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放課後探偵は今日も憂鬱

作者: 犬上義彦

「放課後探偵は今日も退屈」の第3作です。

独立した短編なので、そのままお楽しみいただけます。



   放課後探偵は今日も憂鬱



 俺は山越雅之、探偵だ。

 そう名乗るチャンスが来ることを、中学生男子なら誰でも一度は憧れたことがあるだろう。

 でも、現実にはそんな事件なんて起きるわけがない。

 だからといって、いざその時が来た時にしくじらないように、名乗る練習はしておいたほうがいい。声が裏返ったら台無しだろ。

 ただ、一ノ瀬真琴に見られたら最悪だ。

「俺は山越雅之、探偵だ」

 中学に入学した頃のことだ。僕が窓を鏡がわりに練習していたのをあいつは見逃さなかった。

「ちょっと、何、探偵とかって、ありえないんだけど。ねえ、みんな、聞いてよ」

 女子のクチコミは恐ろしい。

 あいつのおかげで僕の探偵事務所は学校中に知れわたってしまった。

 依頼は全然来ないけどね。

「宣伝してあげたんだから感謝しなさいよ」

 あいつはそれ以来勝手に助手を名乗っている。


 そんな僕らも今は中二だ。今日は三月一日火曜日。中二ももうすぐ終わりだ。二年生から三年生はクラス替えがないから真琴とも三年間一緒になるわけだ。

 中三の先輩は進路が決まり、もうすぐ卒業式。中二の僕らは学年末試験も終わって、なんかダラダラした感じだ。

 一ノ瀬真琴は学校を休んでいる。

 二月の月末にインフルエンザにかかったのだ。先週から土日をはさんで五日目になる。

「探偵君、毎日退屈でしょう」

 朝、登校したら、休んでいる真琴の代役のつもりなのか岡崎さんが僕をからかう。岡崎早織さんは僕の隣の席の女子で真琴とも仲が良い。オカちゃんと呼ばれている。自転車通学で家は遠いのに、毎朝来るのが早い。

「べつにそんなことないよ」

「強がり言ってる」

 橋爪さんまで僕をからかう。

「退屈っていうより、寂しいんじゃないの?」

 橋爪京佳さんも真琴と仲の良い友達だ。ハッシーさんと呼ばれている。

「お見舞いに行ってあげたの?」と橋爪さんが僕の顔をのぞき込むように言った。

「行くわけないじゃん」

「なんで、助手じゃん」

「あいつが勝手にそう言ってるだけだよ」

「照れちゃって。きっと待ってるよ、マコト」

 と、そのとき、窓ガラスがドンと音を立てた。

「ちょっと、男子、ガラス割れたらどうすんのよ」

 岡崎さんが窓を開けて注意する。冷たい風が入ってくる。

 寒いのに教室のベランダでは男子連中がサッカーをやっていた。

 二人ずつ組になって、キーパーとフォワード役でボールを蹴り合っている。それを見ている連中もいて、クラスの男子のほとんどがベランダにいる。

「悪い悪い。気をつけるよ」

「なんでこんなところでやってんのよ。外に行けばいいじゃん」

 岡崎さんに男連中が文句を言う。

「だってよ、もうすぐホームルームの時間だろ。行って帰って終わっちゃうじゃん」

「つうかさ、おれらさっき朝練してきたし」

「また外に行くのやだよな」

「もう知らないよ」

 岡崎さんが窓をバチンと閉めた。

 サッカー部の森田公平が足技でフェイントをかけるのを周りの連中が見ている。

「すげえな、こんな狭いところ抜けるんだ」

「おまえ天才だよな」

 みんなにほめられて調子に乗った森田がドリブルからフェイントで後ろ向きに回転し、そのまま浮かせたボールを自分と相手フォワードの頭上を越えるループで抜いて見せた。

「カッコ良すぎるだろ、おまえ」

「やべえ、ちょーおもしれえ」

 予鈴が鳴って、外にいた連中が次々と中に入ってくる。

「休み時間にまたやろうぜ」

「大会できるな」

「ベランダワールドカップやろうぜ」

 まだ人がいるのに、井上ヤスアキがふざけてベランダの掃き出し窓を閉めて鍵をかけた。

「おい、井上、てめえ開けろ」とみんながあわてる様子を中から見て笑っている。

「ふざけんなよ」と山崎サトシが掃き出し窓を蹴っている。

 森田公平が一人だけ反対方向に駆けだした。さっき岡崎さんが鍵をはずした窓を開けると、軽々と壁を跳び越えて中に入ってきた。

 岡崎さんが一言、「寒いじゃん」とつぶやく。森田が顔の前に右手を立てて「悪いな」とわびる。

「井上、鍵開けてやれよ。先生来るぜ」

 森田に言われた井上が鍵を開けると外にいた連中が入ってきて、井上に軽く蹴りを入れていく。こういったことはあいつらのお約束事で、井上も最後に入ってきた高橋には逆に膝カックンのお返しをしている。

