餃子を見て喜ぶ。

「家の嫁は料理が上手だ。」

全く…この親子は本当に、可愛いんだ。

可愛くて、優しい…

「コーヒーの匂いがするな…」

そう呟きながら、いただきますをして餃子を一口食べると言った。

「美味い!梅ちゃん!餃子屋さん開こう!!」

玄ちゃんのお父さんの一声に、俺は玄ちゃんと一緒に大笑いした。

そのまま、またソファに座ると、俺は玄ちゃんにもたれて、テレビを見た。

奥さんか…奥さん…

嬉しいこと言ってくれるな…玄ちゃん。

「玄ちゃん…愛してるよ」

俺はそう呟いて彼の手を握る。

彼は何も言わないで繋いだ手を自分の腹に置く。

いつもと変わらない時間を。

いつもと変わらなく過ごしていく…

あっという間に時間が流れていく。


月が半分以上欠けたある夜。

俺は死んだ後の為に玄ちゃんに手紙を書いた。

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玄ちゃんへ。

これを読んでいるという事は、俺は無事に逝ったようですね。

玄ちゃん。今まで俺の愛を受け取ってくれてありがとう。小さい頃から、あなたの事が、大好きでした。もちろん今も変わらず愛しています。

玄ちゃんの一番好きな所は、とっても優しい所です。小さい頃、穴を掘る俺に話しかけてくれたよね…小学校でも、周りの子にからかわれても、手を離さないでいてくれたよね。中学校でも、俺が泣くと…引き返して手を引いてくれた…全部覚えていて、全部俺の大切な思い出です。

そんな優しい玄ちゃんに最後も甘えたいです。

俺のお経は玄ちゃんがあげてください。

成仏しないけど、玄ちゃんの立派な法衣姿を見たいです。

俺の骨は、共同墓地に埋めてください。

散骨しても良いよ。それかダイヤモンドを作っても良いよ?

