恐怖の体現者
おれが真っ先に覚えたオーネリアス語は『レギン』だ。
なぜならマイラル語でも同じ語句で同じ意味を持つから。
ちなみにウォーレン語も一緒。
おそらくこの単語は万国共通のものなのだろう。
単語の意味は――『恐怖』。
魔王の脅威に震えるこのエルメドラで、この言葉を聞かない日はない。
恐怖が今、おれの目の前にいる!
「もしかしてあなたは、魔王の関係者なのでしょうか?」
「イドグレス・レギンは我が父だ」
魔王の子!
なんでこんなところに!
「ここは我ら『エルナ』の故郷。何もおかしいことはあるまい」
エルナ?
女神ソルティアの使いエルナガと何かしらの関連性があるのか?
いや、そんなことより――――最初の冒険でいきなりラスボス一歩手前かよ!
いったいどんなゲームバランスだよ! プログラマー出てこいやボケェ!
はわわわわわ! どうしようどうしよう!
マジ怖ええ! 聞きしに勝る恐怖の体現者だよ!
怖いものが見たいとかいってた昔の自分をぶん殴ってやりたい!
ああ、ウォーレンの牢獄に帰りてぇ――――ッ!
「ここが魔王の本拠地だったという噂は、真実だったのですね」
おれは内心の動揺をおくびにも出さずに尋ねた。
話にならないと判断されたらころされちゃうかもしんないしね。
「そう伝え聞いている。我はイドグレス大陸生まれの若造のため、あまり偉そうにはいえんがな」
「わ、若造ですか……」
「まだ300も生きておらぬ。我が父に比べればはるかに若造よ」
ほへぇ、それでこの威厳かあ。すっげえなあ。
いやいや人間から見れば300でも充分年食ってるわ。むしろ納得の威厳だわ。
「あなたはもしかして、魔王の命でオーネリアス軍と戦いにきたのですか?」
もしそうだとしたらどんな手段を用いてもオーネリアスから撤退するわ。
オーネリアス軍……つうか人類に勝ち目ねーよ。
「いや、我は軍属ではない。人間でいうところの……そうだな、考古学者とでもいうべきだろうか」
が、学者……しかも考古学。
魔族にもそういうのがあるのか。
人と同等以上の知性があるなら当たり前の話かな。
う~ん、勉強になるなあ。
「きさまはオーネリアスの勇者伝説を知っているな」
それはラムダさんから何度も聞いている。
かつてここは魔王の根城だったが、女神ソルティアの命を受けた勇者オーネリアスの手によりイドグレス大陸に追いやられたとかなんとか。
「その伝説はイドグレス大陸にも伝わっているのだが、我はどうにも腑に落ちない。きさまもそう思わないか?」
「……」
……思う。
イドグレスっていうのはこの息子さんよりさらにヤバいんだろ?
それがいくら女神の加護を受けたといえど人間ごときに負けるかぁ?
