01.始まりの時
巷は入学進学セールで賑わっている今日この頃。とある少女がビル街をつまらなそうに歩きながら、言葉を吐く。
「ヒマだ! これから何をしようか? 今日のやりたい事、カラオケに行って、9時間ぐらい歌うは達成したから……うーん。なにしよう」
そんな言葉を吐いているのは、この物語の主人公、咲乃 ユリだ。彼女は真っ白なワンピースに、黒と茶色が合わさった長い髪を頭の上で一つに縛り、揺らしていた。
今の時刻はそろそろ日も落ちる午後五時で、人口の多い町やビル街が夜の街へと進化していく兆しが見えてくる頃。
しかし、なぜかそんなビル街には人っ子一人いやしない。見えるのはポイ捨てされ、雑踏に取り残された空き缶ぐらいなものだろうか。
そんな場所でユリは独り言を続ける。人間がどこにもいないのなら何を話したって問題ないだろうという考えに辿り着いたための行動だ。
「でもなぁ。家に帰ってもあいついないし……。ううう、どうしたもんか。なんか作るか! でも、家に何もないから材料を買わなくちゃならないよな。お金はあるにしても、もって帰るのがめんどくさい。地味に重いんだよな、お菓子の材料って。“能力”を使うにしても、万が一人に見られたりしたら面倒な事になるのは予想がつくし……って、あれ? 玲じゃないか?」
そう言ったユリのの視線の先には、童顔だが、それなりにかっこいい青っぽい黒目に少し無意識に撫でたくなるような猫っ毛の髪を持つ青年が立っていた。
怜という人物は先ほどユリが言ってたあいつのという人物と同一人物であり、今朝、県外に行くから帰りが遅くなるとユリに言って家を出て行った彼女が居候させてもらっている家の長男だ。
そこでユリの頭にはてなマークが浮かぶ。
怜は県外に出ていくと言って、今日の朝出ていった。それなのになぜ彼はここにいる? もしやあの人物は玲のそっくりさんということなのだろうか。
ユリは彼がこちらの視線に気づかない程度にまじまじと彼を見た。
怜だった。
となるとあと疑うべきは自分の記憶だ。とりあえずユリは今朝の出来事を脳内再生させる。
そしてたどり着いた答えは、
「うん、言ってた。言ってたよ。私の聞き間違いじゃないよ。これは……聞いたほうがよさそうだな」
ということだった。けれど、そうは言ったものの、彼女はどうやって彼にそのことを聞けばいいのか分からず、彼の様子を凝視する。彼は、何かそわそわとして、知り合いに会うのを恐れているといったような表情をしていた。
「……女か」
別にユリは玲に何も性的な何かよこしまな感情など抱いていないので別にどうでもいいのだが、彼に今あったらめんどくさいことになりそうだと直感で感じられた。
しかし、気になる。
ユリが怜に話に行ったって何もならないことはユリだってよく分かっている。とても想像できる。けれど気になる。
「…………」
そうしてユリは一通り思い浮かぶことを頭に並べて悩んだ後、最終的に彼に自分の存在がはっきりとわかるように駆け寄りながら少し大きな声を腹から出して、玲の行いを妨害するというむでっぽうな行いに身を投じることにした。やるのならば全力でやらなくては面白くない。
彼女の声は周りに人間や自動車がなかったせいか、あたり一面に私の声は響き渡った。
「おーい玲、なにやってるの?」
「げっ、ユリ!? なんでおま……なんでいる!?」
いるわけがないと思っていた女性に突然大声で話しかけられた玲は若干裏声になりながら、彼女を見た。驚愕という言葉がよく似合うぐらいに驚いている。
どうやら自分はやはりというか、当然というか、とりあえず絶対に居合わせてはいけないところに身を投じてしまったらしいということを、悲しくもユリは察してしまった。
けれども一度してしまったことに逃げることはできないので、彼の近くまで足を運んでしまった彼女はその足を止め、理不尽だとは思いながら怒ったような口調で玲を睨んだ。
「げっとはなんだ? げっとは! それに今日は県外に行くから遅くなるって今日の朝出ていく時言ってなかったっけ?」
「それはそうなんだけど……とりあえずこのことはいつか言うから、今は気を沈めてはやくどっか遠くに行って!」