「また男子が変な遊びを考えたね」

 岡崎さんがあきれ顔で言う。

「探偵君はあんなのやらないよね」

 僕はうなずいたけど、別に行儀が良いからではない。サッカーが苦手なだけだ。僕はボールを蹴るとなぜかしょっちゅう後ろに飛ぶ。ボールも体もだ。

 体育の授業では『バックパスの奇術師』と呼ばれている。

 それに、寒いのは嫌いだ。


 一時間目が終わって休み時間になると、井上達がまたベランダに出てサッカーをやり始めた。

 最初のうちは壁から下だけでボールを回していたのが、森田がまたループで頭上抜きを見せた辺りから他の連中も高く蹴り始めて賑やかになってきた。ただ、森田と違って井上達は下手だから窓ガラスに当たってズシンと派手な低音が響き渡った。

「ちょっと、男子、いい加減にしなよ。危ないよ」

 岡崎さんがまた窓を開けて注意する。

「そのまま開けておいてくれよ。そうすりゃぶつかるのが半分になるだろ」

「他の窓も開けておこうぜ」

 男子連中が全部の窓を開けっ放しにした。冷たい空気が急に吹き込んできて女子達が悲鳴をあげる。

「もう、ホント、バカじゃないの」

「こいつら全員外に閉じこめてやろうよ」

 岡崎さんと橋爪さんが窓を閉めようとした時、男子連中がわざと窓に向かってボールを蹴り上げた。とっさによけた橋爪さんの顔の横をボールが飛んでいって、教室の黒板に跳ね返った。

 黒板前の教卓には一輪挿しに淡い黄色の花が飾られている。園芸委員の白井愛海さんが世話をしてくれているものだ。ボールが教卓にぶつかって花瓶が倒れそうになったのを、たまたま横にいた僕がおさえた。

「こら、男子、見なさいよ。もう少しで花がダメになっちゃうところだったじゃんか」

 岡崎さんが本気で怒っているのに、男子連中はなおさら調子に乗り始めた。

「なんだよ、おまえに関係ないじゃん」と、井上。

「オカンザキだな。オカン」と山崎。

「うるさいよ、クソガキども」と岡崎さんも口が悪い。

「オカンに怒られた」

「うわあ、かあちゃんこえーよ」

 男子連中にからかわれて岡崎さんが泣きそうな顔になってしまった。

 森田が割って入った。

「おい、おまえらやめろよ。岡崎さん、俺たちが悪かったよ。ごめんな」

「知らない」と、岡崎さんは教室から出て行ってしまった。

 橋爪さんが岡崎さんを追いかける。

 森田が窓を閉めて回る。

 空気も冷えていたけど、雰囲気まで凍りそうだった。

 僕がつかんでいるガラスの花瓶の冷たさが手に重く感じられた。フラスコのような丸底形の一輪挿しの水が少し濁っている。

 白井さんが教卓に来た。

「ありがとう。ちょうどいいところにいてくれて」

「まあ、偶然だよ。大きな花だね、これ」

「ストックっていうんだよ。日曜日に家族で花摘みに行って来たときの花なの」

「あ、学校の花壇で栽培したやつじゃないんだ」

「うん、この時期はパンジーしか植えてないからね。切り花になる花はないのよ。四月になればチューリップがたくさん咲くから楽しみにしててね」

 白井さんは微笑みながら僕から花瓶を受け取った。

「私、水を入れ替えてくるよ」

「ああ、ありがとう」

 授業が始まるころに、ちょっと赤い目をした岡崎さんを連れて橋爪さんも戻ってきて、その後は何事もなかったかのように一日が終わった。


 家に帰ると姉がいた。僕の姉は三つ上で、今高校二年生だ。修学旅行で変な消しゴムをお土産に買ってくるくらい性格は悪いけど、頭は良いから地域一番の公立進学校に通っている。

 高校の学年末試験期間に入るらしく、今日は午前中だけで早帰りだったそうだ。この人が明日からずっと早帰りということは、僕にとっては居心地が悪い日が続くということだ。

 こたつのテーブルに顎をのせてだらだらとスマホをいじっている姉が僕を呼び止めた。

「ねえ、ちょっと、雅之」

 嫌な予感しかしない。

「なんだよ、ねえちゃん」

「真琴ちゃん、寂しいってよ」

 姉がスマホの画面を僕に向ける。なんでこいつらはつながっているんだ?

「僕には関係ないだろ」

「お見舞いに行きなさいよ」

「やだよ。インフルエンザうつるし」

「あんたもう正月明けにかかったじゃん」

 僕は冬休み明けにインフルエンザで一週間休んだ。たぶん通っている塾でもらっちゃったんだと思う。まあ、まわり回ってあいつにうつったと言えばそうかも知れないけど、でも二ヶ月近くたっていたら僕のせいじゃないだろう。

