二十章 四十年後再度
コンコン。「入るわよ二人共」ガチャッ。
母ミーヌの死後、姉は一族が代々引き継いできた組織をあっさり解体した。と言っても殆どの資産と人材はこのトレジャーハンター協会へ寄贈され、彼女自身もちゃっかり顧問に就任。還暦を超えてもやんちゃな代表に代わり、政府館へ赴く事もしばしばだ。
「やっぱりまだ起きてた。ネイシェ、またへばってるの?」
いつも以上にハードな宝探しで持病の腰痛が悪化し、ベッドに突っ伏した俺を膝の上に乗せて撫でてくれる。反対の手には、缶チューハイが三本入ったビニール袋。亡くなった両親と違い、姉は年と共に酒に弱くなってしまった。なので最近は努めてライトなドリンクを飲むようにしているらしい。
「徹夜で原稿上げた矢先のトレジャーハントだぜ?この年でそりゃキツいって」
「何だかんだ言って、あんたは病気一つしないからね。一体何時になったら引退させてもらえる事やら。ねえ、ユアン?」
大分前に心筋梗塞を起こし早々とドロップアウトした彼女は、皺の寄った唇を広げてカラカラ笑う。その表情に若い頃のやや神経質な影は何処にも無かった。
「鍛え方が足りん。ところで何の用だ、ババア狐?もう例の資料が手に入ったのか?」
「あんただって充分ジジイでしょ?まだ。今何件かの古書屋に問い合わせている所」
「フン。なら何だ?こっちは見ての通り忙しい」
カチャカチャッ。今日の遺跡で発見したばかりのカラクリ箱を弄り回し、何とか開けようと試みながら尋ねる。
「それこそ何時もの事じゃない」ガサッ。袋を持つ腕を上げる。「わざわざ買って来てあげたわよ。飲まない?」
「断る。アルコールを入れると指先が狂うんでな」
長年の付き合いで見事に無視し、プシュッ!俺を一旦脇に避けて立ち上がり、プルタブを開けた柚子チューハイを机に置いて戻る。
「梅とオレンジ、どっちがいい?」
「じゃあ梅」
「はい」
差し入れを受け取り、厚いペンたこの出来た前脚で引っ掛ける。流石に目の前のブツを無視する訳にもいかないと思ったのか、頑固爺も手を止めた。缶を手にし、こちらを振り返る。
「かんぱーい!」「乾杯!」「夜中だぞ。大声を出すな」カン、カンッ。
三者三様の音頭を取り、よく分からんままに祝杯を一口含む。梅の酸味と三パーセントのアルコールが疲れた身体に沁み渡り、しゅわしゅわの炭酸が後味をスッキリさせた。
「美味しい……」
早くも酔ったのか、仏頂面で中身を咽喉に流し込む相棒の背中へしなだれかかる姉。
「止めろ、重い」
「もう。皺が増えた以外、昔とちっとも変わらないんだから……」
シックな焦げ茶色のドレスから色の抜けかけた赤毛の尻尾を出し、奴の脚に絡める。狐族特有の求愛行動だ。
「おい離れろ。それにお前、獣臭いぞ。ちゃんと風呂に入っているのか?」
「あんただって、古文書の触り過ぎで黴臭さが身体中に染み付いてるわ。自分じゃ分からないでしょうけど」
空の缶を床に置き、老人の腰をぎゅう。
「ネイシェ、この酔っ払いを何とかしろ。作業に戻れん」
「私の初恋の話、訊きたい?」
誰も言っていないのに、勝手にいつもの口上を始める。
「そいつ、とにかく凄く酷い奴なの。いっつもムッツリ愛想が無くて、女の子に対する優しさだって欠片も無い。おまけにゲイの性格最低男」
ケラケラケラ。アルコールが効き過ぎているらしく、笑いは止まらない。
「またその話か」溜息。「ああ、分かった分かった。要するにお前は私が好きだったんだろう?」
心底うんざりした様子で奴が問うと同時に、酔いどれは白髪混じりの銀髪を引っ張った。
「痛い!止めんか女狐!!」
「そんな身も蓋も無い過去形にしないでよう!ねえ、私だって小晶さんより勝っている物が一個ぐらいあるでしょ?言うまで放さないんだからぁ!」駄々を捏ねる。
「それなら確実に二つはあるぞ!その面の皺の数と、どうしようもない酒癖の悪さだ!大体貴様、酒を飲む度に毎度毎度絡むな!!こっちは良い迷惑だ!!」
言うなりむんずと首根っこを掴み、ずるずる。力の抜けた身体をベッドまで引き摺った。ドサッ!俺の隣に寝かせ、再び定位置の椅子へ戻る。
「待ってよう……ユアンのいけず……Zzz」
早っ!元気そうに見えても、やっぱり若い頃に比べると随分弱くなったんだな。
奴は缶の残りを一気に呷り、何事も無かったようにカラクリ箱へ向かい合う。指先が鈍ると言っていたが、傍目からは全くと言っていい程気付かないレベルだった。