ギルバート
かつての栄光も今や昔。
夜中のウォースバイトは泥沼の如き闇に包まれていた。
この時間帯でも、かつては町中に魔灯が煌々と灯ってたんだがな。
今じゃ娼婦すら出歩いてねえ。
もっとも、こうも夜間外出に関しての締め付けが厳しいと商売にならねえから、しかたのない話ではあるのだがね。
――いったい、何を恐れているんだウォースバイトよ。
無意味な恐れは、真の恐怖を呼び込む元凶となる。
現にこの闇の王は、暗闇に乗じて貴様らの首筋に牙を立てようとしているのだから。
艶消しした黒の外套に身を包んだおれは、見回りの兵に見つからないよう建物の屋根を伝って城を目指していた。
「はい到着……と」
二度目のお目見えとなるウォースバイト城は、目が眩むほどまばゆい光を放っていた。
まるで町中の灯をすべて食らったかのように。
現在のウォースバイト城は二十四時間警備体勢。
深夜帯に忍び込むのは無駄。
いや、無駄どころか完全な悪手だ。
深夜帯は、あのギルバートの担当時間だからな。
唐突にギルバートなんて固有名詞を出してもわかんねえと思うから説明するけど、単刀直入にいえばこの国で一番強い魔法使いだ。
ギルバート・レヒト・サンダルフォン。
42歳。男性。既婚。愛称はギル。
彫りの深い顔だちと威厳に溢れる髭が印象的なウォーレン親衛隊の隊長だ。
得意な魔法は雷魔法。
特に最上級雷魔法である『デルタトゥール』の威力は凄まじく、あのスナザメすら一撃で屠る威力を誇っている。
そう――――かつて右も左もわからず砂漠をさまよっていたこのおれを捕らえて、奴隷にした張本人だ。
この男と接触するのは極力避けたい。
まともにやりあったら100%負けるということもあるが、おれはギルバートに恩義に近いモノを感じているからだ。
何しろこいつがいなかったら、砂漠で干からびて死んでいた可能性が高いからな。
要はこいつの担当時間中におれが忍び込んだら、こいつの責任問題になっちまうからやめとこうって話だ。
ギルバートは二子の父親。家のローンだってまだ残っている。
こんなくだらんことで国王から責められるのはちょっとかわいそうだ。
万が一これが理由で降格させられようものなら、自分より弱い奴に従わなくちゃならなくなるし、そんなみじめなギルバートの姿はおれも見たくない。
よっておれは日はすっかり暮れているが、深夜というには少々早い微妙な時間帯をセレクトしたわけだ。
さてと……時間が惜しい。
ギルバートの担当時間が来る前に、ちゃっちゃと忍び込むとしますかね。
ウォースバイト城は四方を高い城壁で囲んだシンプルな作りの王城だ。
一見堅そうに思えるが、おれからいわせればシスター寮とさして変わらない。
入口は正門ただひとつ。
常に門番がついて見張っている。
ここから侵入するのは不可能だ。
もっとも、正門から堂々と入城するバカな盗賊なんているわけねえけどな。
すでに警備の薄い箇所はリサーチ済み。
正門のある城正面ばっかり気を使っていて他の箇所がガバガバだ。
おれは城の左手から投げ縄を用いて城壁を素早く登った。
この城、魔法対策は万全なんだけど、こういった原始的な侵入手段には弱いのだ。
自慢の腕力で城壁を華麗に登り切ったおれは、あらかじめ用意しておいた衛兵の服に急いで着替える。
最初に着ていたスーツは迷彩用の外套と一緒に城外の木陰に放り投げた。
名もなきウォーレン兵、一丁あがり……っと。
「こちら異常ありません」
おれは城壁を歩いていた衛兵に堂々と嘘の報告をする。
「そうか」
力なくつぶやくと、衛兵は何ひとつ疑うことなくおれの横を通過していった。
ん~、ちょろいちょろい。
愛国心も使命感もなく、ただ仕事として見張っているだけの兵は実にちょろいなぁ。
いや、ここは相手を馬鹿にするよりお頭たちを褒めたほうがいいな。
城の見取り図はもちろんのこと、ギルバートを筆頭とした危険人物の個人情報や、突然の徴兵により無理やり兵士として働かされているせいで全体の士気が低下しているという内情に至るまで、洗いざらい調べ尽くしてくれたわけだからな。
ちなみに今、おれが着ている衛兵の服もお頭たち盗賊団が手配してくれたものだ。
いたれり尽くせりとはまさにこのこと。
さすがは一流の盗賊団。100万ルピ分の仕事をキッチリこなしてくれたわ。
団名があればそれで呼ぶんだが、たかだか盗賊風情が大仰な名を冠するなんておこがましいっつうお頭の考えには賛同できるから文句はいわない。
ここまでは予定通り。
では、大手を振って城内に侵入するとしますかね。
……とはいえ、さすがに王の寝室に近づくのには慎重にならねえとな。
城内で行き交う衛兵たちにあいさつしながら、おれは寝室に忍び込むための算段を考えていた。
何しろ王の身辺警護は王直属の親衛隊の仕事だからな。
こいつらはさすがに徴兵された一般兵のようにはいかねえ。
ちぃっとばかし戦闘行為も発生するかもしれねえが、ギルバートもいねえしまあ、どうにか……にか…………んん?