 それに、ウイルスのタイプが違うと二度かかる人もいるらしいからな。用心にこしたことはない。

「なんか学校で事件はなかったかってよ」と、姉がスマホの画面をスクロールしている。

 それはあいつが僕をからかう時の口癖だ。『退屈な日常に風を吹かせるのが探偵の仕事でしょ』と。

「そんなのあるわけないじゃん」

「だからさ、そういう学校の話をしに行くだけでもいいじゃん」

「なんで僕の方が『何もないです』って報告しに行かなくちゃならないんだよ」

「堂々と女子の部屋に入れるじゃん。パジャマ女子と二人きりのシチュエーションなんて、あんたの人生に二度とないチャンスでしょ」

「一度もなくてけっこうだよ」

「明日で出席停止期間が終わって、明後日から学校に復帰するって」

「じゃあ、もう行かなくていいじゃん」

 僕はスマホを持っていない。持っていたら、きっともっと面倒なことになるだろう。当分なくてもいいや。

 その夜、僕はなかなか寝付けなかった。もちろん真琴のことを心配したわけじゃない。寝ようとした時にちょっと大きめの地震があったのだ。

 中一で習った初期微動と主要動を思い出した。間隔が短いから震源が近いのかなとか考えているうちに眠るタイミングを逃してしまったのだ。

 毛布をかぶってちらっと真琴のことを考えた。

 最近、学校の空気が冷たいのは真琴がいないからなのかもしれないなと思った。

 岡崎さんと橋爪さんがピリピリしているときに真琴がいると場が和む。そういう役割の人がいないと教室の雰囲気が沈んでしまう。

 不在になるとその人の価値が分かる。

 退屈な日常に風を吹かせているのは僕ではなく真琴の方だ。

 なんかぼんやりと、そんなふうに真琴のことを考えている自分に気がついた。『なんであたしのこと考えてんのよ』と言われたような気がして、よけい眠れなくなってしまった。


 翌朝、三月二日の水曜日。

 寝不足で頭がぼんやりしたまま登校したら、事件が起きていた。

 教卓に置かれていた花瓶が床に落ちて割れていたのだ。

 水たまりの周囲にガラスの破片が散乱し、淡い黄色の花が落ちている。教卓のすぐそばにサッカーボールが放置してあった。

 先に登校してきてた何人かの連中は遠巻きに見ているだけで、誰も片づけようとはしていない。

 井上と山崎の二人も教室の隅で顔をそむけて関係ないふりをしている。

 白井さんが登校してきて教卓の惨事を見てしまった。

 呆然とした表情が気の毒だった。

 そこにコンビニ袋を持った岡崎さんがやってきた。

「あたし日直だから片づけるよ」

 そう言うとそのまますぐに清掃用具入れに行って箒とちりとりを持ってきた。

「いいよ、私がやるよ」と白井さん。

「じゃあ、水を拭くぞうきんをお願いね」

「うん、そうだね」と白井さんがぞうきんを取りに行く。

 僕もガラスの破片を拾うのを手伝った。

「危ないから探偵くんはいいよ」

「大きいのだけ拾うよ」

「手を切らないようにね」

 岡崎さんがコンビニ袋の口を広げてくれた。

 ぞうきんを持ってもどってきた白井さんは、水を拭く前に落ちている花を手で拾い上げて、くにゃっとした茎を半分に折った。

「え、捨てちゃうの?」と岡崎さん。

「くたくただからね。もうこれだと水が上がらないんだ。ストックは花持ちはいいんだけど、重いから、しおれたらしょうがないよ」

「もったいないね」

「家にまだ別のがあるから持ってくるよ」

「花瓶もどうしようか」

「それも何か別のを探してくるよ」

 と、そのとき、森田公平が教室に入ってきた。

「朝練きつかったぜ。あれ、何やってんの?」

 森田が声をかけると、細かい破片を箒で集めていた岡崎さんがぽつりとつぶやいた。

「花瓶が落ちて割れちゃったのよ」

 森田がサッカーボールを拾い上げた。

「え、もしかして俺達のせい?」

 森田が井上と山崎に尋ねる。

「お前ら何か知ってるの?」

「何も知らねえよ」

「疑ってんのかよ。俺らだってさっき来たばかりだよ」

 橋爪さんが登校して来た。ボールを持っている森田に人差し指を向けた。

「ちょっと、これ何、あんた達のせい?」

 騒ぎが大きくなってきた。

「自分達で壊しておいて、人に片付けさせるなんてホントにサイテーなやつらだよね」

 橋爪さんの言葉に井上と山崎が反応する。

「だから、俺たちじゃねえよ」

