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花の163年、水の月第10週1の日、10の刻。



「(‥雨、かぁ‥‥)」



もう随分此処に居ると思う。天窓らしき所は濃い灰色の厚い雲しか覗かず、暇な俺の日課である日光浴が出来ない。だけど何の為に俺が来たか、と問い掛けられれば喜ぶ気象だな。良い暮らしさせて貰ってるし。


そう言えば毎日外に出たりしてるからか、1時間位は水の中に居なくても平気になった。ひれをどうにかしたい。歩き回りたい。



「――――――――。失礼致します、水魚様」


「(‥‥んん?)」



俺は漸くまともに布を被った少女以外の人を見た。優しそうに目尻が垂れ、口元にはふさふさした豊かな口髭が蓄えられている。


服は装飾の無い神父みたいな感じで、俺が思うに薄衣の少女と同じ雰囲気を感じ取る。この人は安全だ、と野生の勘が言う。



「(此処の偉い奴か?)」



ごろん、と寝転んで居た身体を起こし、読み掛けの本を閉じて敷物の上にスペースを作る。ご丁寧にも俺に一言断り、老人はスペースに座り頭を下げた。



「久方振りに御座います、水魚様。雨が降った事による対応に追われ、此処へ来るのが遅くなりました」


「(あー良いよ良いよ、何か国に雨降んなくて大変だったんだろ?良い暮らしさせて貰ってるし、これ以上望んだら罰当たりだ)」



ぶんぶん首を振り、老人へ気にするなと言う事を伝える。もう1つ報告するなら、五十音順とかの文字が書かれた板を布の子から貰ったんだよね。意思疏通も頷きより簡単になった。


多くなった本の山に立て掛けてある板を手繰り寄せ、俺はハッと気付く。



「(そっ、そそそそう言えば、今まで誰とも自己紹介した事が無いっ!)」



今更気付いた。感情が無い声ながらも今までせっせと面倒を見てくれた薄衣の少女、忙しく働きながらも俺の暇潰しに付き合ってくれてる声だけの少女。


次に必ず自己紹介する事を誓い、文字板を相手が見れる様に位置取りし、俺はビシッと指を指す。



「如何なされましたかな、水魚様?」


「お、れ、は、た、な、か、り、ん、た、ろ、う、で、す(どうだ!ふふん)」


「ふむ、たにゃかりんたおー様ですかな?」


「(違っ、日本語名は言いにくいと言う異世界テンプレ!ってか俺の方が悪いな、えーと‥)な、が、い、の、で、り、ん、で、か、ま、い、ま、せ、ん」



小学生、中学生位まで使われて居た俺のあだ名。異世界に来てこれを解禁する事になるとは‥、外見は幼いから大丈夫だろうけど。


決して覚えて貰うの面倒だなぁ、とか思って無い。もう1度言う、決して。



「リン、様ですか‥‥。わたくしはこの神託の間を預かり、神の声を聴く神官、名をペディグリーと申します。今後ともリン様の御世話をさせて頂きます」


「(い、犬缶‥‥?いやいやいや、有り難い)よ、ろ、し、く、で、す」



見た目だけなら幼児、と老人が2人して頭を下げ合うと言う珍事発生中。


暫くして、お互い頭を上げると神官ペディグリーが豊かな口髭を触りながら口を開く。ふさふさ柔らかそうな髭をして居るので、後々触らせて貰おうと思う。


だが頭はハゲている。



「して、リン様。女神エミエール様が仰るには、成人して居られるとか?」


「は、い、に、じ、ゆ、う、さ、ん、で、す(寧ろ会社員だったりする)」


「ふむ、成程。ではお暇にさせてしまいましたな、この世界の事、この場所の事、四季の読み方、時刻の違い、食べ物、そして自らの身体、全てに置いて分からぬ事ばかりでしたでしょう。此方の不手際、重ね重ね申し訳御座いません」



