ファーラルの某一日
時期に指定はありません。
毎日職場と自室の往復で外出することは稀だ。どうしても外せない会談や視察でもなければ、居住している白薔薇城から出ることも無い。昔は『残虐王の居城』などと恐ろしい名前で囁かれていたこの城も、いまではすっかり外見も内装も様変わりした。まぁ、自分は様変わりした後に議長に拝命され、居住をここに移したのだが、恐らく死ぬまで議長をしているので、自分の家だと思うことにしている。
割り当てられた場所は、昔は後宮と呼ばれていた場所らしい。いまは探しても女っ気のない場所が、昔は王が囲った女を詰め込んでおく場所だったというのは、正直あまり気分のいいものではない。ドロドロとした女の怨念でも染みついていそうじゃないか。まぁ、そういった迷信じみたものを信じていないからこそ、あのアジレクトはわたしを突っ込んだのだろうが。
迷信を信じていない人間が、ロットウェル最強の【魔法士】なのだから、これはなんたる皮肉だろう。
◆5時
眠い。どうしようもなく眠い。寝たのは確か―――2時くらいだった。なんでもかんでも『若いっていいよな』の一言で仕事を押し付けてくる同僚たちに殺意を覚えてもいい頃だ。だが、わたしはそんなことに能力を使うことも怠いと思ってしまう。ああ眠い。
自他ともに認める低血圧。目が覚めても動き出せるまで暫くの猶予がほしい。
◆6時
結局覚醒したのは5時半すぎだった。いつもの事だ。
わたしにはうるさく言うような副官も従者もいない。ちなみにガーネットはここまで起こしに来ない。わたしたちの関係を疑う輩は数多といるが、そんな甘く疲れる関係ではない。仕事の同僚であり、有能な秘書だ。
身なりを整え、食堂に向かう。城の中に併設されている食堂。その脇にある扉はわたし専用の小部屋が設置されている。中に入ると周りからの雑音が遮断された。
「おはようございます」
中には既にガーネットが座って朝食を摂っていた。わたし専用と銘打ってはいるが、ガーネットはそういうことは気にしない。ちなみに他の議長たちも勝手に使用しているらしい。
テーブルに用意されているのは、いつもと変わらぬ食堂のモーニングセット。
「おはよう。ふぁ……」
「また夜中まで仕事をしてましたね」
大きな欠伸を見たガーネットは、その秀麗な顔を曇らせた。
「文句はアジレクト爺とディクターに言ってくれ」
「断ることも必要ですよ」
出されたコーヒーを飲みつつ、片手を振ってそれを返事にする。自分でも仕事のしすぎだと分かっているが、すでに性分なのだから仕方がない。これだと早死にしそうだと考えてしまうこともあるけれど。
「ほどほどにしてくださいね。今日は今日の仕事が山積みなんですから」
「……」
輝かんばかりに眩しい笑顔だ。寝不足の目には滲みる。毎日寝不足でも頑張るわたしに、ガーネットは仕事を減らそうなどという考えは持ち合わせていない。
◆7時半
食事をしながら打ち合わせをするので、いつも少し時間がかかる。食べるだけなら10分もあればいいのだが、仕事が絡むので諦めている。
執務室にいくのは9時で間に合うのだが、ほぼ毎日ガーネットに連れられて中庭の散歩をさせられている。草花に興味はないのだが、ほっておくと一日中どころか1か月でも自室と議会との往復しかしないため、不健康すぎる!と怒られたのだ。少しでも太陽の光を浴びるべきだと言われ、こうして連れ出されているのである。ちなみに『色白にもほどがあります!』と言われるが、そういう問題なのか?