「ベランダではやってたけどよ、教室の中ではやってないだろ」

「どうだか、昨日だって窓から中に蹴ったくせに」

 橋爪さんは昨日自分に向けてボールが蹴られたことを根に持っているらしい。

「もういいよ、ハッシー」と岡崎さんがなだめる。

「だめだよ、こいつら、ガツンと言ってやらないと」

 かえって橋爪さんが興奮してしまう。

 森田が間に入った。

「悪かったよ。ボールを持ち込んだ俺たちのせいだよ。すまん」

 潔く頭を下げられると橋爪さんも当惑したように急におとなしくなった。

「うん、まあ、気をつけてよね」

 森田は白井さんの方に向き直ってもう一度頭を下げた。

「花瓶、壊しちゃってごめん」

「うん、大丈夫だよ。先生には地震で倒れたって言っておくから」

 すると突然岡崎さんが泣きはじめた。橋爪さんが駆け寄る。

「ちょっと、どうしたのよ、オカちゃん」

 井上と山崎が調子に乗る。

「何だよ、せっかく森田が謝ったのに。泣くことないじゃねえかよ。白井さんだって許してくれたじゃねえかよ」

 岡崎さんはガラスのかけらを集めたちりとりを持ったまましゃくり上げて泣いている。

 橋爪さんが箒とちりとりを受け取って僕に預けた。

「ごめん、ちょっと出てくるよ」

 橋爪さんが岡崎さんの背中を押して廊下に出て行った。

 僕と白井さんは片付けを続けた。森田も手伝ってくれた。

「困ったな。岡崎さん大丈夫かな」

 森田の嘆きに白井さんが努めて明るく答える。

「大丈夫だよ。気持ちが落ち着けば戻ってくるよ」

 白井さんの言う通り、ホームルームが始まるときには二人とも戻ってきた。

 でも、岡崎さんはそれからずっと涙をこらえているような顔で、つらそうだった。

 橋爪さんが休み時間になると隣の僕の席にやってきて、岡崎さんに寄り添っている。

 話しかけるわけでもなく、ただじっとそばにいる。

 僕は座れないので、困る。

 でも、しかたがない。僕の居場所くらいどうでもいい。

 雰囲気が凍るどころか、ガラスの破片のように、クラスがばらばらになってしまっていた。

 真琴になんとかしてもらうしかないか。

 助手に頭を下げるのは探偵としてどうかなんて、そんなことを気にしている場合ではない。

 探偵のプライドよりも大事なことがある。

 事件が解決すればそれでいいんだ。


 家に帰って僕は姉に言った。

「真琴に、今からお見舞いに行くって連絡してよ」

「へえ、明日学校で会えるのに、待てないんだ」

「うん、どうしても気になるから」

「あらあら、はっきり言うじゃない」

 姉がにやけながらスマホをいじる。

「真琴のことが気になるっと、はい、送信」

 はあ?

「違うよ、学校のことだよ。真琴のことなんか気にならないよ」

「でも、もう送信しちゃったから」

 ピロンとスマホが鳴る。

「ほら、ハートマーク。プリンでいいよだって」

 僕は財布を持って出かけた。おこづかいはそんなにないんだけどな。

 途中、プリンを買うためにコンビニに立ち寄った。

 最初はゼリーの棚の隣にあった三個セットの安いやつを手に取ったけど、お金を払おうとレジまで来たときに、レジ前のデザートコーナーに生クリームとフルーツで飾り付けたプリンアラモードを見つけたので、そっちを買っていくことにした。一個なのに三個セットより高い。とりあえずこれならイヤミを言われることもないだろう。

 真琴の家に行くとお母さんが出迎えてくれた。前にも何度か会ったことがある。

「おじゃまします」

「いらっしゃい。あら、プリンなの、ありがとうね。あの子、さっきも二つ食べてたのに。でも、マサ君のは特別だものね。きっと喜ぶわよ」

 僕は真琴もお母さんも苦手だ。二人ともよくしゃべる。

 家に入るのは初めてだった。

「いらっしゃい」

 真琴はベッドに入ったまま僕を出迎えた。前髪をピンクのゴムでまとめてある。アンテナみたいだ。

 真琴の部屋は意外とシンプルだった。白い壁にちょっと濃いめの色のフローリングで中央にパステルピンクの円形ラグが広げられている。家具は机とクローゼットとベッドがあるだけだ。

 加湿器とエアコンが静かに音を立てている。机の上には漫画や小説がきちんと角をそろえて積まれていて、ベッドの上の壁には制服のブレザーとスカートがハンガーにかけられている。全体的にすっきりしすぎているせいで、制服のリボンがちょっと斜めにかかってるのが目立っていた。