俺の歳を聞けば、ペディグリーがもう1度恭しく頭を下げた。確かに放って置かれたのは少しアレだが、少女が世話してくれた訳だし色々とお互い様だ。


けれど、様々な事を教えてくれる事は助かる。特に俺の身体については詳しく知りたい。外を出歩くのに尾びれで跳ねながらの移動とか‥、凄いシュールと言わざるを得ない。



「歳も近い事です。リン様の御世話に続き、教師は彼女に致しましょう。あの子はリン様に粗相等して居りませんでしょうか?」


「(んな訳無いしっ!)」



あの子、お世話、なら薄衣の少女しか居ないよな。俺は問い掛けに対し、ブンブン頭を振った。



「あの子はダークエルフと呼ばれる種族なのです。この国は他の国より比較的、奴隷や亜人に人権を認める珍しい国。ですが、やはり亜人は人より堕ちた者、奴隷は使い捨て、と言った風潮が色濃いのも事実」


「(ふむふむ。この異世界は人間至高主義思考なのか‥、俺もヤバくね?)」


「わたくしの孫娘と言っても過言では無いあの子は、少々変わっては御座いますが知恵者でも‥‥」



何か途中から、ただの親馬鹿ならぬ爺馬鹿になって居る様な気がする。でもペディグリーからは少女が本当に自分の子供の様な、そんな気持ちが伝わった。


俺は文字板を指でトントン、と音を立ててペディグリーの注意を引く。



「だ、い、じ、よ、う、ぶ(俺に言われても、大した信用無いだろうけど)」


「リン様‥‥、ふぉっふぉっふぉっ。不躾でしたな、天寿が近い老人の戯言だとお思い下され」


「(気にすんな、ペディグリー爺さん)」



俺の指を目で追えば、ペディグリーは深い目尻の皺を余計深くしながら目を細める。そして老人特有の癖がある笑い声を上げると、小さく頭を下げた。


頭を下げ過ぎだと思うが、ペディグリーが良いなら別に良い。俺も親しげになって来たけど、心の中だけなので許して欲しい所だ。



「おお、いかんいかん。忘れて居りました。失礼する前に此れを‥‥」


「(む?綺麗なベル?)」



彼は退室するつもりだった中腰の体勢で自らの懐を探り、綺麗な細工が施されたベルを取り出す。



「製作に2週程掛かりましたが、此れは使用人鈴と呼ばれる物の特別製です。人には聞こえぬ鈴の音が鳴りますが、耳の良いわたくしの孫娘には聞こえる様になって居ります。御用の際は此れを鳴らして頂ければ、何事に変えましても参上致しますでしょう」


「あ、り、が、と、う、ご、ざ、い、ま、す(流石に使うのは良心が‥)」



俺的にはベルを手渡され、何の反応も出来無いままペディグリーは去って行く。流石に自分の仕事もしてる少女を呼び付けるのは、俺には出来ない。


売ればかなりの値段になりそうな物を貰ったが、きっと箪笥の肥やし。隅っこにベルを追いやりながら、俺は小さく溜め息を吐く。



* * *



花の163年、水の月第10週1の日、12の刻。


目の前にはせっせと俺が摘まんだ果物を補充、新鮮さの欠けた物を廃棄して居る少女。朝と昼は果物で、夜に肉と野菜を少量齧る。今の俺はこれで十分。



「(さて、ずっと忘れてた名前を聞かないとな。板をとんとんーっと)」


「‥‥? 水魚様、如何なされましたか?」


「お、れ、の、な、ま、え、は、り、ん、で、す、あ、な、た、は(これ、本当は文字板貰った最初にしなきゃ駄目な奴だ‥‥)」



俺の問い掛けに対して驚いたのか、少女が被っている薄衣が大きく揺れ、僅かに健康そうな褐色の肌が布の隙間から覗く。


そして少しの間。動揺を隠せて居なかった少女は落ち着きを取り戻し、俺へ平伏しながら喋り出す。



「ペディグリー神官様、から御話は伺って居ると存じ上げます。私の名はミーシャ、真偽を判別する瞳を持つので神官様の養女として此処に居ります。今後は水魚様の御世話に加え、教鞭を取らせて頂きます」


