自分に正直に生きる
バスルームからタオル一枚だけ巻いて出てきたリリスお嬢さまが、はにかみながらおれに迫ってくる。
まずい。
まずいまずい。実にまずいぞ。
こんなところ入ったらもういいわけきかねーじゃん!
いつもの買い物かなと思って何も考えずについウッカリ……ま、まさかラブホテルだったなんて……。
どうする?
どうするどうする!?
とりあえず体に巻いたバルタオルを外そうとリリスお嬢さまを懸命に止める。
「なぜとめる?」
「しょ、正気にお戻りください! おれとあなたとでは身分が違います!」
……説得。
そう、まずは説得だ!
おれは一時の気の迷いで奴隷と肉体関係を持つことの愚かしさについてトクトクと説いた。
まずは世間体について。
たとえば社交パーティとかで旦那を紹介するときに元奴隷でしたとでも紹介するのだろうか。
父親が買ってきましたなんていおうものなら、そりゃもう色々とまずいことになる。
よって隠すしかないのだが、周囲に隠し事をしながら生きていくのはつらいものがある。
おれでもつらいんだから、リリスお嬢さまのような有名人ならなおさらだ。
おつぎはリリスお嬢さま自身の見識について。
お嬢さまは箱入り娘でおれ以外の若い男とろくに面識がない。
今はおれにお熱でもすぐに飽きて別の男に目移りすることだろう。
この年頃の娘は年上の男性に憧れを抱きやすいものだからな。
どうせ飽きてとっかえひっかえしたくなるなら、家の名誉に傷がつかない男を選んだほうがいい。
大富豪の一人娘とつきあいたいと思う男なんて星の数ほどいるだろうしな。
最後に、おれ自身の将来性のなさだ。
顔と体はいいが、それ以外はろくでなしだと自負している。
中学時代は自慢の空手で不良狩りを楽しみ、高校時代は気に入らないオタクをいじめ倒した。
女だって食っては捨ててを何度も繰り返した。
そんなおれが、お嬢さまを大事にするとはとても思えない。
今は奴隷だからしぶしぶ従っているだけで、対等な立場になったら何をしでかすかわからねーぞ?
……なんで、てめえでてめえを卑下しなきゃなんねーんだよくそったれ。
しかもほぼ真実だっつーんだから泣けてくる。
リリスお嬢さまを説得するためとはいえ、今を生きるおれとしてはネガティブなことなんかいいたくねーんだよ!
ま……まあいい。
ここまでいってやったんだ。さすがのお嬢さまも考え直すことだろう。
「存外くだらないことをいうな。大切なのは今であって過去も未来も関係なかろう」
その通りだよちくしょう!
おれもそう思うよ!
でもさあ、おれにも色々あるわけよ! 色々とさあ!
「私は自分に正直に生きている。おまえも自分に正直になれ」
「自分に……正直に……ですか?」
「そうだ。私と一緒になっておまえに悪いことなんてひとつもないぞ。奴隷の身分から大富豪の娘の夫なんて話、他の者が聞けばさぞうらやましく思うだろう」
「なんかそれ、カネ目当てでつきあって構わないっていってるように聞こえるんですけど……いいんですか?」
「自分で自分をクズだといってただろう?
私はいっこうに構わないぞ。私はおまえのことを愛しているが、おまえにも愛してもらおうなんて贅沢はいわん。おまえを犬扱いしていた私に、その資格があるとも思えんしな」
ああ、自覚があったんだ。
ちょっとビックリ。
「罪滅ぼしというわけではないが、私をいくらでも利用してもらって構わない。私と結婚してくれるならカネも権力も好きに使ってくれていい」
……け、結婚んんんんんんんん!?
ま、まあ……エルメドラが中世ぐらいの文明レベルだとしたら、この年齢で結婚というのもおかしくはない……のか?
いやいやないない! いくらなんでも話がぶっ飛びすぎてるわ! このお嬢さんちょっとチョロすぎやしませんかね!
「私はおまえが好きだから結婚したい。ただそれだけだ。誰にも文句はいわせないし、私も文句もいわん。だから……」
自分に正直になって、カネのために私と結ばれろってか?
