1-3
二人は再び歩き出した。
「気分どう? 保健室で休む?」
「ノンメルシー。本当に大丈夫だから」
セリナはユキの肩をつかみ、方向転換させると彼女の背中を押した。
まだなにか言いたそうなユキだったが、セリナは笑ってごまかした。
授業中、セリナはあくびをかみ殺しながら、板書をノートに書きとめていた。いつものことだが、退屈な授業だった。
黒板から目をそらし、前の方の席を眺めてみる。
セリナの席は廊下側から数えて二列目の前から四番目。セリナが今見ている席は教壇のすぐ前の列、前から二番目。そこにはユキが座っている。
―よくこんな授業を聞いていられるよね。いいなぁ、真面目な性格の子 は……。
先生が黒板に何か書こうと生徒たちに背中を向けたとき、ユキが隣の男子生徒となにやら話しこんでいるのが見えた。
小声なので何を話しているのか知らないが、二人は時々顔を見合わせては、笑いあっている。
―キミタチ、授業中ですよー。
先生がふり返った。
セリナは頬杖を外した。ユキと男子生徒は話すのをやめた。
開けっ放しの窓から風が吹き込んでくる。
季節はもう秋になり、涼しくなったが生徒はまだ夏服のままだ。
たまに夏を引きずっているかのような暑い日はあるが、今日は秋らしい風が吹き、心地よかった。
―なんだか、眠くなってきちゃった。
まぶたが重く、頭も急激に下降してくる。
ガクッと首がたれ、額を机にぶつけそうになった。そのおかげで目が覚め、セリナは慌てて首を振る。
―今の、誰かに見られちゃったかなぁ。恥ずかしい……えええっ?
周囲を見回す。
セリナの目は完全に覚めてしまった。
「何、ここ?」
セリナは教室にはいなかった。そこには明かりがなく、何も見えなかった。
「あっ、あれ?」
両腕が動かない。両足も。顔を動かすたびに、頬にひも状のものが当たる。ワイヤーらしい。セリナの体にも巻きついているようだ。全身を固定され、指一本動かせない。
無理に動かそうとすると、ワイヤーが皮膚とこすれ、痛む。
服が違うのに気がついた。
動かせなくても、肌の感触でわかる。
首から下はすべて何かの繊維で覆われている。しかも、体にピッタリとフィットし、体の線がくっきりと出てしまいそうなボディスーツだ。
冷や汗が流れた。拭う代わりに激しく首を振った。
「これは、夢?」
頬をつねろうとしたが、手が動かせない。
眼前が急にまぶしくなった。
セリナは悲鳴を上げた。
全身に強烈な痺れを感じた。
一瞬で目の前が真っ暗になった。
自分の声が他人のもののように感じる。
小さな虫が体中、スミからスミまで這い回っている気がする。
肉体が反射的に細かく震え動く。しかし、そうすることで痛みが激しくなっていく。
ワイヤーによる体の拘束が、彼女の苦痛をますます増幅させた。
やがてしびれは止まった。途切れそうになる息を何とかつなぎ、意識を保つ。
「気分が……うっ、かはっ」
腹のそこから何かが突き上げてくる。セリナは顔を上げ、歯を食いしばって嘔吐感を何とかおさえる。頭も痛い。
そこへ、再び痺れが走る。
別の感覚がセリナの首から下をすべて占拠してしまった。
目を開けていられない。自分の体が広がり、膨らみ、溶けていく感じ。それが奇妙にも心地よく感じられてくる。今でも手足は拘束されているが、その感触が一刻一秒経つごとに消えていく。
もうろうとする意識の中で、セリナは笑う。
―目が覚めたら、またいつもの教室よ。きっと。
そう、ここはセリナのいる三年四組の教室で、化学の授業中のはずだ。左右の席には雲野君と震藤君が、前の席には露木さんがいるはずだ。
ユキちゃんはまた隣の席の生徒と話しているんだろう。
彼らは内緒にしているらしいが、二人は付き合っているし、自分もその場面を何度も見た。
ユキちゃん、メガネが似合っていてすごく可愛いし、親切で優しい。
隣の席の霧沢和人君も成績優秀で、サッカー部のエース、見た目も結構かっこいい。
お似合いだと思うから隠す必要ないのに。
もうすぐ先生が肩を叩き『起きなさい』と言うだろう。そして、クラスメートたちは自分を見て笑い出すことだろう。
もういいかな。
セリナは目を開けた。
―えっ……。
目の前に教室はなかった。彼女の視線の中には銀色の壁がある。
体が動く。拘束はない。
さっきの赤いロボットが設置された場所が縮小したようだった。ちょうど、体育館ぐらいの大きさだ。
「やな夢、いつまで続くんだろう」
舌打ちしたが音は鳴らなかった。
さっさと起こしてくれないかな、とセリナは途方にくれる。
もっと見たいと思う夢は、いつもいいところで終わってしまうのに。
―どうなってんだろ。
早く起こしてほしかった。
周囲が鉄の壁で囲まれ、ネズミ一匹いそうにない、何の音も聞こえない寂しい場所。
こんな変な空間から一刻も早く逃げ出したかった。
しかし、どうしたらいいかわからない。ただ立っていることしか思いつかなかった。
「夢の続きなのかしら、それとも別の?」
その場に立ったまま、首をかしげた。
「何なの、いったい」
セリナの独り言だ。
自分でもよく分かる。
明らかに狼狽している。声が震えている。両足でしっかり立っていたはずなのに、天井と床が逆転してしまいそうな気がする。倒れそうになる足に力を入れ、踏みとどまり、体勢を保つ。
「夢じゃ、ないの?」
セリナは自分の体を見て驚いた。瞬きも、呼吸も、身動きも忘れ、まさに石になったかのように硬直してしまった。
自分の体が、人間のものじゃなくなっている。流線型で赤くて、金属で覆われていて、鎧のようだ。その割には重みも不快感もない。
でも、どこかで見たことがある。
両手を開き、のぞきこむ。
血塗られたような真っ赤な手のひら、そして尖った指先。自分の意志で動くが、自分のものだとは思いたくなかった。