終章 空想と現実のトレジャーハンター
「―――あれは私小説だな」「!?」
思わず口の中の液体を噴き出し、慌てて立ち上がった。サイドテーブルへ手を伸ばし、ティッシュに手を伸ばす。うえぇ!動いたせいで、鼻にも炭酸が沁みるー!!
「よ、読んだのかまさか?」
小説は一切見ないと聞いて、安心して色々書き散らしていたのだが。
「エルシェンカに勧められて、仕方なくだ」
連合政府のナンバーツーの名前を出し、尖った顎を上げた。
「勿論買ってはいないぞ?資料ならともかく、あんな物図書館で充分だ。残念だったな」
「作者を前にして堂々と言う台詞かよそれ。……読んだって、出版された奴全部か?」
「一巻で止めたかったのは山々だが、手にしていた所で運悪くあいつに出くわして、な。結局予約して全て目を通す羽目になった」
机の横に立て掛けた杖をチラ見し、嘆息。
「まあ、それなりに面白かったぞ。よく分からんが、エンターテイメントとしてはどうにか成立している。ただ―――」ギロッ!「誰がイディオ(愚か者)だ?そいつは軽率極まりなく、どう生計を立てているかちっとも分からん主人公にこそ付けるべき名前だろう。そ、それに……」
老人性乾燥症の耳を真っ赤にしてどもる。
「確かオネットは『誠実』と言う意味だった筈だ。つ、つまりあの娘のモデルは……」
協会員達に冷徹鬼、歩く悪魔と渾名される相棒は勢い良く机に突っ伏した。
「あれ、似てなかった?」
「似過ぎていて逆に読んでいるこっちが木っ端恥ずかしいんだ!何て物を発表してくれたのだ貴様は!?」
ガンガンッ!癇癪を起こして机の脚を蹴り、怒りを発散させる。うわあ、いい年してマジ子供だなこっち方面は。
「『どうせつまらない売文だろう』って確認しなかったのはお前じゃないか。何を今更」
発売二十周年を越え、漫画も含めたシリーズ累計発行部数は約四十五万冊。大ヒットとまではいかないが、方々の御支持を頂いて息長くやらせてもらっている。
「大丈夫さ。今の所、彼女が小晶さんだって気付いた読者はいないみたいだし」
担当の編集者にも何度かモデルを訊かれたが、こればかりは墓の下まで持って行く秘密だ。
「だろうな。もし万が一勘付かれていたら、今頃貴様は第七共の手で狐体実験に処されている筈だ」
老人は俺の首根っこを掴み、ぶらーん。呼気に含まれる柚子独特の香りが鼻腔を刺激する。
「止めろよ。ただでさえ最近皮が余って垂れてきたってのに」
「お互い様だ。あぁ……駄目だ。疲れた。止めだ止めだ、明日にしよう」
箱を抽斗へ放り込み、左側頭部を机に置く。
「スタミナ切れか?人外とも噂されてるユアン爺様にしちゃ珍しい」
「今日が暑過ぎたんだ。くそ、矢張り年には勝てんな」
「お前以上に元気な爺がいるかよ。―――じゃあ、そろそろ毎年恒例の鰻を食いに行くか。今年は大漁で安いらしいぞ」
「そうだな、本格的にバテたら厄介だ。ただでさえ最近は髭の息子が、やれ人間ドッグだ老人ホームだと小五月蝿い事この上無い。倒れでもしたら奴め、嬉々としてブチ込む腹積もりに決まっている」
そりゃ会議には出ないわ、人事も経理も全部押し付けるわ、しょっちゅう俺を拉致して勝手に遺跡探索行くわの傍若無人振り。なのに協会の誰よりも成果を上げているんだ。最早目の上のタンコブってレベルじゃねえ。
俺があいつなら、まずは絶対検死でバレない毒物を探し求めるな。こいつは寝起きに必ず冷蔵庫のミネラルウォーターを飲むから、それにこっそり混ぜればかなりの確率で……。
「おい。今何か邪な事を考えただろう?」
「!?ま、まさかぁ……髭の息子じゃあるまいし、俺は四十年来の大親友だぞ?毒殺なんてそんな物騒な―――ギャッ!!」
上下左右にブンブン振られ、危うくチューハイを戻しそうになった。可愛い盛りはとっくの昔に過ぎたが、いたいけな小動物に何をする!?
