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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第三章 少女との邂逅/Underneath the smile
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5話 溢れ出した感情

 少女らが待つと言った場所からそれほど離れていない位置で、道を横に外れた。

 レンガで造られた建物同士の隙間にするりと身を滑り込ませたところで、いつの間にか呼吸が浅くなっていることに彼女は気付き、胸にそっと手を当てる。

 路地裏は大通りと違って熱の魔法を使っていないため気温が低くなっているのに、光も入ってこないせいで非常に寒い。息を吸うだけで肺の中が凍らされたように冷え込み、僅かに痛みすら覚えるほどだ。

そんなことを気にした様子もなく、彼女、フィアールカはふらりと力なく壁に凭れかかった。まずはこの荒い呼吸を整えることが先だ。

 彼女の顔色は非常に悪い。緊張と焦り、恐怖。そして憎悪を混ぜ合わせて煮詰めたような表情は、まるでこの世の終わりに直面したかのようだ。先ほどまでの明朗快活な笑みなどとっくに消え去っていて、別人のような印象すら与える。

 丈の合っていないコートの袖で額を拭うと、彼女は頭上を仰ぎ見た。

重なった屋根同士に阻まれて、空は見えやしない。

 次に顔を横に向けて大通りを見遣る。初めて意識したときから何ら変わらずこの国は雪が積もっていて、けれど彼女の背中は汗でじっとりと濡れている。服が体に貼り付く感触に僅かな不快感を覚えながら、やがて握ったままだった鏡をそっと顔の前まで持ち上げた。

 鏡が……いや、自身の手が小刻みに震えているのが見える。フィアールカは思わず乾いた笑いを漏らして手を下ろすと、もう片方の手でくしゃりと自身の短髪を掴み、一つ深呼吸をすると呟いた。

「まさか……勘違いなわけもないし、ね」

 決して、探している人物を間違えたとか、そういう話ではない。

 どうして、と。そんな思考の渦に飲み込まれそうになって、寸前のところで今はそんなことを考えるタイミングではないと気付き慌てて自身を引き戻す。一度それについて考えるのを止め、胸に手を置いた。いつの間にか呼吸も落ち着いていたようだ。

 再び大きく息を吸う。ゆっくりと吐き出し、鏡を持った手をまた持ち上げた。手の震えも収まっているのを確認すれば、フィアールカは握った鏡へ息を吐きかける。鏡面は当然曇ってしまい、全てを薄ぼんやりとしか映さなくなる。

 その直後だった。鏡面が突然淡い輝きを放ち始め、その光に少女の顔が照らされる。

 見慣れたその光景にふっと相好を崩してみればすぐに光が収まって、何かが『鮮明に』浮かび上がった。幼い彼女の顔ではない。彼女のよく知る人物の顔だった。

「聞こえてる? ……隊長」

 そこに映るのは、がっちりとした厳つい四角の顔に、白の短い顎髭を生やした中年の男。

 小さな傭兵部隊の隊長、アンドロス・ニコラウスだ。彼女にとっては自身が所属する組織のリーダーで、そして……第二の父親のような存在でもある。

「ああ、きちんと聞こえている。そっちはどうだ?」

「うん、こっちも大丈夫」

 隊長と呼ばれた彼が頷き、逆に問い返す。その声をしっかりと聞き取れば、フィアールカはへらっと笑って同じように首を縦に振った。相手がつられて目元を緩めているのが分かれば、心が少しずつ落ち着いていくのを感じる。

 けれどそれも一瞬のこと。互いに確認が終われば、用件を話さなければいけない。他愛もないお喋りをするために繋いだわけではないし、何より『目標』が、いつ、何をしでかすかも分かっていないのだから。

 鏡越しに話す相手も同じ認識のようで、フィアールカが表情を引き締めれば、同じように緊張した面持ちになって話を切り出した。

「それで……連絡を寄越すということは何かあったんだろう? フィアールカ」

「早速『目標』に接触したよ。魔法具が反応してたから……ご息女の方は間違いないと思うよ。男が一緒に居たから、多分そいつが誘拐犯」

 貸し出されていた捜索用の魔法具は、探したい人物の一部などを入れることで魔力を登録して、その魔力を持った人物が居る方角を示すものだ。それがあの酒場までフィアールカを導き、ロマーシカと巡り合わせた。