今、おれの目の前で兵士と談話しているターバンを被った男――――ちょっとギルバートに似てないか?
いや、気のせいか。
ギルバートの担当時間は三時間以上先の話。
お頭の情報に間違いはないはず。
「サンダルフォン隊長。どうしてこんな時間におられるのですか?」
ほっ、本人だぁぁぁ――――――――ッ!!!
ななな、なんでこんな時間にいるんだよっ!
情報と違うじゃねえかッ!!
「ああ、ロックの代理だよ。あいつの妻が産気づいたらしくてな。一緒にいてやったほうがいいだろ」
ゲェェェ――――ッ! 超いい奴――――ッ!
こいつが部下には優しい男だって情報をすっかり忘れとったわ!
何しろ脱獄したヴァンダルさんを容赦なくぶっころした時の印象が強くてなあ……って今さら後悔してる場合かい。
うへぇ……まずいな、予定が狂っちまったよ。
あんたがいるんじゃてっとり早い強行突破は無理じゃん。
仮にどうにか突破できてもあんたの責任問題になっちまう。
やれやれ、なんかいい解決案を考えねえとなぁ。
「おい、そこのおまえ。見ない顔だな」
げっ! ギルバートに声をかけられたっ!
まずいまずい。実にまずいぞ。
あいつはおれの顔を覚えているかもしれん。
いや覚えてなくてもここの兵じゃないってバレたらおしまいだ。
だ、大丈夫。
大丈夫だ。
おれがあいつにとっ捕まってからどんだけ経っていると思ってるんだ。
今、この城にどんだけ新兵がいると思ってるんだ。
バレるわけねえ。
バレるはずがねえ。
大丈夫。
ぜったいに大丈夫だッ! たぶん!
――ズンズンズン。
げげっ、どんどん近づいてくる……ッ!
ギルバートはもう目と鼻の先だ。
もし正体がバレたら、おれはこいつと戦うのか?
戦ったとして勝てるのか?
この怪物魔法使いを相手にして?
いや、さすがに無理だろ。
いくら修行を積んだとはいえちょっと夢見すぎだわ。
ギルバートの節くれだった手が、おれの肩にかかった。
畜生、やるしかねぇ……ッ!
不意打ちで気絶させりゃ魔法もクソもねぇぇ――だろうがよぉぉぉ――――ッ!!!
「突然の徴兵でさぞ混乱していると思うが、もうしばらくの辛抱だ。ウォーレン王の病が治れば、すぐに元のウォースバイトに戻るさ」
ギルバートはおれの肩を叩きながら、笑顔でおれを励ましてくれた。
どうやらおれのことを少年兵だと思っているらしい。
……まっ。そりゃそうだよな。
今の国情でおれの素性がバレるわけねえよな。
顔だって覚えているわけがねえ。
わかってる。
もちろんわかってたさ。
でも、ちょっとだけビビッちゃったよ。
ちょっとだけな……。
おれが冷や汗を流しながら愛想笑いを浮かべていると、親衛隊のひとりがギルバートのもとに大慌てでやってきた。
「大変です隊長! スラム街で市民たちが暴動が起こしました!」
お頭……市民を扇動して国軍の気を引くとかいってたけど、マジでやったのか。
いいねえ。実に素晴らしいアフターサービスだ。
こりゃ借りを返したつもりが、逆に作っちまったかな?
「わかった。すぐに鎮圧に向かう」
ギルバートは『兵は神速を尊ぶ』の格言通り、親衛隊を引き連れてさながら疾風のようにその場を去っていった。
ああ、知ってたよ。
あんたはめちゃんこ強くて頼りがいがあるもんだから、王直属の親衛隊であるにも関わらず、事あるごとに外仕事に駆り出されるってことをな。
良くいえば面倒見がいいが、悪くいえば役割分担が出来てねえ。
もっともそれはあんたの責任じゃねえんだけどな。
まあ、暴徒鎮圧のために外出中なら、あんたまで責任は行かねえだろ――たぶん。
だったら、ちゃっちゃと仕事を終わらせてさっさと退散するとしますかね。
ウォーレン最強の魔法使い




