1-7
ユキと和人は今年のバレンタインデーから付き合い始めたそうだ。
―あの時か~。
セリナは知らないふりをして、事の顛末を聞いていた。
ユキから聞かされることは、セリナが知っていることばかりだった。
しかしセリナは一言も口を挟まなかった。
「そうかそうか、よかったね」
ユキはすまなそうにしていた。
「もういいの。告白したって、どうせ私はふられてたんだから」
セリナは笑っていた。意識して笑顔を作っていたのだ。
ユキの話であの時のことを思い出し、あの時と同じように胸が痛んだのだが。
もうすぐユキの家の近くだ。
「カズくんは私じゃなくて、ユキちゃんを選んだの。私は、ちょっと残念だったけど、あの人の気持ちは尊重したいしね。だからね、気にしなくていいよ」
セリナの語気が徐々に強くなっていく。
ユキと目が合った。彼女の目はうっすらと潤んでいる。
「うん……」
軽くうなずき、涙を拭くと、ユキは再び笑顔を見せた。
二人が交差点まで来たとき、ユキは角を曲がった。
「ありがとうセリナちゃん、またね」
「うん、それじゃ」
二人は互いに手をふった。
ユキが歩き出すとセリナは彼女の背に向かって、再びフランス語で叫んだ。
「Felicitations!(おめでとう)がんばって!」
ユキが振り返り、何か言おうとしたがセリナはその場から立ち去った。
ユキと別れてからは一人で帰路に着く。
「も~う、私なんかに遠慮せずに、彼氏と一緒に帰ったらいいのになぁ。ユキちゃんったら」
今のセリナは、夢のことなどすっかり忘れていた。
家に着いた。
表札にはアルファベットで『Gelee Blanche』とある。単語が二つ並んでいるが、これでひとつの言葉なのである。
玄関のドアノブに手をかける。
「あ、今日、ママンがいないんだ」
スカートのポケットから家の鍵を取り出した。
これから母親の代わりに夕食の仕度や洗濯物を取り込んだりと、いろいろと家事をしなければならない。
面倒だとは思わない。
以前からの約束だし、子供のころからやっていることなので習慣となっていた。おかげで料理がうまくなった。
―そういえば、この前の調理実習のとき、みんなからほめられたっけ。
セリナは自分の部屋に鞄を置くと、制服のままエプロンをつけた。
両親が帰ってきたのは夜八時過ぎ。
学校から帰ってきてから今までの時間は、兄弟姉妹のいないセリナには退屈なだけだ。
夕食を一人で済ませた後はテレビを見ているか、宿題をしているかのどちらかだった。
ノートを広げた。
あの夢のおかげで今日の学校でのことが一切消えているため、宿題が出たかどうかの確認と復習をするためだ。
宿題の有無は誰かに聞くとして、今日ばかりはさすがに復習しないといけない。
「まあ、成績は変わんないだろうけど」
セリナは塾に行っていない。受験に勝ち抜いても何にもならないと父が主張するからだ。
父の計画では、高校までは自由にさせてくれるが、その後はセリナをフランスの大学に入学させるつもりらしい。それは先行き不安な日本よりもフランス……というよりEU圏で生活を送らせたほうがいいということなのだろう。何よりフランスは二つ目の故郷だ。祖母も住んでいることだし。
部屋の戸を叩く音が聞こえてきた。
「セリナ、電話よ」
「Eh bien,Qui(え~、誰から)?」
面倒臭そうに返事し、顔を出す。部屋の前では母がコードレス電話を持って立っていた。
「同じクラスの雲野君から」
「ありがと」
受話器を受け取るとすぐに部屋の中に戻った。
「どうしたの?」
机の横のベッドに腰を下ろした。
「悪い悪い、今日の英語の宿題がわからなくてさ。教えてくれよ」
―へぇ、英語の宿題が出ていたのか。
セリナはいいよと答え、机にむかった。宿題は単元の最後の練習問題だった。
「で、どの問題?」
セリナは英語の教科書とノートを開いた。記憶はないが、ノートには今日の授業で習ったことが書かれてあった。
実は、英語の成績だけはよかった。
セリナは雲野に宿題を詳しく教えてやった。時々答えも教えてやった。それほど時間はかからなかった。
穴埋めから和訳から英文まで、宿題に出されていた問題の半分を教えてやったことになる。
「もういい?」
言った後で大きくあくびをした。
一方で受話器の向こうがわから聞こえてくるのはなんとも元気のいい声だった。
「いやあ、助かったよ。ありがとう」
「別にいいけど。そんなことより、宿題が出たのは英語だけだったの?」
「そうだね」
「じゃ、きるからね、お休み」
「すまねぇな、セリナ。愛してるよ」
「はいはい、どうも」
雲野と話していた問題をすばやく解き、答えをノートに書き写した。
席が隣ということもあり、セリナは雲野とよく話す。体育が好きで、成績もセリナと同程度。古典的なガキ大将がそのまま大きくなった感じの男だ。
居間に下りて電話を置き、両親に
「Bonne nuit(お休み)」
と告げ、自室に戻った。