大人の責任
復旧作業も無事終わり、すっかり元通りになったレギンパレスの前で、おれはノーティラスとガッチリ握手を交わす。
「まさかあんたがイドグレスの代表になるとはなあ」
「わしは妥当じゃよ。まさかはそっちのほうじゃろ」
ノーティラスはおれを見てケラケラと笑う。
「よう見せてくれた。老い先短いこのわしに、人類の新たな未来を。あの日のおまえの言葉に嘘はなかった。感謝の言葉もないわ」
おいおい、笑ったと思いきや次は涙ぐむのかよ。
歳食うと涙もろくなるっつうのはホントなんだな。
やめろやめろ。おれは他人の涙が大嫌いなんだ。
「では親善大使どの、どうか中へ。すでに宴の準備ができておりますぞ」
「悪ぃ、それキャンセルできねえか? 今日中に自国に戻って陸軍との会議に参加しなきゃならねえから。イドグレスとの謁見だけで済ませてえ」
「そうか? それは残念じゃ」
ノーティラスは少し不安げな顔でおれを見る。
「おまえさん、ちょっとつかれとりゃせんか?」
つかれてる……か。
確かに、そうかもしれねえな。
「おれを誰だと思ってんだ。奴隷として世界中をたらい回しにされてた頃に比べりゃヒマすぎてあくびが出てくるわ」
「だったらええんじゃが……無理だけはするなよ。リョウはわしの、いや人類の希望じゃからのう」
ああ、わかってる。無理はしねえさ。
ただ今は、仕事に没頭してえ気分なんだよ。
イドグレスとの謁見を手早く済ませたおれは、すぐさまリグネイアにとんぼ返りして、陸軍との会議に参加した。
軍内における今のおれの肩書きは『空軍特別顧問』。
平たくいやぁ相談役だ。
おれみてえなガキが有効なアドバイスを出せるかといわれれば甚だ疑問だが、とりあえず色々と相談に乗ってやっている。
普段は直接会議に参加することはないんだが、今回は新設部隊について陸軍と全面的にやりあうことになっているから、直に乗り込むことにしたのだ。
ホムンクルス部隊の編成とか舐めとんのか。
やろうとしてることが赤川陽介とたいして変わんねえんだよ。
こいつはおれが直々に叩き潰す!
「だから何度もいうけどさぁ、平和になったこのご時世に部隊を増やすとかナンセンスだっていってんの」
「逆じゃ逆。平和になった今だからこそ色々試せるんじゃよ。今の平和だっていつまで続くかわからんからのぅ」
静寂なる森の庭園にておれとマジックさんは激しく口論する。
ちなみにこのやりとり、かれこれもう三度めね。
「だから周辺諸国にそう思われるのが嫌なの。国家間に要らん緊張感が生まれるから、今は軍縮の方向に舵を取るべきなの」
「おまえは平和ボケしてる時代の日本にいたからそんな風に考えるのかもしれんが、まだまだそんな段階じゃない。綺麗事だけじゃ国は回っていかんわい」
価値観の違いの問題じゃねえよボケ。
この強欲じじい、先の戦争での一人勝ちを好機として陸軍の勢力拡大を狙ってやがるな。
「別にいいじゃろ。おまえは国際連合の理事長の椅子が確約されとるんだから、わしらもちょっとぐらい美味しい思いをしたって」
「だからそういう問題じゃねえし、理事長としては尚さら許容できんわ」
「まあそう堅いことをいうな。おまえさんの発言力にわしらの戦力が加われば、次の世界の覇権はこのリグネイアだぞ。すべてはお国のためじゃ」
お国のためだぁ?
自国の繁栄だけを考えてりゃいい時代はもう終わったんだ!
これからは協調の時代! 覇権主義なんてもう古臭ぇんだよ!
「すでにリグネイア王の許可だってもらっている。これはもう決定事項じゃ。あきらめろい」
あの日和見じいさんは、何いったって頭を縦に振るだけじゃねえか。
今すぐおれがやめろっていったらたぶん取り下げてくれるぞ。
てめえとリグネイアは足して二で割ったぐらいでちょうどいいわ。
いい機会だからおれが叩き割ってやるよ。まっ二つにな。
「世界の平和を預かる者として、こんな非人道的な軍団の設立は絶対に許可できない。もちろん人工生命であるホムンクルスの製造もな」
「クソガキが、ちょっと見ないうちにすっかり偽善者になりおって。空軍なんぞわしらの敵じゃないというのを忘れてはおらんか?