 僕の視線から察したのか、横になったまま真琴がつぶやいた。

「あんたが来るから掃除したってわけじゃないからね」

「意外とすっきりしてるんだね」

「あたしの頭の中みたいでしょ」

 僕はどう返事をして良いのか分からなくて黙っていた。真琴がまたつぶやく。

「ふだん観察力が足りないくせに、女子の部屋には興味津々だね」

 そのくらいの毒舌が復活していれば、もう元気なんだろう。

 僕はおみやげを渡すことにした。

「はいよ、ご注文のプリン」

「ありがとう。適当に座ってよ」

 ベッド脇に座ったのはいいけど、プリンを置くテーブルはなかったからどうしようかと僕はちょっと迷った。

「そういうときはさ、頭の上にプリンをのせて、『熱冷まし』っていうのがお笑いコンビのお約束っていうものでしょ」

「コンビじゃないし、探偵だし」

「まあ、もう熱はないし、今食べるからちょうだいよ」

 真琴は起き上がって、床のラグに座った僕を見おろしながら手をのばした。クリーム色のパジャマ姿だ。正直ドキッとした。コンビニ袋を渡すと中身をのぞき込んで微笑んだ。

「へえ、いいやつ買ってきてくれたんだ」

 動揺がばれていないようだったので、平静を装って答えた。

「それしか見当たらなかったんだよ」

「ふつうはさ、先にデザートコーナーじゃなくて、牛乳とかゼリーとか売ってるところを見るもんだよね」

 僕の動きはすべてお見通しのようだった。

「急いでたからさ。レジの近くしか見なかったんだよ」

「それにさ……」と、言いかけて真琴が袋からプラスチックスプーンを取り出した。

「女子のパジャマ姿に何か一言くらい言いなよ」

 やっぱりばれてたか。

「別に何もないよ。元気そうで良かったじゃん」

「かわいい?」

「いつもと同じだよ」

 真琴は口をとがらせてプリンのふたを外してコンビニ袋に入れた。

「そっか、いつもかわいいか」

「そんなこと言ってないだろ」

 一口食べて目を閉じる。

「ああ、やっぱり高級プリンはカラメルがほろ苦いわ」

 御機嫌そうで何よりだ。

 僕は学校であったことを話した。真琴はプリンを食べながら聞いていた。

 一通り話し終わったところで、僕は尋ねた。

「というわけでさ、なんか、学校の居心地が悪くてね。どうしたらいいかな」

 真琴は静かにうなずいて、プリンをスプーンに一口分のせて僕に差し出した。

「インフルエンザがうつるだろ」

「あら、そうじゃなかったら、アーンしてたんだね」

 そういうわけでもないけどさ。

 僕の表情を見て真琴が微笑みながら言った。

「あんたさ、明日あたしと一緒に誰よりも一番早く学校に行くんだよ。先生方よりも早くね」

「なんで」

「探偵の仕事」

 それから真琴は僕にやるべき指示を言った。

 わけが分からない内容に僕は驚いた。

 僕に犯人になれというのだ。

「どういうことだよ」

「この事件には犯人がいないの。そのせいで解決しないの。だからあんたが犯人になりなさい」

 探偵が犯人って、一番ダメな推理小説のオチじゃないか。

「あんたがずっと前から探していた『放課後の怪人』に、あんた自身がなるの」

「そんなことしてどうなるんだよ」

「それで解決するのよ」

「なんで僕がそんなことをしなくちゃいけないんだよ」

「本物の探偵は仕事を選ばない」

「説明になってないし、先生に怒られたらどうするんだよ」

「大丈夫よ、朝のホームルームまでに事件は解決するから」

 インフルエンザで寝込んでいたとは思えないほど頭が働いているらしい。確信に満ちた表情で真琴は僕を見た。

「ヒントは二つ」

「一つ目は?」

「明日は木曜日、朝練のない日です」

 木曜日は原則としてどの部活も朝練をしない日と定められている。

「二つ目は?」

「あんたにとって一番遠いこと」

「なんだよそれ」

 結局まだ僕には何も分からない状態だった。暖房の効いた部屋でベッド脇に座って頭をフル回転させながら話をしていたせいか頭がぼんやりしてきた。

 はっと気がつくと、もう真琴はプリンを食べ終わって、僕を見てにやけていた。

「寝てた?」

「ああ、なんか昨日寝不足だったからかな」

「なに、あたしのこと考えて眠れなかったの?」

 確かに考えてはいた。そういう意味じゃなかったけどね。

 ただ、半分くらいは図星だったから顔が熱くなった。

 用事が済んだからさっさと逃げだそう。

「じゃあ、そろそろ帰るよ」

「え、もう帰るの?」

「うん、そろそろ夕飯だろ」

「せっかく来てくれたのにな。でもありがとうね」

 いい笑顔だった。

 僕が立ち上がると真琴が両手を合わせた。

「プリンごちそうさま」

「うん、じゃあ、明日」

 真琴の家を出て、暗くなった空を見上げながら家路についた。

 さっきの笑顔を思い出した。

 女子の部屋は緊張する。今になってちょっと膝が震えていた。


 翌朝、僕は真琴の家に寄るために一時間も早く家を出た。三月とはいえ、早朝は冷え込んでいた。真琴は家の前で待っていた。僕らは二人並んで歩いた。

「今日から学校、久しぶりだな」

 真琴はうれしそうに白い息を吐きだす。鼻の頭が赤い。

「元気になって良かったじゃん」

「熱は薬ですぐ下がったから結構ひまだったんだよね。退屈な日常に風を吹かせる探偵さんがいないとつまらないよ」

 僕が返事をしないでいると、膝カックンされた。

 いつもの調子に戻ったようで何よりだ。

 学校は静かだった。

 朝練禁止の日なので、部活の連中は来ていない。予定通り僕らが一番のようだった。

 真琴は昇降口ではなく、体育館に向かった。

「そっちなの?」

「まだ昇降口の鍵は開いてないよ」

「へえ、そうなのか」

 真琴は体育館の入り口ではなく、裏に回り込んだ。体育館の壁下に並んだ通風用の小さな引き戸をのぞき込んでいく。

 少しだけ隙間が空いているのを見つけると、鞄を置いてしゃがんで、引き戸に手のひらを押しつけた。外側に取っ手はついていないから開けにくいけど、手のひらを密着させてずるずるとずらしていくと何とか開いた。なるほど、ここは鍵がかかっていなかったのか。猫の通り道を大きくしたような感じだ。

「あんた先に入りなよ」

「なんで」

「あたしのパンツ見たいの?」

 ああ、たしかにせまいからそういう体勢になるか。

 僕は先に中に潜り込んだ。手をつくと床が冷たい。手が貼りつきそうなほど冷えている。肩がぎりぎり入る感じで、背中をこすってしまったけど、なんとか入り込めた。真琴も後から入ってくる。

