追いすがる過去
案の定、田中はおれとの確執を公にすることはなかった。
それは予想どおり。
実は元いじめられっ子なんですなんてカミングアウトはできん。
だがここで予想を上回る事態が起きた。
田中の野郎、勇者の力が暴走してしまったということで、あろうことかおれに謝罪までしてきたのだ。
――……はぁ?
なんで謝るんだ?
先に手を出したのはおれだぞ?
そのことを盾に徹底抗戦すればいいだろうが!
失うものは何もないといったが、おれにはまだこの命がひとつある!
社会的に追いつめれば、このおれの命を奪うことだって可能なはずだ!
なぜやらない!?
なぜ戦わない!?
おれはきさまの敵足りえないとでもいうのか!!?
おれは、きさまに一矢報いれるなら、死んだって構わないという覚悟で……ッ!
……もうやめよう。
臆病者の田中はおれとの戦いから逃げた。
やっぱりあいつはゴミだった。
おれは勝った。
あいつは負け犬だ。
ただ、それだけの話。
逃げた相手に怒ってどうする。
今は、勝利を喜ぼうじゃないか。
「失礼します」
シノさんがノックもせずに入室してくる。
これっぽっちも失礼だとは思っていないな。
「どうしたんすか、こんな夜分に?」
「あなたと少しお話がしたくて」
ほう、珍しいこともあるもんだ。
もしかしておれに惚れちゃったかな?
んなわけねえか。
何の用だろうね。
どうせろくな話じゃないだろうが。
「先日、マリガンさまの許可を得て外出しましたよね?」
「ええ。街の空気が吸いたかったものでして」
「それは、まあいいです。問題はその後、なぜ勇者さまに会いにいったのかということです」
「たまたまですよ。外出中に勇者さまが泊まられてる宿があるという噂を聞きつけ、散歩ついでにあいさつをと思いまして」
実際は宿の位置を入念に調べてから休暇をとり、田中の野郎にケンカを売りにいったんだけどな。
「それで、問題を起こして帰ってきたと?」
「勇者さまの謝罪を聞いてないのですか? おれは被害者ですよ。ヒビの入った胸骨を治したのはあなた自身じゃないですか」
シノさんがおし黙る。
……が、おれの説明でまるで納得してないことは目を見りゃわかる。
「あなた、勇者さまに何か無礼を働いたのではないですか?」
はぁ~疑り深い女だねえ。
おれはあんたの前じゃ比較的いい子ちゃんで通しているはずなんだけどなあ。
「しませんよ。なんでおれが勇者さまの気分を害さなきゃならないんですか。理由がないっすよ理由が」
どうもこの女の言動は微妙におかしいんだよなあ。
事あるごとに勇者に無礼を働くなとかいってきやがる。
最初はただの嫌がらせかと思っていたが、どうにもそんな感じじゃねえんだよなあ。
つうかこいつの顔、どこかで見たことがあるような気がするんだよな。
いつか……どこかで…………。
「間違ってたら悪ぃんだけど。あんた、もしかしておれの高校時代の担任教師か?」
すでに記憶がそうとう曖昧なんだが、確かアイカワ・シノという名前だった……はず。
あのジャンボジェット機事故で、田中やおれ以外の人間が異世界に来ていてもおかしくはないが……正直自信がない。
「ようやく気づきましたか。私は出会った瞬間に気づきましたよ」
マジかぁ~~~~~っ!
髪型も違うしメイド服だし、わっかんねえよ普通。
つうかキャラが違うだろ。キャラが!
高校時代はもっとこう、地味で目立たない感じだったろうが!
でもまあ、これでこいつがおれを嫌っている理由がわかったな。
高校時代は我ながら自由奔放に振る舞っていたからそら嫌うわな。
「あ、もしかしてあんた、勇者タナカが田中太郎だってことにも気づいてる?」
「やっぱりあなたも気づいていたんですね!」
おっとこいつはヤブヘビだったか。
まあいっか、どうでもさ。
「つーかシノさんよく気づいたなあ。顔も体格もぜんっぜん違うのに」
「私は田中くんから直接聞きました。あなたもそうなんじゃないのですか?」
「おれは会った瞬間にわかりましたよ。勇者のくせに人前であんなにおどおどしてたら一発ですわ」
「あきれた直感ですね。でもこれで確信しました。先日の騒動はあなたが意図的にひき起こしたのですね」
「だからあれは事故ですよ事故。田中くんもそういってたでしょ? おれはちょいと親睦を深めようとしただけですよぉ」
「よくもまあ、ぬけぬけと……この件はマリガンさまに報告して厳しく処罰してもらいます!」
「確証もないのに罰するんですか? それが良識のある大人のやることですかねえ」
「あなたのような外道を成敗するのになりふり構っていられませんよ」
……つうか、こいつは何をそんなに怒っているんだ?
