2話 屋敷の外
扉の向こうに広がるのは、庭だ。地面には芝生が生え揃い、その上を白い石畳の小道が走っている。見渡せば四角く刈られた生垣が等間隔で並んでいた。
何気なく見上げた空は暗く、ちらつく雪の白がよく映える。しかし不思議なことに、降り注ぐ雪は何かに阻まれているかのように上空で消える。少しでも寒さをしのぐために作られた結界魔法のおかげだ。
ひんやりと冷えきった庭に出ると、辺りを窺いながら二人は外に繋がる小道を進む。
ロマーシカにとっては目新しさのない庭だったが、こういった夜中に出ることはないため、少しだけ新鮮には思えていた。
けれどルカーは、見たことのない庭に興味を抱くこともなく、ただ不快に顔をしかめていた。
彼がふと立ち止まり、いい加減に我慢ならないと声を出す。
「なあ……おい、ロマーシカ・アイラトヴナ」
「何、ルカー・ニキートヴィチ」
名を呼ばれると少女はワンテンポ遅れて立ち止まり、首だけでルカーを振り返る。
無表情の中に僅かな不快を込めつつ何だと問う彼女を見て、ルカーがますます苛立ちを露わにする。何故分からないのだと言って、ルカーは再び辺りを軽く見回すと、ロマーシカに視線を戻した。
「さっきからジロジロと、あちこちから見られてやがるじゃねぇか。あいつらは何なんだ」
威嚇するように声を低くした彼の言葉を聞いて、少女は庭をぐるりと見た。そして「ああ」と漏らし頷くことで納得の色を見せる。けれど状況を把握できたのはロマーシカだけで、ルカーはどういうことなのか全く理解できずにいて、顔に浮かべる不快さを更に濃くした。
彼の言う通り、庭のあちこちから二人に向けて複数の視線が飛んできている。あまり人の気配に敏感でないロマーシカですら分かるほどに。
それも友好的なものではなく、少女らの出方を窺う目だ。ちくちくと刺さるような、どう取っても気持ちの良いものではない。
「さっさと出てきて。門出を見送ってくれる……ってわけじゃないんでしょう?」
淡い金髪を翻して振り返ると、再び周囲を見回し告げる。出てくる気配のない彼らに聞こえるように、いつもより少し声を大きくして。
唐突に声をあげた少女にルカーは目を瞬いた。何かを言おうと口を開き、けれどその声が形になる前に飲み込まれてしまう。草木の擦れ合う小さな物音が聞こえたからだ。小さいとは言っても、静かな庭では大きすぎるほどの音量だった。
風が吹いた、というわけではない。
がさり。そんな物音を連れて現れたのは、三人の男だった。同じデザインの黒衣で身を固め、顔は下半分を黒いマスクに隠している。彼らは突然に飛び出て、いつの間にかロマーシカ達を中心に三角形を構成するようにして取り囲んでいた。
「何だよ、こいつら」
黒ずくめの男達を見たルカーが警戒に顔を険しくする。
彼らが視線の正体であると気付くのにそう時間はかからなかったが、それが分かったところで男達の目的を知るには繋がらない。
ロマーシカは彼らを見比べながら、ルカーの呟きに答えるように声を発した。
「さっき、あなたを止めた理由はじきに分かる……って言ったのは、覚えている?」
「……ああ。それがどうした」
ルカーの答えは肯定だった。けれど、彼女の言う台詞――つまり彼が止められた理由と三人に見られていたことの関係性もルカーにはやはり理解できず、彼は更なる問いで返す。ロマーシカの口から、呆れたような溜息が零れた。
「簡単に説明すると、あの扉に描かれていたのは防犯目的の魔法陣だったの。許可を得ていない人物が出入りすると、守衛達に警報が届くようになっていたの」
許可されていない人物として例を挙げるなら、この屋敷に捕らえられていた犯罪者や、書類で繋がっただけの家主の家族だとか。そう付け足した少女の顔は彫刻のような無表情を湛えていたけれど、オレンジの双眸には深い悲しみの色が宿っていた。
ロマーシカは名前こそ出さなかったけれど、その口ぶりだけでルカーは彼女も『書類だけの家族』として許可をされていなかった人物らしいと判断し、納得に首を縦に振る。