指輪は俺が貰ったので、奥さんには別の物を用意してください。

そして、玄ちゃんが死ぬときは俺がお迎えに行きます。

だから怖がらないでね。

いつかまた会うその時まで

しばしの別れです。

またね、玄ちゃん。

愛してるよ。

梅之助


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涙で文字が見えなくなって、何度も書き直して書いた。

それを丁寧に畳んで、綺麗な色の封筒に入れる。

愛を込めた息を吹き込んで、封をする。


遺品なんて呼べそうなものは何も持っていない…

しいて言えば、玄ちゃんの家の包丁は多分俺が一番使ったものかな…

封筒を本の間に挟んでしまう。

息を深く吸って、吐き出して、呼吸を整える。

窓の外を覗いて天の月を見る。

「かぐや姫もこんな気持ちだったのかな…」

自分の言葉に自分で吹き出して笑う。

隣の部屋から物音がして、俺の部屋の扉がノックされる。

「どうぞ~」

俺が言うと、玄ちゃんが扉を開けて入ってくる。

「梅ちゃん、トランプしようか?」

手にトランプを持って遊びに来た。

「いいよ。」

俺は満面の笑顔でそう答えると、玄ちゃんと2人でババ抜きをした。

2人でやるババ抜きはあっという間に終わるのに、とても楽しかった。

「玄ちゃん、今日は俺の隣で寝て行ってよ。」

お布団を敷いて寝転がると、俺は自分の隣をポンポンと叩いて玄ちゃんを誘った。

「いいよ。」

玄ちゃんはそう言って俺の上に覆いかぶさってくる。

これはいけない。

玄ちゃんの胸に手を置いて、顔を見る。

「梅ちゃん。新月まであと3日だよ。」

「うん。そうだね。」

真顔だった玄ちゃんの目から、大粒の涙が降ってくる。

俺の顔にポタポタ落ちて俺を濡らしていく。

「玄ちゃん…溺れちゃうよ!」

俺はそう言って笑うと玄ちゃんの涙をパジャマで拭ってやった。

「泣かないで…玄ちゃん、泣かないで…」

俺は体を起こして玄ちゃんを抱きしめた。

「梅ちゃん…やっぱり俺と居てよ…梅ちゃんがいないと…何もできないよ…」

可愛いんだ…とっても可愛くて、大好きだ…

「玄ちゃんは俺の旦那さんだから、俺が居なくても立派に生きていけるんだ。」

「どうして?どうして行くの?」

「それは、俺が望んだからだよ…」

「どうして死神と逝きたいの?俺よりも、死神の方が好きなの?」

そんな事じゃないって分かってる筈なのに、そんな事言って…

俺は玄ちゃんの前髪を両手で掻き分けて、玄ちゃんのおでこにキスする。

そして、両目をよっく見て言う。

「んなわけないだろ!ばかやろう!」

俺の命は死神の命だ。

「命を、返さないといけないからだよ。」

そう言って彼にキスする。

彼はそのまま俺に抱きついて、俺の腹の上で泣いている。

俺は彼の背中を撫でて、落ち着くまで声を掛ける。

月の明かりが青白く窓から差して、俺達を照らしている。

「玄ちゃん…?俺としたい?」

俺の腹で泣き疲れて微睡む彼に聞く。

何故かって?俺も玄ちゃんとしたいからだ。

「したいよ。梅ちゃんを抱きたいよ。ずっと抱きたいって思っていたよ。」

玄ちゃんはそう言って、俺の顔に近付くとキスしようとするから、慌てて言った。

「最後の日。最後の日に抱いてほしいよ…何でかって言うと、あの時…死神に発情した自分を見て、とても怖かった…もし、またあんな風になったら、最後の時が台無しになってしまうじゃないか…俺と玄ちゃんの…最後の時が…そんなの、絶対嫌なんだ…」

彼の頬を包んで言うと、彼は少し残念そうにしたが、俺に軽くキスして、分かった。といった。俺は彼の首に抱きついて、ありがとう。と伝えた。

「夜逝くよ。真っ暗な新月の夜に。俺の大好きな穴掘りする所で。」

狭い布団で体を密着させて、玄ちゃんと月を見ながらおしゃべりする。

「穴掘りの所って…あんな所が良いの?」

「あそこの土は良い土なんだよ?」

ふぅん…興味の無さそうに玄ちゃんは言って、俺の体を抱く。

「梅ちゃん。お休み。」

「じゃあ、他に良いところある?」

俺は急に不安になって玄ちゃんにアドバイスを求める。

「そうだな…ご神木の前…」

あぁ…あそこも好きだ…

「玄ちゃんの言うとおりにしよう。」

俺はそう言って、玄ちゃんの腕を撫でながら、目を瞑る。

「玄ちゃん…愛してる。」

「梅ちゃん…俺も愛してるよ…」

玄ちゃんが小さくそう答えた。

玄ちゃん…

玄ちゃん…



「俺が死んだら、読んで?」

約束通り、新月前夜に玄ちゃんに抱かれた。

玄ちゃんの体に久しぶりに触れて、嬉しかった…興奮すると、やっぱり目が黄色くなってしまう様で、それ以外は普通に愛し合った…玄ちゃんがかっこよくてたまらない。

Tシャツとパンツを履いて、2人で玄ちゃんのベッドに寝転がると、俺は自分の部屋から本を持ってきて彼に渡した。

「なに、これ?」

「玄ちゃんへお手紙。」

本を開いて、綺麗な封筒を彼に渡す。

「封は開けないで!明日。俺が旅立ってから…開けて。」

何故だろう…ずっと平気だったのに、涙がボロボロ落ちてきて、声にならない…

手が震えて、彼の体にしがみ付いて泣く。

「玄ちゃん…玄ちゃん…」

彼と離れるのが怖い…今更、何だよ…

「梅ちゃん…愛してる…俺の梅之助。大好きだよ。」

玄ちゃんがそう言って、俺に沢山キスをくれる。

涙を拭って、キスして抱きしめて、甘い言葉で俺を愛してくれる。

「玄ちゃん…怖いよ…玄ちゃんと離れるのが怖い…」

今更…何だよ…

「今日も一緒に寝よう…昔話しよう…」

玄ちゃんがそう言って、俺を抱きしめて温めてくれる。

「うん…うん…する。するよ…」

俺は鼻をスンスン言わせて彼の胸に顔を埋める。

「じゃあ、小さい時さお前が掘った穴に何が入ってたと思う?覚えてる?」

「え…何か入ってたの?覚えてないな…」

自分でも覚えていない、何か入れてたんだ…

ひたすら穴を掘っていた記憶しかなかった…

玄ちゃんは、ちょっと待ってて。と言うと、机の上の箱を取り出して、俺に見せて言った。

「こんなの入ってたんだぜ?おっかしいよね。」

その箱の中には、俺が入れたであろうガラクタが沢山入っていた。

「俺がお前に穴掘るなって注意した後、お前は俺が穴を埋めてるって分かったみたいで、穴に必ず何か入れるようになったんだよ…。だから、俺はおかしくなってさ…変な事する子だなって…思ったよ。」

