序章 ロビアの街の似た者同士
※この話は『花十篇三 水晶薔薇』の続編です。本編を読む前に、そちらを御一読頂く事を推奨します。
「貴様は相変わらずだな、ユアン・ヴィー!」
一応学生時代の同期、イディオ警部は隣で荒い息を整えつつそう吐き捨てた。
街の外から散々追い回してきやがった商売仇共は、今頃警察署でこっ酷く叱られている事だろう。何せ通りの店と言う店を滅茶苦茶にし、十数人の買い物客に怪我を負わせた極悪連中。人の折角の獲物を暴力で奪おうとした当然の報いだ。
「部下にこってり油を絞るよう後で言っておいてくれよ、イディオ」
「フン!お前ごとブタ箱にブチ込めば、万事丸く解決だったのにな!」心の底から忌々しげに吐き捨てられた。
こいつとは何故か分からないが、学生の頃から全く馬が合わない。成績は常に学年トップ一、二を争い、容姿のレベルもどっこいどっこいの上、どちらもスポーツ万能。違うのはそれこそ友人の多寡だけと言うのに、だ(どっちが多いかは言わずもがなだろ?)。そのくせ卒業後も同じ街に住んでいるせいか、何かと今日のような不幸な交流が生まれていた。
(しかし何でだ?性格は確かに『ほぼ』最悪だが、少なくとも悪人じゃない……うーむ。昔からちょくちょく考えてはいるが、やっぱ分からないな)
「チッ!おいユアン、付いて来るな!!」
「仕方ないだろ。俺の下宿もこの通りにあるんだからさ」
後ろを歩く俺を眉根が裂けそうな程顰めっ面で睨み付け、脚を速める。そりゃ不本意な残業の元凶だ。怒り心頭なのもある程度理解出来るが、こっちは一応税金払ってる市民だぞ!?
「あ、そうだ。『あの子』は元気でやっているか?」
場を和ませるための問いに、警部は一層鋭い舌打ちで答えた。
「貴様には関係無い!―――くそっ!あの馬鹿娘!!」
突然駆け出した同級生を追い、奴の自宅前へ辿り着く。
「あ、おかえりなさい」
「何がおかえりだ!自分の状態が分かっていないのか、お前は!?」
激昂に、玄関の階段に腰掛け、健気に主の帰りを待っていた黒髪黒目の儚げな美人はビクッ!となった。一呼吸後、薄過ぎて膨らみさえ無い胸を押さえる。
彼女はオネット。俺も関わったある事件をきっかけに、この気難しい男に拾われてしまった悲劇のヒロインだ。見た目通りかなりの虚弱体質で、週に一度は往診を受ける身だ。家事も体力不足で殆どこなせないので、警部殿は彼女のためだけに街一番の家政婦も雇ったらしい。
「だから言わんこっちゃない。おいユアン!」
妻を抱え上げながら、奴は鬼の形相で振り返った。
「何をボサッとしている?上げてやるから食事の支度をしろ」
「は?」
「見て分からんのか阿呆!私はこいつの介抱で忙しい。ついでに飯も食って行け」ギリッ。「どうせ貴様、そいつを換金するまでは金欠だろう?」
「はあ。お察しの通りで」
懐越しに悪漢共から守り通した古代遺跡の宝、純金のメビウスの腕輪に触れる。ずっしりとした重さが何より頼もしい。
「なら来い。どうせこいつは飯をロクに食わん」
バタンッ!
玄関扉を蹴り開けた家主はリビングへ入り、真新しい白のソファに恋人を降ろす。ピカピカのピンクのパンプスを脱がせ、カウチに畳んであった毛布を足先まで掛けた。
「イディオさん、ユアンさんにお茶を淹れないと」
「必要無い。全く、一体何時からあそこにいたんだ?同じ待つならここで充分だろうに……大体、遅くなるから先に寝ていろといつもあれ程」
「でも、今夜は署長さんの電話があったんです。もうすぐ帰るって」
「くそっ!あの狸め、余計な真似を……!」
ガシガシッ!激しく頭を掻く。犯罪者相手とは勝手の違う相手に相当苛立っているようだ。
「おい、このシチューを温めればいいのか?」
キッチンから俺が声を掛けるとキッ!蛇のように睨まれた。凄い理不尽だ。
「ああ。冷蔵庫にもメイドが何か入れてあるだろう。後は適当にしろ」
「はいはい」
鍋をコンロで温める間に、冷蔵庫のミックスビーンズサラダをテーブルへ。ついでに一本あった缶ビールも拝借。食器と共にさり気無く運ぶ。
「どうしたんだこれ、貰い物か?」
この敏腕警部、下戸ではないがとかく酒がいや、正確には酒の席が嫌いだ。アルコール臭い息を吸うと蕁麻疹が出るとかで、毎年恒例の職場の飲み会でさえ出席拒否する徹底振りらしい。つまり、この家にあるのは学校の家庭科室並みに不自然な代物って訳。
「あ、それは今日私がマーケットで買った物です。お店の人から疲れが取れると聞いたので、是非イディオさんに飲んで貰おうと思って」
