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九章 緊迫の夕食会



「わ!本当にここ?」


 高級住宅街だから豪邸とは思っていたが、まさか競馬出来る程の庭付きとは!丸い白屋根の三階建ては、大通りからもよく見えた。言うまでもなく瞑洛で一、二を争う大豪邸だ。

「元々はあなたのお婆様の家なのよ。三年前に亡くなったから私が相続したの。どう、気に入った?」

 水仙柄の扇子で自らの首元へ風を送りながら母は説明した。

「ふーん」

 母方の実家の話は全くと言っていい程聞いた事が無い。銀狐族は女系一族で、後継とされる姉ちゃんは色々教えられていたみたいだけど。

「ネイシェの部屋もちゃんと用意してあるのよ。今度案内してあげるわ」

「俺の?ちょっと待てよ母さん。引っ越す予定なんて当分」

 慌てて否定するが、母は眉一つ動かさず続けた。

「いいじゃない。部屋は幾らでも余っているの。トイレもバスルームも無駄に沢山あって」

「そりゃ広いよな」

 内一人はほぼ完全な狐。どう考えても住人に対して居住面積が広過ぎる。

 玄関ロビーは全面大理石、外観通りの豪華絢爛さだ。そして目の前の階段上から、タレを絡めて焼かれるあの何とも言えない香りが漂ってきた。取り敢えずメインは鰻重だろ。肝吸いと「う」巻きが付いて、〆は茶漬けがいいなあ。

「いい匂いー❤こいつはかなり期待出来そうだな。―――おい、ユアン?」

 肩を貸す相棒は、苦虫を噛み潰したような表情のまま硬直していた。どうやら道中もひたすら解読方法を考え続けていたようだ。道理で道中、すれ違う通行人達がギョッとしていた訳だ。こんな恐ろしい男が歩いてきたら、俺だって一目散に逃げたくなる。

「ほら、美味い飯が待ってるぞ。栄養が頭に回ったら、きっと良いアイデアも浮かぶさ」

「そうよユアンさん。鰻は身体の疲れだけでなく、脳にも良いらしいわ。沢山召し上がっていってね」

「……ああ」

 辛うじて返事はしたものの、眉間の皺は取れる気配すら無い。仕方ない。まあ食卓に着けば少しは直るだろう。


 ガチャッ。キィ。「お帰りママ、ネイシェ―――それにユアン・ヴィー」


 一足先に着席していた姉ちゃんは腕と脚を組み、キッ!と奴を睨み付けた。

 純白のクロスが掛かった長いテーブルに、椅子は四つ。姉はその一番奥に掛けていた。彼女の目の前ではパタパタパタ……この星一番の板前が、団扇片手に蒲焼を調理中。炭火を起こした鰻焼き器の右隣には、既に艶々の白米を敷き詰めた重箱が人数分スタンバイしていた。

「いらっしゃい、お客人方。見ての通り焼きに入っているので、先に吸い物と茶をお出しします。よく冷えた吟醸酒も御用意していますが、如何ですか?」

 団扇を一旦止め、四十代らしき料理人はそう気さくに話し掛けてきた。

「お、いいね。今日は暑かったしもらうよ。ユアンはどうする?」

「要らん」だと思った。

 入口から順にユアン、俺、母さんの順で座る。と言っても俺は本体故、椅子ではなく卓上で直に腰を下ろした。板前は背後に据え付けた簡易キッチンの冷蔵庫を開け、(わざわざ今夜のためだけに設置したのか?出張料もきっと馬鹿にならない額なのだろう)有名な最高級吟醸酒の一升瓶を取り出した。