玲の顔は、だんだん蒼白になっていく。それがユリ自身が見せた怒りのせいではなく、もっと違う理由で行われているということを少女ははっきりと手に取るようにわかってしまう。
けれど、彼女はそれに気づかないような素振りを見せて、にまにまと普段彼女が玲をからかう時に見せる笑みを作った。
「まさか……彼女さんでもできたの? こんな玲に?」
「あっ……そっ、そうなんだよ! というかこんな玲とかひどくない!? 今はその女の子にちょっとお手洗いに行って来るから、少し待っててって言われたから待ってるんだよ」
以外にもこの質問に彼は慌てたようにしながら乗ってくる。ユリが見るにどうやらこの流れでぱっぱと自分を今いる空間から追い出そうとしているようだった。
彼は戸惑ったような、しかしそれを一生懸命誤魔化そうとするような素振りを続けているが、先ほどよりも言葉の速さに拍車がかかっている。それに加え、ユリには声が小さく聞こえ、だいぶ焦っているように見えていた。ようするに、まったくもって玲は自分の心境を隠せていなかった。
隠せていない、ということは彼にとって、とても彼にとって不都合すぎることが起こりうるということだ。ユリはそろそろ引き返したほうがよさそうと思い、面倒ごとになる前にとっとと玲が絶対に触れられたくないであろう点を突くことにした。
「ねえ、何でそんなに慌てているの? あとその服、出かけるときそんな格好してなかったよね?」
彼の朝の格好はきちっとした……とは言えないが、スーツ姿だった。だけれど、今は違う。ワイシャツなのは変わりはなかったが、ポケットがたくさんついた紺色のベストにとても動きやすそうな紐靴、それにズボンも黒いスキニージーンズになっていた。
彼は予想通り、暗い顔を本当に一瞬だけユリに見せた。それから気を取り直すように「大丈夫大丈夫」と呟いてから玲は、ものすごくおどおどしたような口調でユリに向かって答えてくれた。
「あ、うう、そっそれは……ちょちょっとね彼女がね独占欲? というものが強くてね、自分以外の女の人としゃっべてるだけで怒っちゃうような人だから、見られたりすると面倒な事になっちゃうからだよ。服はさっき飲み物という名のイチゴミルクを服にこぼしちゃって、それで彼女がいい機会だから服を選んであげるよって言われて、買ってもらって……という事です……はい」
余談だが、本人はそんな気はまったくなく、とても流暢に話したつもりだったということをおいおい彼女は知ることになる。
彼女に説明し終わった玲は花が咲いたような笑顔になった。その行動のおかげでユリにはため息が出てしまうぐらいに、話の内容に突っ込む前に、この目の前にいる青年が嘘をついているということが分かってしまう。ほとんど自分が嘘をついていますと自白しているようなものだった。
そんな彼の行動に白いワンピースを着た少女が落胆していると、そんな少女の目に赤いワンピースを着た綺麗な女の人の姿が映った。
少女は認めたくはないが、どう考えても彼女にとっては背を向けているスーツ姿の男性に向かって手を振っているようにしか見えない。その人物が玲の言っていた彼女なのだろうか。
ユリは一応そのことを聞いてみることにした。
「ねえ」
「何?」
「あの人が玲の彼女さん?」
「え?」
青年は首を傾げた。まるで俺には彼女なんかいないよ? と言っているようだ。少女はこの行動を見なかったことにして言葉を続けた。
「ほら、あの人」
指でその“歩きながら手を振っている人”を指す。
すると玲の顔がさらに血の気がひいたように真っ青になり、そして大声でユリに言った。
「ッチ!! ユリ! っ早く逃げろ!!」
「え?」
その瞬間、手を振って歩いていていた女の人はニタァと見る限りに不気味な笑みを浮かべながら、いきなり少女たちのほうへ走ってくきた。
人間のスピードとは思えないほどの速さで、スポーツカー並みの速さは出ているように感じられる。
そしてその女はそのスピードを維持したまま、なぜかユリめがけて突っ込んでくる。
「ユリ!!」
瞳に光がなくなった玲を横目に、少女は近くにあったビルの壁に、抵抗する事も悲鳴一つ上げることも出来ないまま、めり込んでいくことになった。