箱の中の一つを取り出してわらけてくる。

「この…このお金、覚えてる。死神がくれたんだ。あはは。これ入れたらどうだ?って言ってさ…外国の物かな…なんでこんなの持ってたんだろうね…」

玄ちゃん…俺の入れた物…こんなに沢山持っていてくれたんだ…

俺は嬉しくて、恥ずかしくて、顔を赤くして中を見る。

「なんで持ってたの?今まで捨てずに、何で持っていたの?」

彼の顔を覗きながら尋ねる。

「いつか見せてやろうと思ってた。それが今になっただけだ。」

玄ちゃんがそう言って、とっておきのお気に入りを見せてくれた。

それは折りたたまれた紙。

黒歴史が書いてありそうで、俺は焦るけど、玄ちゃんはとても嬉しそうにその紙を広げた。

「見てみて?」

そう言って紙を広げると、中には絵が描いてあった。

怒った顔の男の子がシャベルを持っている。

下に平仮名で“げんちゃん”と書かれていた。

「あはは!これ、覚えてる!!注意された後、施設で描いて、穴に入れたんだ。ごめんね!って気持ちで書いたのに…今見ると、完全に煽ってるな…あはは!」

「このころからお前は変わってないよ。」

玄ちゃんはそう言うと、俺の髪を撫でておでこにキスをくれた。

俺は目を瞑ってそのキスを受けると、玄ちゃんの口にキスした。

愛してる…

玄ちゃん…もうこんな風に触れられなくなるんだね…

もう…玄ちゃんに抱かれることも無くなるんだね…

あんなに小さい頃から、自分でも分からないくらい、玄ちゃんに執着した。

大好きで、大好きで、堪らなくて…

おかしいって分かってるのに、自分を止めることが出来なかった…

こんな形で…お別れなんて。

「玄ちゃん…愛してるよ…心の底から。玄ちゃんの事だけ、ずっと愛してる。」

彼の顔を撫でながら、俺を見る彼を見て伝える。

「玄ちゃん…玄ちゃんの目が好きだよ。トロンとした可愛い目。怒ると吊り上がるけど、いつも眠たそうで可愛いんだ。口も好き。柔らかくて気持ちいい。この口からは優しい言葉しか出てこないよ…。玄ちゃんの手がすき。強くて、いつも俺の手を引いてくれたこの手がすき。玄ちゃんは特別だよ。特別なんだ。玄ちゃんの背中が好き、少し猫背なのがとっても好き。玄ちゃんの足が好き。もっとすね毛生えてくると良いね。玄ちゃんの考え方が好き。玄ちゃんが俺に教えてくれた全てが好き。玄ちゃん。玄ちゃんが大好きだよ。」

「そんなに好きならずっと一緒に居ればいいのに…」

顔を歪めて涙を流して玄ちゃんがそう言う。

俺は彼の涙を拭えない。

だって、自分の涙の方が洪水を起こしているからだ。

明日の夜にはお別れする。

死期が分かるだけ、俺は良いんだ。こうやって準備が出来る。

世の中の人は俺の様に死期を決めることなんて出来ない…

幼い子供にでも、平等に、容赦なく訪れて、情なんてかけずに奪って行く。

こうやって思いを伝える間もなく、亡くなってしまう人だっているのに…

俺の悩みは贅沢な悩みなのかもしれない…

「玄ちゃん…昔、一瞬女の子と付き合ったよね…」

「その話はダメ。」

俺達は笑ったり、泣いたりしながら夜を越した。

「今日は朝ご飯、頑張りました。」

茄子のお味噌汁といつもの卵焼き。ウインナーとかぼちゃの煮つけ。

「いつもと同じじゃん。」

玄ちゃんに突っ込まれる。

違うんだ。違うんだ。

「お味噌汁のなすは一回焼いてから入れてるんだよ?頑張っただろ?」

俺はそう言って、玄ちゃんに明太子を渡す。

「梅之助。何時に考えてる?」

玄ちゃんのお父さんが聞いて来るから、大体9:00頃かな~と言った。

そうか…と短く言うと玄ちゃんのお父さんは、鼻をすすって泣き始めた。

「梅之助…梅之助…幼い頃から、よく知ってる子だ。玄太の事を好いてくれた…。病的に好いている様はさながら犯罪に繋がりそうな危険な匂いさえした。梅之助。こんなに大きくなって…死神を殴って蹴飛ばした…幼い頃のままだ。」

