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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第三章 少女との邂逅/Underneath the smile
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1話 出会い

 目が慣れてくるにつれて、その影に隠れた正体がはっきりと見えるようになっていく。

 羽織っているのは、フードのついた大きな緑のコート。おそらく大人向けに作られているのだろう、小さなその人物には丈が合っておらず、少しずり落ちそうだ。

 髪は金だが、ロマーシカの淡いそれとは違って濃い金色だ。短く切り揃えたその頭髪が、光を受けて眩しく輝く。

 今はどこか疲れた微笑みを浮かべているものの、普段は溌溂(はつらつ)とした表情をしていることが容易に想像できる顔立ち。それが髪型も相まって、どこか少年のようにも見えさせる。

 そして、目尻の()った鮮やかなスミレ色の瞳が、遠くからでもよく見えた。

 ――こんな所に子供が。

 自分のことを棚に上げて、ロマーシカは思う。

 そんな彼女を見たルカーが怪訝に眉を寄せながら同じ方向を見て、呆れたように息を吐く。

「俺の知らねぇ間に、酒場は託児所になったのか」

「違うと思うけど」

 皮肉るようなルカーの言葉を否定しながら、少女は扉の前に佇む子供から視線を外さない。ルカーはすぐに興味を失って顔を逸らしたけれど。

 子供は、人間であればおそらくロマーシカと同じくらいの年齢か、または少し上に見えた。もしかしたらもっと年上なのかもしれないが、幼い顔立ちと表情がそう見せていた。

 未だ佇んだままの子供が次にどう動くのか気になってロマーシカが眺めていれば、子供はやがて何かを探すように、首を右に左に振り中を見回し始める。

 暫しして、動きが止まる。その視線は、どういうわけかロマーシカの方に向いていた。次の瞬間、子供はひどく驚いたように目を見開き固まった。

 その表情を見て、自分が何かしただろうかという疑問にロマーシカは首を僅かばかり横へ傾ける。途端、硬直していた子供はハッとして、犬が水を振り払うようにぶるぶると頭を振った。両手で頬を叩き、頷いたかと思えば、そこでようやく酒場の中に足を踏み入れる。

 身の丈に合わないコートの裾を揺らしながら、子供は屋内を一直線に進む。その後ろでは軋む音を立てて扉が閉まっていった。

「ねえ、こんにちは!」

 まるで鈴を転がしたような、明るくて芯のある高音だった。少女らしい可愛い声だが、ハキハキとした話し方のおかげで少年のような風貌によく合っている。

 けれど、まるで恐れ知らずの子犬のような勢いで紡がれた挨拶に、ロマーシカは少しばかり戸惑いを覚えてしまった。

 何故なら、彼女はなかなか見知らぬ人に声をかけるなんてできないからだ。フレンドリーに接するなんてもってのほかだ。現にさっきだって、知りたいことはあっても話しかけることなんてできなかった。駅で女性に話しかけられたのが嘘みたいに、体が動かないでいた。

 だというのに、目の前の子供は当然のように、眩しい笑顔を湛えて話しかけてみせるのだから、あまりの違いに困惑せざるを得なかった。

「……えっと、こんにちは」

 それに――ロマーシカは、同じような年頃の子供と接する機会なんて、ここ数年はなかったから。どう話すのが自然なのか、分かるはずもなかったのだ。

 顎を引き寄せかけてぐっと堪え、ぽつりと漏らすようにして挨拶を返せば、相手は眉を垂らして困ったように笑う。

「あ、もしかして驚かせちゃったかな。ごめんね」

「え、いや、そんなことは……」

 突然話しかけてしまったから驚かせてしまっただろうか。

 そう言って、頬を指先で引っ掻き謝る彼女に、ロマーシカまでなんだか申し訳ない気分になってしまって、咄嗟に否定の言葉を紡いだ。

「あは、良いよ良いよ。突然声をかけちゃったのは本当だし。アタシみたいな子供が他にも居るのにびっくりしちゃったから、つい……さ」

 しかし相手の方は、気を遣って言ったのだとしっかり感じ取ってしまったようで、片手を顔の前でひらひらと振って良いのだと告げる。その後に語られるのは声をかけてきた理由で、ロマーシカはそれに納得すると同時に一つの疑問が浮上するのを感じた。