ピキピキッ!数メートル離れているのに、青筋の立つ音はかなりくっきりと鼓膜に届いた。
「買い物、だと―――貴様、私と約束しただろう!?まだ『組織』の残党は捕まっていないんだぞ!もし一人でノコノコ歩いている所を見つかったらどうする!!?」
普段冷徹そのものの警部殿はそう怒鳴った後、激しく狼狽を表す。
「だ、大体マーケットなら毎週私と行っているだろう?急に必要な物が出来たなら、今朝出掛ける前に言えば」
「いえ、火急の物は特に無かったのですが、その……今日は天気が良かったから、久し振りに公園へ行ってみようと思って」
オネット嬢は毛布の外へ手を出し、白魚のような指先で空中を撫でて回想する。
「ベンチの前で猫が日向ぼっこをしていたんです、それも三匹も。私が触っても全然嫌がらなくて……」微笑。「だから、買った物は煮干しとそのビールだけです。えっと……ごめんなさい、家のお金を勝手に使ってしまって……」
「五月蝿い!」
バッ!何の断りも無く両腕で抱き締められ、お嬢さんは目を白黒させる。
「―――今度行く時は勤務中でも構わんから呼べ。なるべく早く戻って来る」
「え?で、でも忙しいんじゃ……」
「お前の世話に比べれば、公僕の仕事など退屈極まりない」同僚が聞いたら憤慨物の台詞をサラリと吐く。「いいな?」
「だけど、これ以上迷惑を掛けるなんて」
「異論は認めない」
そう命令すると、夫は柔らかな耳朶に唇を寄せた。
「ゃっ……!?」
頬を真っ赤にしつつも、オネット嬢は与えられる慰撫を受け入れる。
「あと、もう二度と外で待つな。全く、無事で本当に良かった……」
そこではた、と自分の置かれた状況を客観視する。俺、もしかしなくてもお邪魔虫?
「ユアン、そいつを貸せ」
「?」
「ビールに決まっているだろう。聞いていなかったのか?そいつは私の物だ。貴様に飲む権利など無い」
「ああ、そうだな」
ソファから立ち上がった奴は、差し出した缶を引っ手繰るように掴んでプルタブに指を掛けた。
プシュッ!ゴクゴクゴク……ぷはっ!「フン、矢張り美味い物ではないな」
「おいおい、折角のプレゼントを一気飲みするなよ。普段は全然晩酌なんてしないんだろ?大丈夫か?」
アルコールで僅かに上気した頬を引き上げ、皮肉げな笑みを病弱な恋人へ向ける。
「ほら、お前の望み通り元気になったぞ。飯は食えるか?」
「え、ええ」
「だそうだユアン。さっさと注いで来い」
「はいはい」
こいつ、初めから俺をパシるつもりで上げやがったな。まあ分かってたけど。
上半身を起こされた彼女の元へ、七分程入れたシチュー皿と銀のスプーンを給仕する。
「御苦労、貧乏人」
当然と言わんばかりに横取りされ、警部殿はわざわざ自分で手渡した。
「ありがとうございます、ユアンさん。沢山食べて行って下さいね」
「食ったらとっとと帰れ、小汚い遺跡荒らしめ。こいつに妙な病原菌をうつされては敵わん」
「はいはい」
更に二人分のシチューを注ぎ、サラダ用の小皿と一緒にテーブルへ。ホストは世話に忙しそうなので、大皿に山盛りの豆類を三人分取り分けておく。
「結構あるな。二人で食えるのか?」
「ほぼ一人の間違いだ。食える訳がないだろう?冷蔵庫に入れておけば二日程度は保つが、明らかに作り過ぎだ。メイドに今度言っておかんと」
「美味しそう。じゃあ、頂きますね」
オネットが微かに青紫がかった唇で、白い液体を一口。「甘くて美味しい」感想を聞き、俺達もスプーンを入れる。
「へえ、俺の下宿よりよっぽど美味いな。本格派だ」
「あんな貧乏宿の飯と比べるな。こっちは高い金で雇ってやっているんだぞ?これぐらいは当然だ」
「医者にも診せているんだろ?警察ってそんなに給料良いのか?」
「……まぁな」
返事は何処となく歯切れが悪かった。おい、まさか彼女可愛さにこいつ、麻薬でも横流ししているのか……?
「人の経済事情などどうでもいいだろう。さっさと食え、冷めるぞ」空いた手で恋人の黒髪を撫でる。「お前もな。サラダは食うか?」
「はい」
「分かった」
腕を伸ばし小皿を取る。スプーンで一粒掬って、ぱく。もぐもぐもぐ。
「あ、これもとても美味しいです」
「そうか。もっと食え。医者もタンパク質を沢山摂るように言っていたからな」
夫婦の和やかな光景を、独身者は一人眩しく見つめる。
(いいなあ。俺もこんな可愛い彼女欲しい)
蚊帳の外で寂しくシチューを啜りながら、俺はそう切実に願った。