おれが田中にどうこうしようがこいつにゃ関係ねえだろうが。
こいつはおれと田中の勝負。部外者に口を挟んでもらいたくねえんだがなあ。
気になるな。
ちょっと聞いてみるか。
「教師として生徒を守るのは当然の義務です!」
いや、おれも生徒なんだけど。
つうか今は違うだろ。
その前にあんた、そんな熱血な性格してたっけ?
なんかいっつも暗い顔して、おれにヘコヘコしてた記憶しかねえんだけどさ。
「高校教師時代は、あなたの傍若無人を咎めることができませんでした。でも今は違います。私は、今度こそ田中くんを守ります!」
……。
……え?
ちょっといってる意味がわからない。
おれの理解力のなさのせいか?
もう少し、立ち入った話を聞いてみてもいいだろうか。
「つかぬことをお聞きしますが、なんで教師時代はおれの行動を見て見ぬフリをしてたのですか?」
「それは……しかたがなかったのです。あの高校で柾グループの御曹司に逆らうわけにはいきませんでしたから」
「どうして逆らったらダメだったんだ?」
「それをあなたが聞くのですか? 校長先生からもそう命じられていましたし、私も……職を失うわけにはいかなったので」
「だから見殺しにしたのか? 悪いと思いつつも田中を」
「…………」
はああああああああああああああああああああああああああああ!!?
なんだこいつぅ!
立場が弱いときはたとえ悪事を働こうがおれにヘコヘコしてて、そんでおれが失墜した今頃になって意気揚々と悪を成敗しに来たってかあ!?
なるほど、こいつが『偽善者』って奴か!
噂にゃ聞いてたが想像以上のクズだな。吐き気がするぜッ!!
きさまごときにおれと田中の間に入る資格はねぇっ!!!
「おれは今、愛玩奴隷として、リリスお嬢さまから虐待を受けているわけですが」
なぜ当時、聖職者として、おれを叱らなかった?
「仮に奴隷がおれじゃなかったとしたら、あなたは虐待を否定しましたか?」
いじめはいけないことだと説教し、おれをぶん殴らなかった?
おれの声を聞いてくれなかった!?
「リリスお嬢さまを叱りつけ、マリガンさんを糾弾することができましたか?」
そんな教師がいてくれたら!
「できないでしょ? しょせんあなたはその程度。ただの事なかれ主義の偽善者だ」
生徒のことを心から思ってくれる教師がいてくれたら!
「警告しときますよ。これ以上、その件には関わらないほうがいい」
おれは――おれも、もう少しは…………ッ!!!
「あなたが今後も平穏無事に暮らしていたいのならね」
……。
おれは……彼女に対して、何をそんなに怒っているんだ?
「おれがキレたら何をするかわからないことぐらい、あんたなら知ってるだろう?」
――止めて欲しかったのか?
自らの行為を、
自分以上の力を持つ、圧倒的な何かに――
「引き続き勉強を教えてくださいよ。命令どおりに。それがあんたの身のほどです」
シノさんはそれ以上何もいわずに部屋を出ていった。
その青ざめた顔を見れば、マリガンさんにチクる心配はあるまい。
自分に少しでも火の粉がかかる危険は避ける。
あれはその程度の矮小な存在だ。
無様なもんだ。はははははっ!
ははは…………は……。
「……ウォーレンが、なつかしいな」
鞭でひっぱたかれながら石を引き、イリーシャのケツをおっかけてりゃそれだけでよかった。
何も考えずに日々を生きていけた。
薄暗い独房にゃ何にもなかったけど、代わりに夢と希望があった。
何も知らないから、いくらでも夢想できた。
マイラルはおれに知識をくれたけど、代わりにろくでもないものまで一緒についてきた。
過去が、
捨てたはずの過去が、
死霊のようにおれを追ってくる。
……あの頃に、戻りたいな。
だが、どれだけ後悔しようと時計の針はもう戻らない。
過去も現在も、すべてを飲み込みただ進むしかないのだ。
――未来に向かって。
人は己の過去から逃れることはできない