「(鈴で良いのにな)」



何処まで行っても感情の無い他人行儀な少女、ミーシャに俺は少しだけ寂しくなる。仕方無いさ、ああする事で自分を守って来たんだと思う。イージーな日本で育った俺とは違う。



「べ、ん、き、よ、う、は、い、つ、か、ら(今からとか言うかー‥な?)」


「そう、ですね‥‥。教本を知恵の都市から取り寄せて居りますので、手元に来るのは2〜3週掛かります。教本が無くても良い物を道具を用意し、1〜2の日の後にさせて頂きます」


「(成程、やっぱり色々と時間が掛かるのか)よ、ろ、し、く、お、ね、が、い、し、ま、す」



明日、明後日からは小さい事から教えて貰える。知識は蓄えるだけで武器になると、凄く偉い誰だか知らない先人は言ったのだ。


ミーシャが退出するのを見届け、俺は頑張ろうと覚悟。果物で満腹な腹を撫でながら眠気に逆らわず、水の中に入って行く。



* * *


花の163年、水の月第10週2の日、0の刻。


穏やかで涼しげな風が通り過ぎる、辺りに木々の1本すら無い平原。辛うじて靴底程の草が生える平原に、夜営を築く集団。



「ヘルツォーク隊長、夜営準備完了致しました!」


「周囲を探った結果、魔物1匹居りません!」


「8PT32名、点呼完了致しました!」


「良し、そのまま4人1組でPTを組ませ1刻から4PTずつ休ませろ。休む刻は3刻。演習だからと言っても魔物は襲って来る。各自警戒を怠るな!」


「「「「はっ!」」」」



相変わらず機能性を重視した黒の軍服を纏った、勇者ヘルツォーク。彼は水魚である鈴太郎が生まれ直ぐ、軍とギルドの合同演習に付き合わされて居た。


隣には生地の少ない服で豊満な身体を惜し気も無く晒した、長身で妖艶な美女。ヘルツォークが軍の責任者ならば、妖艶な彼女はギルドの責任者。



「折角待ち望んだ女神エミエール様の恵みがもたらされたと言うのに‥‥、わたし、久々にたっぷりの水で湯浴みがしたいわ」


「この演習は前から決まって居た事だ。俺だって随分我慢して居る」


「あら、巫女のサオリ様から聞いたわよ?女神エミエール様の加護を得た、可愛らしいお魚ちゃんの話。見付けるだけで苦労する水魚の孵化に立ち会えるなんて、羨ましい限りね」


「羨ましいと思うなら、この立場に立つか?お前なら新たな勇者になれる」


「ふふっ、嫌よぉ。それにしても女神様の加護を持ったお魚ちゃんだなんて、危ないわね。色々と‥‥」


「‥‥ああ」



2人はまるでお互いが歴戦の戦友、の様に軽やかに会話して行く。性別は違えど志は同じ、それを分かって居るかの様に。



「さぁて、わたしは最初に休ませて貰おうかしら。これ以上の夜更かしは、わたしの美容の敵ですもの」



話の雰囲気を変え、美女は軽く伸びをする。そしてヘルツォークの返答を待つ事無く、焚き火をしている夜営陣の中に入って行く。


演習の大義名分は2つ。有事の際に動ける様、ギルドとの連携を深める事。平原に巣食う魔物退治。


上位貴族でありながら、率先して魔物退治するヘルツォークを快く思わない貴族達が居る事を彼は知っている。民に慕われ、国の王である国王陛下が何時反乱を起こすのか、と自分に怯えて居る事も知っている。



「‥‥色々と、儘ならぬものだな。仕方無い‥」



自らには、何をしようと言う気は無い。女神エミエールが必死に守り支える、大事な人々の居る大切な国。魔物、病魔、日照り‥、戦火まで加わればきっとこの国は耐え切れない。


内心溜め息を吐くヘルツォークは空を見上げる。寄り添い合う双子月が輝く、美しい夜空だった。


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