「倉庫からサッカーボールを出して」

 真琴の言うとおり、僕らは三個ずつボールを持ち出した。

 壁際まで運んで、また同じ引き戸から僕が先に出た。外には手をつけないからお尻側から先に出なければならなかった。中の真琴からボールを受け取っていったん外にならべる。

 真琴が出てくる間、僕は『スカートなんか見てないよアピール』のつもりで、背中を向けて人が来ないか見張っているふりをした。

 真琴が今度は内側の取っ手に手をかけて少し閉めて、それからはさっきと同じように手のひらを押しつけながらずるずると引き戸を閉めた。

「なあ、これってさ、立派な不法侵入だよね。しかもボール盗んでるし」

「だから、あんたが犯人だって言ったじゃん」

「いや、まずいだろ」

「大丈夫よ。何事もなかったことになるから」

「説明してくれよ」

「今はまだ何も言えない」

 うん、それ、名探偵が言うセリフだよね。

 しかも、この後、もっと事態がやばくなるやつ。

 僕らは鞄を体育館脇に置いたまま、ボールを抱えながら校舎の外側を回って、美術室横のトイレの窓までやってきた。

「ここの女子トイレの鍵、壊れてるんだよ」

 そんなことまで頭に入れてあるのかよ。

 真琴は窓枠を少し持ち上げるようにして何回かガタガタ揺らした。中で鍵が動く音がして、本当に鍵がはずれた。見事だけど、何やってんだよ。

「あんた先に入ってよ」

「ここ女子トイレだろ」

「そんなのどうでもいいじゃん」

「良くないよ」

「誰も見てないし。ていうか、早くしないと、それこそ人が来るよ」

 仕方がないので僕はいったんボールを置いてから、壁を乗り越えて先に中に入った。真琴からボールを三個受け取って廊下に置いてきて、またもどって三個受け取った。真琴は自分で壁を乗り越えて中に入ってきた。

