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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第一章 遠くを目指して/She doesn't know
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1話 地下から出ると

「何だよ、手応えの欠片もねぇ。普通、一発で沈むかよ」

「寝起きでふらついてるところを殴ったら、誰だってそうだと思う」

 両手を打ち合わせて払い舌を打つルカーと、隣に佇む少女ロマーシカ。つまらないと呟く男に対し、淡々と少女が指摘したが、ルカーの放った拳が思ったよりも強かったことに関しては胸に仕舞っていた。彼の様子からして、これでも手加減した方なのだろうと理解したのだ。

 そんな彼女らが見下ろす足元に伏せているのは、二人の男だ。息はあるが、意識を失っている。ロマーシカの魔法で照らされ浮かぶ横顔は、ひどく間抜けな表情を浮かべている。

 彼らは、地下の入り口を見張るために配置されていた。地下に投獄(とうごく)された人物が、万が一にも脱出したとき――またはその人物を解放しようとする者が現れたとき、真っ先に主や仲間へ連絡するのが、彼らに与えられた任務だった。

 そんな彼らが倒れているのは、その地下に投獄されていた本人であるルカーに殴られたことが原因だ。起き抜けの纏まらない思考とふらついた体で、振り向いた瞬間に殴られれば流石にたまったものではなく、あっさりと倒れてしまった。

 仲間を呼ぶ暇もなく伏せてしまった彼らを見下ろし、靴の先で小突きながらルカーは静かにロマーシカへ問う。

「でもよぉ、なんでこいつらは……こんな所で寝てたんだ?」

 彼らが地下から出て来たとき、二人の見張りは既に腹這いになって気絶していたのだ。それが彼女らの足音に気付いて目覚めたのだ。

 けれど、こんな所で眠っていては見張りとしての仕事がこなせていないし、何より睡魔(すいま)に勝てず眠ってしまったというには、少しばかり不格好すぎる寝姿だったのがルカーは気がかりだった。まるで何かと対峙(たいじ)して押し潰されたかのような倒れ方をしていた、と彼は思う。

「……さあ、わたしは知らない」

 僅かに間を開けて、ロマーシカはルカーの問いを適当に流す。本当はどうして彼らが倒れているのかを彼女は知っていた。何故なら彼女――ロマーシカが原因なのだから。ルカーを連れ出すまでは邪魔が入らないようにと魔法を使ったのだけれど、それで彼らが思ったよりも長く眠っていただけだ。

 しかし、それを話す必要などない。そう判断し、知らないふりをした。追及されても面倒だ。

 転がったままの見張りから、視線を滑らせるように移動させて彼女は正面を向いた。

「それよりも、早く行こう。こんな場所に用はないから」

 廊下を見据え、佇むルカーに進むことを告げると、彼の脇を横切り少女は前に出る。

 こんな場所に長居する必要はない。そう考えたのはロマーシカだけではなく、ルカーも同様に思考し頷いた。歩く彼女の背を見ると、彼は見張りの男達を爪先で小突くのを止めて、その後ろに続く。

 照明の落とされた廊下に、二人分の足音が響く。こちら側の廊下に窓はなく、月明かりも入らない。先頭を歩く少女が灯す魔法の明かりだけを頼りにして、彼女らは進んでいた。

「――随分と広い屋敷だな」

 ルカーは首をぐるりと動かして辺りを見回しながら、何気なく呟く。

 二人が歩く廊下は、沢山の人間が行き交うことを想定されてか幅が広く作られている。それが遠くまで続いているのが見え、終わりがないようにすら思えてしまう。

「領主の屋敷だから、広くて当然だと思う。でも……あなたが来たときからずっと、ここは変わっていないはず」

 多少の手入れこそあっただろうが、その景色に大きな変化はないはずだ。それに彼の言い方だと、まるで彼はこの屋敷を初めて見たようではないか。そう思いながらもロマーシカは最低限を告げる。それにルカーは、わざとらしく溜息を吐いてロマーシカの後頭部を見下ろした。

「仕方ねぇだろ。外に居たはずが、目覚めればあの場所だったんだ」

「ああ。そういえば、そうだった」

 彼の話を聞くと、ロマーシカも納得したように短く相槌を打つ。

 ルカーは、気絶させられた状態でここに来たのだ。彼がどのようにして連れて来られたのか父親に語り聞かされたことがあったのを、彼の言葉を聞いて思い出す。

 そして一度閉じ込められてから、ルカーは今日に至るまで拘束を解かれたことはなかった。

 百年間。それが、彼が地下に居た期間だ。だから、屋敷の中を見て回ったこともなかったし、あの『木の檻』の上がこんな立派な屋敷だと思わなくても、当然と言える。

「にしても、てめぇはこの場所と、どういう関係があるんだよ」

 屋敷の中を迷うことなく歩けるならば、この場所とは何かしらの関係があるのだろう。けれど彼女は幼くて、どう見ても働いているようには思えない。そういったルカーの問いにロマーシカは少しだけ顔をしかめつつ、答えた。

