その英雄の名は
「――意外に思うかもしれないが、英雄を身に宿すことはそう難しいことではない」
それは、今は亡き父の言葉。
「人にはそれぞれ魂という器がある。それは個々によって大きさは違うが、小さいものでも凡人には満たすことのできない、そんな器だ。だが、何事にも例外はある」
凡人には無理、では凡人でなければどうなのか。
「英雄として歴史に名を残すような者達はいずれも非凡であり、常識の外の住人だ。彼らは途方も無いほど大きな自らの器を満たしきることで、後世にまで語り継がれるような偉業を成し遂げた」
魂という器を満たしきる常識外、ならば当然行いも常識の範疇には収まらず、英雄として名を残す。
「だがそれも昔の話だ。今の世には独力で器を満たすことができる者は存在しない。だが器の大きさは不変。つまり世の中には差はあれど皆満たされきっていない器を持ちながら生きている」
器が満たされた者がいない、それは英雄の不在を意味する。
「しかし真実の英雄が存在しない現代にも、素質ある者は数少ないが存在する。独力では至ることはできないが、器の大きさだけで言えば英雄となるに十分な者達が。ならば、もしその器を外的要因によって満たせばどうなるのか」
器が満ちる、それは即ち常識外へと至ることを意味する。
「それが英雄を身に宿すということだ。己には不相応な魂の器、それを過去の英雄に明け渡す。結果、器は尋常ならざる魂の大きさを誇る英雄とちっぽけな主で強引に満たされる。そこに真実の英雄など存在しない。だが世界が求めるのは『英雄』であって『真実の英雄』ではない。そういう意味で言うのならば、現代の英雄も正しく英雄であるのだろう」
そこには己の才覚と努力のみで英雄へと至った過去の英雄は存在せず、ただ英雄という結果だけがあった。
「――お前には資格がある。英雄をその身に宿すに足るだけの十分すぎるほど大きな魂が。もしお前が望むのならば過去の英雄をその身に宿すのもいいだろう。自分で選んだ道ならば、止めはしない」
だが、と父は言葉を続けた。
その言葉を今まで忘れたことは一度たりともないし、これから先もないのだろう。
「思わずにはいられないのだ、過去の人間ができて現代の人間にできないことがあるのだろうか、と。無謀かもしれない、愚かかもしれない。いや、かもしれないではなく間違いなくそうなのだろう。だが、それでも」
父の目はすでに閉じられていて、声もか細い、漠然と次が最後の言葉になるだろうと言う予感があった。
「――我が息子よ、お前には才がある、血の滲むような努力を重ねることもできる。もし、お前がこの愚かな父の言葉を信じるのならば、英雄を身に宿すことを望まないのならば、どうか目指し、そして至って欲しい。どうか、己の力のみで、英雄へ、と……」
そうして静かに我が親愛なる父は息を引き取った。
確かに愚かな父だった
この男には他にも、もっと輝かしい未来があった。
それがこんなところで野垂れ死んでいるのだから、正しく愚かだといえるだろう。
だが優しい人だった。
不器用で、気遣いの得意な人ではなかったけれど、それでも十分すぎるほどの愛情を注いでくれた。
きっと無念だろう。
優れた才覚を持ちながら、志半ばで死んでしまうのだから。
そして、そんな愚かな男の息子もまた、愚かだった。
何故なら、父の言葉の通り、己の力並みで英雄へと至ることを父の亡骸に誓ったのだから。
――これは、始まりですら無いきっかけの物語。