 そのときだ、スカートの中が一瞬ちらっと見えてしまった。ちょうど僕の目線の高さだったので、見ようとしたわけじゃないのに目に入ってしまった。

 なんだよ、短パンはいてるんじゃん。

「ちょっと期待したんでしょ」

「べつに」

「さっきは、恥じらう乙女のふりを演じておいたんだけどな」

 恥じらいというよりは脅しだったけど、体育館に忍び込む時のあのやりとりにそんな意味があったとは。

「なんだよ、あれは罠だったのかよ」

「あら、ホントは見たかったのね」

 なんでうれしそうなんだよ。

「次はどうするんだよ」

 にやけている真琴を相手にしないで僕は仕事の段取りを尋ねた。

「あとはね、簡単。教室に行ってボールをただ置いておくだけ」

 なんだそりゃ。

 女子トイレを出て廊下で靴を脱いだ。足跡がつくのは困る。靴下を通して廊下の冷たさが伝わる。

 真琴の言葉通り、僕らは教室までボールを運び、あとは床に転がしただけだった。

「これでいいのか?」

「うん、あとはね、ちょっと余計なことを一つ」

 真琴は黒板の粉受けに置かれている赤いチョークを手に取ると、文字を書き始めた。

 チョークアートのように幅広な線で、『放課後の怪人』と書いたのだ。

「犯行声明かよ」

「やっと会えたでしょ。あこがれの怪人に」

「あこがれのあの人は僕自身って。探偵小説じゃなくて、SFになっちゃったみたいだな」

 僕らはサッカーボール六個と黒板の落書きを残して教室を出た。

「あとは、体育館にもどって、鞄を取ってきて、何気なく登校したふりをするだけ」

 女子トイレ前で靴を履いて窓から外に出て、校舎を回り込んで体育館まで戻る。

 ちょうど先生方が昇降口や体育館の玄関を開けて回っている時だった。僕らは見つからないようにタイミングを計りながら鞄を置いたところまでもどってきた。

「ほら、ちょうどオカちゃんが来たよ」

 真琴が指さす方を見ると、校門から岡崎さんが自転車で入ってきて、駐輪場に止めるところだった。

 真琴が僕を手招きして校門の方に回り込んで、あたかも今入ってきたかのような感じで、ヘルメットをはずしている岡崎さんに声をかけた。

「オカちゃん、おはよう」

「あ、真琴、久しぶり。元気そうで良かったじゃん」

「うん、もうすっかりいいよ」

「探偵君も一緒なんだ。仲いいね」

 岡崎さんは僕をからかうような口調なのに、ちょっと表情が暗くなった。

「たまたま一緒になっただけだよ」

 寒いから立ち話なんかしないで早く中に入りたいのに、真琴が余計なことを言い出した。

「えへへ、コイツね、昨日お見舞いに来てくれたんだよ」

「あらまあ、それはそれは」

 二人だけで盛り上がりはじめた。

「何したと思う?」

「どうせプリンかなんか食べて終わりでしょ」

「あら、するどいね、オカちゃん」

「あんたたちなら、どうせそれで精一杯でしょ」

 二人が僕の顔を見て笑っている。女子のツボはよく分からない。

 そんな話をしているうちに森田公平が登校してきた。

「おう、みんな早いな」

「あ、おはよう」と真琴。

 岡崎さんは黙っている。

 僕らは四人で昇降口へ向かった。

「森田君はいつも朝練だっけ」と真琴が話しかける。

「ああ」

「今日は練習ないのに早いんだね」

「まあね。生活リズムを崩すと朝寝坊したりするだろ」

「そっか」と真琴が適当そうな返事をする。

 森田が岡崎さんに向かって話しかけた。

「岡崎さんはいつも来るの早いよな」

「そうかな」

「だってさ、俺達が朝練してるといつも窓から見てるじゃん」

 岡崎さんが顔を赤くしながら機関車みたいに白い煙を吐いた。

「別に朝練見てるわけじゃないし。ただ外の景色見てるだけでしょ」

「俺、いつも見ててくれるから、今日も朝から頑張ろうって思うんだよな」

「え?」

「だって格好悪いところ見せられないだろ」

「別に格好悪くないじゃん。サッカーうまいし」

 岡崎さんは一歩前に出て、先に昇降口に入った。

「うまくいったね」と真琴がそっと僕にささやいた。

 二人を会わせるために、あそこで無駄な立ち話をしていたのか。

 教室の戸を開けたら、さっき僕らが転がしておいたボールが当然二人に見つかった。

「ちょっと、何よ、これ」

 岡崎さんが声を上げると、森田も教室を見回す。

「誰だよ、こんなにボール持ち出したやつ」

 一歩中に入って、岡崎さんが黒板を指さす。

「探偵君、見てよ、『放課後の怪人』だってよ」

「ああ、大変だ。じゃあ、これはきっと昨日誰かがふざけて遊んでて、そのままボールを置いて帰っちゃったんだね」

 真琴がわざとらしいセリフ口調で言った。

「なんで昨日なのさ」と僕は尋ねた。

「だって、『放課後の怪人』だよ。今朝出たんだったら時差ぼけみたいじゃん」

 真琴の説明に森田が笑い出す。

「そりゃそうだな。『時差ぼけの変人』じゃあ、格好悪いもんな」

 イケメンのジョークに岡崎さんも一緒に笑う。

 森田が両手にボールを二つ持つと、さらに一つをひょいと蹴り上げて合計三つ持ち上げた。

「俺、片づけてくるよ」

 それを見ていた岡崎さんもボールを拾い集めた。

「あ、あたしも行くよ」

「悪いね。井上かな、山崎かな。あいつらしょうがないな」

「ベランダでサッカーなんかやるからだよ」

「ごめんな。もうやらないように、あいつらにも言っておくよ」

 二人は三個ずつボールを持って体育館に返しに行った。

 二人がいなくなるのを見届けてから、真琴がポンポンと手を叩いた。

「お疲れ。任務完了。一件落着」

「え、これで終わり?」

「うん、あとは黒板を消しておくだけ」

「どういうことだよ」

「今ので分からない人には、何を言っても分からない」

 真琴は僕に背を向けて黒板を消し始めた。窓から差し込む光に粉が舞い上がってきらめく。

「教室で二人っきりって、何かいいよね」

 そんなふうに言われると、こっちは逆に居心地が悪い。

「べつに、どうってことないだろ」

「だから、あんたには説明しても無駄だって言ってるのよ。あんたには一番遠い話」

 真琴は黒板消しを粉受けに置いて手をはたいた。

「では、謎解きを始めましょうか、ホームズ君」

 やれやれ、今回もワトソン君には頭が上がらない。


 真琴は僕に説明を始めた。

「まず、今回の事件にはそもそも犯人がいないのよ」

「じゃあ、花瓶を倒したのは誰だよ」

「サッカーボールだよ」

「じゃあ、井上とか山崎達?」

「違うよ。だから、サッカーボールそのものだってば」

 なんだそりゃ。

「オカちゃんが前の日の放課後にベランダに放置してあったのを、教卓の上に片づけておいたのよ。そしたら、地震で転がっちゃって、花瓶に当たって倒れてしまった。だから犯人はいない」

「ああ、そういうことか。なんでわざわざ教卓の上に置いたのかな」

「ベランダにあったはずのサッカーボールが、朝になって教卓の上にあったら、先生にばれたかと井上達が思うでしょ。そしたら、ガラスが割れたり大きな問題が起きる前にベランダサッカーを止めさせることができるじゃない。オカちゃん真面目だからね。それに、サッカーのせいで森田君が先生に怒られるのも見たくなかったんじゃないの」

「でも、岡崎さんが置いたっていう根拠は? 憶測?」

 真琴が腕を組んで得意げな笑みを浮かべて見せた。

「あんたさ、昨日のことをあたしに説明したとき、オカちゃんが何を持ってたって言ったっけ?」

「なんだっけ」

「コンビニ袋を持っていたって言ったでしょ」

「ああ、そうだった」

「オカちゃんはいつも早い時間に登校するでしょ。もし昨日だってあんたの後に教室に来たんだったら、コンビニ袋じゃなくて鞄を持ってたはずじゃん」

「そうだね」

「オカちゃんは日直だったし、早めに来て、花瓶が割れているのを見つけたのよ。自分がボールを置いたせいだってすぐに分かった。だからガラスを片付けるために職員室にでもコンビニ袋をもらいに行っていた。戻ってみたら他の人が登校していて騒ぎが大きくなってしまった」