だいたい会議だっつうのになんだその不敬な態度は! おまえには目上の人間に対する敬意が足りとらんぞ!」
確かに目上の者に対する敬意は大事だな。
じゃあ、今からおれたちよりはるかに目上の者が会議に参加するから、最大限の敬意をもって接してくれよ。
おれは首にかけていた竜牙の首飾りを会議室のテーブルにそっと置いた。
『リョウよ、何用だ?』
声の主はシグルスさんだ。
新しくもらった竜牙の首飾りには通信機能がついていて、こいつを使ってちょくちょく会話をしているのだ。
ちなみにシグルスさんは、今も考古学の旅を続けている。
失われた文明から人類にとって有益なものがあるんじゃないかってさ。
まあ、半分以上は道楽目的だろうけどな。
「例の件、ちょっと会議が難航しててね。おれだけじゃどうにもなりそうにねえ」
『なるほど、あいわかった。我も会議に参加しよう』
首飾りが光を放つと、シグルスさんの立体映像が浮き上がる。
へえ、こんな便利な機能もあったんだ。
『おまえがマジックか?』
映像のシグルスさんがマジックさんをにらみつける。
マジックさんは顔をまっ青にしながら首を何度も縦に振った。
蛇に睨まれたカエルとはまさにこのことだな。
『話はリョウからすでに聞いている。我はエルナの統率者として――いや、シグルス・レギン個人として、今からおまえに忠告する』
やれやれ、シグルスさんが出てきちゃうと会議もクソもねえんだよなあ。
これはもうただの脅しだわ。
でも、まっ……今回ばかりは、しゃーねえか。
再三にわたるおれの警告を聞かなかったこのじじいが悪い。
『ホムンクルスによる軍団設立など断じて許さん。もし強行するようであれば、我が全力をもってして貴様ら陸軍を滅ぼそう』
マジックさん、力こそがすべてでおれのやることが偽善だというのであれば、あんたの悪で果たしてこの難局を切り抜けられるかな?
まあ……無理だよね。
すでに泡食って倒れてるもんな。
「いやぁ痛か……いや、陸軍にとっては誠に痛ましい結果に終わって、部下としては非常に残念だよ」
会議を終えて席を立つと、マリィがすぐに声をかけてきた。
おまえ今、痛快っていおうとしたよな?
「シグルスさまのお耳に入ってしまった以上は、ホムンクルス計画が頓挫することは明白。今まで使った莫大な研究費もすべてパーだ。いやぁ残念だ残念だ」
ニヤニヤしながらいうなよ。
ホムンクルス製造技術で同僚に完璧に遅れをとって死ぬほど悔しいからって、他人の不幸を笑っていい理由にはならんぞ。
「もっとも私は錬金術師だから、これからは金の製造に専念するだけだがね」
「そういや完成したんだっけ? あんたの錬金術」
「ああ。造った金の価値以上の製造コストがかかる点に目をつぶればな」
クソの役にも立たねえ術だなおい。
「ま……コスト改善は今後の課題にするさ。
それにしても今回の会議には感服した。あのマジック指令に面と向かって意見できるのは、リグネイア広しといえどおまえぐらいのものだからな」
「おまえらもあんまりあのじじいを甘やかすなよ。調子に乗ってヤンチャしてるといつか手痛いしっぺ返しが来るぜ」
「肝に銘じよう」
おれはマリィに別れを告げると、用意された機走車に乗って空軍本部に戻った。
空軍司令ヴェルサーレにホムンクルス軍団設立計画を潰したことを報告すると、何かめっちゃ感謝された。
まあ、空軍としてはこれ以上陸軍の増長を許すわけにはいかんからな。
「さすがは英雄殿。今やあのマジックですらあなたの言葉には従わざるをえない」
いや、おれの言葉じゃねえから。
ちょっとシグルスさんにチクっただけだから。
あのひとに逆らえる奴なんてこの世に……。
おれ……やってること、日本にいたときと変わらなくね?
一瞬、パパやじっちゃんの権力をかさに着て肩で風を切って歩いていた頃の自分が、脳裏にフラッシュバックした。
い、いや、気のせい……だろ。
おれはあの頃とは違う。
親の権威に踊らされていた哀れな操り人形じゃねえ。
今おれの持っているモノは全部、自分の力で切り拓いてきたものじゃないか。
だいたい今回はしょうがねえだろ。
ホムンクスルなんて非人道的な人間兵器、容認するわけにゃいかねえんだからさ。
シグルスさんだってそう思ったからおれに協力してくれただけだ。
決しておれだけの意志じゃねえ。
おれのエゴで潰したわけじゃねえ。
じゃあ、おれのエゴは今、いったいどこにあるんだ?
「リョウさん! しっかりしてください!」
強く呼びかけられて、ハッと我に変える。
こ、ここはいったいどこだ……?
