4話 驚きの食事
その光景に、ロマーシカはただただ唖然としていた。
彼女らが座るテーブルには所狭しと様々な料理が並べられており、ロマーシカ以外の二人がそれを次々と食らっていく。
とろみのあるソースをかけた宙魚のムニエル。塩と胡椒だけで味付けしたシンプルな炒め物は、メニューに描かれていた絵よりも肉が多めだ。野菜と白身魚がごろごろ入ったスープは食べ応えがありそうで、もはや煮物と言っても差し支えないだろう。
中に具を入れて焼いたパンと、忘れた頃に蒸した野菜のサラダ。あとはよくある鳥卵のオムレツだとか、塩漬けにした魚卵を薄く焼いた小麦の生地で包んだもの。
それ以上はもう何があるか確認する気も起きない。それほどまでに沢山の料理が運ばれてきて、ロマーシカは見ているだけで腹が膨れそうだと思ってしまう。
けれど、それ以上に驚きを感じていた。
ルカーは人外である上に体格も大きいから、ここまでとは思わなくても、沢山食べるのは何となく納得できる。だが、隣に居る少女の方はどうだ。ルカーほどではないとはいえ似たようなペースで、似たような量を消費していく様が、普段他人の食事など見る機会のなかったロマーシカの目には、とても異常に映った。
普段人の形をしている人外は珍しくはないし、もしかしたら同じように沢山食べるような種族なのかもしれないけれど、その体のどこにそんな量が入るのだろうか。ロマーシカが見ていないだけで、他のテーブルでも似たような量を食べる者がいる可能性はあるけれど、あまり考えたくはない。
ついつい財布の中を確認したくなりつつも、隣に座る彼女に余計な心配をかけさせるのは良くないと思ってロマーシカはぐっと堪えた。流石に足りなくなることはないはずだ。無論、こんな食事を続けられるのは勘弁だから、ルカーには後で注意をしておかないといけない。
そこでまた一つ、皿が空になったのを見て、ロマーシカは溜息を零した。
「……よく、そんなに食べられる」
「ローニャこそ、スープだけで足りるの?」
「具も沢山入ってるから、わたしはこれで十分」
ロマーシカが漏らした呟きを拾って、フィアールカが料理から顔を上げた。
きょとりと不思議そうな顔でロマーシカを見つめる彼女の問いに、シトリンの目はそっと伏せられる。そうして普通は――なんて言いかけて、自分は、という言葉に置き換えてロマーシカは答えた。
「本当に? それなら良いんだけどね」
今のロマーシカよりも食べる人しか周りに居ないから心配になったのだと言って、フィアールカは笑う。そうして、もはや獣の捕食とでも形容するべき食事を再開した。
やがて置かれた料理のほとんどを二人が平らげた頃合いになって、ロマーシカは隣の少女を再び見た。すると彼女は、テーブルの隅に追いやられていた大きなカップに手を伸ばす。その中身をちらりと見て、ロマーシカはすぐに目を逸らした。
カップの中身は、コーヒーだった。
ロマーシカは、決してコーヒーが嫌いなわけではない。どちらかといえばお茶の方が好きではあるけれど、コーヒーで顔を歪めるような子供ではない。そんな彼女がどうしてフィアールカのカップに不快を露わにしたのか。
――元々のそれは、黒々とした、何の変哲もないコーヒーだった。
フィアールカが注文する際に、普通のカップではなく、もっと大きな器にしてくれとわざわざ要求していたのは記憶に新しい。中身の量は変えぬままにと言うから、ロマーシカは疑問に思っていた。
そうして、いざ運ばれてきたコーヒーを見ると、フィアールカはまず、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いを堪能した。そこまでは問題がなかったのだ。けれど、その次の行動が酷かった。
彼女は、テーブルの隅に置かれた備え付けのシュガーポットを見つけると、それを手に取った。中身を小さなトングで掴み、少しずつカップへと投入していく。角砂糖の数が一つ、二つなら良かった。苦みを嫌う者がいるのは理解できる。が、四つ目まで来た辺りでロマーシカの顔は引きつっていた。
ロマーシカが、あまり甘いものを好まないというのもあったけれど、それを抜きにしたってそれは多いだろうと。
それでも、フィアールカの手は止まらない。それどころか、一つずつ入れていくのが面倒になったのか、突然シュガーポットをカップの上で傾けた。それは、躊躇の欠片も無い手つきだった。砂糖は重力に逆らうことなく、どぽどぽとカップの中に落ちていく。
何をしているのだ、と声をあげそうになるロマーシカなど眼中になく、フィアールカは全ての砂糖がカップに入ると頷いて、次に店内を駆け回る店員を見た。
今度は何をするのかと、ロマーシカは嫌な予感に駆られる。
彼女が注文したのは、ピッチャーいっぱいのミルクだった。なみなみと注がれたミルクが届くと、彼女はそれも甘い黒の液体に注いだ。大きかったカップに、最初は六分目くらいまでしか入っていなかったそれは、気付けばふちのギリギリまでかさを増していた。
大量の砂糖でとろみがついて、さらにミルクで白濁とした、コーヒーだった何かをこぼさないようにスプーンでそっとかき混ぜると、彼女はやっと満足げに口角を持ち上げる。そうして驚異的なバランスでもってカップを持ち上げ、口元に運んだ。
