人の可能性
ロンデリオンの場末の酒場で、おれはひさしぶりにノーティラスと一杯やっていた。
「よぉーやく解放されたわい。あのクソじじいめ、リョウのおかげで勝てたクセにいい気になりおってからに!」
バーカウンターで大好きなバッカス酒をあおりながらノーティラスがぼやく。
「マジックさんはただ、あんたに会いたかっただけなんだ。すっげえ喧嘩腰だったのはアレだけど勘弁してやってくれねえかな」
歳を食って死期が近づいてくるとノスタルジーな気持ちが湧いてくるとマジックさんは常々口にしていた。
かつての強敵だったあんたとまた会いたいって思う気持ちは理解できる。
そんな理由で全軍駆り出して人探しをさせたのはどうかと思わんでもないが、それなりに有益な情報も得られたしまあいいだろう。
おれも、あんたにはまた会いたかったことだしな。
「リグネイア軍は、本気で首都に突入する気なのか?」
「さあね。ただマジックさんが賢明な指揮官ならまずやらんだろうな」
難敵の待ち構える城塞を落とすなら兵糧責めがセオリーだから、たぶんそうするんじゃねえかな。
もっともイドグレス及びロイヤルズに通用するかは甚だ疑問ではあるがね。
「おれとしては首都を囲んでプレッシャーをかけ続けてくれればそれだけでいい」
「おい、まさか独りで首都に忍び込むつもりか?」
「うははっ、さすがにそこまで剛胆にゃなれねえよ。だから今、一緒に忍び込んでくれる仲間を探している最中だ」
「そんな地獄への片道切符を買う阿呆どもがいるわけないじゃろ」
それがいるんだよ。
おれを救出するためにイドグレスに乗り込んできたとびきりの阿呆どもがな。
もっとも、その時おれはリグネイアにいたんだけどなっ!
「主神ゴルドバの最高傑作。シグルスさんに対抗するために生み出された勇者が今、ここイドグレスにいる。そいつを利用しておれは魔王のもとにたどり着く」
「おまえさんが世界を変えるといったときは冗談半分だと思っておったが、まさかマジで実現寸前のところまでこぎ着けるとはなぁ」
わしのような凡人の理解の範疇を越えとるとノーティラスが肩をすくめる。
元ロイヤルズが凡人はねえだろうがよ。
それをいったら何の強化もされてねえおれのほうがよっぽど凡人よ。
要するに、世界を変えるのに特別な力なんていらねえってことさ。
誰だって世界を変えうる力を持つ。
今回はたまたまそれがおれだったってだけの話さ。
「……リョウは、イドグレスさまを倒す気でいるのか?」
ノーティラスがやけにシリアスな顔でそんなことを聞いてきた。
「そんなことを考えた時期もあったが、今はその気はねえよ」
だいたい倒したところですぐまた甦るんだから意味ねえわ。
魔王イドグレスも五王のひとり、倒すのではなくわかりあう道を模索すべきだったんだ。
「それを聞いて安心した。これでもいちおう元ロイヤルズなんでな」
頼んだ酒を飲みきると、勘定を置いたノーティラスが立ち上がる。
「おれが大陸に攻め込んだことを、責めないんだな」
「もともと人間とはケンカしてたんじゃから今さらの話よのう」
おまえさんを大陸に連れ込んだのはエルナ側だから自業自得でもあるとノーティラスは笑った。
「その酒はわしの奢りじゃ。司令官のクセにあまり金を持ってないんじゃろ?」
「結構だ。酒代ぐらいは払える」
「いいから奢られておけ。墓前に供えるよりは有意義じゃろうしな」
おいおい、おれが負けてくたばること前提かよ。
「あんたさっき、おれの夢が実現寸前だっていってくれたよな?」
「そうじゃな。正直ここまで来るとは思わなんだ。だからその酒は褒美じゃよ」
おれはノーティラスの腕を掴んで引き戻すと、テーブルに置いた勘定を懐にねじ込む。
「余計な気遣いだ。おれは絶対に生きて帰る」
「無理じゃよ。リョウが自分に絶対の自信を持っているように、わしもロイヤルズに絶対の自信を持っておる。おまえさんは十中八九ここでくたばるわい」
「残りの二つは何だよ」
「一つは首都侵攻をあきらめる道。もう一つはロイヤルズを回避して魔王の下に辿りつく道じゃ。もっとも後者は不可能に近いがね」
今までの勇者たちが魔王暗殺に成功していたのは、ロイヤルズがいなかったからだとノーティラスが断言する。
本当にすげえ自信を持っているんだな。
あのアーデルを見てりゃその自信もわかるけど……そいつはちょいとばっかし師の贔屓目だぜ。
「じゃから、わしは前者を強くおすすめするぞ。おまえさんは充分がんばった。はいおつかれさん」
「何か上から目線で偉そうなこといってるけど、あんたマジックさんに突破されてるじゃん」
「あ、それ本人の前でいっちゃう? わし如きとアーデルたちを一緒にするなよぅ」
「それはこっちの台詞だ。神徒たちが長い月日を経て進歩しているように、人間たちだって進歩している」
「……」
「だからさ、もっと信じてみろよ。人が持つ可能性ってやつをよ」
ノーティラスは少し間おし黙ると、ふたたび出そうとした勘定を引っ込めた。
「確かに、おまえさんのほうがショーイチの万倍手強そうじゃわい」
――もしかしたらアーデルも少々手を焼くかもしれん。
そういってケラケラと笑いながら、ノーティラスは酒場を出ていった。
「サンキューノーティラス」
あんたにゃ色々と借りっぱなしだからな、これ以上借りるわけにゃいかねえさ。
いつか利子をつけて返してやるからな。
「リョウさん、探し人が見つかりましたよぉ」
田中の捜索に当てていたエクレアが朗報を持ってやってきたのは、ちょうどおれがカウンターで頭を抱えていたところだった。
しまった、手持ちぜんぜん足りてねぇ……。
うっかりノーティラスの分の勘定まで返しちまった。
マリガンさんから借りたカネは旅費でほとんど溶けちまったもんなあ。
シグルスさんを遺跡からどかした時の報酬もまだ町側と交渉中だし……どうすっべ?
後でノーティラスに請求するか?
いや、今さらそんなダサい真似は断じてできん。
「何かあったんですか?」
「……悪いけど金貸してくんない?」
はぁ……この戦いが終わったら借金生活かあ。
戦争にはカネがかかるって本当だったんだなあ。
ひとりひとりはか弱くともその可能性は無限大