 トクトクトク……三つの切り子グラスを満たす、透明な液体。「どうぞ」「ありがとう」


 ユアンにも冷えた玉露が渡され、それでは、母は頭上へグラスを掲げた。


「久し振りの家族の団欒に乾杯」「乾杯」チィン、チィン。


 グイッ。安いウイスキーと違い、微かに甘くてキリリとしたアルコールが五臓六腑に沁み渡る。「美味い!」 

「そう?気に入ったなら帰りに一瓶持って帰りなさい」

 母と姉は飲み慣れているらしく、淡々と半分空ける。相棒は咽喉が渇いていたのか、すぐさまお代わりを所望した。

 二杯目の茶は肝吸いと共にテーブルへ。肝の白と三つ葉の緑、椀の赤のコントラストが素晴らしい。

 ずずっ。「今日も出汁が良く出ているわね。美味しいわ」

「ありがとうございますお嬢様。もうすぐ焼き上がりますので」

 言って串に刺さった鰻を引っ繰り返す。裏側はもうジュージューと脂が滴っていた。タレを塗り直され、最後の焼きに入る。


「―――ねえ、小瑠璃遺跡の捜索は進んでいるの?」


 頬を上気させた姉ちゃんは杯を置き、警戒気味にユアンへ尋ねた。

「座標の解析は済んだ。後は何処の星か特定するだけだ」空の椀を端に寄せながら事も無げに言う。

「嘘!?私とママでさえ解読に一週間掛かったのよ!それをたった二日で……有り得ないわ!!」

「何なら答え合わせしてみるか?」

 ユアンはポケットから破り取ったメモを取り出し、俺の頭上越しに姉へ差し出した。

「どうだ?」

「―――合ってる」

「当たり前だ」鼻を鳴らす。「だから教えろ、お前等の故郷についての情報をな」

「残念だけど知らないわ。シュビドゥチの長のパパでさえ何も聞いてなかったのよ?私達が知っている筈無い」

 無収穫に冷徹な視線で答えた奴は次の瞬間、俄かには信じられない一言を発しやがった。


「―――フン。たかが自分のルーツさえ知らんとは、天下の裏組織シルバーフォックスが聞いて呆れる」「っ!!!?」


「お待たせしました。どうぞお召し上がり下さい」

 何も知らない風を装った板前が、焼き上がったばかりの鰻を目一杯入れた重箱を各々の前へ置く。『串打ち三年、割き八年、焼き一生』などと言われるが、何処からどう見ても非の打ち所の無いふっくら加減だ。

「さ、頂きましょう。ネイシェはスプーンがいいかしら?」

「いや、箸で食えるよ。ありがと母さん――――って、ちげえ!!」

 隣の相棒に前脚を突き付け、藪から棒に何ぬかしてるんだユアン!!何で姉ちゃんがあいつ等の仲間になんだよ!?腹の底から怒鳴った。

「食事中だぞ。静かにしろ、畜生が」溜息。「女。貴様、何度か私達と同じ場に居合わせたな?最近だと“紫の星”からの定期船の中か。―――おい、まだ気付かんのか?下手な船員のコスプレをして私達に飲み物を持って来た船員だ」

「え、マジで?」

 言われてみれば似ているような気もするが、正直よく覚えてない。会ったのはほんの数分の上、声色だって今より大分低かった。

「そんなにジロジロ見ないで。あんたが気付かなくても当然よ。あの時は髪型も変えてたし、お化粧だって清楚系だったもの」

 成程。確かに今は濃いアイメイクで、パッチリ開いた目が更に強調されていた。

「でもどうして分かったの?まさか、単にフォックス=狐って連想じゃないでしょうね?」

「田舎者の獣風情が、一生掛かっても使い切れぬ金を稼ぐ手段などそうそう無い。それに噂では、シルバーフォックスのボスは代々同じ一族の女らしいしな。何か反論はあるか、ババア?」

