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ジュネスの某一日

本編『別館の住民』後の素朴な一日です(ジュネス編)

 バーガイル家にライナがきて、早いもので15日が過ぎた。侍女というものにもかなり慣れた様子だが、ニーナさんは『お嬢様は必要最低限しかさせて下さらないんです』と少し残念そうに言っていた。もっと着飾らせたいらしいけれど、ドレスに不慣れなライナは逃げ回っているらしい。そして、洗濯も一緒にしたがると嘆いていた。いくら元は平民とはいえ、いまは伯爵家預かりの少女だ。おいそれと洗濯を一緒にしましょう、とは誘えないだろう。ただ、グレイ様はライナの好きにさせてあげてほしいと言っているし、ニーナさんは毎回断り文句に悩んでいるようだった。



◆6時。起床


 小さな寝室で目を覚ます。カーテンの隙間から差し込む光が柔らかだ。少し曇り空なのかもしれない。当たり前だが、わたしに侍従などはいない。一人で起きて、一人で準備をし、一人で身の回りを整える。ここで時間を無駄にすると、そのまま出発の時間が遅れてしまうので朝から気は抜かない。湯は沸かしていられないので、冷水で顔を洗い身支度を済ませたら、バーガイル家の屋敷に向かう。


 伯爵家はわたしの住んでいる兵士宿舎から徒歩15分ほどだ。ここは本来既婚者が、金が貯まるまで少ない家賃で住めるようにとあてがわれた建物だが(だから住めるのは本来最長2年と決められている)、無理を言って入れてもらった。おかげで色々と……夜とか、物音とか……微かに聞こえてくる声とか……いやいや。まぁ、肩身の狭い思いをしていることもあるが、この家賃でこの立地物件は他になく、図々しくも居座っている。単身用の宿舎は現在『白薔薇城』と呼ばれている城の内部にあるのだが、そこからだと、伯爵家までが遠いのだ。

 グレイ様の副官として、従者として常に傍に控えていたいがために、これはわたしのわがままなのだ。



◆7時。グレイ様と自主練習


「おはようございます、グレイ様」

「早いな。おはよう」


 伯爵家の裏庭に行くと、すでにグレイ様が朝の自主練習を始めていた。わたしも上着を脱ぎ、クレールさんが用意してくれていた模擬剣を手に取った。そして、ちらりとグレイ様を見る。この人は毎朝欠かさず自主練をしている。しかも、素振りに使用しているのは、重さを足した剣だ。厚さも大きさも普通ではない。それをこの人は気にした風もなく、ぶんぶんと振り回しているのだ。そりゃあ、ライナくらいの重さはひょいと抱えてしまうのも頷ける。それなのに、無駄に筋肉ばかりが大きくなって、俗にいう『筋肉達磨』になっていないのだから、不思議なものだ。

 自主練習の最後に、グレイ様と手合わせをし、構えなどを見てもらってこの日は終わった。



◆8時。朝食


 恐れ多いと思いつつ、バーガイル家の元当主ファヴォリーニ様と、現当主グレイ様と共に朝食をいただく。ミラビリス様がいらっしゃる時は遠慮するのだが、いまのところ朝食の席に来られたことはない。クレールさん曰く、奥様は午前中ほとんど寝ているそうだ。一体何時に寝ているのか、いや……一日何時間寝てらっしゃるのか。

 席に着いたところでライナが現れた。今日はドレスではなく、モスグリーンのワンピースだ。胸元に白いレースが縁どられているデザインは、涼やかな印象を与える。見れば、髪飾りが付いている。胸元のレースと同じ意匠のものだった。


「ライナ、おはよう」


 グレイ様はライナを引き寄せるとその小さな両頬に交互に口付けを落とした。挨拶にしては長い気がするし、そもそも挨拶は頬を触れ合わせるだけでいいのだが……追求すればヤブヘビになる気がするので気づかなかったことにしよう。そしてライナも照れた仕草をしつつ、グレイ様の頬に素早く口付けした。グレイ様のあの顔……とても部下たちには見せられない。

 と、グレイ様が至福に浸っている間に、ライナはファヴォリーニ様のところに駆けて行った。珍しいこともあると見ていると、座ったままのファヴォリーニ様の頬に、ライナは背伸びして口付けた!