褒めているのか…けなされているのか…

俺は玄ちゃんのお父さんにティッシュを渡して、自分も少し涙を拭った。

「おじちゃんの時、お迎えに来れたら来てあげるね。」

「そこは、必ず来いよ…」

「玄ちゃんに直して欲しい所が有ったら、もう少し具体的に教えてあげてね。」

俺の言葉に玄ちゃんのお父さんは驚いて俺の顔を見る。

「家内と同じことを言う。」

そう言って大笑いすると、続けて言った。

「あなた、玄太に注意するとき、もう少し具体的に言ってみて?あの子。ただ怒られているって…そんな顔していたわ…そう、よく家内に言われてた。幼い玄太に厳しい俺に、釘を刺していると思っていたが、そうか…俺の注意の仕方…少し気を付けてみよう…」

そう言って、また涙を頬に伝わせると、玄ちゃんもグスンと鼻をすすった。


「今日は玄ちゃんを1日借りちゃうよ~。行ってきま~す!」

俺は朝から玄ちゃんと益田カフェに行く。

玄ちゃんも少しだけ、少しだけコーヒーが飲めるようになったから、いい機会だ。

一緒に行こうじゃないか~!!

「おはよう!今日9:00頃を予定してるよ。」

死神に挨拶して、玄ちゃんと腕を組んで通り過ぎる。

「ここの花屋さん。いつもきれいな花を出すんだよ。あと、ここのお店は割高なんだ。」

玄ちゃんに主婦の知恵を教えてあげる。

カフェの前に百合子ちゃんを発見して挨拶をする。

「百合子ちゃん、おはよう。」

俺の声を聞いて、いや、玄ちゃんの顔を見て、嬉しそうに百合子ちゃんが笑う。

「玄ちゃん、久しぶり…あぁやっぱりカッコいい…」

「俺の玄ちゃんだ。」

すかさず間に入って百合子ちゃんにアピールする。

「玄ちゃんに飲みやすいコーヒー出してあげてよ。」

俺は益田にそう言って、カウンターに座った。

百合子ちゃんに掴まる玄ちゃんに手招きして、隣に座らせる。

「赤ちゃん予定日いつだっけ?」

益田に聞くとあと4か月後って言った。

「楽しみだね。名前は決まってるの?」

俺が聞くと、百合子ちゃんがすごい勢いで近づいて来て言った。

「女の子だったら、凛子りんこ。男のだったら、れん。」

なるほど、好みの名前がある訳だね。

ここは奥さんに譲った方が上手くいきそうだけど、益田の顔を見る限り…もめてそうだな。

「女だったら、真亜子まあこちゃん。男だったら一歩いっぽだろ?」

止めとけよ…揉めるぞ。

俺の勘通り、百合子ちゃんは外を掃き掃除しながら、益田にガンを飛ばしている。

「玄ちゃんは?子供の名前とか考えてる?」

何の気なしに俺が聞くと、益田が驚いた顔をした。

「お前ら付き合ってるんだろ?なんでそんな事聞くんだよ…」

俺は一瞬きょとんとしたけど、そのまま笑って言った。

「興味があるだけだよ。玄ちゃんの頭の中が気になるの。」

俺はそう言って、玄ちゃんの顔を覗いてみた。

「女の子だったら、母の名前。男の子だったら、お前の名前にするよ。」

絶対奥さんに嫌がられるヤツだ…玄ちゃんはアウトです。

「はい、玄ちゃんどうぞ。」

益田が玄ちゃんにコーヒーを淹れてくれた。

「梅ちゃんもいつものどうぞ~」

俺は玄ちゃんが気になって仕方が無いよ…

ドキドキ。

玄ちゃんは益田のコーヒーを一口飲んだ。

「ふふ、梅ちゃんのより全然美味しいじゃん。」

玄ちゃんの言葉に、俺は思いっきりムカついた。

「玄ちゃんの家にはコーヒーメーカーが無いんだ!だから俺は試行錯誤しながらコーヒーを淹れてるんだ!なのに、なんだ、こんな環境の整った奴が淹れたコーヒーと比べるんじゃないよ。そもそもの環境にこんなに差があるんだから、比べちゃダメだ!」

