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狼男とロマーシカ  作者: 鈴河鳴
第二章 初めての町/Chaser is looming
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4話 久しぶりの食事

 駅を出ると、そこには白と赤の町並みが広がっていた。

 空の暗い群青と、鮮やかな紅白のコントラストがよく映える。壁は赤い建材を使っているけれど、雪によってところどころが白く染まっている。

 ロマーシカのいた町でも同じような建築物が並んでいたのだけれど、あのときは暗かったし、逃げることに必死で二人とも意識なんてできなかった。

 逃げ出す前、少女はたまに外へ出ることがあったけれど、町をゆっくりと見ている時間はなかったから、こうやってまともに町を見るのは、おそらく数年ぶりのことになる。

「はぁ……やっぱ寒ぃな、外は」

 男の方は景色に興味を引かれなかったらしく、身を襲う寒さに手を擦り合わせるのみだ。吐く息の白さを眺めながら呟く。

「そうね。町の外に出たらこれ以上に寒いって考えると……嫌になる」

 少女もルカーの言葉に同意を示し、肩を抱きながら再び歩き出した。

 辺りを窺えば、道を避けるようにして雪が積もっているのが目に映る。これも、おそらくはレールの上に雪が積もらないのと同じなのだろう。

 そんなことを考えながら、聞いた通りの道を進み続けること数分。だんだんと行き交う人の数が多くなってきたと感じる頃には、広場はすぐ目の前に迫っていた。

「……賑やかだな」

 円形の広場に入った瞬間に、ルカーが呟く。

 道の途中から既に屋台は並んでいて、そこに並ぶ者も何人かは居たけれど、メインの市場とは人の数が段違いだ。様々な種族が言葉を交わしているおかげで、早い時間だとは思えないほどに賑やかだった。

 ルカーの言葉に顎を引く形で同意を示すと、ロマーシカは広場の中に進みながら、周囲をぐるりと見回した。色鮮やかな果物や野菜、あとはパンと肉、魚が少し。そういった食材を売る屋台が多く見受けられて、料理の屋台は少数だった。しかし確実に存在し、漂ってくる匂いが空腹を増幅させてたまらない。

「ねえ、ルカーは何を……あ、ちょっと」

 何を食べたいか、なんて聞こうとした矢先の出来事に、少女は思わず声をあげる。声をかけた先の彼が、ふらりと勝手に歩き出したからだ。

 慌てて駆け足で追いかける少女の前を、ゆったりと――しかし彼女の急ぎ足よりも明らかに速いペースで進んでいくルカー。彼が立ち止まって、ようやく少女が追いつける。

「どうしたの、急に。できれば勝手に行かないでほしいんだけど……」

 それほどの距離は走っていないから息こそ上がらないけれど、驚くから止めてほしい。そんな咎めるような少女の視線にも、ルカーは悪びれる様子もなく、ふいと顔を逸らしてしまった。

「知らねぇな。美味そうな匂いがしたからこっちに寄ったんだ」

 そう言われてやっと、ルカーのすぐ近くから食欲のそそられる匂いがすることにロマーシカも気付いた。彼を挟んですぐ目の前にある屋台では、ぱちぱちと炎がはじける音と共に、肉が串焼きにされていた。

 かかっているのは塩、胡椒と、おそらく砕いたハーブだ。爽やかなハーブの香りに焼けた肉の匂いが合わさっており、とうとう腹の虫が鳴きはじめる。

 屋台の主であろう男は、ルカーを見て驚きとも怯えとも取れる顔で放心していたけれど。

「何本、食べたいの?」

「食えるんだったら、いくらでも食えるが……」

 ロマーシカの問いに、当然のようにルカーが返す。その答えに、彼女は呆れたような溜息を零した。いくらでも食べられると言われても、所持金には限りがある。なるべくお金には余裕を持たせたいが、かといって少ないと彼はきっと不満に思うだろう。

 少女は暫し悩んだ後に意を決して、ルカーよりも前に出る。未だ彼を見つめたまま呆けている男に声をかけた。

「これ一本の価格って、どれくらいなの? あと、放置したままだけど、焦げ付かない?」

「……っ! あ、ああ。悪いね。一本が四ルドリーだよ、お嬢ちゃん」

 幼さの残る声に話しかけられて、男はやっと正気付く。目を白黒させ、すぐに少女を見下ろして申し訳なさそうに笑う。そうしながら火にかけた肉を裏返していった。

 一方で少女は、伝えられた金額を元に、何本まで買うのか指折り計算し始める。

 できるならば一回の食事、しかも屋台で買う程度のものに、あまりお金は使いたくない。加えて言うなら、串焼き肉は一本でもそれなりの大きさがあるし、自身は二本も食べれば満足するだろうとロマーシカは見当を付けていた。

