俺はコートを渡される
「なんだ……そんな簡単なことも出来ないのか?」
「当たり前よ。簡単に言わないで!」
一階にある研究室の中に入った俺。
ヘレンは既に準備を終えたようである。一時間前に分かれた時とは服装が変わっていて、タンクトップにフードの着いた、可愛らしい服へと着替えていた。フードには狐の耳みたいなものが付いている。
やっぱ、女の子はお洒落が好きなんだと感心する。
「簡単だろう。その欠陥は何の為にあるんだ?」
「何の為も、勝手に出てきたんだってあんたも知ってるでしょ。そんなんだから負け犬なんだよ!」
「ぐっ……」
二人は話に熱中しているのか、俺には気づいていないようである。
自分から話しかけてもいいのだけれど――なにをこんなに熱く話しているのか、もう少し聞いていみる事にした。
「研究所を破壊して来いっていうくらいならさ、なにかいい案があるんでしょうね? ま、負け犬ちゃんには、そんな高度な作戦は思いつかないんだろうけど」
「うるさい! 儂がやれと言ったら黙ってやればいいんだ」
「わー、怖い怖い」
巨大なスクリーンの前で二人は話し合っていた。ヘレンは千里さんと同じく机の上に腰を下ろして、椅子に座って喋りながらも手を止めない犬飼博士を見下ろすように座っている。
「それにね、生良と約束したの。無駄に人を殺さないって」
「なにっ!?」
「だから、ゴメンね~。あんたの言う事なんて聞けない」
「っ!」
このタイミングで、ヘレンは入り口に立って二人を見ていた俺に気付いたようで、
「生良兄、ちょっと、遅いよ!」
と、机から降りて、俺の方へと駆けよってきた。
「ごめん、ちょっと赤音と話しててさ」
「あれ、もしかして尻軽……千里さんの見せた映像にビビちゃった?」
俺はまだ何も言っていないが、ヘレンは何が起きたのかを理解していたようだ。
「なんでそれを?」
「ここに来た新人は皆通る道よ。我道に捕まったらどうなるのか。あんな映像を見せられたら、食欲も失せるわよ」
俺が多分見せられなかったのは、既に見ているから。そんな酷い映像なのか……キラーが起きたらどうだったのか、どう思ったのかを、聞いてみよう。
「で、何を犬飼博士と言い合ってたんだ?」
「それがね、生良兄。あの負け犬が、研究所に行くなら、徹底的に破壊して来いって言ってきたのよ」
「徹底的?」
「人も建物も、その内部にいる我道に関わったもの全て壊せって……」
人もだって? 何で人を助け出す目的で行くのに、そこまでするんだ……。
犬飼博士は椅子から立って、部屋の片隅に置かれているロッカーから何かを探している。しかし、俺とヘレンの話は聞いているようで、
「ふん。研究所1つ壊せば我道も困るだろうし、欠陥者が捕まる可能性も下がる。まさしくウィンウィンじゃと、提案してやっただけじゃ」
と、自身の意見を述べた。
「だからって……」
恐らく博士の言っている事は正しいんだろう。正しくはあるんだけど、俺にはそこまでしなければいけない理由が分からない。
「それがお前たちの為でもあるんじゃ――それよりも、ヘレンとした『誰も殺さない』。 そんな約束を、お前がしたのか?」
「え、まあ」
約束と言うよりは、俺の世界にとっては当たり前の事。ヘレンみたいな少女に、人を殺していてほしくないし、そんな姿を見たくない。
「いつからそんな腑抜けになった。お前は自ら進んで危険に足を踏み入れる男だったくせに……」
「いや、そうなの?」
「ああ。最も多くの『我道自衛隊』を殺している男だ」
そんな、あのキラーが……。
頭の中で会話をしてきたけど、あいつがそんな暴虐を繰り返していたのか?
しょうがなく殺してたんじゃないのか?
少数派で迫害を受けている人間に必要なのは――手を出したら危ないと、相手に思わせること。
それを実行していたのか?
