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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第一章 遠くを目指して/She doesn't know
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4話 魔動機関車に揺られて

「そういえば……ルカー・ニキートヴィチは、これからどうするの」

 ふと少女が問いかけるのは、列車に揺られ始めてから二十分が経過したときのことだった。

 まだ日も昇っていない時間であるため、レール上を駆ける魔動機関車の中はがらんと空いている。他に誰も居ない車両で、二人は入口からほど近い席に並んで腰を下ろしていた。

 少女の甘い声が耳に届くと、ルカーは窓を見ていた目を隣へと向けた。少女のシトリンを思わせる瞳と視線がかち合う。

「なぁ、ずっと思ってたんだが……その『ルカー・ニキートヴィチ』って呼び方、止めねぇか」

 ロマーシカの曖昧な問いを受けて返す彼の言葉は、問いの意味を尋ねるものでも、回答でもなく、最初からここに至るまで少女が使い続けている彼の呼び方についての意見だった。

 突然の言葉に、ロマーシカは目をぱちくりと一度瞬いて首を傾げる。突然どういうことだと言わんばかりの視線を受けてルカーは溜息混じりに吐き出した。

「てめぇの態度と堅苦しい呼び方がチグハグで合わねぇし、それによそよそしくて気持ち悪ぃ」

「でも、さっきはそんなこと言わなかった」

 腕を組む彼の台詞を聞き、少女は考え込むように視線を落とした。確かに彼の言い分は理解できるし、嫌と言うならば止めようと思える。けれど、先ほどまでそんなことを思っているようには見えなかったから、ついついロマーシカは尋ねてしまった。

 すぐさまぎゅっと眉間に皺を寄せてルカーは再び少女に顔を向けた。

「さっきまでそんな話ができる雰囲気じゃなかっただろうが」

 屋敷に居るときは急いで出ることに集中していたし、敷地を出て街まで下りても、会話を挟む余裕もなく早足で駅へ向かっていた。

 こうやって列車に乗り少し休憩して、ようやく会話できるだけの余裕が生まれたのだ。

「そうね、ごめんなさい。けど……それなら、どう呼べばいいの?」

「ルカーでいい、ルカーで。とっくに消えた親父の名まで懇切丁寧に呼ばれるの、マジでむず痒いんだよ」

 呼び名を問われれば、彼はふいっと顔を逸らし答えた。むすくれた横顔はどこか子供っぽく見えて、何となく、彼は何歳なのだろう……と、ロマーシカは思ってしまった。それは胸中に仕舞いこんで、口に出すことはしなかったけれど。

 代わりに少し遅れて頷き、彼女は理解を示す。

「分かった。それじゃあ、ルカー。もう一度聞くけど、あなたはこれからどうするつもりなの」

「どうって、何をだよ」

 呼び方という引っかかりもなくなれば、今度は彼女の台詞がきちんと入ってくる。けれどルカーには「どうする」という言葉が何について指しているのか、具体的には理解できない。

 窓を見るのにも飽きたのか正面に広がる車内を眺めながらルカーは問いの意味を逆に問う。

「わたしは屋敷から無事に逃げられたでしょう? つまりあなたは自由の身になったの。だから好きに行動をすればいいのに、ついて来るから。どうするつもりなのかって」

「考えてねぇよ。突然放りだされたところで行く所なんてねぇからてめぇと一緒に居るわけだ。賢そうな顔してそんなことも分かんねぇのか、ロマーシカ・アイラトヴナ」

 確かにルカーは長い間、地下に閉じ込められていたのだ。行く場所もなければ知っている者も居ないだろう。それもそうだ、と納得しながら溜息を吐いた。俯き気味の横顔に宵闇の瞳が向けられる。

「つーか、それを言うんだったらてめぇはどうなんだよ。どこに行くか考えてんのか」

「……いえ、特には」

 僅かな間を開けてから、緩やかに首を振って否定する。彼女は計画など全くもって立てていない。ただ逃げ出したくてそうしただけで、その後のことなど考えてすらいなかった。

「特には……って、まさか、てめぇ何も考えてねぇのか」

「とある場所を除いて、屋敷から離れた場所なんて……行ったことがないもの」

 少女の答えが意外だったのか思ったより声を大きくしてしまうルカーに、少女はふいっと目を逸らす。言い訳のように告げる彼女だったが、だんだんと口ごもっていく辺り、彼女も少しはまずいことだと思っているのだろう。

「とある場所……?」

 けれど彼が反応したのは少女の言う『とある場所』という言葉だ。復唱し尋ねる彼に、少女は俯いたままの顔を僅かに上下へ振って頷いた。

「そう。わたし、あの屋敷に来る前は別の所に住んでいたから。そこ以外に、屋敷から距離のあるところには行ったことがない」

 屋敷に来る前、かつて生活していた場所を除けば、彼女はそれほど遠い場所に行ったことがない。隣町どころか一駅先にすら。駅の場所を知っていたのも、かつて住んでいた場所から移動するときに魔動機関車を使ったこと、それからたまに地図を見て町並みに思いを馳せることがあったからだ。