「えっと……ルカーが三本、わたしが二本の、合計五本で良い?」

「いや何言ってんだ。十本は食うぞ」

 十分だろうとは思いつつルカーに確認を取って、返る言葉に少女は間抜けた声を漏らす。それから焼かれる串を一瞥して、その大きさを見ると彼に視線を戻した。

「あんなに大きいのに、食べられるの?」

「当たり前だろうが。てめぇこそ、二本で足りるのかよ」

 彼が当然のように、まるで少女の方がおかしいとでも言うような態度で話せば、少女は呆れたような目でルカーを見た。確かに彼は体も大きいし、食べる量が多いのも理解できる。しかし、それにしたって十本は多すぎるし、何より遠慮というものが無いのか、だとか言いたいことは色々と浮かぶ。

 それら全てを視線に込めて見つめる少女を、ルカーも眉を寄せて見つめ返した。宵闇の黒とシトリンのオレンジが絡み合い、最終的に折れたのは少女だった。

 首肯し分かったと告げれば、満足そうに彼は鼻を鳴らして笑った。

「最初からそう言えよ。んじゃ、てめぇが買ってくるまで俺はあっちで待ってるぞ。ここに居てもつまんねぇからな」

 それから付け加えるようにそう言い残すと、少女の返事も待たずに彼は歩いて行く。その背を少しの間だけ見送って、少女は屋台に向き直った。

「それじゃあ……お兄さん、十二本ちょうだい」

「沢山買ってくれるんだな。それだったら、もう一本買ってくれたら五十に負けてやるぞ」

 渋々といった様子で腰につけた革袋を開きながら注文をするロマーシカ。それを受けた男は、思わぬ大きめの収入のおかげで快活に笑った。そこから更に一本追加で買わせようとするのを見てしまうと、先まで放心していた人物とは、ロマーシカは到底思えなかった。

 だからそれよりも、男の提案について彼女は思考する。その時間は短く、あっさりと結論が出たけれど。

「分かった。それなら十三本で」

 十本は食べる、ということはもう一本くらい追加しても彼ならペロリと食べてしまうだろう。少しでも安く食べられる量が増えるならそれも良いか、と頷いた。ここで断ったら、ルカーも不満に思うに違いないという思考も、頷く理由の一つだったけれど。

 彼女の言葉に満足げに返事をして、男は先に焼いていた数本を端にやり、新たな串を火にかける。先ほどの分だけでは足りないようだ。 時折裏返したり、そうやって肉を焼いていく男を眺めていたが、待っている間やることが無さすぎて、ふと少女は一つの疑問を男にぶつけた。

「それにしても、どうして彼を見て驚いていたの?」

 彼というのはルカーのことだ。

 少女の問いを受けて、男は火の通っていく肉に視線を落としたまま小さく笑いを零した。

「ああ、それか。嬢ちゃんは多分知らないだろうが、百年ほど前に『ある事件』を起こした奴が居てなぁ。それに兄ちゃんがそっくりだったわけだ。はは、居るわけがねぇのにな」

 そう語る男の目は、ここではないどこか遠くを眺めていた。

 居るはずがないという言葉に、すぐそこに居るルカーが、正しく男の指す人物であることを知る少女は俯きかけて、ぐっと視線を持ち上げる。

「そんな百年も前のことを、お兄さんはどうして知っているの?」

「はは、どうしてってそりゃ、この耳の通りさ。そのおかげであの恐怖も、つい最近のことのように覚えてるよ」

 どうしてルカーのことを知っているのか。

 じっと見つめながらの問いに返される言葉を受けて、少女は困ったように笑う男の耳に視線を運ぶ。そして納得した。そこにある耳は、人間のそれよりも長く、先が尖っている。長命種の一つであるエルフやドワーフの特徴と同じものだ。しかしドワーフは子供のように小さいことを考えると、導き出される答えはエルフだ。

 そうであれば、百年前にルカーが起こした事件を、それどころかルカーの特徴すらも覚えているのは、別に不思議なことではない。

 人里で暮らすエルフも多いし、他の長命種だって人と共存する者は多い。ならばこうやってルカーに反応する者が居たって、おかしくないのだ。このエルフのように似ているだけと納得してくれず、怯える人だって出るかもしれない。

