No.1
少し色づいた木の葉が、風でそよそよとなびく季節。
桜色の髪を風になびかせながら、少女はキョロキョロと辺りを見回した。
数時間、テクテクとひたすら歩き続けて来た街道沿いに、段々と建物が増えてきた気がする。
それにともない、どこもかしこも、花と果実の露店商が並び始め、風に乗って食欲をそそるような良い香りが漂ってくる。
「うわぁ… ッ! 美味しそうなものがいっぱいー!」
思わず声に出しながら、少女は駆け出した。
この少女――チェリーが立ち寄った村は、秋の収穫祭の真っ最中だった。
****
食堂兼宿屋に入るや否や、チェリーは早速、村の名物料理や特産品の果実酒を注文した。
「マスター! クランベリーパイと虹鱒の香草焼き、チーズドリアにオレンジワインねー!」
大きな声に驚く主人は、ハイハイと頷きに厨房に消えた。
しばらくして、テーブルに届いた料理を短時間でたいらげ、お酒を次々と飲んでは注文を繰り返す。
(お祭りの日くらい、ハメをはずしてもいいよね~♪)
そんなことを考えながら、その後も飲み食いをひたすら続け…
数刻後、やっとチェリーは注文の手を止めた。
「まふた~、おかんじょぉぉ」
ろれつが回らない口で主人を呼び、やっとこさフラフラと椅子から立ち上がる。
と、その時。
酒に酔った体が言うことを聞かず、足がもつれて、前のめりにつんのめった。
「おっとととぉ…」
バランスを保とうと伸ばした手の先に、布切れがあったので思わずそれを掴む。
「ふぐあっ!?!?」
素っ頓狂な大声とともに、チェリーにマントを引っ張られた禿げっつらの大男が、一緒になって床になだれ込む。
どっしーーーーん!!!!
大音量とともに、チェリーと大男は、酒場の床に倒れこんだ。
「こんじゃらああああ!!!! なにしやがる!!!!」
意味不明な大声を出しながら立ち上がった大男は、つるっぴかな頭のてっぺんまで赤く 染まりながら、チェリーを見下ろして仁王立ちした。
しかし、チェリーも酒が回っているため思考回路がうまく働かず、じろっと大男を見上げながら、フラフラと立ち上がる。
「にゃによぉ~、そんなところにぼーと突っ立ってたのが悪いんでしょぉぉ」
ろれつが回らない口を閉じることをせず、チェリーはそのまま、ビシィ!!!っと大男を指差した。
……厳密には、酔った焦点で少しずれていたため、禿かえった頭のてっぺんを指差していたが…
「みぃんあが通る通路の真ん中に、マントかけの木偶の棒みたいにつったってたら、ただのでくのぼーだと思っちゃたじゃない! ……」
謝りもせずに一気にまくしたてると、一息、息を吸って大男を見上げた。
「……あ、でくのぼーじゃなくて、たこのぼーだった」
チェリーのその言葉に、周りの客が失笑する。
途端、大男は赤くなった頭をさらにゆであがらせ、すっかり茹蛸のように、頭から湯気を発しながらどらり散らした。
「なんだとぉぉ!? もう完全に頭にきた! 叩き切ってやる!!!」
「おぉ~、やれるものならやってみなしゅあい!」
と、チェリーが腰に手を伸ばすと…、いつもなら腰につけているはずの細剣が無い!
(ああああ~~、席に置きっぱなしだったぁ!)
一気に酒の酔いから冷め、顔の血の気が引くチェリーに気づいてニヤリとした大男は、背中に背負っていた剣を一気に引き抜いた!!!
ガンッッッッ!!!!!
その剣がチェリーに振り下ろされる前に、何かにぶつかった音がした。
どうやら、大男の後ろを通りかかった若い青年の鎧に剣が直撃したらしい。
しかし、青年はよろめき倒れることもなく、そのままゆっくり大男の方を振り向いた。
「あんだぁ? お前も邪魔をするのか!?」
大男が、青年に向き直って剣を構えなおした瞬間――!
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
たこ男…いや、ハゲ男の大声が店内に響き渡った。
霞色の髪の青年が、剣を握った大男の腕をひねり上げていた。
「は、は、はなせコンチクショー!」
大男が暴れて、青年の手を振りほどこうとする前に、青年は体をひねって大男の腕をそのまま背中に担ぎ上げ、一本背負いを決めて茹で上がった蛸(男)の巨体を床に打ちつけた。
ドッシーン!
頭から墜ちた大男は、そのまま床の上に、文字通り『大の字』になって伸びきった。
「…わぁ~、タコがのびたぁ…」
大男と青年の一部始終を見ていたチェリーは、乱れたマントを正した青年と目が合う。
スラッと背の高い、菫色の瞳の青年。
その瞬間、チェリーの顔から火が出た。
…いや、実際には出ていないが、突然顔が真っ赤になり、火が出たように火照りだしたのだ。
そう、まるでさっきのタコ男のように。
青年は、特に何事もなかったように、そのまま店を出ようと歩き出した。
「あっ…」
助けてもらったお礼を言わなくてはと、チェリーは慌てた。
急いでテーブルに食事代を置き、そのままふらつく足取りでなんとかかんとか追いかける。
丁度、青年が店の外に出たあたりで、背中に声をかけることが出来た。
「ま、まって~! あっ!」
その声に青年は立ち止まり振り向いたが、チェリーはふらつく足が絡まり、勢いづいたまま青年の胸の中に激突してしまった。
ガンッ!