ムキになって怒る俺を見て、玄ちゃんは、ごめん、ごめん。と謝って俺の頭を撫でた。

ちょろいんだ。俺は玄ちゃんをすぐに許した。

だって、最後の日だもん。

「俺、ここのコーヒーなら飲めるよ。」

笑顔で初めてコーヒーを飲み切った玄ちゃんが言った。

「良かったね、たまに来るんだよ?」

俺はそう言って玄ちゃんの頭を撫でた。

玄ちゃんは可愛く笑うと、うん。と言った。

離れたくないよ…

こんなに愛おしいのに…

もっと上手に死神の命と付き合えたら逝く必要なんてないのかな…

それとも、もう未来は決まっていて…この葛藤も一時の感情なんだろうか…

益田カフェを出て、仲の良い夫婦に別れを告げる。

「元気で丈夫な赤ちゃんを産むんだぞ。奥さんを大切にするんだぞ。」

俺の言葉に、キョトンとして、ハイハイ。と面倒くさそうに手を振る益田と目を潤ませる百合子ちゃん。2人はお似合いの夫婦だ。

俺と玄ちゃんには負けるけどな…

俺と玄ちゃんはスーパーに行って、今日の言葉通り、最後の晩餐のメニューを決める。

「梅ちゃんの食べたいものは?」

「う~ん。特にないな…」

2人して通路に突っ立って、主婦の邪魔になる。

「そうだ。この前、唐揚げ作り損ねたから、俺の味の唐揚げを作ってやろう」

俺はそう言うと、ポンポンとカゴに食材を入れていく。

玄ちゃんはカゴ係だ。

「玄ちゃん、割けるチーズも買っていく?」

俺が聞くと、また可愛い笑顔で、うん。と頷いて言う。

玄ちゃんのチーズを5個カゴに入れてお会計をする。

「ここのお店ではこのカードを出すんだよ?するとちょっとだけ安くなるんだ。」

買い物の仕方を教えてあげる。

もう明日の朝にはここには来れないから…

明日の朝ご飯…もう俺は作れないんだ…

いちいち込み上げて泣きそうになるのを堪える。

「さぁ、玄ちゃんお家に帰ろう。」

俺は荷物を全て玄ちゃんに持たせて歩く。

「重たいだろ?結構大変なんだよ?」

日頃の苦労を玄ちゃんにトクトクと語って歩く。

「明日の朝ご飯は無理しないで有る物を食べるんだよ。」

今日の夜ごはんを作るとき、何か作っておいてやろう…

境内に戻るとあの人が俺に話しかけてくる。

「梅ちゃん、住職に契約消してもらって。」

「ほ~い」

俺は黒服を交わしながらそう言うと、玄ちゃんの袋を一つ持った。

「玄ちゃん頑張れ!買い物は筋トレだ!」

玄関に到着して、俺は冷蔵庫に食材を入れる。

俺の後ろにピッタリくっついて、玄ちゃんが割けるチーズを一つ取った。

玄ちゃんはこれをチマチマと食べるのが好きなんだ…

「梅ちゃん?契約取り消してもらうの?じゃあ、死神の契約も取り消してもらったら?」

「結局俺の命が死神の物だから、面倒な事になるんだろ?」

俺は食材をしまい終わって玄ちゃんにそう言うと、部屋の掃除を始める。

こうやっていつもと同じ生活を最後にも送りたかった。

玄ちゃんの笑顔に癒されて、彼らにご飯を作ることを楽しみに、いつも通りの時間を少し贅沢に過ごす。

「玄ちゃん、俺の葬式は親しい人しか呼ばないで。」

ソファに座って割けるチーズを食べる玄ちゃんの前に座ってもたれかかる。

口から割けたチーズを垂らして、うん。分かった。という玄ちゃん。

「あとね、あの…まぁ、手紙に書いたから。読んでよ。」

そう言って、黙ると、彼は黙々と割けるチーズを割いている。

チマチマといつまでも細かく裂いているから、上からガブリと食べてやった。

「あ~~!!梅ちゃん!酷い!せっかくここまで細くしていったのに…」

なんだよ。何か縛り設定でもしてチャレンジしていたのか?