「……つまり、俺みたいな奴らが対象ってわけか」
「そう。なのにあなたが魔法も解除せずに開けてしまったから、こうして見つかってしまったの。わたしが必死に逃げたところで、彼らにはすぐに捕まってしまう」
「ほぉ……逃げても捕まるんなら、どうするんだよ」
問う声は、好奇心に満ちていた。何故なら、彼女は突破口を知っている――それに気付いていたからだ。
ロマーシカが逃げられないと言うなら、ルカーは一人で逃げてしまっても構わなかった。彼女が逃げるための手伝いをするとは言ったが、所詮は口だけの約束だ。だから、さっさと見捨てることもできた。
だけれど、彼女は紡ぐ言葉とは反対に毅然とした態度で立っている。その姿はどうにも諦めているようには見えないし、実際に彼女は諦めていなかった。
ロマーシカは逃げる方法に見当がついている。そして言葉にはせずとも、ルカーはそれを理解していた。
「わたしは最初に、あなたの役目を言ったはず」
答えは至極簡単なものだ。彼のやることは一つだけで、増えも変わりもしていない。
彼女の一言を聞いたルカーが悪辣に笑う。
その顔を見た三人は、おそらく武器を仕舞っているのだろう腰や懐に手を伸ばした。
「一度だけ聞かせて。わたし達を、通してくれる気はある?」
ロマーシカが不意に尋ねる。答えは分かりきっていたのだけれど、あえて問う。彼らが頷いてくれるかもしれない、僅かな可能性に賭けて。
動く気配のなかった彼らがお互いに顔を見て頷き合う。そうして一人がロマーシカ達に向き直り、首を横に振った。おそらく彼が守衛達のリーダー格なのだろう。
「いいえ。申し訳ありませんが、そこの不審な男も、ロマーシカ・アイラトヴナ様も、我々は出すことを許されておりません」
思ったよりも丁寧な口調で話す彼らに、少女は僅かな驚きを覚えていた。
けれど、一応は家主の娘であるから当然と言えば当然か……とすぐに納得してしまう。俯く彼女に、守衛は言葉を続ける。
「今すぐにその男を引き渡して屋敷に戻ってくだされば、我々は手出しができません。ですが、従ってくださらない場合、我々は武力を持ってでも止めなければいけません」
語る守衛の目は、どこか懇願するようなものだった。幼い少女に手荒な手段を使いたくないという意思が見えるようだ。けれど、それだけ。少女の願いを聞き入れる姿勢はない。それを理解するとロマーシカは肩を落とし、頷いた。
「――そう、分かった」
「では……」
少女が頷いた途端、守衛が喜色を露わにする。
しかし、その表情はすぐに崩れ去ることになった。
「ええ。通してくれないなら、力づくで通らせてもらう。だから、多少の怪我は覚悟して」
ロマーシカは、守衛らに従うつもりなど微塵もなかった。
できるなら人が傷つくところは見たくないけれど、だからといって絶対に避けたいわけでもない。彼らが通してくれないと言うのであれば、彼女は力を行使することも厭わない。
彼女の台詞を聞いた守衛達はひどく驚いたように目を見開いた。
何を言われたか分からないとばかりに硬直する彼らから視線を逸らし、少女は斜め後ろに佇む男を見る。そうして、静かに語りかけた。
「ルカー・ニキートヴィチ。殺しはしないで」
「ああ、分かってるよ。退かせるだけでいいんだろ」
今度の声には、喜びが滲んでいる。
地下を出て最初に出会った見張り達は一発殴っただけで倒れてしまったが、今度の相手である黒ずくめ達は先ほどの台詞からして戦闘にも慣れているらしい。ならば少しくらい遊んでも問題ないだろう……なんて、ルカーは期待していた。
流石に長い時間はできないだろうけれど久しぶりの運動に気持ちが昂るのを抑えられない。
「それでいいの。さっさと終わらせて」
まだ戦ってもいないのに既に楽しげな彼へ、とても冷めた声でロマーシカが告げる。それを聞いた守衛達が正気付いて身構えるのを愉快そうに眺めながら、ルカーは散歩でもするような足取りで、悠々(ゆうゆう)と歩きだした。少女の隣に並び、一言返す。
「言われなくても」
答えるや否や、ルカーが動いた。