「ララララライナ!!」

「?」


 グレイ様の悲鳴が響くが、ライナにはその意味が分からない。なにしろグレイ様が『朝の挨拶はこうするんだよ』って教えていたのだから、ライナはそれが正しいと思うだろう。自業自得だと思わざる得ない。内心呆れてグレイ様を見ていると、その視線がわたしに向いている。どうしたのかと思った時、右側の袖が引っ張られた。


「え」


 そして頬に触れた柔らかい感触。

 驚いて右側を見ると、ライナがわたしの隣で満足げに背伸びをして見ていた。


「ライナ!もうしちゃダメだよ!」

「??」


 首をひねるライナは、グレイが叫んでいる理由がまったく理解できずきょとんとしていたのだった。

 そしてファヴォリーニ様は―――少し、嬉しそうだった。顔が緩んでた、絶対。



◆9時。先に出仕


 グレイ様はライナの【精霊士】授業の為、まだ城には来られない。そのため、わたし一人が先に赴き、細々とした準備をしておくのだ。と、言ってもこの時間はまだ兵舎は朝食の時間だし、なんとも静かでのんびりとした時間だ。よほどの急ぎの要件でもない限り、この時間この執務室にわざわざやって来る人物は―――ファーラル様くらいだろうが、最近見ない。おかげで限りなく平穏な日々である。グレイ様を迎えに行く時間まで、勝手ながら自由時間とさせてもらっているのが実情だった。さて、本の続きを読んでしまおう。



◆11時。再び屋敷へ


 グレイ様出仕の時間である。兵舎から馬車を操り、伯爵家に出戻った。ライナと別れたくないと全身でアピールしているグレイ様を馬車に押し込み、兵舎へ向かう。

 玄関でグレイ様を見送るライナは、ニーナさんに付き添われ笑顔で手を振っていた。


「グレイ様、ほらライナが手を振ってますよ」

「! ライナ、すぐ帰るからね」


 馬車の窓から顔をのぞかせ、遠ざかっていくライナに手を振り続けるグレイ様。新婚の夫婦でもここまでしないと思う。



◆12時。昼食


 兵舎に着くと、わたしが机の上に並べて置いた書類を片付けていく。さっきまでライナにデレデレしていたとは思えない変わりようだ。やはり、あの『護り石』の影響なのだろうか。いや、でもわたし自身はここまで顕著な変化をしているとは思えない。


 ……あまり深く考えるのはやめておこう。


 暫くすると、昼休憩のサイレンが響いた。グレイ様と連れ立って兵舎に併設されている食堂に向かう。上官も部下もなく、入り乱れた食堂の喧騒はいつ見ても疲れる。だが、こういう食事を一緒にすることにより、連帯感が生まれるのも事実だ。グレイ様は、こうした中で皆と一緒に食べることを大切にされている。


「今日は俺と手合わせしてください、副長!」

「どうするかなぁ。この前やった時すぐにぶっ倒れただろ、おまえ」

「あれは偶々(たまたま)ですよ〜」

「今日のメニュー終わっても、同じことが言えたらな」


 ニヤリと笑って言われ、手合わせを申し込んだ部下は『うああぁぁ……が、頑張ります!』と唸っていた。グレイ様のしごきはかなり厳しい。彼は無事、手合わせまで立っていられるだろうか。


「ジュネス、おまえも今日は一緒にするか?」


 珍しくグレイ様が振ってきた。いつも気にしていないようだというのに。


「ご遠慮しますよ。わたしにはわたしの役目がありますからね」

「俺との自主練習の成果、見せなくていいのか?」

「ちょ……っ」

「自主練習!?副長と!?」

「ずりぃよ、ジュネス!」

「よっし、俺今日はジュネスと手合わせするーー」

「俺も」

「俺も」


 グレイ様の一言でわたしの周りが一気に喧しくなった。普段、あまり接点を持とうとしないことを気にしていたグレイ様らしい気づかいだが……着替え持ってきてない……。



◆15時。一般教養


 結局時間ギリギリまで、鍛錬場でしごかれた。久しぶりにあの鬼メニューはきつすぎる。しかも体の汗と汚れは洗い流しても着替えがなかったので、元の服のままだった。身なりを整えるべく従者がこれでどうする……と自己嫌悪している間にバーガイル家に到着した。馬車を下り、厩に預けると裏口から屋敷に入った。なんとしてでもライナに会う前に着替えたい。朝の自主練習があるため、わたしの着替えを数着は常備してあったのが幸いだ。


「すまない。今日はわたしが遅れてしまった」


 慌てて勉強部屋に行くと、当然だがすでにライナはそこにいた。読んでいた本から顔を上げ立ち上がると、ワンピースの裾を摘まんでお辞儀をする。最初の頃よりずっと様になってきた。と思うのは欲目だろうか?

