46 労せずして勝つ
これぞ、セルロトの考えた作戦だった。
とんでもなく広い荒野が両国の間には広がっているのだ。
そして、この地理に詳しい者はほとんど敵にいない。すでに商人の多くは獣人王国側が買収したりもしていた。
敵軍は正しい地理情報がわからないまま、いわば大海原に乗り出したのだ。
それだけ敵にも余裕がなかったとも言える。もっともっと慎重に準備をしていれば、地理を把握してから来ることもできただろう。あるいは兎人族ぐらい簡単に倒せるという慢心もあったのかもしれない。
たしかに兎人族は戦争が強い民族ではないし、軍隊の数も移住したばかりで全然整ってない。
けれども、真の敵は兎人族ではなく、それまでに待ち構えている自然だ。
「さてと、そろそろ攻撃の第二弾と行きましょうか」
セルロトは敵を殲滅する時でも平常心だ。
戦争とは冷静なほうが勝つとよく言われるが、この場合冷酷なほうが勝つと言ったほうがいいかもしれない。
「どうせなら夜がいいですねえ。そのほうが混乱を誘えますからね」
セルロトがこういうからには、最大の嫌がらせが行われるようにやるだろう。
その日の夜、ラフィエット王国の軍隊は野営をしていた。野営というより、もう動く体力がないと言ったほうが正しいかもしれない。食糧もじわじわと減ってきていて、かなり焦っているだろう。
逃げたくても逃げる場所がない兵士が多数いる。そういう連中も食糧はきっちり食べるから、どんどん飢えていく。
夜も静まった頃、砂吹雪が容赦なく彼らに吹きつけた。
「なんだ!」「砂が襲ってくる!」「敵か!?」「落ち着け! 落ち着けっ!」
それはちょっとした激しい風という域を超えている。その風に吹き飛ばされる者までが出てきた。間違いなく異常な事態と言っていいだろう。
やっているのは、もちろんながらセルロトだ。
「わたくしもかなり信仰されましたからね。これぐらいの威力なら難なく出せますよ」
「相当、えげつないことやるね。泣き叫んでる人間までいるよ」
「怖がっていただけないと意味がないですからね」
夜ということもあって、軍隊の統制はまったくとれなくなった。
ついには、食糧を運ぶ輜重部隊が荷馬車を動かして脱走した。このままでは死ぬと思ったのだろう。食糧を持ったままなら、数人ならどこかの集落にまではたどりつけると考えたわけだ。
その分、軍隊全体の食糧は減る。
朝になって、大きくばらばらになった兵士たちが戻ってみると、食糧が減っているのが明らかになる。
もはや、軍隊としての機能は失われていると言っていい。砂嵐の攻撃が心をすっかり萎えさせた。食糧の本格的な危機も出てきて、彼らは生きた心地もしないはずだ。
「伯爵、もはやサーティエに攻めるのは難しそうです。ここは撤退したほうがいいかと……。まずは全軍に戻る旨をお伝えください……」
副将も戦闘は無理だと判断したようだ。ここまで意気が上がらないのでは、大半の兵士は烏合の衆もいいところだ。下手をすると、数が多いだけ、士気が上がるのに時間がかかり、邪魔にすらなる。
「戻るといっても、どちらに戻ればいいかもわからないではないか……。おそらく、敵の斥候が動いたりして、道を付け替えたりしておるのだ……。しかし、そいつらを見つけることすらこのままではかなわん……。どうすることもできんのだ……」
彼らはついに道を無視して南であるはずの方向に歩いていった。その日はかろうじて太陽が見えていた。
大きくずれない限り、何もない荒野を行けば、いつかはラフィエット王国にたどりつける。
「この調子なら、無傷で戦争も終わりそうだね。セルロトのおかげだよ」
「いいえ、まだまだダメです。これでは軍隊に決定的な打撃を与えたわけでもなんでもないじゃないですか。また軍を整えて、攻めてきますよ」
セルロトは向かい風になる方角から再び、風を送りつけた。
彼らはまったく前に進めなくなる。しょうがなく、その場で風が収まるまで待つしかなくなる。
しかし風はなかなか止まらず、彼らもそこで立ち尽くすことになる。
この足止めが大事だった。彼らにはまだ帰ってもらっては困るのだ。
強かった風もやがてはやむ。彼らは歩き出そうとする。
しかし、もう遅い。次の手はちゃんと打たせてもらっている。
彼らが風で動けなくなっている間に獣人王国の正規兵は攻める準備を進めていたのだ。
ちょうど彼らの南側から。
風で進めない間にしっかりと正規兵はまわりこんでいた。
「我こそはニューカトラ獣人王国の将軍、ツヌーツである! ラフィエットの蛮人どもを叩きつぶすために来た! 我が国を荒らそうとする罰、その命であがなってもらう!」
獣人王国史上初の本格的な軍事行動がついに行われる。将軍ツヌーツは猫人族の軍人である。経験はないが、やる気だけはある。今は獣人王国の士気も高いから、何も問題ない。
疲労困憊のラフィエット王国軍に突撃する。
「こちらにはセルロト神の加護があった! あの風はセルロト神が敵を逃がすまいとして作られたものである! このまま決着をつけるぞ! 必ずや敵の大将の首を捧げるのだ!」
獣人王国の軍隊が攻めにかかる。
私はその様子を見つめながら、できるだけ犠牲が少なく終わるようにと思っていた。
犠牲と言っても、獣人王国側の犠牲だけだが。
これでラフィエット王国側が壊滅的被害を出さないと、戦争は完全には終わらない。
悪いが犠牲になってくれ。
それは戦争と言うべきようなものではなかった。
ラフィエット王国側はすでに戦争ができるほどの体力など持っていない。
彼らはなす術なく、殺されていった。目的地にたどりつくこともままならないまま、ぐるぐると荒野を彷徨っていたのだ。逃げ惑うのが関の山だし、どっちに逃げるというのか。
体力的に弱っていた彼らは次々に討ち取られていき、そう時間をおかずに戦争は終わった。