02.無かったことにできません?
一瞬だった。
本当に一瞬。
それでも少女の身体ではその時がとんでもなく長い時間に感じられた。
ユリにとってその時間がとてつもなく不思議で、それでいて衝撃的だった。けれどユリにとって衝撃的過ぎたのだろうか、同時に何が起こったのか全くと言っていいほど分からなかった。
そんな状況下の中でもたった一つ分かったこと。それは自分に向かって突っ込んできた人はとても人間とは考えられない身体能力を持っている、ということ。
現実ではありえないし力でまだユリの頭から手を離さないおかげなのか、いろんなところが骨折をしたのかは不明なのだが、とにかく彼女の身体は限界に近い状態になっている。
それになぜ、自分がこんな状況にならなくてはいけないのか、ユリは疑問と不満で頭がいっぱいだった。ユリを襲ってきた女の人は完璧な初対面というもので、たまたま玲を見つけて話していた自分が襲われる理由なんてないはずなのだ。それなのに彼女は自分を襲ってきた。それは何故なのか。
挙句の果てにはこの女の人頭を掴んでくれているから、ビルに背を預けながらも実質はほぼ宙吊り状態になっている。これはユリにとって嫌な状況でしかなかった。
どうしよう、離してほしい、とても居心地が悪い、すぐさま離してほしい。そんな願望がユリの頭に次々と募る。彼女はもともと人に頭触れることは苦手なこともあり、その願望は時が経つにつれ、大きなものになっていった。
そしてそんな体制になって数分たった時、しびれを切らしたユリは恐る恐る口を開いた。口内で鉄の味が広がる。
「あ、あのう……」
「ん? 何……?」
すると彼女はユリに向かって反応を見せた。一応だが、話は聞いてくれるようだ。その前にまだ死んでなかったんだと言う聞き捨てならない呟きが聞こえてきた気がするが、ユリはそれを聞かなかったことにし、さっさと話しを済ませることにした。
「手ぇ取ってくれません? 頭蓋骨あたりがみしみしいってるし、何より私、人に頭とか触られるの苦手なんで」
「あっそうなんだ、じゃあさ――これででいいかな?」
女の人は心優しく手を私から離した。しかし、それでユリが安心するには早かった。離した瞬間にユリの鳩尾めがけて強烈な蹴りをお見舞いされた。自分の身体からあまり聞きなれたくない奇妙な音が耳に届く。
「ぐっ!!」
体をくの字に曲げ血を口から血と肺にたまっていた空気を吐き出しながら数十メートルほど吹っ飛んだ。少し身体を打ちつてながら転がり、力なく体を丸める。
壁を突き破るという感覚がなかったため、というかそんな感覚が体に襲っているのなら今、意識なんてあるはずないのだが、ユリは自分がは壁がないところに飛ばされたのだと察した。となると玲がさっきいたところあたりに自分がいることになるのだろうか、そんな考えが頭によぎる。
けれど目は思うように開かなかった。重い何かが瞼の上で抑えているように彼女の目は開くことを許さない。そのことを察しないようにするためか、どうなのかは知らないが、少女は先ほど女の人に行った言葉の意味はそんなことではなかったのに、ひどいなぁー、などというよく分からないことを考えていた。
そして不意に「能力を使えば……」と小さな声が聞こえた。無意識にその言葉を言ったおかげで、その言葉が自分の口から出たことに気づくまで数秒かかった。
「玲がいるんだ……」
そう自分に行かせて、その甘えを自分の中から消えさせる。
薄れていく意識。彼女は自分の最期を悟る。これでまた終わるのか。そんなことを思って彼女は笑った。すると力が抜けたのか、すうっと重たかった瞼が嘘のように力なく開いてくれた。そんな虚ろな瞳に先ほど自分と話していた青年が映った。
なぜ、自分がやられているのに助けてくれなかったんだよ、ヘタレめ。そんなことをユリは声にならない声で言った。その言葉が終わるとともに、ユリの意識は現実世界から遠のいていった。
あー痛い。なんで鳩尾にむけて蹴るのかなぁ! めっちゃ痛かったんだよ!? いや、いまもいたいんだけれどね! うん! 頭を離して鳩尾を蹴るとかおかしいと思うんだとても。もぅ……嫌、起きたくない……。
そんなことを想いながらだらだらと地面に寝転がっているのは先ほど眠りについたはずのユリだった。
そう、先程死んだはずのユリ。
彼女はとても不機嫌な顔を地面に顔を押押しつけ足を生暖かい、自分の血が付いたコンクリートの上でばたつかせている。ある部分を除けば、まるで朝親に起こされて起きようとしているけれど眠くて起きれない子供のようだった。
「そー言えば、玲は? 確かあそこにいたよね?」
一通りストレスを脳内で発散した後、ユリはある方向を見た。気を失う前に玲らしき姿を見つけた方角だ。
「――!!」
ユリは玲の姿を確認した。確認したのだが、どうしてもはいそうですかと言って見過ごすことができないおかしな点が1つあった。