「いいえ、百点満点だわユアン・ヴィーさん。いえ―――シャーゼ・フィクスさんとお呼びした方が宜しいかしら?」

 山椒を振りながら、母さんは極々平素に答える。スカートの間から、銀色の毛に覆われた長い尻尾を伸ばして。

「フン、全て調査済みと言う訳か」

「元聖族政府公安課所属、第七対策委員でしたか?魔術の神童と呼ばれた父を持ち、難関試験を一度で突破した期待のエリート。しかしその輝かしいキャリアを捨て」

「ババア、口は災いの元と言う諺を知っているか?」

 青筋を浮かべての警告にガタンッ!奴より更に短気な姉が立ち上がった。

「何ですって!?口の利き方には気を付けな」

「二人共、お喋りは食べながらにしましょう。折角の鰻が冷めてしまうもの」

「けどママ!」

 相棒の殺人視線が可愛く思える程の凍てつく眼差しを受け、一瞬にして姉は沈黙。しずしずと座り直した。

「物分りの良い子で嬉しいわ、お母さん」にっこり。「じゃあ頂くわね」

「はい。デザートは奥様のお好きな蜜豆を御用意しております」

「まあ素敵!」

 掌を合わせて無邪気に喜ぶ姿は、どう見ても初老の貴婦人だ。強姦と人身売買以外何でもやると噂される闇組織のドンとはとても思えない。

 箸を小さな口と丼へ交互に動かしながら、母は言う。

「―――残念だけど、幾ら調べさせても出て来なかったの。シュビドゥチは元々赤狐族の中でも少数民族で、しかも一切記録を残していなかったから。ああ、今年はよく脂が乗っているわね。ドラットにも食べさせてあげたい」

「チッ。流石はこいつ等の先祖と言った所か」

 本人達を前に一頻り呆れた後、ガツガツ!熱々の鰻重を掻き込み始める。

「ユアン、折角の鰻だぞ!?ゆっくり味わって食えよ!」

 注意しつつぱく。じゅわっと溢れる脂に肉厚な身、濃厚なタレが舌の上でサンバを踊る。美味い!しかも下の白米が旨味エキスを吸収して、これだけで何杯もいけそうだ。

「ならお前はそうしろ。ロクな情報が得られなかった以上、私はとっとと帰る」

「偏屈者ね。ネイシェ、こんなのと無理してコンビを組む事無いわ。―――実は私も時々トレジャーハントをやっているの。シルバーフォックスには未開拓遺跡の情報も入ってくるから」

 口直しに酒を含み、カタン。グラスを置く。

「丁度使えるパートナーが欲しかった所なの。あんたなら気心も知れてるし、歓迎するわ。どう?こいつなんかよりずっと良い待遇を用意するわよ」

「鳳凰亭は充分居心地良いよ、姉ちゃん」

 一人経営だがヴァイアは炊事洗濯掃除何でも上手い。留守中にちゃんと部屋も綺麗にしておいてくれるし、他にも何かと気を遣ってサービスしてくれる。不満など無い。

「でも家賃を払っているんでしょ?うちなら幾らいても三食おやつ付きでタダ。それに毎月お小遣いもあげる。だから私達の所に戻って来て」

 真剣に勧誘する姉に、困り果てつつ俺は首を横へ振る。

「いや、でもさ」「それは困る」「!!?」

 完食して箸を置いたユアンが、食後の茶を啜りながらキッパリそう言い切った。

「そ、そうだよな!やっぱ俺がいないとユアンも困るだろ!?」

 危うく自信喪失しかけていた自分が情けない。そうだ!何てったって俺達、トレジャーハント界では右に出る者のいない名コンビだもんな!!

「と言う訳で二人共悪ぃ!俺はこれからもこいつと一緒にいるよ!!」

 花好きお母様とももっと親密な仲になりたいし、何よりこいつ自身の事が気になる。それに約束したもんな。俺の恋愛スキルと知恵で、必ず小晶さんと付き合わせてやるって!

「あら、熱き男の友情ね。何だか羨ましいわ」

「何言ってるのママ!?こんな無愛想で何考えてるか分からない奴に息子を任せて、もしもの事があったら」


「そうか、そう言うカラクリか―――!!!」


 突然叫んだユアンは、抱え込んだ重箱ごと俺を引っ掴んだ。「ぎゃっ!?」まだ半分残った鰻重を落とさないよう、慌てて蓋をしてしがみ付く。

「ほらな。だから言っただろ、飯食えば閃くってさ!」

「ああ。今回だけはお前に感謝する」

 素直じゃない奴。まあいいか。

「そーゆー訳だから母さん姉ちゃん、俺達帰るわ!お休みー!!」

 重い夜食を手に、奴に抱えられた俺は颯爽と煙る豪邸を後にした。




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