「いったいどうしたんですかリョウさん。お会いしたときからそうですが、どこか様子がおかしいですよ」
視界にはオネット。
右手には酒の入ったグラス。
……ああ、そうだ思い出した。
空軍を去ろうとした時に偶然オネットにあって、入隊祝いということで一緒に飲みにいったんだ。
おいおい、ちょっと飲んだだけでもう前後不覚かよ。
やっぱ酒に弱ええなおれ。
未成年は酒飲むなっていう日本政府の方針はやっぱ正しいんだな。
おれが理事長に就任したらまっ先に未成年の禁酒法を制定しようそうしよう。
「オネット、空軍入隊おめでとう。魔法が使えるから魔法騎兵隊なんていうのはもうナンセンス。これからの時代は空だ。魔法使いよりも飛空艇乗りに憧れる世界が来る。おまえはその時代の旗頭になってくれ」
「その話、これで何度めですか。お疲れのようですから、今晩はもうお帰りになられたほうがいいですよ」
いや、別に疲れてるわけじゃねえんだよ。
この程度で疲れるようなやわな鍛え方はしていねえ。
だから疲れているというより『憑かれている』といったほうが正しいかもしれんな。
「すまないオネット。本当にすまない。おれのせいで、あんたの親父さんが死んじまった。口ではああいったものの、本当にころすつもりはなかったんだ」
「その話も何度も聞きましたから! もう恨んでなんていませんから! そ、そろそろ帰りましょう! ね!」
ネオンに彩られた夜のリグネイア街をあてどなく彷徨う。
すっかり酔っぱらって夢見ごこちのいい気分だ。
これだから酒は手放せない。
しかし最近は酒を飲む機会がすげえ増えたよな。
半分以上は仕事だけどさ。
つきあいっつうのはそういうもんだからしかたねえ。
はぁ……なんだかなぁ。
昔は酒なんぞあおらなくても、未来に想いを馳せるだけでいつでもどこでも自分に酔えたんだけどなぁ。
しゃーねえか。
今のおれはその未来ってやつを具体的に創造っていく立場になったからなぁ。
大人には責任ってもんがあるのさあ。
大人? 責任?
おれはもう、そんなご大層な身分になったのか?
なんで? いつの間に?
ちょっと前までおれは子供だったはずだろ。
ガキらしく馬鹿な発想で馬鹿ばっかりやってたはずだ。
あまりに無茶やるもんだから周囲からも呆れられてたはずだ。
みんなから慕われ頼られ、朝から晩まで仕事仕事仕事仕事。
こんな立派な大人にいつの間になった?
いやいや、そんなはずがない。
おれは今でも浅慮で無謀なクソガキだ。
盗んだ機装車でいつでも走り出せるぜ。
ドン。
今――肩に何かが当たったな。
横目で確認すると、黒服を着た大男たちがこちらを見下ろしているじゃねえか。
――ヤクザか。
ちょうどいい。ひさしぶりにガキらしくヤンチャがしたかったところだ。
いいぜ、かかって来いよ。空手界の貴公子の実力見せてくれる。
てめえらだけじゃ足りねえ。事務所の連中全員連れてきな。
刃物でも銃器でも何でも持ってきてもいいぜ。
命がけじゃねえとこっちも燃えねえからな。
「リョウさま、そろそろ帰りましょう」
……ん?
ああ、違ったわ。
こいつらカルヴァン家に雇われた護衛だったわ。
お仕事ご苦労さん。
顔も名前も覚えてねえけどな。
「うるせえ。どこをほっつき歩こうとおれの勝手だろうが」
「そういうわけにはいきません。あなたの体はもう、あなた一人のものではないのですから」
「……」
そうだな。
今やおれはリグネイアのVIP中のVIPだ。
もうおれ独りの体じゃねえよな。
なんでだ!?
おれの体はおれだけのモノなんじゃねえの?
じゃあ、いったい誰の体なんだよ?
――『世界』か!?
おれの体は世界のものか?
田中のいうとおり、おれは世界の奴隷なのか!?
「……そうだな。おまえのいうとおりだ。
わがままいって悪かった。そろそろ帰るわ」
いや、たとえそうだったとしても……おれは立ち止まるわけにはいかねえんだ。
ヴァンダルさんが、ノーティラスが、みんなが望んだ未来をおれの手で作る。
そのためならおれのすべてを全部くれてやる。
それがおれなりのけじめ。おれの贖罪だ。
「そろそろ理解できてきた頃合いかな?」
一陣の夜風が吹いた。
商店街の大通りのまっただ中に、白衣をはためかせた男が立っていた。
痩躯だが壮麗なる男が、自信に満ち満ちた尊大な態度で、このおれを蔑みの眼で見下ろしていた。
「おまえは何も変わってはいないという残酷な現実に」
田中の次はてめえかよ――――赤川陽介ぇッ!!!
今なお亡霊がつきまとう