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亡霊

 ここではない、どこか遠い国の物語。


 あるところに、とても自然豊かでのどかな田舎町がありました。

 僻地ゆえ人々の往来の乏しく、便利さや華々しさとはまったく無縁の小さな町です。

 しかし、長い時間をかけて築き上げられた町並みは一切の無駄なく整理され、古の時代を連想させる独特の造りも相まって、それはそれは美しい景観を形作っておりました。


 人々の暮らしはおおよそ裕福なものではありません。

 互いに協力し、支え合うのが常のことです。

 それでも勤勉で素朴を良しとする彼らは、どんなときでも不満をこぼすことなく、笑顔で毎日を生きていました。

 雄大な自然と美しい町並み、そしてそこに暮らす人々の溌剌さ。

 それこそがこの町の誇る宝物だったのです。



 さて、そんなある日のこと。

 町にひとりの旅行者がやってきました。

 人々の気質もさることながら、もともと来訪者の少ない町でしたので、誰もがその旅行者に礼を尽くし、親切にしました。

 旅行者はこの町をたいそう気に入った様子で、岐路に着く間際、町長に向かって名残惜しそうにこう言いました。


「これほどまでに美しい町があることを国の人々が知らぬは、非常に口惜しく残念なことだ。故郷にいる友人たちに、この町の素晴らしさを伝えよう」




***




 それは季節が一巡りしたころ。

 小さな町に、大きな異変が起きました。

 町内のどこかしこもが華やかな活気と喧騒に満ち満ちて、たいそう賑やいでいます。

 人々は通りという通りで肩を組み、酒を酌み交わしながら歌い、踊り、笑いあっていました。


 楽しそうな群集の中には懐かしい顔が。

 そう、あの旅行者です。

 彼は約束どおり国に帰ってこの町の素晴らしさを伝聞してまわり、そしてこの日、多くの仲間を伴って再びやってきたのでした。

 はじめはただただ戸惑っていた町の人々も、旅行者たちの陽気さに次第に飲み込まれ……。

 町中あげての宴の日々が幕を上げたのです。



 それからも町の活気は絶えることなく続いていきました。

 すでに旅行者が自ずと仲間を集めなくても、町を訪れた人々が勝手に宣伝してくれるおかげで、来訪者はとどまることがないのです。

 町はかつての静けさに沈むくことはなく、されど美しい景観はそのままに。


 こうして、いつしか国中にその町の名前を知らない人はいないまでになったのでした。




***




 町の名が知れ渡るに伴って、これまでなかった……というよりも、聞こえていなかった声が聞こえるようになりました。

 町に対する不満です。

 有名税とでもいうのでしょうか。

 中には妬みからか、嘘八百の悪評を並べ立てたものも混じるようになっていました。


 しかし、それでも町長をはじめ、昔から町に住んでいた人々はことさら気にはとめません。

 彼らにとっては町が有名になることも、それによって妬まれることも、等しくただの変化でしかなかったからです。

 確かに、来訪者たち快くを受け入れたあの時から、町はすでに“かつての町”ではなくなっていたのですから、何を今更というところでしょう。

 何より、彼らにとって生まれ育ったこの町は人生そのものであり、たとえそれが外からのどのような評価にさらされようと、町に対する愛情はなにひとつ変わらなかったのです。 



 ですが、その一方で。

 絶え間なく漏れ聞こえてくる暗い囁きに、怒りの炎を燃やす者たちもおりました。

 町を宣伝したかつての旅行者と、彼に従って町に訪れた人々です。

 彼らは不満や悪評が立つたびに反発の声を上げ、時にはその発言者を激しく糾弾するようになりました。

 それどころか自分たちの正当性や、その根拠となる町の良さをアピールするために、他の町を貶める者まで出てくる始末……。


 しかし、それでも悪評がとどまることはありません。

 やがて、声を荒げば荒げるほどに沸き立つ非難の声を抑えようと、来訪者たちは町に出入りする人々を厳しく選別するようになりました。

 その上で、目に見える不満は解消しようと町長に働きかける者も現れ始め――



 ついには、町はその景観を大きく変えていくことになりました。




***




 いくつの季節がまわったでしょう。

 いくつの星が巡ったでしょう。

 それは人によっては気の遠くなるほどの年月で、あるいは瞬く間の出来事だったのかも知れません。


 今やかつての美しい町並みはそこになく、ただ鬱蒼とした木々と、ところどころ焼けただれた痛ましい廃屋だけが、墓標のようにその身を風にさらしています。

 かつての賑わいなど影も形もなくなって、無慈悲な時間の牢獄と化した町の広間に、しかし時おり不思議な声が聞こえるそうです。


 それは恨み事に聞こえることもあれば、あるいは嘆きにも聞こえ、時には歓喜に燃えているとこともあるといいます。

 かつて町を旅し、町に恋して、町を知ってもらいたいと願っていた、在りし日の旅行者。

 あるいは彼に従った多くの来訪者たち。

 声の主が誰とは知れませんが、ただその空ろな声は雪解けの水よりも冷たく、熱砂の嵐よりも身を焼く類のものであったと、耳にした人々は言いました。



 さて。 

 彼あるいは彼らは、寄るべく町が亡くなった今もなお、誰に向かって語りかけているのでしょう。

 誰に向かってその情念の限りを尽くしているのでしょう。

 いえ、それ以前に。

 いったい彼らは、何を求めて声をあげ続けたのでしょうか。



 ある老紳士はしみじみと語ります。


「彼らは町に恋こそすれ、愛することをしなかった。だから十分ということを知らぬまま、身勝手な理想の限りを追い求めたのだ。それがやがては恋する相手そのものをも汚してしまうのだと、悟れぬままに」


 ある老婆は悲しそうに呟きます。


「彼らは過保護になることでしか町を守れないと信じておった。だからこそ、自らが何と戦っているのか分からぬまま、熱に狂っていたんじゃろう。皮肉にも、それが最悪の敵を作る原因になったのじゃがな」


 そして、双子の少女はにっこり笑って言いました。


「そんなたいしたもんじゃないよ。彼らはただ気付いていなかっただけ。ううん。きっと安っぽい自尊心のせいで、気付かないふりをしてたんでしょうね。……彼らは酔っていたのよ。町に恋する自分の姿に。だから町をバカにされたことが許せなかった」

「だって、それは町を好きだという自分が否定されることだから。滑稽でしょう? 彼らは町が亡くなった今でも、自分を誇り、守るために見えない誰かと語らっているの。そもそも彼らが――」



 彼らが本当に恋していたものは何だったのでしょう。

 はじめは町そのものを純粋に……。

 そう信じたいのが人情です。



 最後に、かつての町長が書き残した言葉を紹介して終わりにしましょう。



『好意の源に常に善意があるかは分からない。何故ならば神や法によって決定される善とは異なり、好意とは人の本質に左右されるものなのだから』

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