少女は自分の見間違いかと思い、目をごしごしとこすったのち、また青年をまじまじと見た。だが、目に映った彼の姿は先ほどと何も変わってはいなかった。現状を理解したユリの身体からだんだんと色が失われていく。
あれは本当に玲の姿なのだろうか。そんな胸をざわつかせるような思いがユリの中で広がる。ユリがとても見覚えのある、今日の朝、何事もなく笑顔で見送った姿が倒れているのが見える。その体には無数の傷が見られる。しかし、おかしいのだ。
そのぱっくり問われて見える傷から血が、血が流れた後さえもなかったのだ。
いや――もしかしたら出ているのかもしれない。たとえ私の視力が両目2以上たとしても見れないものがないとは言えない。そうユリは自分に言い聞かせる。
私が遠目で見た限りだと玲は倒れたままで、指先一つ動かしていなかった。これはなんか少しおかしい。非科学的な何かを感じる。早くなんでか確認したい。
けれどユリや、憶測だが玲も手にかけた女性がまだユリの視界に届く範囲で見つけることができた。
ということは私が倒れてからそんなに経ってないのではないか……。
「イタッ」
不意に全身からの痛みがユリを襲った。先ほどよりも自由に動けるのがきずかなかったがまだ微妙に全身に刻まれた傷が治ってはいなかったのだ。
「……」
能力を使うことは嫌いだが、理由あって全身に来る痛みの方が嫌いだ。
緊急事態という単語と、自分の視界に映る女性がユリの脳内で合わさる。
そして、答えが出た。
私は少しだけ意識を集中させ、あることを願う。
その瞬間、全ての時が『止まった』。
音などなく、まるで宇宙空間に来たような無音さと風にあおられた形のままの針葉樹が、時が止まっていることを物語っていた。
よし、止まったな。止まったよな。それじゃあやるか。
まず、治癒の能力を発動して、傷を治す。
「うへー。気持ちぃ。一気に楽になっていくの楽しい」
そんなことを呑気に一人で喋りながら私は起き上がった。一応念のため軽くストレッチをして体の状態を把握する。
どうやら無事全部治ったようだ。たぶん一番大きな負傷は脊髄の損傷だっただろう。能力がなかったら下半身不随で一生車椅子生活だったよ……。怖えぇ……。
「えっと、あれだよな、証拠隠滅しなきゃ」
私はさっき少しだけ身を寄せさせていただいたビルのほうに歩を進めた。
瞬間移動を使えば一瞬でつくのだろうけれど、わずか二十メートルほどの距離をわざわざそんなものを使ってもしょうがないと思ったから、徒歩だ。
さっき少し壊してしまったビルの前に付いた私はビルに触り、それの時を少し戻して損傷を直した。
「さて、本題だ」
私は自分がどんな表情をしているのか解んないが、たぶん重たい表情で、逃げ出したいと訴えかけているような表情で自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
玲が倒れているところいくと、私はしゃがみ込んで玲を目で捕らえるように見た。
「にしても何なんだよこれ、ズタズタじゃん。でも、血は出てない。一滴も――出てない。もしかしてこれ、なんかの作り物か? じゃなきゃ説明がつかないし……でも、こんな作り物、見たことが無い。うぅぅ……。まあこれも治したほうがいいよね」
すべてを自分に言い聞かせるように、無理やりでも自分を納得させるように私はぶつぶつと独り言をつぶやいていく。
この場合、私の本心の訴えなど無視だ。無いにも等しい。因みに言っておくと私の本心は『何もないかのようにここから立ち去りたい』というものだった。我ながら自己中心的な考えだ。それでは自分の身を亡ぼすだけではないか。
私は恐る恐るさっき自分自身に使った能力と同じものを玲に向かって使ってみることにした。使ってみると、次第に玲の体にできていた血液が一滴も流れていない無数の傷はなくなっていった。
「うわ、治った」
これは自分でも驚いた。ダメもとでやったのだが、まさか治るとは。ダメもとも捨てたもんじゃない。
しかし、これで私がやらなくてはいけないことはすべてではない。
もっと非道なことを私はやらなくてはいけないのだ。自分を守るために、この人を――巻き込まないために。これはとても自己中心的な事かもしれない。しかし、やらなくてはいけないのだ。
「玲……、ごめんなさい……」
私は玲の頭に手を触れる。すると、玲の記憶が一気に私に流れ込んできた。しかしそんなのは今からやることには関係ないもの。私はそれらを無視する。
私はその流れ出した記憶から、さっき私に起こったことこいつに起こったことの記憶を、問答無用で消去した。
そして、わたしの都合がいいようにそれらの記憶を書き換えた。
私と玲を襲った女の人も玲と同様に記憶を消去し、その該当する記憶を書き換えた。