いくつのも疑問が頭に浮かぶが、肝心のキラーは眠っているので問い詰める事が出来ない。
「いくら何でもそこまでしなくても――」
「何を言っている? 『我道自衛隊』に対抗するための権利だ。その欠陥をお前たちはもっておる」
我道博士はロッカーの中にあった目当ての物を探し当て、それを俺に投げ渡した。くしゃくしゃに丸められた黒い物体。
その黒さは今の俺の気分そのものだと、思い広げてみると、それは黒いコートだった。
「これは……?」
「儂の作った『我道チップ』対策じゃ。それを着れば、『我道チップ』を使用しても、我道に分からない様になる」
「……?」
首を傾げた俺にヘレンが続けて説明してくれた。
「簡単に言えば、これを着れば別人になれるってことよ」
私のこの服もそうなんだけど。
いいながらヘレンはカード型の端末を取り出し、個人情報のページを俺に見せてくれた。
「え?」
名前も年齢も全くヘレンと違う。
日吉 菫
31歳
身長 163
体重 56
職業 モデル。
名前も年齢もすべてが出たらめ。これなら情報が相手にばれても問題はないだろう。
「因みにこれと同じような仕組みはこのマンションにもされてるから、中にいる時は別にこの服を着なくても大丈夫よ」
「なるほど……」
「こんな博士でも一応は仕事してくれてるのよ」
『我道チップ』は我道塔から送られてくるエネルギーを受け取る役目もしている。そのインプットはそのままに、アウトプットされる個人情報だけを書き換える。データで管理されてるからこそできる対策。
「本当は仮面型にしたかったのじゃが……『我道自衛隊』が付けているのでやめた」
「それでフードが付いてるのか」
顔を隠せるようにとの配慮。
では無くて、恐らくこれは現実に置いての対策だ。欠陥者は顔を覚えられたらどんな能力を使うか相手に分かってしまう。
能力だけならまだしも――発動に置ける条件がばれてしまえば、普通の人間と変わりない。
しかし、すべての人間が管理されているなら、この日吉 菫は実在しているのだろうか?
「ああ、これは儂が我道を困らせようと、職場で偽装していたデータじゃ」
「へぇ」
「まさか、あの小さな悪戯がここに来てやくにたつとはな」
やってることが地味だ。
「じゃあ、このコートのデザインは?」
「それは千里だ」
「本当は生良専用のコートもあったんだけど、まあ、生良兄ならなに着ても似合うから大丈夫だよ!」
「いや、そこは別に心配してないんだけど」
顔を隠すんだから似合おうと意味はない。
いや、でもヘレンが狐耳つきフードを被ったら似合うだろうと思いなおした俺は、
「ヘレンちゃん。ちょっといいかな?」
「ふん?」
フードに付いている耳を持ち上げ、ヘレンに被せた。
「お、おおおお!」
「?」
「似合う、似合うよヘレンちゃん!」
別に自分で被せる必要は無かったんだけど、美少女に耳付きのフードを被せる。これほど人を誘惑する組み合わせがあるか?
「そ、そうかなー。照れるって生良兄」
フードを持って深く被った。その仕草もこれまた可愛い。このまま連れ帰ってペットにしたい。一家に一台ヘレンちゃん。
瞬間移動もできるし最高だね!
「いつまで遊んでる。渡すものは渡したんだから早く行け」
「そんな言い方しないでよね、負け犬の癖に」
負け犬とは呼ばれているんだけど、こんなコートを作るなんて結構凄いと思うんだけどな。脳内にある『我道チップ』を乱してくれるなんて十分だと思うんだけどな。
「これも、我道博士の元で働いて居たときに元のデータを盗んできただけよ」
「うるさい。儂がこれまで奴に働いた分の退職金代わりじゃ」
「なーにが退職金よ。しっかりお金も貰ったんでしょ?」
犬飼博士……。
それは負け犬言われてもしょうがない。これだけの機械を使っても、我道博士のおさがりの研究してるだけってこと?
「その退職金でもっと凄い物を作っておる。今に見てろよ……って、最後まで聞けぇ!」
ヘレンは俺の腕を掴んでさっさと欠陥を使用して、『欠楽の園』から出ていってしまう。