2-7
セリナは思わず周囲を見回した。覗いている者はいないようだ。
嬉しさと気恥ずかしさですっかりうろたえてしまい、完全に平常心を失っていた。
両足は地面についているものの、例の夢のように宇宙空間を歩いている感じだった。
再び和人に視線を戻す。
少しだけだが、彼との距離は詰まっていた。
いつの間にか、セリナの鼓動は高まり、その場から動けなくなった。でも、苦痛ではない。
それどころか、こうしている時間がずっと続いてほしいとさえ思っていた。
わずかに足を動かしたとき、セリナの踵が石に躓いた。
「ワッ」
痛みはそれほどでもなく、すぐに起き上がった。
「大丈夫?」
和人が手を差し伸べてくる。その手をとり立ち上がる。
セリナはあのときのことを思い出していた。
―同じだ。
ユキも石に躓いた。自分は後ろに倒れたが、ユキは前に倒れ、和人に抱きとめられた。
セリナは冷静さを取り戻した。
「ちょっと。ちょっと待って」
セリナは両手を突き出し、和人を制した。
「どうした?」
息が荒くなっていた。
和人を制止させると、大きく深呼吸をした。
何度か息を吸って気持ちを落ち着けた後、思い切って尋ねてみた。
「雪村弥生って子、知ってるかな?」
返ってきた答えは、みんなと同じ『知らない』だった。
これにはセリナは驚き、愕然とした。狼狽が収まり、足がしっかりしてきたが。膝が笑い始めた。
「知らないって……。もしかしてカズ君まで忘れているの? まったく覚えていないの? その子、あなたの彼女だったのよ? 今年の二月十四日、この場所で私たちと同じこと話してた。そんなことも、忘れてしまったの?」
「ちょっと待ってくれ。なに言ってるんだか、さっぱりわからないよ」
言いたいことが次々と頭の中に浮かんできた。
しかし、口の中でぐっと言葉をかみ殺し、にらみつけるように彼の両目をじっと見詰めてみた。
嘘はついていないようだ。
そんな和人の表情を見ているうちに、セリナは自分の視界が暗転していくような気がしてきた。
「本当に昨日までいたんだよ。カズくんの隣の席だったし、あんなに仲良かったのに」
ここで和人にまで「知らない」といわれると、ユキは本当に消えてしまったかのような気になってくる。
「そんなこといわれても」
「私ははっきりと覚えてる。それなのに! 当のカズくんが忘れているなんて! それじゃ、ユキちゃんがかわいそうだよ!」
和人は何も言わなかった。
話しているうちに、セリナの語気が荒くなった。
目頭が熱くなり、涙がこぼれかけてきたので、手の甲でぬぐった。
自分の親友が好きだった人の記憶から、彼女の存在が忘れられているなんて。ひどい話だった。
―私は覚えているのに。どうしてみんなは忘れてしまったの?カズくん、せめて、あなただけでも思い出してあげて。
おさまっていたはずの鼓動が高鳴ってきた。握り締めていた拳を開くと、掌には多量の汗がにじみ出ていた。
和人はうつむき、セリナと目を合わせようとはしなかった。
―私のことは変だと思ってもいいよ。もともと好きと言われることなんかなかったし。でも、それでも……。
それでもユキのことは思い出してほしかった。いなくなったからとユキの代わりに和人の彼女になろうとは考えなかった。
「ごめん。でも、何とかして思い出すから」
セリナは小声で、ありがとう、といった。だが、和人は『わからない』を別の言葉に置き換えているだけだということに、セリナは気がついた。
「変なこと言って、ごめんなさい」
セリナは深く頭を下げて謝った。
「さっきの答えだけど」
「うん」
和人と目があった。彼の表情に浮かんでいた困惑の気持ちは、少しずつしぼんでいるようだ。
「言ってくれて、すごく嬉しかった。でも、今はまだ答えられない。もう少し、待って」
「わかった」
セリナは和人の返事を聞くとすぐに顔を伏せた。和人の顔が見れなかった。そしてそのまま、そそくさとその場から立ち去った。
―みんな忘れてる……。
また涙があふれてきた。