 ライナは教えて事をすぐに吸収する、よくできた生徒だった。難しい単語や意味などで躓くことはあっても、そこを教えるとするすると正解を引き出していくのだ。何度も文字の練習をしたらしく、指にはインクが染みついていた。紙とペンにも慣れてきて、文字もきれいになった。

 途中、ニーナさんがお茶を出してくれた。ライナが好きらしい薬草茶らしい。少々独特な香りがするのだが、体にいいんですよ。とニーナさんが進めてくれるし、なによりライナが苦も無く飲んでいるのを見て、わたしも挑戦し……――― 少し涙目になったのは秘密にしておいてください。



◆17時。グレイ様帰宅


「ライナ、ただいま」


 出迎えたすべての使用人を無視して、グレイ様は一直線にライナへと向かっていった。その小さな体を抱き上げて自分の腕に乗せてしまう。不安定になったライナは、慌ててグレイ様の首にしがみ付いた。

 抱き上げられることに慣れないライナは、つい視線を足元に向けてしまうので、見えないだろうが、わたしたちはばっちり見えている。グレイ様のその、締まりのない顔を……。

 そのままの状態でファヴォリーニ様にも帰宅の挨拶をする。最初の頃は、口煩く注意していたはずのファヴォリーニ様とクレールさんだったが、一向にグレイ様の状態が改善しない事と、ライナ絡み以外では今まで以上の働きをしているということで、再三に注意するのはやめたらしい。そうですよね、言うだけバカバカしくなりますよね。

 わたしも同じ気もちですよ。


 しかし、ライナとはそこで一旦お別れだ。グレイ様が持ち帰ってきた書類を精査して、二人で片付けてしまわなければならない。いつもであれば、わたしがある程度目途をつけておくのだが、今日は鍛錬場に引きずり出されてしまったので、満足に書類仕事が終わっていない。これは……明日が大変だろう。



◆18時半。夕食


 まったく終わっていないが、区切りのいいところで切り上げて食堂へ向かう。夕食はミラビリス様が同席されるので、わたしはご遠慮している。その代わり、別室にある使用人用の食事部屋でほかの執事やメイドたちと混じって食べるのだ。宿舎に帰っても食事はないので、屋敷で済ませてしまっている。グレイ様は同席すればいいと言ってくれるが、ミラビリス様はわたしと同席したくないだろうと思うと、気が引けるのが心情だ。

 それに、歯に着せないメイドたちから裏話を聞いたりするのもまた楽しい。



◆19時半。


 帰るまでの時間、いつもならライナの復習に付きあったりするが、今夜はそれどころではない。書類が終わらないのだ。グレイ様もいつもは居間でファヴォリーニ様と伯爵家領地のことなどを話し合っておられるが、今日ばかりは仕事優先である。

 まぁこれで、明日からわたしを鍛錬場に引きずり出すことは自重してくださるだろう。



◆20時半。帰路


 あらかた片付けて帰宅した。一部は持ち帰ってきた。明日は朝から本など読んでいられないと思うと、すでに憂鬱だ。

 帰り着いてからも、仕上げられる範囲の書類仕事を片付けた。



◆21時半。風呂


 宿舎にある共同風呂に入る。伯爵家のような豪華な造りではないが、それなりに広くて設備も整っている。今日はとにかく、久しぶりに汗だくになったし、砂埃にまみれたし、いつも以上に筋肉も使った。暖かい湯船に浸かることは至福である。



◆22時半。就寝


 明日のこともあるので、仕事は気になるが寝ることにする。

それにしても最近書類仕事が増えてきたように思えてならない。なんでもかんでも中て付けのように、決済書類を回してきている議長がいる気がするのだが……。

 明日探りを入れてみようと思いつつ、瞼を閉じた。


あと1話、ファーラル編を書いたらこの「某一日」シリーズは終わりです。

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