◆8時
曇って来たので早々に中庭から退散。ガーネットは先に仕事の準備に向かった。彼女もわたし並みに仕事のしすぎだと思うのだが、本人が頓着していないので言わないでおこう。時間が余ったので談話室に置いてあった新聞を読む。ロットウェル国内の情報は、毎日すべて集めるように指示してあるが、勝手に省かれている時がある。中央都市はわたしの能力である程度カバーしているが、地方になればそれも届かない。取りこぼした情報が後々尾を引くこともゼロではないのだ。
◆9時
新聞とは恐ろしい。うっかり読み耽ってしまった。5社ほどの新聞が談話室には置いてあったのだが、それぞれ新聞社によって同じ内容でも視点が違うのだ。これはつまり、読んでいる新聞によって思想が変化するということだろう。
「ファーラル様、本日のメニューをお伝えいたします」
「……よろしく」
わたしが執務机に置かれている書類の束に目を眇めているのに気付きながら、ガーネットは容赦などしない。
「本日の謁見数12。主には税に関する地方領主からの陳情です。細かな内容は、そちらの緑のファイルにまとめてあります。1件30分ほどで進めて頂きたいのですが、数名の方がお嬢様を連れて来られるようですので、恐らく遠まわしに縁組を吹っかけてくると思います。うまく躱すか、気にいって手を付けるかは議長にお任せいたします」
「……つまり、第一目的はそっちか」
「だと思われます」
ガーネットの淡々とした声が、なぜか冷たい。
ロットウェル議会の最高権力者と名高いわたしが、いまだに身も固めず女の影もないのだから、年頃の娘を持つ権力者たちからすれば格好の獲物なのだろう。しかも28歳。自分で言うのもなんだが容姿も整っている方だ。夜会などにも顔を出さない美貌の権力者。一時は男色かと噂されたこともある。しかも噂された相手が弟子であるグレイだった。グレイとジュネスは頭を抱えていたし、ファヴォリーニ氏の纏う空気も冷たかった。だがその噂を知ったアンヌがブチ切れていつの間にか噂は立ち消えていた……正直、あの一件だけはアンヌに感謝している。
「謁見の合間に議会があります。内容的に3時間ほどで済む予定ですが、延長は可能です。大丈夫です、謁見者には心待ちにして待っていただきます」
笑顔がこわい。なぜだ。わたしは何もしてないぞ。
「謁見、議会ともに終わりましたら、議長のサインが必要な書類が待っておりますので、手早く終わらせてください」
そう言って指差した先の箱には、数えたくもない枚数の紙の束が詰め込まれていた。しかもそれが3つ。それぞれ期限によって区切られているのだ。1つは本日中。1つは三日以内。1つは五日以内。締め切りまで一〇日ありますよ、という心優しい書類がないことが切ない。
◆15時
うう、疲れた。ようやく昼食だ。食堂はすっかりランチが終わっているが、毎日不規則なわたしのために、食堂のおばさんが二人分だけよけてくれている。もちろん、わたしとガーネットの分だ。二人で次の謁見の対策を立てながらご飯を書き込む。とりあえず腹に入れるが、視線は書類から離せない。
「この工事費用はなんだ」
「先日の水害で橋が流されたそうです。そのため、住民は丸太を切り出して即席の端で行き来しているとか。確認のため使者を出しましたが、確かに不格好な橋が備え付けてあったそうですと報告されています」
「わかった。その費用についての相談だな」
「はい」
本日の謁見はまだあと7件残っている。議会は休憩を挟みつつきっちり3時間で終わらせたが、やはり謁見は陳情内容が多数に渡るため、時間も精神も使う。
「いくぞ」
「はい」
昼食休憩20分。いつもの事だ。
◆19時半
最後の謁見が終わった。今日も一日ハードだった。案の定、謁見の場に娘を連れてきた奴が3人もいた。どの娘もわたしの顔を見てぼーっとなっていたが、隣に控えていたガーネットを見て諦めたように肩を落した者や、悔しそうに睨んでいた者や、ガーネットに憧れの視線を投げている者と様々だった。
「ガーネット、今日はもう上がっていい」
彼女の定刻は19時だ。すでに30分オーバーしている。
「夕食を準備したら帰ります」
「食べなくてもどうにでもなる。残業代も出ないし、早めに帰るといい」
ガーネットの住まいは城の中だ。併設されている居住区内の単身用施設に住んでいる。遅くなっても暗い夜道を歩くことがないのは安心だが、それでもはやく仕事から解放してやりたいと思う。
「1日三食は絶対です、といいましたよね。簡単なものにしますので、とりあえず食べてください。持ってきますから、それまで仕事しててください」
まだ25歳だというのに、しっかり者すぎる。
執務室から出て行くのを見送ると、手元に大量にある仕事に着手した。
その後サンドウィッチと温めたワインで軽く夕食にし、食べたのを見届けてからガーネットは帰って行った。帰るついでだと言うので、食器も持って行ってもらう。
そして残された大量の書類。精査しつつサインをしていく地味な作業だが、時々謎かけのような内容の書類が紛れているので侮れない。
◆22時
うっかりこんな時間になっていた。21時には終わらせる予定だったのだが。集中しすぎた目が悲鳴を上げている。同じく同じ姿勢でいた肩と首も、回すとボキボキと嫌な音を立てた。執務室を出て鍵をかける。部屋に戻る途中、見回りの兵士たちに挨拶しながら自室に帰った。
◆23時
備え付けの風呂に入り、焼き菓子を口にする。日持ちするからと持たされた夜食みたいなものだ。チョコチップが入っていて、頭に糖分が回るのを感じた。糖分が回ると目が冴えてしまう。少しだけ持ち帰っていた決済まで猶予のある書類に、つい手が伸びた。
◆1時
やってしまった。また、やってしまった。
しかも湯冷めもしてしまった。明日はガーネットにまた違う内容で叱責されそうだ……と思いながら、ベッドの中に身を沈める。
今日も一日、精霊を使うことなく過ごせたことに感謝して。
ファーラルは基本、一日中仕事をしています。
グレイが来たときは、その合間を縫って顔を出したり、構い倒したりしてます。なんだかんだと言いつつ、弟子の事は大事に思ってます。一度懐に入れた者に対しては庇護欲がわくようです。ガーネット然りグレイ然りジュネス然り。残念ながら今現在、その中にライナは入ってません。
これにて、各キャラの「某一日」シリーズは終わります。
お付き合いありがとうございました〜