「で、なんで急に泣きだしたの?」

「やっぱり、あんたには難しいか」

 真琴がくすくす笑い出す。

「自分のせいで森田君が悪者になっちゃったのがイヤだったのよ。オカちゃんは自分がサッカーボールを置いたせいだって言えなかった」

「黙ってないで言えばよかったのにな」

「言えない理由があったのよ。女子にしか分からないやつ」

「なんだよそれ」

「さっき、森田君が言ってたじゃん。オカちゃんが毎朝早く学校に来る理由」

「毎朝窓から朝練を見ているってこと? それがどうした」

 真琴が僕をあきれた顔で見た。

「だから好きなんだってば」

「君が僕を?」

 真琴が大笑いする。

「違うよ。あんたに言うときはもっとちゃんと言うよ。そうじゃなくて、オカちゃんが森田君のことを好きなんでしょうが。でも、秘めた気持ちを知られたら恥ずかしいし、一つ一つはまったく関連がなかったのに、ハッシーが勘違いして騒ぎが大きくなっちゃったから、何も言い出せなくなっちゃったのよ」

 そういうことか。自分の気持ちもばれたくなかったし、橋爪さんの間違いも、むしろ友達だから訂正しにくかったのか。だから単純な出来事が複雑になったんだな。

 あれ?

 今、真琴が僕のことで何か言ったか?

「なあ、ちゃんと言うって何のことだ?」

「一ノ瀬さん、久しぶり。探偵君も早いね」

 ちょうど白井さんが登校してきて、真琴の返事は聞けなかった。

「おはよう。あ、それ、新しい花?」

 白井さんが新聞紙にくるんだ切り花を教卓に広げる。

 白いストックだった。

「この花おしゃれだね。昨日までは黄色だったんでしょ」

「うん、探偵君から聞いたの?」

「白井さん、オカちゃんのこと気づいたの?」

 白井さんは首をかしげながら微笑んだ。鞄から新しい花瓶を取り出す。安定感のある台形の土台の花瓶だった。しかもガラスではなく、プラスチック製だ。これなら割れないだろう。

「白の方がふさわしいもんね」と、真琴が白井さんに言う。

「うん。さっきボール持った二人とすれ違ったし。探偵君のおかげで一件落着なんでしょ」

 女子の会話はさっぱり分からない。

「何の話?」

「花言葉だよ」と、真琴があきれ顔で答える。

「それがどうした?」

「スマホで検索してみれば」

「持ってないよ」

「買えば? 探偵は情報収集能力も大事だよ」

 真琴が僕の顔をのぞき込む。

「それにさ、あたしが休んでるときも会話できるじゃん」

 じゃあ、当分いらないや。

 森田と岡崎さんが戻ってきた。

 二人は目と目で何かを伝え合うような感じでそれぞれの席に別れた。岡崎さんが僕のところに来てささやく。

「探偵君、ありがとうね」

「え、何が?」

「このクラスで『放課後の怪人』って言ったら、探偵君しかいないじゃない」

 全部ばれてるじゃん。どうするんだよ。

 真琴が岡崎さんの腕をつつく。

「オカちゃん、こいつがこんな気のきいたことするわけないじゃん」

「じゃあ、真琴?」

「さあ、あたし、欠席してたし」

「じゃあ、誰だろう?」

「だから、『放課後の怪人』が現れたんだよ。ほら、探偵、出番だよ。怪人を見つけなくちゃ」

 僕が返事に困っていると、岡崎さんがもう一度ささやいた。

「本当に、ありがとうね」

 橋爪さんも登校してきた。

「あ、マコト、元気? みんなも早いね」

「うん、久しぶり」

「みんなどうしたの? にやけちゃって」

 橋爪さんが不思議そうな顔をすると、岡崎さんが「ナイショ」と口に指を立てた。

「えー、なにそれ、教えてよ」

 よかった。いつものにぎやかな教室に戻った。みんな楽しそうでいいや。

 僕も自分の席に座れるし。


 放課後、僕は真琴と二人で下校した。

「なあ、花言葉ってどういうことだ?」

「黄色のストックの花言葉は『さびしい恋』。そのまま飾ってたら、岡崎さんに悪いじゃない。だから白井さんは、白いストックに変えたのよ」

「白いストックの花言葉は?」

「ひそやかな愛」

「花言葉って知らないと伝わらないじゃん。便利なんだか面倒なのか分からないな」

「素直に好意を表すのって難しいから、そういうのがあるんじゃないの。あんただってそうじゃない。少しはあたしを見習いなさいよ」

「どういう意味だよ」

「でもまあ、こっちが素直でも、相手が鈍感だと、全然伝わらないけどね」

 女子の言いたいことはやっぱりさっぱり分からない。

 角まで来たところで真琴が立ち止まった。

「今日は朝からお疲れさんでした」

「僕はボールを運んだだけだよ」

「あたしのスカートの中のぞけたじゃん」

「短パンだっただろ」

「あら、何が見たかったのかな?」

 真琴が僕を見てにやける。

「それにさ、名探偵にふさわしいことをしたじゃん」

「何かしたかな」

「単純な出来事を勝手に複雑な事件に仕立て上げるのも名探偵の仕事でしょ。じゃあね、メイタンテイさん」

 真琴は僕に手を振ると背中を向けて駆けていった。

 すっかり元気になって良かったじゃないか。

 あれ?

 それ、名探偵じゃなくて、迷う方の迷探偵だよな。

 気づいたときにはもう真琴の姿は見えなくなっていた。


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[良い点] 構成がきちんとしています。トリックも面白く、話の随所に恋愛が絡めていることで単なるミステリーで終わらないでいます。 [気になる点] 面白さ(なんて言ったらいいのか自分でもわかりません。ごめ…
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