「わたしも驚いたから、気持ちは分かる。けど、それにしても……」

「なぁ、てめぇら。いつまで突っ立ってるつもりだよ。座らねぇのか」

 けれど問おうとした瞬間に、その声を遮るように男の声が飛んできた。ロマーシカが振り向けば、不機嫌そうに眉根を寄せたルカーがじっと見てきているのが目に入った。指先でテーブルをトントンと叩いている様が、彼の苛立ちを体現しているようだ。

「確かに、せっかく椅子が空いてるんだから座って話すべきか」

 本当は、自分を置いて二人だけで会話されるのが気に食わなかったために出た言葉だったから、会話を遮ることができるなら何だって良かった。そんなルカーの意図など、しかし少女は全く知る由もなく、言葉の通りに受け取っては頷いた。

 椅子を引いて先ほどと同じように座り、相手には隣を勧める。

「えっと……二人は知り合い、なの?」

 少女と青年。その二人の様子を眺めて不思議そうに問う子供へ、ロマーシカはゆっくりと瞬きをした後、静かに首を縦に振ってみせた。

「そう。一緒に旅をしているの。と言っても、まだ始めたばかりだし、ここにはたまたま立ち寄ってみただけ。それより……」

 途中でロマーシカは一度言葉を区切って、向かい側に座るルカーをちらりと盗み見る。そうして再び視線を戻せば、続きが気になるのかじっと見つめてくるスミレ色の瞳と自然に視線がぶつかった。

「ところで、あなた……は、どうしてこんなところに?」

 そんな子供に、名前を知らないため『あなた』なんて呼び方をして少女は続きを――相手に対する問いをかけた。

 問いかけた彼女も他人のことは言えないけれど、ここは少なくとも幼い子供、それも彼女自身や相手のような『少女』が来るべき場所ではないはずだ。そんな疑問に、隣に座る子供はどこか哀愁を帯びた微笑みを浮かべて「ああ、それね」と短く漏らす。しかしその顔から哀愁が見えたのは一瞬のことで、すぐに快活な表情になったのだけれど。

「そういえば、まだ名乗ってなかったよね。アタシはフィアールカっていうんだ! 好きに呼んでくれて構わないよ。ねえねえ、それで、キミの名前は?」

 子供――フィアールカはさらりと名乗って、ついでに少女にも名乗るよう問いかけた。身を乗り出す相手に気圧されながらも、名を幾度か反芻し覚え込むと、少女は短く答えた。

「……わたしはロマーシカ。こっちの目つきが悪い男はルカー。わたしの方は好きに呼んでくれていい」

 自身の名を告げた後、ロマーシカは手を差し出す形でルカーを示し、その名も教える。

 呼ばれたことに反応してか、その前に『目つきが悪い』なんて雑な扱いをされたことに対してか。ひょっとしたらまた別の理由があったのかもしれない。目の合った彼が更に厳しい目をしてオレンジの瞳を睨んだ。勿論、睨まれた側はやはり人形のような無表情を崩さないけれど。

「そっか。じゃあ、ロマーシカちゃ――……いや」

 少女の言葉を聞いて、フィアールカは嬉しそうに双眸を細めた。それから確かめるように名を呼ぶ。いや、呼ぼうとしたのを途中で止め、視線を落とした。フィアールカの考え込むような表情に、少女が疑問を抱くのも束の間。首を傾げさせる間すら置かず、フィアールカは顔を上げた。

「ねえ、せっかくだからさ、その。ローニャ……って、呼んでもいいかな?」

 そこに浮かぶ表情は、つい先ほどまで見せていた快活な笑顔とは違った、はにかむような笑み。唇から紡がれるのは、愛称で呼んでも良いか、なんて問いだった。

 まるで、友人のそれだ――とロマーシカは思う。いやロマーシカには友人と呼べる人物なんて居なかったから、本当の友人がどんな風に話してくるかなんて分からないけれど。

 ロマーシカの瞳が、戸惑いに揺れる。

 先ほども言ったように、好きな呼び方で構わないとは思っているけれど、やはりどうしても親しみを持って接されるのは慣れなかった。

「え、と。大丈夫。そう呼んでくれて構わない」

 逃げそうになる目を相手からなるべく逸らさないようにして少女はぎこちなく首肯した。途端、スミレの瞳が輝きを増したように見えた。フィアールカの顔に満面の笑みが咲く。その表情が、ロマーシカにはまるで太陽のように眩しく思えてしまった。