「へぇ……にしても、そんな箱入りのお嬢様が考えなしに飛び出すなんてな。俺に突然『お願いがある』なんて言ったときにも無謀な奴だとは思ったけどよぉ」

 彼だって、流石に根も葉もある自身の悪い噂のことくらい知っている。かつてどのように言われてきたか、詳しくは知らなくとも大体は理解しているのだ。そして少女もまた彼のことを知っているはずなのに、怯えるでもなく出会ってすぐに要求をするというのが、良く言えば肝が据わっているけれど、悪く言えば無謀だ。

「仕方ないでしょう。他に手伝ってくれる誰かなんて居ないんだから」

 つまらないほどの無表情で、けれど声には僅かな感情を込めて少女は短く返した。

 それに何を言うでもなく、ふん、と鼻を鳴らしてルカーは再び車内をぐるりと見回すと再びロマーシカの横顔に視線を向ける。

「そういやこいつ……何だ、えーと、動くでけぇ箱。これはどこに向かってんだ」

 親指で車内を指差して問う彼に、ロマーシカは顔を上げ、先ほどの彼と同じように中を見回した。それから向かい側の壁にある一点を見て「そうね」と小さく漏らす。

「今は北のズヴェズタスク市を走っていて、終点である南隣のゲオルゴルスク市に向かっているの。まぁ、そこに着くまでは半日以上はかかると思うけど」

 停車駅の一覧が貼られたそこを眺めながら少女が話す。

 見たことのある地名を見れば、大体の所要時間は少女にも分かる。来ていた列車に適当に乗ったのだが、南下するのであれば丁度良い。

「半日だぁ? この速さでそんなにかかるのかよ」

「ここは特に国の中でも端の町だから、隣の市まで行くにも時間がかかるの」

 語られた時間を聞いて大袈裟に目を丸くするルカーへ、ロマーシカは自身の顎を引き寄せることで肯定する。ロマーシカはあまり地理について詳しくはないが、住んでいた場所のおおよその位置くらいは知っている。

 彼女が言うには、大陸の北に位置するこの国『レオニクス』は広く、一つの町を回るだけでも馬車で数時間はかかる、ということだった。

 それに加えて今は町が集まっているところを走っているけれど、そこを抜ければ暫くは何もない退屈な道が続くらしい。

「これでも昔より移動速度は上がったらしい。前は馬車しか移動手段がなかったみたいだから」

 昔は誰もが馬車で町どころか市を行き来していたようだが、それだけの距離を馬で移動するのは時間もコストもかかりすぎる。故に最近は、ここ数十年で新しく開発された魔動機関車を使う者が増えたとか。

 そんな少女の話にはそこまで興味が引かれなかったのか、ルカーは曖昧な相槌を打ちながら何気なく窓を見た。雪の白で染まった景色が後ろへと流れて行く。

「それで、てめぇが言う南の……なんて言ったか。その市に行くのか?」

「いえ。隣の市へ行くのは良いけど、半日も列車に乗っているのは疲れるから……どこかで降りる予定」

 父や、それが住む屋敷から離れられるのならどこだって良い、というのが彼女の思いだ。だから彼が収めるいくつかの町を通り過ぎて、別の市に行くのも良いかもしれないとは考えるけれど、やはりずっと座りっぱなしはつらいものがある。

 語りながら少女は口元に手を運ぶと、口をめいっぱい開けて欠伸を漏らす。

「ふーん。じゃあ、どこら辺で降りるんだよ」

「んん……どこにするかは考えていない。明るくなった頃に、とは思ってるけど」

「やっぱり無計画なんだな」

 普段はベッドで眠っている時間だからか、だんだんと眠気が存在を主張し始めるのを感じながら、少女はルカーを見た。ゆったりとまばたきを繰り返す視界に映る彼は、少女の言葉に反応こそするけど彼女自身を見ない。

 窓の方を注視する彼を眺めている間にも、睡魔がそっと彼女の瞼を落としにかかる。

「……んお、何だよ」

 そう彼が声をあげたときには、既に彼女は眠りについていた。

 声をあげた原因は、ルカーの腕に微かな重みを感じたからだ。そちらを見れば、腕に凭れるようにして少女が頭を預けている。

 それに彼は眉を寄せた。何故こんなタイミングで眠れるのだとか、話は終わっていないだとか思うことは色々あった。頬でも突いたり肩を揺さぶったりして起こそうかとすら彼は考えた。

 けれどゆるりと向けられた寝顔に、溜息を零すのみで留める。起きたら何か文句を言ってやるのは決定したけれど、それまではとりあえず寝かせてやろうと、柄にもなく思ったのだ。

 伏せられた瞼を縁どる長い睫毛や、切り揃えられた前髪の間から覗く整った眉が少女の美しい顔を引き立てていた。こうして何も言わずにいると彼女の人形らしさが際立つようだ。呼吸で僅かに上下する胸がなければ、感情の乏しい顔のせいで本当に人形と見間違えるほどに。

 そこから視線を外すと、ルカーは屋敷から出て初めて訪れた退屈な時間をどう過ごそうか悩み始めた。

 眠れるならば良かったのだけれど、生憎と彼は昼に眠る……夜行性の人外だった。

 仄かに青を帯び始める遠くの空を、白く染まったすぐそこの町並みを眺めて、ルカーは窓枠に肘をつく。

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