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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第一章 遠くを目指して/She doesn't know
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3話 準備運動

 最初に狙うのは、先ほどロマーシカと短い会話を交わした人物だ。

 拳を限界まで引き絞りながら駆け、体がぶつかりそうなギリギリの距離まで近付き、顔をめがけて叩き込む。

 ほんの一度、瞬きをするほどの間でしかなかった。

 けれど、その拳は咄嗟の判断で受け止められる。守衛が顔の前で腕を交差させてガードしたのだ。それでも、長い拘束期間(ブランク)があるとは思えぬほどの膂力(りょりょく)には抗えず、吹き飛ばされてしまったが。

 呻きをあげた男が派手に突っ込んでいく先は、ロマーシカの居る方向だ。ぶつかりこそしない程度に離れていたが、それでもすぐ横を通れば危機感の一つも覚えるし、ロマーシカは僅かに眉を寄せた。

「危ない……」

「ああ、悪ぃ悪ぃ。周りを見ながらってのは得意じゃねぇから、適当に気を付けてくれや」

 具合を確かめるように己の拳を見下ろすルカーの目には、守衛が飛んでいく様も少女の咎めるような顔も映っていない。かけられた声には振り向くことなく、ひらりと手を振りながら答えるのみだ。悪びれもしない呑気な彼にロマーシカが溜息を吐く。

 と、不意に細身の影がルカーに被さる。明かりと呼べるものがないせいで、微かに落ちる程度の影だ。

 それでも彼はすぐに気付いて、勢いよく振り返る。同時に、鈍い銀色が一閃。

 首を狙って振るわれた斬撃は、ナイフを握った方の手首に片腕を当てることで簡単に無効化されてしまう。直後、ルカーが相手の鳩尾(みぞおち)に膝を強く打ち込んだ。鍛え上げられた脚を腹に受けた彼もまた、音を立てて地面に崩れ落ちる。

 その頭を踏みつけたり蹴り上げたりと弄ぶ彼の元へ、別のナイフが迫る。転がった男を蹴飛ばして退かすと、突き出される刃物を屈んで躱し、ルカーは懐に潜り込む。的がずれたせいで踏鞴(たたら)を踏んだ相手の顎へ、思い切り拳を打ち上げる。

 直撃に脳が揺れ、ぐらりと身が傾くその守衛に、片脚を軸にした回し蹴りを放つ。踏ん張りの効かない彼には十分な衝撃なようで、軽く吹き飛んだ。ボールのように地面をバウンドして転がり、倒れ伏す。

「んだよ、こんなもんか? クソつまんねぇな。準備運動にすらならねぇじゃねぇか」

 地面に転がった三人を睥睨(へいげい)して、ルカーが毒づいた。そこに先ほどの笑みはもうない。

 ルカーは決して、彼らを蹂躙(じゅうりん)したいわけではなかった。しようと思えばいくらでもできたのだけれど、彼は幽閉されたせいで鈍ってしまった体の調子を軽い運動で戻せれば十分だった。なのに、それの相手すらできないほどに彼らは――弱い。

 圧倒的な優位性を感じたかっただけならそれで良かっただろう。しかし今はそうではない。

 全く期待外れが過ぎる。

 深く、深く溜息を吐いて、ルカーは少女を振り返った。複数人が一人の暴力により倒れたというのに、顔色一つ変えず佇む彼女を視界に収めると、ルカーはますます退屈げな顔をする。

「はぁ、興醒(きょうざ)めだわ……おい、ロマーシカ・アイラトヴナ。さっさと行くぞ」

「そうね……退けることはできたから、行こう。ルカー・ニキートヴィチ」

 頷き、少女が一歩踏み出す。が、文字通り一歩足を出しただけですぐに止まった。何かが動いたような衣擦れの音が聞こえたからだ。

 二人が音のした方向を見てみれば、そこに居たのは地面に這いつくばった守衛の一人だった。確か、ルカーが一番に殴り飛ばした人物だったか。

「っ、ぐぅ……待て……!」

 打ち付けられた体が痛むのだろう、マスクに覆われていない顔の上半分は歪みきって、発する声も苦しさに(かす)れていた。ルカーには手加減をしたつもりでも、彼らにとっては動くのもやっとになるくらいの力だったことがありありと見て取れる。

 傷付いたその身に(むち)を打ち、ふらりと幽鬼(ゆうき)のように立ち上がる。そうして守衛は、一度少女を見遣ると、その近くに佇む男を強く睨み付けた。

「んだよ、まだやるつもりか?」

「貴様……今、何と呼ばれた」

 ポケットに両手を突っ込んで、にんまりと笑いながらルカーは尋ねる。傷付いても尚立ち上がる根性への感心、そしてボロついた体でどうするのかという期待に口角は自然と持ち上がっていた。