本当に可愛い人。

俺はごめん、ごめんとぶりっこして謝って、許してもらった。

一緒に境内を歩いたり、一緒にだらけたり、一緒に昼寝したり…

俺はとにかく最後を彼と過ごした。

夕方になって、だんだん呼吸が浅くなる。

緊張して、玄ちゃんに会えなくなると、怖くなって、動悸がしてくる。

その度に深呼吸して、息を整える。

頑張って唐揚げの準備をして、明日の朝ご飯も何個か用意して冷蔵庫に入れた。

明日には…ここには立てないんだ…

がっくりと足の力が抜ける感覚がして、震えてくる。

「梅之助。契約を取り消しに来たぞ」

そう言って玄ちゃんのお父さんは足の震える俺を見た。

「…怖いよな。俺も怖い。お前が死ぬなんて…怖くてたまらないよ…」

そう言って体を支えてダイニングの椅子に座らせてくれた。

「玄ちゃんには…言わないで…俺が、ビビってるなんて…言わないで。」

自嘲気味に笑いながら俺が言うと、玄ちゃんのお父さんもまた笑いながら返して言った。

「玄太も同じだ。お前と同じこと言って、ガタガタ震えて泣いている…食事の準備なんてしなくて良いから、あいつと居たらどうだ?」

そうなんだ…玄ちゃんも俺と同じように、怖がっているんだ…

俺は手のひらを玄ちゃんのお父さんに向けて出して言った。

「ちゃんとご飯を…玄ちゃんの為に作ってあげたいんだ…」

玄ちゃんのお父さんは、分かった。頷くと俺の手のひらに指を乗せて、何か小さく呟ていた。

「終わった。お前の所有権は俺には無くなった。お前は死神の物に戻った。」

そう言って俺の頭を撫でると、目を潤ませていった。

「本当に…本当にそれで良いのか?」

俺は玄ちゃんのお父さんの目を見て、涙を落としながら頷いた。

死神が現れた今、俺は彼と居たくて仕方が無かった。

それはもう意志とかの問題じゃなく、抗えない本能の様に。

このままここで暮らした先に見える未来は、俺の望んだ物ではなく、きっと玄ちゃんや周りを傷つけてしまう結果になると、気付いているから。

だから、俺は潔く死神の…彼の元に戻るんだ…

「これで良い。」

そう呟いて玄ちゃんのお父さんに抱きつく。

あったかくて、優しくて、本当のお父さんの様な玄ちゃんのお父さん。

「おじちゃん…ありがとう。俺の事、受け入れてくれて…守って、導いてくれてありがとう…本当のお父さんみたいだった。」

そう言って玄ちゃんのお父さんの背中にしがみ付いて、別れを惜しんだ。


バチバチと唐揚げを揚げていく。

もう15個も揚げた。

明日の朝も食べられそうだな…。

「良い匂いがする~」

玄ちゃんが台所にやってきて、俺の後ろにくっつく。

「あぁ~、梅ちゃん。梅ちゃんの唐揚げは、百合子ちゃんのよりも良い匂いがするよ?」

良いのか?そんな事言って。益田に殺されるぞ?ふふん。

「そうだよ。俺の唐揚げは百合子ちゃんのよりも上品なお味だ。にんにくガッツリ系じゃなく、程よいお味の唐揚げなんだ~」

酷いよな。百合子ちゃんの唐揚げは何も悪くないのにさ。

油を落として、お皿に唐揚げを乗せる。

「見た目が最高なんだが?どうだね?これ、素晴らしいだろ?」

俺はそう言って玄ちゃんに写真を撮れと指示した。

玄ちゃんは唐揚げじゃなく、俺の写真を撮って、にっこり笑った。

玄ちゃんは突然写真を撮るから、全然表情が作れないんだ。

それで、事故画が撮れると、嬉々として見せに来るのがムカつく。

「梅ちゃん、目が半開きだよ~」

とか

「梅ちゃん口が変だよ~」

とか…

そんなの不意に撮られて完璧な人なんている訳無いのにさ。

全く。

やることが、本当に可愛いんだ。

料理をダイニングテーブルに置きながら、明日の朝ご飯のことを話す。

「冷蔵庫に、明太子と作っておいた料理があるから。それを出して、温めて食べてね。」

「梅ちゃんが温めてよ。」

「いないから。俺が居なくても大丈夫なようにしたから。」