「……甘く、ないの?」
「何言ってるの、甘いに決まってるじゃん。それが美味しいんでしょ。コーヒーの味もするし、やっぱりこれくらいが一番だね」
元々コーヒーだったのだから、コーヒーの味がしなければ、それはもはや別物だろう。今のそれも十分、顎が溶けそうに甘い液体になっている。そんな言葉をぐっと飲み込んで、ロマーシカは溜息交じりに「そう」と返すことしかできなかった。
今、カップの中にはその白濁液が四分目ほどまで残っている。よくそんなに飲めるものだと思いながら、ロマーシカは空にしたスープ皿を見下ろした。
中に置かれた銀色のスプーン。そこに映った逆さまの自分と目が合って、ロマーシカはすっと目を伏せた。
「ふ~……ごちそうさまでした」
満足げな溜息と共に食事を終える挨拶が聞こえて、ロマーシカは瞼を持ち上げる。
隣を見遣ればフィアールカが満腹だと言うように腹を撫でていて、正面に居るルカーはといえば、とっくに食事を終えていたのか、やはり機嫌が悪そうな表情でテーブルに頬杖をついていた。
二人がやっと食べ終わったことを確認すると、ロマーシカは少し安心したように、小さく息を吐き出した。
席の隅に置かれていた伝票を手にし、請求額を見て顔をしかめる。足りなくなることはないけれど、予想よりも大きな出費になってしまった。ちらりと財布を見下ろしてからゆるゆると首を横に振り、そして二人に「行こう」と促す。
「あ、見せて。アタシの分はちゃんと自分で払うから」
「そうしてもらえると……とても助かる」
席を立とうとするロマーシカに手を伸ばして、フィアールカが伝票を見せろと要求する。
奢る約束などしていないし、義理もない。だから、彼女から言い出してくれたことに安堵と感謝を覚えつつ、ロマーシカは要求されるままにそれを差し出した。フィアールカが受け取り、紙面の文字を見た途端に顔を引き攣らせる。
「……うわぁ。自分で頼んでおいて言うのも良くないけど、凄い額だね」
そこに書かれた数字は最初が六で、その右隣にリユーラ通貨を表す記号。続いて並ぶ二つの数字と、最後にルドリーの記号。
リユーラとは、ルドリーの百倍の価値がある通貨だ。つまり伝票に書かれた金額をルドリーに換算すると、六百と少しになる。それがどれほどの金額なのかと言えば、四人家族の一日分の予算は平均して九百ルドリーほどだ、といえば分かりやすいだろうか。
とにかく、今のところ収入を得られる予定の無いロマーシカが簡単に出せるような金額ではない。 いやそもそも、外食とはいえ、こんな金額を昼飯にかける方がおかしいのだ。
憂鬱そうな憂鬱そうな溜息を漏らすフィアールカを少し心配するように見ながら、ロマーシカは今度こそ席を立った。続いてルカーが椅子を引き、フィアールカが最後に立ち上がった。
「いやぁ~……ちょっと痛い出費だったけど、なかなかに美味しかったね。満足、満足」
会計を済ませて店を出れば、フィアールカは途端に上機嫌にそう言った。幸せを体現したような彼女の笑みに、ロマーシカは安堵を覚えた。それなら良かったなんて言って、また目的地への道を進み始めようとする。
けれど突然、それに待ったがかけられた。
「あぁ~っ!?」
何かを思い出したように、唐突に声をあげるフィアールカ。その声に驚いて、ロマーシカは止まる。そうして彼女を見遣ってみれば、コートの腰ポケットを慌ててまさぐっているのが、オレンジの瞳に映る。やがてポケットから取り出されたのは小さな手鏡だった。
どうしてそこで手鏡を出したのか、疑問に首を傾ける少女に、フィアールカは困ったように眉尻を下げて笑った。
「ごめん、ローニャ。実は、町に着いたら連絡してって家族に言われてたんだけど、すっかり忘れちゃってて。だから、少し待っててもらっていい?」
これで話してくる、と言って軽く持ち上げるのは手鏡だ。裏側に彫られた装飾の中央に石がはめられているのを見て、ロマーシカはその鏡が何なのか理解し、フィアールカがそれを出したことに納得した。
その鏡は、ただの鏡ではない。魔法具の一つだ。
魔法具とは、特定の条件を満たすことで決められた魔法を発動できる道具の総称だ。発動するための魔力は魔法具のどこかに取り付けられた魔力石を使うため、使用者の魔力は使用しないのが特徴だ。そしてフィアールカが持つ手鏡は、彼女の口ぶりからして離れた人物と話すためのものだろう。
返事に迷うように、ちらりと一度ロマーシカはルカーを見上げた。
流石に家族と話すのを禁止できるはずもないのだけれど、またフィアールカを優先してしまうことになるし、何よりそれで待つのはロマーシカだけではない。だからロマーシカは、自分の願いを聞き入れて手伝ってくれた彼を退屈させてしまうのが、少しだけ申し訳なく思えてしまった。
「……大丈夫、行ってきて。わたし達はここで待っている」
それでもロマーシカは首を縦に振って、大丈夫だと告げる。道の脇を指す彼女に、フィアールカは再び眩しい笑みを咲かせると大きく頷いてみせた。
「うん、ありがとう! すぐ終わらせてくるから!」
そう言うや否や駆けて行く少女が路地裏に隠れて完全に見えなくなると同時に、ロマーシカは溜息を吐く。そうしてゆるりとした動作でルカーを振り向いた。
「そういえばルカー。言いたいことが――」