「ここの家主、つまりシュリギーナ家の現当主は、一応……わたしの『ちちさま』になる」

 ほう、とルカーは声を漏らす。

 彼女の話が正しければ、このロマーシカという少女はこの屋敷の住人だということになる。確かに家主の娘であるなら、この屋敷を自由に歩けるのも理解ができる。

 しかし納得すると同時に、更なる疑問が浮上する。それは、気が付けば(すで)に口から出ていた。

「んじゃあ、てめぇが屋敷を出たがる理由って何だ? ここなら贅沢(ぜいたく)な暮らしもできるだろ」

 ルカーはそういった『贅沢な生活』とは無縁(むえん)であったから、そういった暮らしの良さも分からない。けれど、人間が贅沢をしたがることぐらいは知っていた。故に、人間である彼女がそんな暮らしを捨てたがるというのが、彼には不思議だった。

 流石に、家を出れば今までの生活ともお別れすることになる、というのは彼女だって幼いなりに理解しているはずだろう。

 ちょっと嫌なことがあって衝動的(しょうどうてき)に家を出たくなった――というわけでもなさそうだ。彼女の、死んでいるかのように感情を出さない顔が、そう物語っている気がした。加えて、その程度の衝動でわざわざ地下に拘束された人物を解放するというのも納得できないところがある。

 一体何が、彼女に『逃げる』なんて言い方をさせる原因になっているのか。問う彼に、少女は歩みを止めることなく、ただ僅かに俯き黙り込む。

 そのまま進み続け、角を曲がり、まっすぐ進む。このまま黙って押し切るつもりかとルカーは考え眉根を寄せた。そうして答えを急かすように彼が口を開き――それに重ねるように、少女が声を発する。

「……それは、その」

 叱られて言い訳を探す子供のように口ごもる彼女へ、ルカーは怪訝(けげん)な面持ちで首を傾ける。彼の位置からだと彼女の顔は窺えないけれど、迷っていることは声だけでも十分に理解できた。

「それは、何だよ」

 ロマーシカの言葉を拾ってルカーが問うと、少女は再び口を(つぐ)む。その様子に、ルカーは不快さで顔を歪めた。彼のムッとした様子に気付くことなくロマーシカが進み続けるのが、彼をますます苛立たせる。

 不意に、ロマーシカが足を止めた。すぐそこの壁には厚い扉がはめられていて、少女は口を開くことなく扉に向き直る。

「……オイ、黙ってんじゃねえよ。手伝ってんだから、俺も事情を知る権利くらいはあるだろ」

 扉を見つめる少女は、未だ口を閉ざしたままだ。その姿に痺れを切らしたルカーが、いい加減に何か話せと声をかけ、少女の肩を掴もうと手を伸ばす。

「その話は、後にして」

 けれど、ルカーの手が少女に触れる寸前。扉を向いたまま、ようやく彼女は言葉を紡いだ。発された言葉を聞き、彼の手が止まる。そうして彼は訝しげに眉を寄せた。何故だと問えば、彼女は僅かばかり俯いて答えた。

「今は……ここを出る方が先だから」

 そんな話に時間を費やすときではない。それは本当の事だったけれど、できるならば話したくないというのも彼女の本音だった。寧ろ、行動の優先順位なんて答えない言い訳でしかない。

 彼の問いに対する答え……つまり、ロマーシカが屋敷を出たがる理由は、彼女にとっては気楽に話せるような内容ではない。複雑に事情が入り組んでいるわけではないが、どこから話せば良いかも分からない。

 簡潔に一言で纏めることはできたけれど、今まで少女が受けてきた仕打ちは、そんな風に軽く扱って良いものでもなかった。

 ロマーシカは俯いているため、背の高いルカーが彼女の表情を窺うことはできない。だけれど、もしもその顔を見たならば、今まで彼女が溜め込んだ苦しさや怒り、悲しみが混ざった複雑な感情がありありと伝わってしまったことだろう。

 声にすら、押し込めているつもりでも暗い感情が滲み出ていたのだ。顔だって先ほどまでの無表情が保たれているわけがなかった。

 もっとも、ルカーは他人のそういった思いなどあまり気にしていなかったけれど。

「ふーん、それもそうだな。じゃあ、ここから出たら聞かせろよ」

「……気が向いたら、そのうち」

 ロマーシカの台詞をそのまま受け取って、それ以上を追及することなくルカーは告げる。どこかつまらなそうに両手をロングパンツのポケットへ突っ込む彼へ、少女は少しだけ安堵を覚えながら曖昧な返事を返した。

「……出ねえのか」

「もう少し待って、今開けるから」

 佇み、じっと扉を見つめる少女に、ルカーが(いぶか)しげな視線を向けて問う。出るならさっさとここを出たい、なんて言っていたのはロマーシカの方だろうとルカーが言外に匂わせると彼女は少しだけ焦りながら、冷静に答えた。