 そんなことを思考し俯く少女の頭へ男の声が降りかかる。

「ほら、焼けたぞ。しっかり十三本だ。それじゃあ五十ルドリーな」

 顔を上げれば、焼き上がった肉串を紙袋に入れて、男は手を差し出していた。

 慌てて少女は、財布から一枚の大型銅貨……つまり金額分のお金を取り出して、男の手にそっと置く。そうすると手は引っ込められて、男は硬貨を確認した。ニッと歯を見せて笑うと、礼の言葉と共に袋を少女に渡す。

「ありがとさん」

「こちらこそ。それじゃあ」

 短い応酬の後、紙袋を抱えてロマーシカはルカーを振り返る。少しだけ離れた所に立ち、ひどく退屈そうな様子でポケットに手を突っ込んで、彼女を睨み付けたままの彼。待ちくたびれたとでも言いたげな顔を見ると、少女は早歩きで彼に近付いた。

「お待たせ」

「ああ、全くだ。ほら、さっさと寄越せ」

 けれど、差し出した手を引き寄せるジェスチャーと共に渡せと言うルカーに、ロマーシカは少しだけ呆れてしまう。

 彼女は、決して彼を養うために連れ出したわけではない。彼が働いた分――お願いを聞いて逃げる手伝いをした分だというにはあまりに多いこの食事を提供するのも、あくまで厚意によるものだ。

 けれど、それを伝えることすら面倒だと彼女は思ってしまった。

 相手の要求を拒否することを伝えるのが彼女は苦手だった。

 怒られることを恐れているわけではない。けれど、今まで相手の意思から逸れた要求をしても全て拒否されてしまったから、相手の要求に否を示すことを諦めてしまっていたのだ。相手が違えば変わってくるとしても、いちいち確かめるのが面倒だ。

「……どうぞ」

 だからルカーから視線を外して、少女は袋を差し出す。

 しかし、待てども彼に袋を取られる気配はない。不思議に思って彼女がルカーを再び見遣ると、彼は何とも言い表しがたい顔でロマーシカを見下ろしていた。

「食べないの?」

「てめぇが不満げな顔してるからだろ、ロマーシカ」

 買ったのは彼女であるし、渡すことを良しとして差し出したはずなのに、まるで本意ではないような顔をするのだから意味が分からない。つまりそういうことをルカーは言っていた。

 彼の言葉を聞いて、どきりとロマーシカの心臓が跳ねる。そもそも彼はそんなことを気にするような人物だったか、なんて思っていたから。

「……別に、不満なんて」

「ほぉ……? わざわざ俺を連れ出したような奴の台詞には思えねぇな」

 誤魔化すような言葉を紡ぐ少女を見下ろすルカーの瞳が、すっと細められる。

 というのも、嫌なことから逃げ出すためなら、自分を殺すかもしれないルカーという男を連れ出すような、無謀なことも平気でする行動力の塊――それがこのロマーシカという少女だとルカーは認識していたからだ。

 そんな存在が、不満がありながら隠すという態度を見せているのが、何故だという興味こそあったけれど、それ以上に不快だった。

「ま、いいわ。これからは嫌なことがあるんだったらハッキリ言えよ。毎回そんな嫌そうな顔されたらつまんねぇし」

「善処は……あ」

 しかしそんなことで話しているのも面倒だと感じ、何より肉が冷めてしまったら勿体ないと思った彼は、すぐに表情を切り替えると、少女が返事をする途中でその手から紙袋を奪い取ってしまった。

 小さく声をあげる彼女に目もくれず、彼が袋を開けたその瞬間、香ばしい匂いが温かい空気と同時にふわりと飛び出てきて、久しぶりの食べ物に腹の虫がぐるりと唸る。すかさず中に手を突っ込んで串の一本を取り出せば、(かじ)り付いた。一口飲み込んだあとは、無我夢中で貪り始める。あっという間に肉が消えると、彼は溜息を吐き、それから二本目に手を伸ばす。

 その様子を眺めるロマーシカの胸中は、礼もなく食事を奪われてしまったことではなく、自身の表情や感情に気付いた彼の『嫌なことは言え』という台詞に対する疑問で埋め尽くされていた。

