俺は研究所へ来ている
「ここは?」
ヘレンの欠陥によって連れてこられた場所は、木々に囲まれた、自然豊かな場所。さっきまで、人工的な無機物に囲まれていたからか、地面の匂いと、木々の揺れる音が新鮮に聞こえる。
「豹太の彼女が連れてこられた『研究所』の近くよ」
「『研究所』……」
近くとは言っても、まだ視界に捉える事は出来ない。
「あんまり近くに行くよりは、様子を伺ってからの方がいいかなって」
「そうなんだ。あ、研究所もさ、『我道塔』みたいに変わった形してるの?」
「変わった形? うーん、確かに『我道塔』の中にも研究所が入ってるのもあるんだけど、ここは違うわ」
いたって『普通の研究所』だそうだ。
いや、『普通の研究所』って言われても、普通の研究所を知らないから、どんな形かも想像できないんだけど。
映画とかだと地下室にあるイメージ。
「生良兄……映画の見すぎ」
「……」
ヘレンの視線。
なんだろうな、可愛がっていたペットのワンちゃんが、ゴキブリを咥えていた時の飼い主みたいな目をしている。どんどんキラーの評価が下がって行く気がするけど、いいや。
俺じゃないしね。
そんな自分の評価が下がっているとも知らないキラーが、
〈お、ナイスタイミングで目覚めたな、俺! いよいよ、ここから乗り込むのか!〉
と、馬鹿みたいに元気よく目覚めた。
「キラー……」
〈研究所にも『我道自衛隊』が居るだろうからな、目に入った奴は片っ端から潰して行け〉
「……。ヘレン、ちょっと待ってて」
俺はヘレンに少し待つように言い、離れた場所でキラーとの会話に集中する。
「なあ、犬飼博士から聞いたんだけど、キラーって、結構酷いことしてるの?」
〈ああ〉
迷うことなく答えた。
キラーにとってはそんなの迷う必要もない些細な出来事なのか……。
「なんとも思わないのかよ!」
〈お前なぁ。いつまでも考えてんなよ、無駄だ無駄!〉
「無駄って!」
〈だってよ、お前はこの世界の人間じゃねぇんだろ?〉
「そうだけど……」
〈だったら、お前がやりたい事だけやってろよ――その結果が例え大勢の人の犠牲だったとしても、俺は後悔しない。受け止めて見せる〉
俺はその覚悟を持って生き抜いてきた。
俺には……あるのか?
人を殺したくない、誰かを犠牲にしたくない。
〈だから、お前もやりたい事をやってればいいんだよ。今、俺の体はお前の物だ。好きにしろ〉
「ああ」
〈へっ。世話の焼ける俺だぜ〉
「ふん。そっちこそ抜けてるけど以外に頼りになる俺だね」
◆
その場所から少し歩くと、目的地である研究所が見えてきた。普通かどうかは分からないけど、『我道塔』よりは平凡な形をしている。
外見だけ見れば、自分が勤めていた工場とさほど変わりはない気もするけど、中にいるのは頭のいい学者とかなんだろう……羨ましい。
「で、どうする気?」
入り口から中に入る訳にはいかない。研究所と呼ばれるだけあって、ガードが堅そうだ。少し離れた、今いる場所――研究所を見回す為に、一本の樹の上へと昇っているため、全体は見えているのだが、下から見た時は、巨大なアスファルトに囲われていたから、中の様子は見れなかった。
「そうね、この塀を超えるのは簡単なんだけど……」
「だろうね」
木の上に移動する際もヘレンの欠陥である瞬甘移動を使用した。鮮明にその場所を思い浮かべれば移動できる欠陥。目に写る範囲なら、どこでも飛べる。だから、この場所から、塀の中に入る事も容易い筈なんだけど、何故かヘレンはそれをしない。
「うーん……困ったわね」
「ええと。何が?」
「塀の中に入ったとしても、建物の中には入れない」
「あっ」
豹太の彼女は建物の中。
そしてヘレンの欠陥は鮮明に思い出すか、実際に見るかの条件をクリアしなければならない。
当然、ヘレンは研究所の中を知らないだろうし、建物にある窓は全部、スモークガラス。
鮮明でなければ――瞬間移動はできない。