いや、田中を見ればわかるが確かに神の力はすごい。
やり方によっては勝てることもあるのかもしれない。
ただ……魔王を倒したのではなく別の大陸に追いやっただけというのが、どうにも引っかかってしかたない。
「一方イドグレス大陸に伝わる『勇者伝説』はこうだ」
「イ……イドグレスにもそんなものがあるのですか?」
シグルスの語る勇者伝説は、おれの度肝を抜くには充分な内容だった。
太古の昔――女神ソルティアに遣わされた天使エルナガは、自らの血肉を用いてひとりの勇者を産みだした。
それが他ならぬイドグレス・レギンそのひとだという。
勇者イドグレスは女神の命を受け、エルナガから分け与えられた創造の力で、今の世界に生きる生命の祖を生み出したという。
それが現在でいうところの魔物であり、魔族であるということだ。
もっともこの呼び方をするのは人間だけで、イドグレスでは魔物のことを <聖獣> 。魔族は <神徒> と呼ぶらしい。
はぁ……国が変われば常識も変わるもんなんだなあ。
「その話は、本当に真実なのでしょうか」
「イドグレスでは真実として語り継がれているが……実際のところはわからん。伝説はあくまで伝説にすぎない故」
「生き証人がおられます。ご本人に伺えばわかることでは?」
「父は己が根城にて眠りにつかれている。我が目通りはかなわず」
え? それじゃあ今現在魔王軍を指揮している奴って……。
「現魔王軍は大幹部であるロギアが統率している。奴は野心家ゆえ、この世界のすべてが欲しいようだ」
もっとも我には無関係な話よ――シグルスはさもつまらなそうにいった。
「世界征服に興味がないのですか?」
「きさまらなど支配してどうする。遊び相手にもならぬわ。ロギアは我より人に近しい存在故にそれに拘るのだろうが……我には理解できぬ話よ」
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないってか。
気持ちはすっげーわかる。
おれも猿山の大将になりたいかっていわれりゃ答えはノーだわ。
「そんなことより、この世界にはもっと魅力的な謎がたくさんあるではないか。世界中に散らばる数々の伝説――ただの作り話で済ませるのは簡単だが――その真相を暴いてみたいとは思わないか?」
「……思います!」
話を合わせるためにいったわけじゃない。
シグルス――いやシグルスさんの言葉におれは心底同意していた。
そうだ、他人の人生なんぞ何十億握ろうがクソの役にも立ちゃしねえ。
考古学のほうが世界征服なんぞより何百倍も面白そうじゃねえか。
全部あんたのいうとおりだぜ!
「もしかして、そのためにこのティルノ遺跡に?」
「そうだ。ここはかつて女神が住んでいたとされている古代遺跡。オーネリアスとイドグレスの伝説を繋ぐ何かがあってもおかしくない。だが……」
そこで初めて、シグルスさんは声を詰まらせた。
「……何か問題でも?」
「この遺跡は、我には狭すぎる」
……ですよね。
女神といっても人間サイズみたいだしね。
まあ本物の女神が住んでいたかどうかも眉唾だけどさ。
「我の体躯では内部の調査もままならぬ。だが無闇に遺跡を破壊するというわけにもいくまい」
ブレスを吐くのはいいんですかい。
……いうてあのブレスで周囲の建造物の損壊はないんだけどな。
建物自体が異様に頑丈だっていうのもあるんだろうけど……やっぱあれは勇者の力を試しただけで、本気でぶっ放したわけじゃないんだな。
あれでぜんぜん本気じゃねえっていうんだからこの御方の底は知れねえわ。
「だが、それでもできることはある。少しずつやっていくしかあるまい」
だがこれは交渉の大チャンスだ!
逃す手はあるまい!
「あの……すいません。遺跡の内部調査の話ですが……もしかしたら、私たちがお役に立てるのではないでしょうか」
おれがおそるおそる提案すると、シグルスさんはすぐに食いついてくれた。
「頼めるのか?」
「もちろん! ただその代わりに、あなたの鱗を一枚だけいただけないでしょうか?」
シグルスさんは口の端を少し持ち上げた。
笑ったのだ。
「我から鱗を奪おうとはいい度胸だ。よかろう、鱗と引き替えに遺跡の調査を依頼しようではないか」
や……やった……ッ!
やったぞ! 魔王の子との交渉に成功してみせたぞ!
どうだ! 見たかおまえらぁ!
人間やってやれねえことなんかねえんだよ!!!
「ただし、我の納得いく成果がなかった場合。この話はなしだ」
「はい! それはもちろん!」
「それともうひとつ。きさまが我を謀ったと判断した場合……きさまらには死んでもらう」
「は……ッ」
いぃぃぃぃぃぃっ!?
「そしてきさまをよこしたオーネリアスの民にも消えてもらおう」
はわわわわわ……お、おれの双肩にオーネリアス全国民の命運が……ッ!
いくらなんでも話が重すぎる。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
い……いや、こんなところでビビってどうする!
しっかりしろマサキ・リョウ!
遺跡を調査しシグルスさんが納得できる成果を見せる。
おれならできる。できるはずだ!
……たぶん。
オーネリアス大陸の謎に迫る




