敗北
「ああ、もちろん君は『みんな』の中に含まれていないから安心してくれ。
君こそがこのエルメドラでもっとも進歩した人類。同志と呼ぶにふさわしい僕の理解者だ。僕と共にこの世を統べようではないか」
「え~……ぜったい敵になるから、ここで殺っておいたほうがいいですヨォ。この狂犬は人の話なんかまるで聞きゃしないんですかラ」
陽介とデンゼルのくだらん会話を聞き流しながら、おれはこの窮地を切り抜ける方法を考える。
陽介はただの立体映像だからどうでもいいとして問題はデンゼルか。
正直、おれの今の実力では勝てるかどうか怪しい相手だ。
それを承知でなお真正面から戦うか?
それとも隙を見てイドグレスのコントロールを奪い返すことに専念すべきか?
どちらかといえば後者のほうが勝算があるかな。
仮にここでおれが殺られようともイドグレスさえ復帰すればおれたちの勝ちだ。
「勝算を気にするなんて君らしくもない」
陽介がまるでおれの心を見透かしたようにいう。
「君が我々と敵対する気ならそれもまたよし。怒りが、憎しみが、反骨心が、人の進歩をより加速させる。君にはまだ先へと進む余地がある」
……そうだな。
それがホントに人類の進歩の鍵だとしたら、おれより進歩してる奴なんてそうそういないだろうな。
怒って。
怒って。
怒って。
怒って。
怒って。
怒り続けてきた。
昔も、そして今もだ。
赤川陽介……あんたが初めてだぜ。
おれが、おれ以上にムカつくって思えた人間はなぁッ!
「勝算? んなもんまるで気にしてねえよ」
おれはあえて心にもないことを口にした。
こいつ相手に動揺は決して見せない。
「だってこの勝負、すでにおれたちが勝ってるようなもんだからな」
「ほう、できればその理由を聞かせてもらえないかな?」
おれは立体映像を指さして叫ぶように告げる。
「シグルス・レギンがいるかぎり、人類に敗北はありえねえからだッ!!」
そうだ。たとえおれが破れようとも、連合軍が破れようとも、シグルスさんがいるかぎりおれたちは負けない。
きっとシグルスさんがおれたちの仇を討ってくれる。
シグルスさんがエルメドラの未来を作ってくれる。
だからおれたちは何の心配も必要もせずに思いっきり戦えるんだ。
「……よく聞こえなかった。今、なんていったのかな?」
「だからシグルスさんがてめえらをぶっ潰すっていってんの! てめえらはもうおしまいだってことだ!」
おれが怒鳴ると陽介はデンゼルと顔を見合わせ、なぜかケタケタと笑い出した。
ひとしきり笑い終えた後、陽介は話を続ける。
「んん~~~っ! 君の優秀さは認めてるんだけどさぁ。ちょっとばっかし、シグルスのことを買いかぶりすぎてるんじゃないかなぁ」
「事実を告げてるだけだ。てめえらじゃシグルスさんにゃ勝てねえよ」
「そもそも、どうしてアレが我らと敵対すると考えているんだい? アレは私が造った作品のひとつだよ?」
「シグルスさんはおれの考えに同調してくれた! てめえらなんかにゃたとえ死んでも従わねえよ!」
「そこだよ。それこそが君がアレを買い被っている証拠だ」
ど……どういう意味だ?
……。
ま、まさかと思うが……。
「まさか君は、アレに自由意志なんてモノがあるとでも思っているのかい?」
馬鹿なッ! あれだけ自由気ままに世界を渡り歩いていたシグルスさんに、己の意志がないわけがねえだろっ!!
「もちろん、ある程度の自由は与えているよ? ろくにモノも考えぬロボットなんかじゃ人類に真の驚異なんて与えられない。アレにも進歩がなくては困るからね」
「てめえがシグルスさんの手綱を握ってるとでもいうのかよッ!」
ありえねえ話だぜ!
このホラ吹き野郎が!
「君の勘は鋭い。すぐにシグルスが僕の最高傑作であると気づいて心酔した。そして錯覚した、彼を世界の絶対者であると。それ故に気づかなかったのだ。彼の苦悩に。心の叫びに」
――アレもまた、迷える子羊のひとりにすぎなかったのだよ。
陽介は心底小馬鹿するような口調でいった。
「その事実を今ここで、白日の下に晒そう!」
その時、眠っていたはずのシグルスさんが、突然むくりと立ち上がった。
ぐるおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。
突然の咆哮。
大気が揺らぎ、大地が割れる。
その光景は、まるで世界の終焉を予期させた。
そしておれは気づいた。
シグルスさんの美しい白銀の鱗が、徐々に漆黒に染りつつある事実に。
「『魔王因子』――と名付けた。生まれた時よりアレの体内に注入してある。発現すると被験者は人類に対する“怒り”と“憎しみ”を爆発的に増大させる」
そして滅ぼさずにはいられなくなるのだ――陽介は楽しげに告げた。
「今までずっと発現を抑えていたけど、これだけ激しい戦闘を行ったらもうダメさ。自らの内の破壊衝動を抑えられない」
「……イドグレスが投影していた黒竜の立体映像は、シグルスさんの完成図だったってことか」
「その通り、やはり君は賢いな。だがこの『勝負』は僕の勝ちだ」
おれたちが会話を続けている間にも、シグルスさんの体はどんどん悪意の黒に浸食されていく。
がんばれシグルスさん。
負けるなシグルスさん。
そんな奴の思い通りになるな。
だがそんなおれの想いも虚しく、シグスルさんの全身は完全なる闇の黒へと染まっていった。
「真の <魔王> の誕生だ! 今までのようなままごととはわけが違う、本物の恐怖をこの世界に振りまくな!」
陽介の高笑いが魔王の間に響きわたる。
おれは何もできず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「実をいうとね、君にも勝機はあったんだ。
もし君がシグルスと真摯に向き合っていたら、
もし君がシグルスの中にある心の闇に気づいていたら、
シグルスと苦楽を分かち合う親友になっていたとしたら、
アレは人との絆を信じ、僕の魔王因子にうち勝っていたかもしれない。
僕は君に敗北していたかもしれない」
すべては、必然だった。
すべては、自らの中に眠る憎しみの因子を発現させないためだったのだ。
だから三百年もの間レギンパレスに引き篭もっていた。
極力戦いを避けるため、ロイヤルズを生みだし護衛を任せた。
遺跡探索も、自らの破壊衝動を誤魔化すため。
あるいは過去を紐解くことで、自らの病を治療する方法を探していたのかもしれない。
「でも君はそうしなかった。いやできなかった。
出会った瞬間からシグルス――否、僕に屈服していたから。
天才である僕の造った製造物には決してかなわないと心底から認めていたのだ。
対等の関係など築けるはずもない。
では、すべてを理解したところでもう一度、君に告げよう」
おれが一緒に神々と戦おうと説得したときシグルスさんは断った。
あの時おれは正直、薄情だなと思った。
神さまみてえな存在だからおれたちのことなんかどうでもいいんだなって思った。
でも違ったんだ。
戦わなかったんじゃない。
戦えなかったんだ。
おれは何も知らなかった。
おれは何もできなかった。
すべてはこいつの手のひらの上だった。
「僕の勝ちだ」
おれの――――敗けだ。
すべてが格上!