「うう、困ったよ生良兄……」
「いや、僕に頼られても」
「そんな!? いつも助けてくれたのに?」
「そうなの?」
「そうよ!」
〈そうだぜ! たっく、しょうがねぇな。ヘレンはよ。つーか、俺も欠陥者なんだから、ちゃんと考えろ〉
考えろって言われても。
殺領域はこういった潜入捜査では役に立たない。条件は仲間さえいれば簡単にクリアできるけど、効果がね。
半径3メートルの領域。
俺の目にはその領域内が薄ら赤く見える。その領域内では、自分以外の力を奪い、自身は強化される。
「でも、相手がいなきゃあんまり意味ない」
〈ばーか。俺にいい案がある〉
「いい案?」
〈俺はこう見えても潜入は得意だからな〉
「……」
キラーが潜入得意だとは思えないけど、今、ここで止まっている訳には行かない。急いで助けないと、手遅れになる。
「分かった。じゃあ、その案を教えてくれ」
〈その為にはまず、この塀の中へと入って貰え〉
俺はヘレンに作戦を思いついたと告げ、塀の中へと連れてきてもらった。キラーの案だから、俺も完全には分かっていないけど、ここはいくつもの修羅場を潜って来た先輩、キラーに任せるんだ。
〈それじゃあ、まずはヘレンに触れて〉
ヘレンの手に触った。
「もう、生良兄ったら大胆」
無視。
〈そしたら、研究所の壁に触れろ〉
壁に手を付けると、ヒンヤリとした感覚が伝わってくる。その感覚と共に俺の目に赤くなった領域が浮かんできた。この範囲なら、通常時より筋力が上がっている。
「なあ、これってただ欠陥使ってるだけじゃんか」
〈いいから黙ってろって。ここからが凄いんだって〉
「本当かよ」
〈本当だ、まずは右で拳を作って――壁に向かってパーンチ〉
「…………」
〈どうした、ほれ、パーンチ。さあ、パーンチ〉
そうだよな。
うん、これがキラーだ。潜入捜査が得意とか――信じた俺が馬鹿だった。いや、この場合は馬鹿なのが俺だったと言うべきか。
「お前は馬鹿か!」
ビクっ。
と、ヘレンが跳ねた。
「ちょ、ちょっとどうしたの生良兄? 私? 私が何かしたの?」
「あ、いや、ヘレンじゃないよ。あいつって言うか、俺って言うか……」
「うん?」
ヘレンにはまだちゃんと説明していなかった。
「俺の中にさ、ヘレンの知ってる俺がいて……」
「そう言えば、さっきもそんなこと言ってたけど……」
「あのさ、俺、多分だけど平行世界っていうか異世界って言うか、とにかくこことはちょっと違う世界から来たんだ」
「生良兄……」
〈なにィ――そうだったのか!?〉
頭の中に響くキラーの声。
うわ、うぜぇ。
一緒にいればいる程、キラーがこっちの世界の俺なのかと悲しくなる。一歩間違えてたら俺もこうなっちゃたのかな?
まともに育ててくれてありがとう、お父さん、お母さん!
「それはどういう事かな?」
ヘレンはまだ分かっていないようなので、一から説明してあげた。異世界や平行世界は、漫画やゲームが好きな俺からしてみれば、そんな難しい現象ではないけど、全く興味のないヘレンには難しいみたいで、
「むむ、つまり生良兄は二人いたって事?」
「そ。多分俺の世界にもヘレンはいるから、ヘレンも二人いるな」
「え? 私は一人だよ、生良兄」
「だから、俺の世界の話だってば」
俺の説明が悪いのか?
千里さんは、何も言わずとも、自身の欠陥、千里の黙示で見聞きしただけで、理解してくれていたから――ヘレンが悪いのか?
〈お前さ、呑気に説明なんかするのは良いけど――あれだけの声出したんだぜ?〉
「それはお前のせいだろ」
〈そうじゃなくてさ、ほら、後ろ観てみな〉
「後ろ?」
俺は研究所の壁から視線を外してゆっくりと振り向くと、門番をしていた男だろうか、剣先の無いレイピアのような拳銃を俺に向けていた。
「あ」
その銃口は俺に向けられていた。
「生良兄」
ヘレンが俺の名を呼んだ直後――腹部を衝撃が襲った。