確かに、今のままではおれは生涯奴隷として人生を終えるだろう。
憧れの魔法使いにもなれそうにない。
でもリリスお嬢さまの後ろ盾さえあれば晴れて自由の身になれる。
カネも使いたい放題だし魔法の勉強だっていくらでもできる。
シノさんにまた身分の違いってやつをたっぷり教えてやることもできるな。
自分に正直になれ――――か。
そうだな……ああ、そうだとも。すべて彼女のいうとおりだ。
過去も未来も関係ねえ。
建前なんざくそくらえ。
恥も外聞もなにもねえ。
おれはただ、自分に正直な選択をすればよかったんだ。
決意を固めたおれは、彼女の体を包んでいたバスタオルを乱暴にはぎ取った。
「十年はええんだよ、このマセガキがっ!!!」
おれはかごから服をひっ掴むと、素っ裸になったリリスに強引に着せた。
目をぱちくりさせるリリスの頭におれはぐりぐりと指を押しつける。
「てめえのようなガキはおれの趣味じゃねえ! どうしても抱かれたかったら十年後に出直して来いっつうの!」
ふっ。
ふふっ。
ふふふふふふふふふふふっ!
いってやった! とうとういってやったぞ!
そーなんだよ。
こんなガキ趣味じゃねえんだよ。
おれはイリーシャみたいな大人の女性が好きなんだ。
なんでこんなチンチクリンを抱かなきゃならねーの?
アホか! それこそ金をもらったって抱かねえっつうの!
「お……おまえ、我が家の財産に興味はないのか?」
「実はおれんちはなあ、おまえんとこ以上の大金持ちだったんだよ! そこが嫌になって出てきたっつうのに今さらカネなんぞで転ぶかボケ! どうでもええんじゃそんなもん!」
こいつの家に入り婿になれば、そりゃカネは手に入るよ?
でも自由っていうのは……果たしてどうかな?
おれは自由なんてないと思ってるね。
こいつと結婚するってことはマリガンさんの家を継ぐってこと。
商売は楽しそうだけど、そいつはおれの本当にやりたいことじゃねえ。
ここで玉の輿に乗って大富豪になるぐらいなら、おれは家業を継ぐことに迷いなんてなかったさ。
おれがこいつの家を継いだらどうなる?
人付き合いも増えるし屋敷の連中だって食わせていかにゃならん。
いろんなしがらみも日に日に増えていくだろう。
確かに金と名誉は手に入るだろう。
だが、ただそれだけだ。
それってさ……昔の自分に逆戻りってことじゃねえの?
そいつぁごカンベン。
あの日の自分に戻るぐらいなら、おれはそれ以外のすべての不遇を喜んで受け入れるぜ。
魔法使いには自力でなる。
おれはここで生まれ変わるんだ。
本当の意味でな。
「さあ、とっとと屋敷に帰るぞ! こんなところ誰かに見られたら周囲におれがロリコンだと勘違いされちまうわ!」
あ~~~~っ!
いいたいこと全部いって超スッキリしたぁ~~~~っ!!
自分に正直に生きる。
まさにこいつのいうとおりだわ。
今までのおれは命惜しさにてめえを見失ってたわ。
おれはもう一度死んだ身だっつうの。
今さら死を恐れてどないせいっちゅうねん。
女に恥をかかせたんだから報復のひとつやふたつあるかもしれんが知ったことか!
矢でも鉄砲持ってこい!
てめえらもタダじゃ済まさせねーぞ!
「もうしわけないが、転勤してもらえないか?」
翌朝、マリガンさんに呼びつけられるとさっそくこれだ。
「娘がしばらく君の顔を見たくないといってきてるのでな」
ああそうかい。
だったらどこへでも行ってやるよ。
もともとお嬢さまのためだけに買われてきたんだから当然の処分だ。
「私はオーネリアス大陸に鉱山を持っていてね。君にはそこで坑夫として働いてもらいたい」
坑夫か! いいね!
力仕事はおれの領分よ!
少なくとも無駄に気を使うマセガキの世話より万倍もマシだわ!
自分に正直になるとご褒美があるものなんだな!
「オーネリアスはイドグレスが近く魔族の侵攻も年々激化している。くれぐれも気をつけてな」
だから人手が足りなくて奴隷を強制的に送り込んでるんだろ?
おれが嫌だっつっても送るんだからただの社交辞令だわな。
危険なんて百も承知よ。
何でもいいからさっさと送りなって。
「船に乗ってまずはウルジアという村に向かってもらう。坑夫たちはそこを拠点としているからね」
だからさ、村の名前とかどうでもいいから……。
ん?
んん?
んんんん!?
ウ……ウルジアだってぇ!?
第二章完結
次章より波乱のオーネリアス大陸編が始まります