「明日の夜ご飯は?その次の朝ご飯は?その次の夜ご飯は?」

駄々をこねる様に俺の後ろにくっついて、そうやって文句を言う。

分かるよ…分かる。

「そうだね…そこまで、考えてなかったよ…」

俺はそう言って、洗い物しながら涙を落とす。

玄ちゃんの体があったかくて…もうこの体にくっつかれないのかと思うと、

胸が締め付けられて苦しくなる。

俺は洗い物を終えて、玄ちゃんの方に体の向きを変えると、彼にしがみ付いた。

「玄ちゃん…玄ちゃん…愛してるよ。君の為に唐揚げを作ったよ。美味しく食べて欲しい。俺の愛情を全部入れたから。美味しいよ。ね?ご飯食べよう…?」

そう言って玄ちゃんの顔を上げると、彼は顔中ぐちゃぐちゃになって泣いている。

声も我慢せず泣く姿に、俺は極まって一緒に泣いた。

「げんちゃぁん!唐揚げが…さめちゃう…うっく、うっ…うう…からあげ、たべてよぉ…」

玄ちゃんに喜んで欲しくて作ったんだ。

俺は玄ちゃんを席に着かせると、お箸で唐揚げを取って、彼の口に持って行った。

「あ…あ、熱い…」

俺が泣きながら彼の口に持っていた唐揚げは、揚げたてのやつだったようで、彼は泣きながら口からこぼして言った。

俺はそれがとっても面白くて、大笑いした。

「落とすなよ!俺の愛を落とすんじゃないよ!」

「熱かった…もっと熱くないのちょうだいよ」

全く我儘なやつだ。

俺は冷めてるか唇に付けて確認すると、玄ちゃんの口に再び唐揚げを持って行った。

「今度は熱くない?」

そう子供みたいな目で聞いて来るから、俺はコクリと頷いて、あ~ん。と言った。

口に入れて、ひとかじりする。

表情がパアッと明るくなって目を細めて、玄ちゃんが言った。

「美味しい!梅ちゃん。唐揚げ屋さん、開こう。」

唐揚げの匂いのする寺なんて嫌だ。

「良かった。もっと食べてね?」

後から玄ちゃんのお父さんも席について、いただきますしてご飯を食べる。

「美味しいなぁ。梅ちゃんはお店開けるのに…」

同じことを言ってる。毎回、作った料理のお店が開けると、そうやって褒めてくれるんだ。奥さんにも言ったのかな?

それを玄ちゃんが引き継いでる。

そして、きっと玄ちゃんの子供も言う様になるんだろうな…

俺の作った料理は今日でお終いだ…

2人とも…いつも美味しいって言って食べてくれて…嬉しかったな…

明日からは作れないと思うと…本当に残念だよ。

「ごちそうさまでした。」

玄ちゃんが言ってお皿を片付ける。

「今日は俺が洗うから、梅ちゃんはのんびりしていていいよ?」

優しいな。

俺はお言葉に甘えて、食器を洗う玄ちゃんの背中にくっついた。

「油汚れをちゃんと洗ってね?そのお皿は特に、汚れが落ちにくいんだ。」

現場監督である。

「梅ちゃん、チュウして?」

そんな風に可愛くおねだりされて、しない奴なんてこの世にいないだろう。

俺は少し背伸びして、玄ちゃんにチュッとキスする。

嬉しそうに、ふふふ。と笑って皿を洗う玄ちゃんに萌える。

「もっとしたい」

俺はそう言って玄ちゃんにキスを沢山浴びせる。

我慢出来なくなって、玄ちゃんと流しの間に入って、彼を正面から抱きしめてキスする。

「好き…好き、大好き、大好きだよ。玄ちゃん、大好き、大好き…!」

玄ちゃんは洗い物を終わるまで、そんなキスの嵐に応えながら頑張った。

お風呂に入って…体を洗う。

死体は残るから…綺麗にしておく。

死ぬことが怖くなって…涙がこぼれて、しゃがみ込む。

この体は燃やされるんだ…

魂の抜けたこの体は、玄ちゃん達の元に残って…お葬式を上げてもらうんだ…

「玄ちゃん…玄ちゃん!」

急に怖くなって、お風呂場で号泣いて玄ちゃんを呼ぶ。

「梅ちゃん…!」

「玄ちゃん…!怖いよ、もう会えなくなるのが怖い!!玄ちゃんに俺は見えないかもしれない…もう、会えないかもしれない…玄ちゃんの事を忘れてしまうかもしれない…怖い…怖いんだ…死ぬことが怖い…!!」