 ルカーは二本目もすぐに平らげてしまい、三本目を手に取ろうとする。けれど、じっと見つめられるのに気付き少女に視線を向けた。

「……何だ、食いてぇのか。確かにこれは美味ぇけど」

「さっき、わたしは二本食べるって言ったと思う。ご飯を食べるために降りたいって言ったのもわたし。お金を出して買ったのも……わたし」

 彼のものを食べたいから眺めていたわけではない。ただ、自身も食べたいと思って、自分でお金を出したのだから、自身の分として買った分くらいは欲しい。

 なのに、今の調子で彼に食べられたら、きっと後先考えずに自分の食べる分すら取られてしまいそうだ。そんな懸念から、遠回しに自分も食事をしたいことを、食事をする権利があることを、ロマーシカは主張した。

 先ほど『嫌なことがあるなら伝えろ』と言われたばかりだから、というのも理由の一つだ。

 彼女の言葉に、失念していたかのようにルカーは「ああ」と漏らして、片手に持った紙袋へ視線を落とす。ロマーシカから奪ったその袋は、まだ温かい。

「……そういえばそうだったな。(わり)ぃ」

 短く謝りながらバツの悪そうな表情で紙袋を差し出すルカーに、少女は目を瞬いた。まさか謝られるとは思っていなかったから。

 彼と出会ったばかりのときも思ったけれど、話に聞いていたような人物とはまるで違う、そう思わざるを得ないくらいに、意外も意外だった。

「えっと……どうして、謝るの」

「そりゃあ俺が悪いと思ったからだろ。当たり前のことを聞くんじゃねえよ」

 思わずロマーシカが尋ねると、怪訝な面持ちでルカーは当然のように語る。その答えこそが逆に彼女を混乱させたけれど、ルカーからすれば冗談でも何でもなく本気であった。

「とにかく、食うならさっさと食え。冷めたら不味いだろうが」

「……そう、ね」

 ルカーの言葉を聞いて、困惑が解決せぬままに少女は頷く。

 悪いと思ったことに謝るような人物なら――どうして、人々を殺し回ったのか。まさか、それは彼の中では悪いことではないのか。その疑問を喉から出しかけて、奥へと仕舞い込んだ。

 そうして差し出されたままの袋から串を一本取り出すと、彼女はそれをじっと眺めた。

 (まれ)に外へ連れ出されることはあったから、こういったものを見ることは何度かあったけれど、実際に食べるのは初めてだった。

 やがてごくりと(つば)を飲み、先ほどのルカーと同じように齧り付いた。

 長めに焼くことで中までしっかり火の通った肉は赤身が多く、脂は少なめだ。歯ごたえのあるそれを咀嚼するたび肉の旨みと香ばしい香りが口腔いっぱいに広がる。なるほど、これは彼が夢中で食べてしまうのも仕方ない、と納得できるほどには、少女も美味しいと感じていた。

 けれど少女が小さな口で食べ進める間にも、ルカーは既に数本を平らげている。それを視界に映すと彼女は溜息を吐いた。

「……もっと味わって食べないの?」

「てめぇの食べる速度が遅いだけだろ。他人の食べ方にケチつけんじゃねぇよ」

 物言いたげな目で見上げるロマーシカを、ルカーは軽く睨み付ける。その視線を受けても尚、彼女の人形のような顔はぴくりとも表情を変えやしない。短く「そう」とだけ相槌を打たれるのが、たまらなく退屈だとルカーは感じてしまった。

 別に面白いことがあったわけではないけれど、彼女のような年頃の娘は、もう少し表情をコロコロと変えるものだったと思っていたし、子供でなくても多少は表情の変化があったはずだから、彼女だって何かしらの反応をしてくれたっていいはずなのに、と。

 串を取り出す手も、肉を喰らう口も止めることはなく思考を続ける彼だったが、ふと紙袋の中に手を伸ばすと、肉のついた串が残り一本だけになっていることに気付いた。

 少女を見れば、ようやく一本を平らげたところだった。しかし彼女は溜息を吐くだけで、袋に手を伸ばす様子はない。

「食わねぇのか?」

「美味しいとは思ったけど、想像していたよりも量があったから」

 そっと胃の辺りを擦ることでお腹がいっぱいだと示す少女に、彼は疑うような目を向けた。

 彼からしてみれば十本でもぺろりと平らげられる量だったから二本でも少ないと思っていたのに、まさかそれより少ない量で満足されるとは考えられなかったからだ。

「勿体ないから、ルカーが食べていい」

「……ふーん。それなら、食っちまうぞ」

 けれど、自分が買ったのだから全部は食べないでと主張した彼女が、何か会話したわけでもないのに考えを変えるとしたら、そのきっかけは満腹くらいしか思いつかないのも事実だ。

 食べて良いと言われれば、腹が膨れたわけでもないルカーは素直に頷いて食べることしかできなかった。

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