 相好を崩した彼の問いに、けれど守衛は期待をした返事をしてくれない。それどころか答えになっていない問いを出してくるものだから、ついルカーは目を丸くしてしまった。

「何って……どうしてそんなもん聞くんだよ」

「いいから答えろ」

 息も絶え絶え、肩を上下させながら、それでも目を逸らすことなくルカーを視界に捉えたままに、守衛は答えを急かす。ルカーにはその問いの意味が全くもって分からなかったけれど、答えない理由も特に思いつかず、舌を打っては頭を()いて、深い溜息の後に答えた。

「ルカー・ニキートヴィチ。それがどうかしたのかよ」

 彼が名乗った途端、守衛は「まさか」と言わんばかりに目を見開いて、それから苦虫を()(つぶ)したように顔を歪めた。まるでその名に聞き覚えがあるかのような反応に、ルカーは表情を険しくしながら首を傾ける。自身の名にどんな問題があるのか、彼には理解できない。

 守衛は悩ましげにぎゅっと目を瞑り、やがてロマーシカへと視線を移した。

「彼が本当に『そう』なのであれば……ロマーシカ・アイラトヴナ様は、再びあの惨劇(さんげき)を起こされるおつもりなのですか? それに、貴女様も出て行かれる予定だったのでしょう? 屋敷に住んでいれば不自由はないでしょうに、何故……」

 問う彼の目は、咎めるというよりは悲しみと困惑に満ちたものだった。

 一度伸された時点で勝てないと理解したのか、先ほどまでの戦意は感じられない。けれど少女の答えによっては止めなければならない、という確固たる意思だけは宿っていた。

 名前を出された側であるルカーは、まるで自身の名や素性を疑うような台詞に「どういうことだ」と口を開きかけて止める。二人の会話が気になったからだ。

 そんな彼の様子をちらりと一瞥して、ロマーシカは一度目を伏せた。それから小さく溜息を吐く。白く渦巻いた息が昇って消えると、やがて彼女は守衛を見た。

「あなたもルカー・ニキートヴィチと同じことを聞く。屋敷から出る理由なんて、簡単なこと。嫌だから出たいだけ。なのに……こうでもしなきゃ、わたしはここを出ることも叶わない」

 彼女は紙面に綴られた文字列でしかあの事件を知らないし、このルカー・ニキートヴィチという男のこともよくは知らない。けれどあの事件を繰り返すつもりは毛頭なかった。ただ、彼女は屋敷を出てしまいたかっただけだ。

 それを聞いた守衛は、屋敷に留守番させられることを拗ねる子供の言葉だとでも受け取ったのか、眉間に(しわ)を作り上げた。

「子供が勝手に出て行けば誰だって心配します。それが分からないはずがないでしょう」

「心配だから閉じ込める? ちちさまはそんな人間じゃない。それがどうして分からないの」

 (しか)るような守衛の言葉に対しロマーシカは人形のような顔で、ただオレンジの瞳にだけは確かな怒りを(はら)ませて告げた。

 雇い主であるここの家主――ロマーシカの父の性格を守衛である彼らはほとんど知らず、少女の言葉を否定することはできなかった。そのため、一度はぐっと言葉に詰まる。が、ルカーを連れ出してしまった彼女を、止めないわけにはいかない。

 引きそうになった顎を必死に抑え、少女から視線を離さぬようにしながら彼は返す。

「それでも、親や家が嫌だという理由だけであのルカー・ニキートヴィチを解放するなど、許されることではありません。どうか……」

「許されないとか、そんなことはどうでもいいの。この屋敷に住む誰もがわたしを助けなくて、わたしがここから出るには彼を使うのが一番手っ取り早いことに変わりはない」

 どうか考え直して、そう言いかけた守衛を遮って、ロマーシカが言い放つ。この後どんな事が起きようと自身には関係がない、と。そして自分の願いを叶えるためだけに彼を連れ出したのだと。それが許されざる行為だろうと構わない。誰に許されなかろうが彼女には関係がない。

「ルカー・ニキートヴィチ。ほんの少しの間、眠らせてあげて。殺さないように」

 一言、そう言い切った彼女の瞳は、宝石のような冷ややかさを感じさせるものになっていた。それから興味がなくなったと言わんばかりに目を伏せる彼女に、ルカーは気怠げな返事をして、守衛を向いた。

 どうして、とでも言いたげに瞳を揺らしながら身構える守衛に、彼は一歩踏み出たかと思えば、一気に距離を詰める。気付けば、鳩尾に拳を叩き込み気絶させていた。

「これで良いのか」

「ありがとう。流石にこれ以上邪魔されるのも会話を続けるのも面倒だったから」

 ゆっくりと目を開けて、少女はこくりと頷く。

 面倒だから、なんて言っていたけれど、本当はそれ以外の理由もあった。起きていられるだけの元気があるのに逃がしてしまったなんてバレたら、彼はきっと重い罰を受けただろうと心配して、気絶させたのだ。

 けれどそれを語る必要はないし、語るつもりもなく、ロマーシカは「行こう」と告げて、歩き出した。ルカーも短く返し、それを追いかける。急ぐ少女の小さな歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いた。

 違和感に歪む彼の眉は、ロマーシカには見えていない。

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