ずぶ濡れになりながら、玄ちゃんが俺を抱きしめてくれる。

もう後少しで…俺は死ぬ。

「死にたくない…玄ちゃん…玄ちゃぁん…」

縋る様に玄ちゃんにしがみ付いて泣く。

「梅ちゃん…抱いても良い?」

俺の体を撫でながら玄ちゃんが優しく聞いて来る。

俺は玄ちゃんを見上げると、頷いて彼にキスした。

死の恐怖を忘れる様に、目の前の愛する人を求める。

シャワーが頭からかかってずぶ濡れになりながら、必死に俺を愛してくれる。

俺はそんな玄ちゃんにしがみ付いて、むさぼる様に彼を愛する。

「梅ちゃん…愛してるよ。いつまでも愛してるよ…」

何てことだろう…こんな悲しいことは無い…

「玄ちゃん…玄ちゃん…愛してる」

こんなに悲しいことは無い…

事が終わっても、俺は玄ちゃんの体に抱きついて、ずっとキスする。

「離れないでよ…離れないで…」

玄ちゃんの体が動いて、少し隙間が出来るだけで俺は文句を言う。

「梅之助…居るのか?そろそろ時間だぞ…」

玄ちゃんのお父さんの声がする…

俺を殺したいの…?

いいや、俺が望んだんじゃないか…

玄ちゃんをびしょ濡れにしてしまった…

しかも服も剥ぎ取って、脱がせてしまった。

「玄ちゃんを襲ってしまった…」

野獣のごとく玄ちゃんを襲って、彼に抱かれた。

「最高に気持ちよかった…」

玄ちゃんの顔を見て、ポツリと俺が言うと、彼は顔をくしゃくしゃにして笑う。

「そう、それは良かったね。俺も最高に気持ちよかったよ。梅ちゃん。」

俺の頭を抱き寄せてキスの嵐を浴びせると、玄ちゃんが言った。

「体を拭いて、着物を着ようね。」

死に装束だ…

俺は玄ちゃんに体を拭いてもらい、死に装束を着る。

袷を左前にして帯を止める玄ちゃんに背伸びしてキスする。

髪の毛を乾かしてもらって、頬と唇に少し化粧をされた。

冷たい死に装束に慣れた頃、玄ちゃんが手を伸ばしてきたので、俺はその手を掴んで、連れられて歩いた。

彼の顔を見ながら、歩いて付いて行く。

玄ちゃんは黒い法衣を着て、まるでお坊さんだ…イケメンのお坊さんだ…

「髪の毛はそっちゃダメだよ…」

玄関で、草履を履く玄ちゃんに向かって言うと、彼は俺の方を向いて頷いた。

目が赤いね…泣くのを我慢しているみたいだ…

俺用の草履が置かれていて、それに足を通して土を踏む。

まるでバージンロードの様だ…

玄ちゃんに手を引かれて、ご神木の下に佇む死神に向かって歩いて行く。

「玄ちゃん…愛してるよ…」

玄ちゃんの腕に腕を絡めて、彼の体温を最後まで求める。

「梅ちゃん、俺も梅ちゃんを愛しているよ…」

死神の前まで来ると、彼はとても嬉しそう笑って手を伸ばした。

俺は玄ちゃんに抱きついて、彼にキスの嵐を浴びせる。

「玄ちゃん…奥さん貰うんだよ…俺は特別枠のまま、奥さん貰うんだよ…」

そう言って笑って彼から離れる。

玄ちゃんの表情が歪んで大粒の涙が目から零れ落ちる。

死神の手を掴んで、彼を見上げる。

「梅ちゃん…やっと一緒になれるね…」

彼は恍惚とした表情で俺を見下ろすと、俺の手のひらに自分の指を置いた。

「言い残したことは…?」

黄色いお月様の様な色の目を携えて、俺に顔を寄せて死神が聞いて来る。

俺は玄ちゃんの方を向いて、一番の笑顔をして言った。

「俺のクマちゃんパンツは、玄ちゃんにあげる。」

そう言って死神に視線を戻し、彼のキスを受けながら、手のひらに模様を描かれる。

体の力が抜けて、足から崩れる様に倒れる。

「梅ちゃん!!」

玄ちゃんの声が最後に一瞬聞こえて、俺は死んだ。



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