 あの場には、教えられた容姿に一致する少女などロマーシカ以外に居なかったこと、行動を共にする人物がいたことから彼女が攫われた人物であるのは間違いない。

 フィアールカの報告を聞けば、アンドロスは僅かばかり考え込むように顎に手を添えて俯いた。ふうむと声を漏らした後、再び鏡越しの彼女に視線を向ける。

「そうか。人気のない所に誘導しての捕獲は……――いや待て」

 できそうか。そう問おうとして、アンドロスはふと何かに気付いたように言葉を止めた。

 じっと覗き込むように彼は鏡に顔を近付けて、かと思えば数秒後には離れる。再び顔全体が映ったアンドロスの表情は、ひどく気遣わしげなものだった。

「……フィアールカ。その顔からして、何か想定外のことでもあったな?」

 その言葉を聞いた途端、彼女の心臓がどきりと跳ねる。決して隠したいというわけではないけれど、そんなに分かりやすい顔をしていただろうかと不安になってしまって、ぺたぺたと片手を頬に触れさせる。その行動がアンドロスの言葉を肯定しているようなものだから、彼はついつい呆れに溜息を吐いた。

「何があったんだ。話してみろ」

 静かな、けれど有無を言わせぬような厳しい声でアンドロスが問えば、フィアールカはうっと顔を引き攣らせて視線を逸らす。そうして、ひどく言いづらそうに口をもごつかせながらぽつりぽつりと語った。

「……アタシらが探してるもう一つの目標。ご息女を誘拐した犯人についてだけどさ」

 そう前置いて、片手で肩を抱く。思い出すだけでどうしようもない感情がじわじわと溢れ出しそうになるのを必死に抑えながら、上手く働かない頭で言葉を纏める。

「その誘拐犯……父さんの、仇だった」

 言葉にできたのはそれだけで、彼女は言い終わると俯いてしまう。芯のある普段の声と違い、ひどく弱々しい音色で語られたその事実を聞いて、アンドロスは驚きに目を見開いた。

 彼は、その存在が去った後にこの大陸へ移ってきたため、それの脅威について詳しくは知らない。けれど聞いた話が凄まじかったことは覚えているし、このフィアールカという少女がどれだけの感情をその存在に向けているのかも知っている。

「勘違いという可能性は? あれからもう百年だろう?」

「アタシが間違えるわけないよ。忘れもしないあの顔、あの格好、名前。それに……忌々しいくらい、父さんと同じ種族の匂いがしたから」

 可能性に縋るようなアンドロスの言葉に、彼女はきっぱりと否で返す。

 オレンジの目をしたあの少女、ロマーシカと一緒に居た彼が、まさしく仇なのだと……彼女は確信していた。

 だらしなく前髪を伸ばしたグレーの髪も、それだけで人を殺せそうなくらい鋭い黒の両目も。鍛えられた大きな体に、服装だって……町をいくつも壊滅させ、他者を恐怖に陥れ、そして父を殺した当時のまま。まるで彼だけが止まっていたかのように、何ら変わりがない。

 彼女に呼ばれていた名前も、新聞に載ったものと同じで『ルカー』だった。加えて、純血ほど鼻が敏感なわけではないけれど……彼女の『半分』と、父と同じ種族、人狼族の匂いがするのくらいは簡単に分かった。

 ならば勘違いなどではなく、彼こそがまさしく、『仇敵の』ルカー本人であるのだろう。

 どうして、と思うことはいくつもあった。

 彼がどうして生きているのか。どうして彼は今まで被害が出ておらず、今だって誰も殺そうとしていなかったのか。彼が何故殺しではなく『誘拐』なんて真似をしているのか。そもそも領主の娘とはいえ幼い少女を選んだ理由は何なのか。誘拐の目的は……。

 挙げていけばキリがないくらいに、沢山の疑問が浮かび、巡る思考に再び引きずり込まれそうになって何とか自身を引き留める。

「……そうか。お前が言うのなら、確かなんだろう。そいつのことを俺は知らんからな」

 彼女がそこまで言いきるのだ。ならばそれが事実なのだろうとアンドロスは頷き、ゆっくりと目を瞬くと、フィアールカに一つの問いを投げた。

「つまり、呼んだのは援軍を求めてか?」

「そんなわけないでしょ。これはただの報告だよ。あいつはアタシが倒す」

 あの時は父が一人で出て行ったし、フィアールカは幼かったから、何もできなかった。

 でも今は、アンドロス達に拾われて、傭兵部隊の一人として少しずつ力を付けてきている。それにこの百年の間、ルカーによる被害の話など聞こえてこなかったから、彼にはブランクがあることも明白だ。ならば今しかない。