「早くしろよ」

 彼の言葉に押されるように意を決して頷くと、ロマーシカは自身の手の平に魔力を込め、扉にかざした。性質の違う魔力同士が反発し合う僅かな抵抗を感じ取りながら、扉を撫でるようにして手を横に払う。

 ゆらり。少女の魔力に呼応して、扉の表面が揺らめいた。

 石を投じられた水面のように扉が波紋(はもん)を広げていく様は、ルカーにはとても不思議な光景に見えていた。波打つ扉を眺めていれば、やがて本来の姿が露わになる。

 迷彩の魔法がロマーシカによって解かれたことで浮かび上がったのは、扉一面に描かれた大きな魔法陣だ。二重の円をベースとして、中が複雑に描き込まれた魔法陣は、淡く光を放つことで今も稼働(かどう)していることを示している。

「何だ、これ? 確か、拘束具にも描かれてたよな」

 けれど、ロマーシカが真剣に見つめている魔法陣もルカーには複雑で不可解な模様にしか見えず、故にどういう意図で描かれているのかも理解できなかった。分かるのは、地下で彼を拘束していた枷にも似たような模様が描かれていたこと、その模様を消した途端に枷が外れたから魔法に関連するのだろう、ということくらいだ。

「なぁ。この模様って、何か意味があったりするのか?」

「……魔法陣も知らないの」

 かけられた問いに、ロマーシカがどこか呆れたような調子で呟く。ルカーはそれに眉を寄せて不快さを露わにするものの、彼女の話に対する興味の方が(まさ)り、すぐに表情を戻す。

「魔法陣? ってのは、魔法にどういった関係があるんだ?」

「術者……つまりわたし達の代わりに魔法を発動してくれるの」

 そう答えてロマーシカは息を吐く。魔法陣の構成を見ることで効果は大体理解できた。あとは扉にかけられた魔法を解いて、開けるだけ。そうすれば、念願の外に行くことができる。

 しかし、ロマーシカが手に再び魔力を流し込もうとしたその時だった。ルカーが我慢の限界だと言わんばかりに息を吐いて、彼女の後ろから手を伸ばす。視界に飛び出てくるその手に少女は目を見張った。彼が何をするつもりなのか、言われずとも理解できる。

「何の魔法がかけられてんのか知らねぇけど、開けねぇなら俺が開けるぞ」

「っ! 駄目、待っ――」

 ルカーを止めようと彼女が手を出したときには遅く。ロマーシカの声に反応して見下ろしながらも、彼は取っ手を掴み、思い切り扉を押し開けていた。

「……うぉ、寒いな」

 開かれた瞬間に、冷たい外気が建物の中へと入り込んでくる。ぶるりと身を震わせるほどの冷気に、ルカーが声を漏らす。扉の隙間から覗く外の景色を、ロマーシカは暫し呆然と立ち尽くして(なが)めていた。

 そんな彼女を見下ろして、ルカーはふと思い出す。それは、扉を開ける瞬間に彼女が言いかけた言葉だ。彼を止めるように伸ばされかけた手や駄目だと告げる声は、彼にはひどく不可解なものだった。

「なあ、何が駄目なんだよ。出るんじゃなかったのか」

「……もういい。じきに分かるから。どうせ解けなかった場合は結局こうなったわけだし」

 少女は緩く(かぶり)を振って、深い溜息と共に言葉を吐き出す。

 どこか不満げなロマーシカの言い方に、ルカーはわけが分からないと言うように「はぁ」と相槌を打つことしかできない。

 彼の愚鈍(ぐどん)さを感じさせる声に、自分がやったことを理解していないようだと知ると、少女は瞼を閉じた。一瞬だけ思考を巡らせて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。それから緩慢(かんまん)な動作で(なな)め後ろに居る男を振り向き、口を開いた。

「ただ、よく分からない魔法のかけられた扉に、そんな不用意に触れるなんて信じられない」

 少女の唇から紡がれるのは、咎めるような言葉だ。

 先ほど「もういい」とか「どうせこうなっていた」と言いはしたけれど、やはり今のような行いは好ましいものではなかった。

 オレンジの瞳に真っ直ぐ見つめられ、ルカーはすっと目を逸らす。

「てめぇが信じられなかろうが、俺には関係ねぇよ。で、行くんだろ」

 関係ない、と言う顔は、どこかばつの悪そうなものだった。言うだけ言うと、ルカーは話を変えるように屋敷の外に顔を向けて示す。ロマーシカもまた、追及するでもなくルカーの視線の先を追いかけるように外を見て、首肯する。

「……そう、ね。行かなきゃ」

 こうなってしまったものは仕方ない。ロマーシカは一歩、屋敷の外へ足を踏み出す。

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