胸に着込んだ鋼製の鎧に思いっきり顔面を強打したチェリーは、目の前に星が飛び散って眼を回し、思わず両手で顔を覆った。
「あいったたたたた!」
「……」
青年は、自分の胸に突然タックルしてきた少女を、不思議そうに見下ろす。
そして声をかけた。
「……何?」
その声に、チェリーはハッとして見上げた。
かなりの至近距離から聞こえた声の元は、すぐ目の前にあった。
近すぎる顔に慌てて飛びのき、鼻血をぬぐいながら、チェリーは青年に向かいなおり、ペコっと頭を下げる。
「あの…さっきはありがとう! 絡まれてるタコ、やっつけてくれて!」
まだ完全に酒が抜け切ってないせいか、言っていることが支離滅裂であった。
しかし、なんとか青年も理解できたらしい。
「…ああ、別に。…俺が斬られたから、やっただけだし」
「えっ、だ、大丈夫!?」
斬られたと聞いて、チェリーは真っ赤だった顔から血の気が引いて、真っ青になった。
「…鎧に、傷がついただけだ」
青年のその言葉に、チェリーはホッとする。
「あ、そ、そっか。あっ!でも、鎧って高いよね!? 傷とかついたら…」
「…鎧は傷つくのがあたりまえだろう?」
青年は、何バ力なことを言っているんだ?とでもいいたげな顔を見せた。
「そ、そっか。とにかく、どうもありがとう!」
チェリーは、もう一度深々と頭を下げた。
青年は、しばらく黙っていたが、小さく息を吐いた後、
「…用事はそれだけか? …じゃあ、もう行くから」
すぐに踵を返して、その場から立ち去ろうとした。
「あっ、待って!」
思わずチェリーは、青年のマントを後ろから引っ張った。
首がグイッと絞まった青年は、今度は眉間にしわを寄せながら振り返り、苛立った声でチェリーに言った。
「……なんなんだあんた? まだ何か用か?」
「あ、あの…名前聞いてないから」
「名乗る必要ない」
「ある! 教えて!」
「ないね」
「あるの!」
酒の勢いもあり、引こうとしないチェリーに対し、青年は面倒臭そうに言った。
「……ライラック」
「ライラック…?」
「もういいだろう。じゃあな」
「あっ、まっ…」
今度こそさっさと行こうとするライラックを、再度呼び止めようとしたチェリーが手を伸ばすと…
キィンキィンキィン……
チェリーの胸元から、突然金属の鳴るような音が響いた。
「えっ?」
あまりにも唐突な音に、チェリーは慌てて音の元を探す。
すると、首からかけていた、小さな懐中時計から音色が響いている。
「な、何で? 今までこんなことなかったのに」
そう言って慌てるチェリーを見て、ライラックは呟いた。
「……唄石か?」
「え?」
急にかけられた言葉の意味がわからず、懐中時計を手に乗せたまま、チェリーはライラックを見上げた。
するとライラックは、何かに気づいたように、ごそごそと懐から何かを取り出した。
「ハーモニカ……!」
ライラックに差し出されたものを見て、チェリーは声をあげる。
よくみると、銀色のハーモニカも、僅かに震えながら、微かな音で綺麗な音色を奏でていた。
「な、何? この……唄石?でできてるものは、近づくと鳴るの?」
不思議な現象に頭のなかが追い付かず、思わずチェリーは言った。
ライラックは、静かに首を横に振ると、
「……そんな話は聞いたことがない。ただ、音を発する金属が存在する……それが唄石だときいたことがあるだけだ」
「で、でも……」
困惑するチェリーが手に乗せているものは、どう見ても金の懐中時計。
ライラックが持っているのは、銀のハーモニカだった。
そんな二人が見つめるなか、ふとそれぞれの音も止まり、静寂が戻った。
「何だったんだろう……?」
二人とも訳がわからず、その場に立ちすくむ。
沈黙を破ったのは、チェリーだった。
「うん、決めた! 私、貴方と一緒に行く!」
にこやかに言い切った少女の言葉を、ライラックは理解出来なかった。
「……は?」
「は?じゃなくて。だって、何が原因で音が鳴ったか、気になるし! 私、あてのない旅に出たばかりだったから、貴方と一緒に行く!行きたい!」
オモチャをねだるだだっ子のように、チェリーはライラックを上目遣いで見上げた。
ライラックは呆気にとられて無言でいたが、しばらくして、ハァと小さく息を吐き、言った。
「……まあ、俺も、音の件は気になるが……」
「じゃあ、決まりね!わーい、じゃあ、二人のパーティー結成記念に、お祝いしよー!」
「お祝いってあんた、さっきまで散々飲んでたんじゃ……」
「細かいことは気にしない!さあ行こう~♪」
「お、おい」
まだ良いいとも悪いとも言っていないライラックを引っ張って、チェリーは駆け出した。
……この日が、それぞれの運命を大きく変えた日となることを、まだ二人は知るよしもなかった。