 第二の家族で、大切な仲間。そんなアンドロス達の手を煩わせることなく一人で終わらせる。

「駄目だ」

 彼女の語りを聞き、アンドロスがきっぱりと告げる。

 語調は自然と強くなり、気付けば声も威嚇するような低さを持ってしまっていた。表情は焦りからか眉が寄り、ひどく強張ったものになっている。しかし、そんなことを意識もしていられないほどに、彼女の返事はとても頷いてやれるものではなかった。

 薄々、そんな可能性は感じ取っていた。それでもまさかそんなはずはないだろうと、縋るような意図を込めて問いかけたのに、本当に『一人でやる』と返されてしまったことが、アンドロスに悲しみと怒りを抱かせた。

 けれど、ルカーが処刑されたと聞いてフィアールカが蓋をしていた感情が……憎悪と復讐心が、それと会うことで諦める理由がなくなり、吹き出てしまったから。彼女は叩き付けるように鏡へと怒鳴り付ける。

「どうして!? 確かにちょっと危険かもしれないけど、アタシだって皆に付いて行って戦うこともあったし、力も付いてる!」

「ちょっとじゃない。危険過ぎる。それに、倒すのではなく捕獲が依頼の内容だったはずだろう? 付け足すなら、お前が今まで戦ったのは魔獣ばかりだ。人間でもなければ、ましてやかつて市を一つ壊滅させたような奴でもない」

 フィアールカの言葉に対して一つずつ丁寧に説明していく形で、アンドロスは説得を試みる。

 けれど、フィアールカはそれに納得の意を示すことはない。ぶんぶんと首を横へ振ると、今にも泣きだしそうな目でアンドロスを睨み付けた。

「でも……! せっかく見つけたのに……っ」

「フィアールカ。お前は今、仕事の真っ最中だということを忘れるな。仇のことより、ご息女の安全を考え、保護した上で、なるべく確実に誘拐犯を捕獲するのがお前の仕事だ」

 我儘(わがまま)を言う子供のような彼女を遮って、アンドロスは静かに告げる。

 そう、彼女は仕事の真っ最中だ。それも仲間から「彼女なら大丈夫」と信頼された上で受けた仕事だ。ならば仕事を完遂させることを第一に考えるべきだと語り、アンドロスはふと柔らかな微笑みをその顔に浮かべる。

「お前の気持ちは痛いほどに伝わっている。だが、依頼を完遂すること、そして自分の身を守ること。それを優先するんだ」

 手のかかる我が子を見るような、愛しげな表情だった。

 ごくりと唾を飲んで、フィアールカはその顔を暫し眺め……やがて、こくりと頷いた。

「……分かった」

 その返事に、アンドロスはほっと胸を撫で下ろした。やっと理解してくれたかとか、彼女が無謀なことをしでかす前に止められて良かったとか。言語化するならそういう感情が胸中には広がっていた。

「それなら、今から他の――」

「ご息女を保護、並びに誘拐犯を捕獲。それがアタシの仕事なんでしょ? それくらいならアタシ一人でもできるよ。大丈夫、心配しないで」

 今から他の仲間も向かわせる。だからなるべく時間を稼げ。そう告げようとするアンドロスだったが、しかしその言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 彼の言葉に被せるようにして、フィアールカが普段通りの明るい笑みと共に語る。それだけで、彼女が納得した振りをしているだけだったことが手に取るように理解できてしまい、彼は目を見開く。胸が締め付けられるような苦しさを感じた。

 彼女が弱いとは決して言わないし、もしかしたら本当にルカーという男が百年間で弱くなっている可能性もある。けれど、それでも町どころか市を壊滅させたレベルの人物に、彼女が勝てるとは、アンドロスには到底思えなかった。

 引き留めようと口を開く彼に、しかし言葉を待つことなくフィアールカは鏡に手をかざす。

「じゃ、待っててね。隊長」

 そう言い残して鏡面をコートの袖でぐいっと拭えば、そこに男の顔はもう映っていなかった。

 困ったように眉尻を下げて小さく息を吐くと、鏡をコートに仕舞う。そうしてスキップでもするような軽い足取りでブーツの足音を鳴らし、彼女は大通りへと踊り出た。

お久しぶりです。

本当は先月投稿したかったのですが間に合わなかったのでした。

次はいつ更新できるかなぁ。

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