1-9
姿勢を正し、再びハッチの前に立つ。
それはサッと開き、深闇の宇宙空間と小さな星々が見えた。
揺れはまだ続いているが、もう慣れた。
「よし!」
外に出ると急いで翼を広げた。
翼から細かい光の粒子が放たれ、慣性による動きが止まった。くるぶしのあたりにも小さな羽根がついている。それがセリナの姿勢制御、つまり上下を決めているようだ。
反転してみると、巨大な宇宙船が目に飛び込んできた。
昼間見た銀色の平面は宇宙船の外壁だったのだ。
ほとんど装飾はなく、鉛筆に見える。
しかし、見れば見るほど宇宙船の巨大さがわかる。
今しがたセリナが出てきた出入り口が移動している。セリナが考えている以上に速い。
翼を羽ばたかせ、宇宙船を追いかけた。
宇宙船の外壁で何かが動いている。
だが、まだよく見えない。
それより、早く宇宙船に取り付かないと広い宇宙に置いてけぼりにされてしまう。翼はセリナの考えに呼応するかのように激しく羽ばたいた。
手を伸ばし、宇宙船の壁につかまる。
宇宙船の側面に立つと、外壁を伝わってくる小さな振動を感じる。ガリガリと何かをかじっているようだ。
セリナは振り返った。
「わっ! クモ!」
目の前に自分と同じくらいの大きさのクモが何十体といた。毒々しい体の模様と大きな白い牙を持っていた。
セリナはクモ等、昆虫類が苦手だった。
卒倒しそうになったが、クモたちは宇宙船の壁に穴を開け、カプセルみたいなものを食っていた。それが見えたとき、意識がしっかりしてきた。
セリナは逃げようとした。
しかし、一匹のクモと目が合い、足を止めた。セリナの思考が一瞬停止した。そのとき、セリナの体は彼女の意思に反し、クモ型の生命体の群れに向かって翼を広げ、飛び立った。
驚いたのはセリナだ。
「えっえっ? やだ、やめて! 止めて! キャア!」
叫ぶが、一向に止まらない。
「な、なにあれ? 宇宙生物?」
接近していくごとにクモが大きくなっていく。
「と、止まって!」
だめだった。体を自分とは別の何者かが操っているかのようだ。そして、両腕が勝手に動き出し、杖を構えた。
クモ型宇宙生物の一匹が大きく牙を振りかざした。他のクモも一斉にこちらを向いた。
赤い光がいくつも見えた。それは目だった。
セリナは今、逃げ出すことだけを考えていた。しかし、飛行速度は上がっていく。
「ああっ! もう! どうして止まらないの?」
涙を流す機能がついていたら、セリナは確実に泣き出していただろう。
間近で見てみるとクモたちはとても大きい。セリナは宇宙生物を見て何か叫んだが、なんと言ったかは覚えていない。
間近で外壁に降り立ち、跳躍。その際に武器を振り上げ、一匹の頭に下から叩き込んだ。
「ウワッ」
思わず目を閉じた。クモの口から体液が飛び散り、顔にかかるところだった。
クモが悲鳴を上げたような気がした。
空気のない宇宙空間で音が伝えるはずがない。少なくとも、セリナの耳には何も聞こえなかったはずだが。
目を開けた。眼前に大小さまざまの緑色の球体が漂っていた。
その向こうには頭部が大きく変形したクモがいた。牙を小刻みにふるわせ、もだえていた。
―えっ?
そんなに強く叩いたつもりはなかった。クモは次第に動かなくなっていき、やがて宇宙船から離れていった。
両腕がセリナの意識に関係なく杖を持ち替え、槍の穂先を宇宙生物に向けた。
動かなくなったクモの腹部を突き刺した。何の手ごたえも返ってこなかった。
クモの腹に大きな穴が開いた。
槍の直径よりもはるかに大きな穴で、貫通していた。槍を刺したまま、投げ飛ばした。見る見るうちにそのクモは宇宙船から遠ざかっていった。
セリナは腕を見た。返り血がついていた。
―げっ。
緑色で、ねばねばしていて、生暖かくて、とにかく気持ち悪かった。
―な、なんで私がこんな目に……。
セリナの周りには返り血が球体となって漂っている。
セリナは後退した。血に触れたくないからだ。だが、そんなセリナの意思も無効化された。再びクモたちに向かっていったのである。顔や体に血がついてしまった。
これで泣きたくなったのは何度目だろう。
しかし、セリナは自分がやっているのだと思えないほどの強さを実感することになった。
翼を羽ばたかせ、宇宙船に降り立つ。別のクモの頭部に槍を突き刺し、柄を握り直した。足首の翼が小さく動いた。足の裏が宇宙船にピッタリと張り付いた感じだ。
セリナはクモを持ち上げた。そして、そのまま力任せに振り回し、隣の宇宙生物とぶつけた。二匹とも切断され、大量の血が漂った。
またセリナの意思とは関係なく、今度は群れの中に飛び込んでいった。
よく見えなかったがクモだけでなく、色々な種類の宇宙生物がいる。
非常にグロテスクな姿と不気味な色彩で、何に例えていいかわからない。
セリナが人間のままだったら、その場に座り込んで泣き出していただろう。腹の中には不平不満がたまって、混沌を為し、言葉にならない。涙は流れないが、目頭は熱い。
セリナは群れの中に入った。
そして、槍の穂先の近くを握り、振り回した。
重さは感じなかった。
その割には、虫たちは殴られるたびに遠くへ飛ばされていく。手ごたえも充分にある。振り回し、体を回転させ、再びなぎ払う。
何か特殊な装置があるに違いない。そうでなければ、セリナの体より大きな生命体が吹き飛ぶわけがない。
宇宙生物は少しずつセリナから離れていった。無数の赤い目がセリナを遠巻きにじっと見つめている。
静かだった。
自分の心臓の鼓動さえ聞こえなかった。
叩かれたり斬られたりして寸断された宇宙生物の肉片が浮遊し、慣性に従って漂泊している。
宇宙船をとり巻く小さな星は無限と思えるほどたくさん点在していた。