「自業自得だ。フン……ババアの脅しに屈さず、あの時意地でも追い出しておけば良かったかもな」
「つれない事言うなよ。謝るからさ」解放された首を撫で、頭を軽く下げた。
生前の母がこの偏屈者をどう説得したのか。長年の情報収集の末の仮説が、一つだけある。だが確かめるつもりは毛頭無い。親友の余裕って奴だ。
俺を机の上に下ろし、相棒は唇をへの字に歪めた。
「ぬかせ、エロ狐。先週もその軽口で新しいババアを引っ掛けていただろう?全く、貴様の悪癖は一度死なない限り治らんな」
「お褒めの言葉どうも。ついでに言うと、あの子とは付き合ってそろそろ半年。いつもはお前が引き籠っている間にデートしてるの」
「デート?セックスの間違いだろう、この万年発情期め。いい加減に自重しろ」
バチン!額にデコピンを食らわせ、老人はゲラゲラ笑う。何時にない陽気さに、思わず体毛の下を怖気が走った。
「お、おいユアン。まさか、お前もあれっぽっちで酔ったのか?」
幾ら滅多に飲まない上疲労が溜まっているからって、たかがチューハイだぞ!?
「馬鹿言うな。そこでくたばっている女狐じゃあるまいに」
自分のベッドでスヤスヤ寝息を立てる姉を一瞥し、不敵に笑む。駄目だ、こいつ完全に(三パーセントの)アルコールが脳味噌まで回ってやがる!
奴は目を閉じ、眉間に定着した亀裂を僅かに和らげた。
「にしても本当にだるい……まさか厄介な病気じゃないだろうな……?」
「今度小晶さんに診てもらえよ」
「馬鹿言え……そんな情けない真似、誰が………」
寝落ちを確認して床に降り、人型に変化。ギックリ腰にならないよう気を付けながら上半身を持ち上げ、ベッドまで引き摺って布団に入れた。続いて隣に眠る姉の細い身体へ腕を回す。
「ほら、姉ちゃん」
「ん……連れて行って」
「はいはい」
肩を貸して部屋を出、廊下の一番端のドアを開ける。髭の息子がマメに掃除しているらしく、協会唯一の客室には埃一つ無かった。
シーツの上でぐんにゃり横たわった姉は変身を解き、見る見る赤狐の姿に戻っていく。昔に比べて幾分小さくなった本体に、纏っていたドレスがまるで布団のようだ。
「何であんたが連れて来るのよぉ……!?ユアンの馬鹿……」
口をもごもごさせつつ、運んでやった恩人に愚痴る。
「向こうも酔い潰れたんだからしょうがないだろ。寒くない?」
夏毛の生えた頭を撫でながら、隅に畳んであったブランケットを首まで掛けた。
「うん……ありがとう。お休みなさい、ネイシェ……」
「ああ、お休み」
ユアンの部屋へ戻った所で、変身解除。軽くなった身体で寝台へ跳び乗ると、相棒は何時に無く熟睡していた。どうも本人の自覚以上に疲労が溜まっていたようだ。
もぞもぞ。いつも通り布団の中へ入り込み、奴の寝返りの圏外へ移動。少し暑かったので尻尾と頭を外に出す。
「……待て、――――……。貴様、小晶を置いて行くとは何事だ……そこへ直れ……!」
(夢の中まで糞真面目な奴……)
俺は体勢を横向きにし、卓上に置かれた石の小鳥を見やる。レシピはしばらく前、後学のために連合政府へ寄贈した。現在は常に十数枚が詰め込まれたメモスタンドとして使用されている。
小瑠璃の鳥言葉は、『困難を成し遂げる実践者』。正に現在の持ち主を象徴している。尤も、肝心のやってる事が微妙にズレてるのが玉に瑕だけどな。
「待てと言っているだろうが!!」「いてえっ!!?」
射程外と思って完全に油断していた。尻尾を千切れんばかりに引っ張られ、爺とは思えない厚い胸板へ無理矢理全身を押し付けられる。ぎゃああっっっ!!
「やっと捕まえたぞ……ふふ、ふふふ……」
「痛え上に気持ち悪いんだよ、このボケ老人が!!」
寝言を言いつつほくそ笑んだ頬へ、俺様の華麗な後脚キックが炸裂した。