「わぁ、良かった! あは、よろしくね、ローニャ!」

 ロマーシカの思考など露知らず、フィアールカはよろしくなんて言うけれど、その言葉にはルカーに触れるものがない。

「よ、よろしく……フィアールカ」

 気になって再びルカーをちらりと見るロマーシカだったが、彼は意に介した様子がない。ならば、そんなことを気にしているのは彼女だけになる。だからきっとフィアールカも、親しみやすい同年代に意識が向いていただけなのだろう。そう彼女は一人で納得してしまった。

「それで……ああ、そうそう。アタシがここに来た理由だっけ」

 一通りの挨拶が終わったところで、フィアールカが話題を戻した。彼女の話で自己紹介をする流れになったけれど、その前にロマーシカがかけた問いについてはまだ答えられていなかった。思い出したように頷いたオレンジの瞳が、じっとスミレ色を見つめる。

「そう。わたしも他人のことは言えないけど、ここは子供が来るような場所じゃないから」

 だから、どうしてこんな場所に来たのか。口にしなかったけれど、その疑問はフィアールカに十分伝わったようで、彼女は小さく頷いた。そうして唇の下に人差し指を当てて考え込むような仕草を見せる。

「うーんと。アタシも一応、旅をしてるってことになる……のかな。うん、そう、旅をしてるんだ。ローニャと同じ!」

 どう説明したものかと悩んだ後、一言ずつ確かめるようにして語りだすのは、旅をしているというものだ。

「旅を……一人で?」

 自身と同じだ、なんて言われたロマーシカが、驚いたように目を瞬いた。だって、こんな子供が一人で旅をするなんて到底信じられなかったし、無謀だと思ったからだ。

「そうだよ、一人で。これはすぐに終わるからね」

 けれど、当然のようにフィアールカは大きく頷いて肯定してみせる。得意げな表情は不安など何もないと表情が語っているけれど、問うた側はやはり心配の念が拭えなかった。もっとも、彼女だって一緒に居る人物が守ってくれるとは限らないし、場合によっては一人旅より危険かもしれない状態なのだけれど。

 それよりも、彼女が気になったのは、フィアールカが言った『すぐに終わるはずだ』という言葉だった。

「どうして、すぐに終わるの? それに、そもそもどうして旅を……」

 つい問いかければ、今度はスミレの目が瞬かれた。意外そうな表情をして、じっとオレンジの瞳を見つめた後「えっと……ああ、そうだね」なんて呟いた。

「アタシの場合は色んな所を見て回るような旅じゃなくて……人探しだから。と言っても場所は大体分かってるし、探すとも言えないんだけど。だから、すぐ終わるんだ」

 双眸を細め、頬を緩めた。けれど困ったように眉尻は垂れ下がっている。苦笑するフィアールカに、問いかけた彼女が納得を示した。確かに確固たる目的や終わりが定まっていて、それに辿り着く方法が既に分かっているのならば、すぐに終わるのだろう。

「んじゃあ、どうしてそこに行かねぇんだよ。こんな所で喋ってねぇで、行けばいいだろ」

 そこで会話に割って入るのは、今まで苛立った表情で黙っていたルカーだった。不機嫌な表情は変わっておらず、漆黒の瞳でフィアールカを睨み付け問う彼。唐突に男の声が聞こえれば、二人が揃って彼へ視線を向けた。

 ルカーの問いはつまり、どうしてこんな所でお喋りに興じているのだ、というものだ。

 探している人物がどんな者かは知らないけれど、場所が分かっているならばさっさと行けばいいはずだ。なのに、彼女は一向に動こうとはしない。それどころか、こうやって他人との談笑に時間を割いてすらいる。まさかここが目的地なはずがないだろうし、ならば何故――そう思考しての問いだった。

 彼の言葉に、二人はきょとりと不思議そうな表情で暫し黙ってしまった。賑やかな酒場の中、そこだけが僅かな時間、沈黙で満ちる。

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