ライナの某一日
本編『別館の住民』後の素朴な一日です(ライナ編)
バーガイル家での新しい生活が始まった。ライナは最初こそ戸惑いがあったが、いまでは少しずつ時間の流れに慣れてきていた。
◆6時半。ライナの一日はこの時間から始まる。
侍女のニーナが起こしに来るよりも早く、ライナは一人で起き、簡素なワンピースに着替えると、手早く朝の支度を終えて中庭に飛び出した。早朝に浴びる太陽の光がとても気持ちがいい。住んでいた村でも、毎日朝日を浴びることから一日を開始していたライナにとって、欠かせない日課でもあった。そして如雨露に水を入れると、そのまま日当たりのいい一角に作られた、小さな畑に近寄っていった。
小さな畑には、瑞々しい若葉が芽を出している。これは、ライナが作ったハーブ畑だ。母から託された巾着の中に入っていたハーブ。その原料となる種を、ニーナが市場から買ってきてくれたのだった。まだグレイの同伴なしでは、ライナは屋敷街へ出ることを許されていない。熱を出したり、突然情緒不安定になっていたので心配なのだろう。
街に出て自由に歩いてみたいという気持ちはあったが、いまはまだ、新しい生活に慣れることで精いっぱいだったので、そこまで渇望した望みではないのが救いだ。
周りに根を張ろうとしていた雑草を取りのぞき、小さな若葉に水をやる。その頃には中庭奥の森から精霊たちが続々と現れ、ライナに纏わり付きだすのだ。だが、ライナにとってそれはいつものこと。特に構うことなく淡々と道具を元の場所に戻し、手を洗った。
◆7時半。ニーナが中庭にいるライナを見つけて駆けてきた。
「お嬢様。朝でも日差しは強いんですよ。お帽子をかぶってくださいとお願いしたではないですか」
ニーナの小言と一緒に、白い帽子が頭に着地した。その帽子はグレイが依然、洋品店で買い求めたうちの一つだ。綺麗な造花飾りがついていて、普段に使うことに躊躇してしまう帽子であった。
「また素手で土いじりをしましたね。爪の中まで土が入ってますよ」
手は洗ったが、細かな砂が爪の隙間に入ってしまったらしい。ライナ自身は気にしていないのだが、ニーナはそういうわけにはいかないらしい。
「ハーブたちは育ってましたか?」
「――」
しっかりと頷いたライナを確認し、それならもう中庭に用はないと言わんばかりに別館に引きずって行かれた。そして沸かしたお湯で手を丁寧に拭われ、爪ブラシで隙間の砂を掻き出される。至れり尽くせりすぎて、ライナはお尻がむずむずしてしまうのだった。
◆8時。なんだかんだと言ってる間に、本館での朝食が始まった。
手を綺麗にしてもらってから、ライナはニーナの手によって簡素なワンピースをすぽんと脱がされると、少々ごてごてとしたドレスに着替えさせられた。動きにくいし、気を遣うし、正直まったくドレスを好きになれないライナだったが、ニーナから強く『当然の身だしなみです』と断言されてしまい、反抗したい気力は萎んでしまった。
食堂にいたのは、ファヴォリーニとグレイとジュネスだった。分かっていたが、今日もミラビリスは欠席らしい。欠席という言い方は正しくないのかもしれない。なにしろ彼女はまだこの時間起きていないのだから。
「おはよう、ライナ」
グレイに挨拶され、ライナはその場でドレスの先を摘まんでお辞儀をしてみた。ニーナが以前していたのを真似してみたのだが、ちょっと恥ずかしい。
「うん、いい感じだ」
「少し膝を曲げるといいよ」
不格好だったろうに、グレイとジュネスが褒めたりアドバイスをくれるので、ライナはなんだか安堵してしまう。ジュネスに言われた通り、少し膝を曲げてもう一度お辞儀をしてみた。
「お嬢様は姿勢がいいから、後ろから見ててもとても綺麗ですよ」
ニーナが入室を促しつつ褒めてくれた。嬉しくてつい、頬が緩む。
「ライナ様、お席へどうぞ」
執事のクレールが座席へ案内してくれる。上座はファヴォリーニ。次席にグレイ。ライナとジュネスは並んで座っている。朝食は伯爵家にしてはいつも質素で、手間なく食べられるのがありがたい。しかし、ここからマナー教室は始まっているのだ。
ライナ無意識につい行動してしまうアレコレや、、食器の扱いなどについて、隣に座ったジュネスが丁寧に教えてくれる。その分、ジュネスも食べるのが遅くなってしまい、迷惑だろうと心配するが、彼は嫌そうな顔一つせず繰り返し教えてくれた。その様子をグレイは微笑ましく眺めているし、ファヴォリーニは新聞を見ながら聞き耳を立てていたのだった。
◆9時。ゆっくり朝食を食べた後はグレイの精霊授業だ。
本館から別館へ移動し、到着初日に案内された時には、開かれなかった部屋へ案内された。そこはファーラルが使用していた執務室ほど広さで、壁には大きな本棚がずらりとはめ込まれている。地図が貼られていたり、バーガイル家の紋章も飾られていた。暖炉があり、今は薪は入っていないが、過去に使われていたのだろう形跡はある。
「ここは子供の頃に勉強部屋として使っていた部屋だよ。ここなら本もあるし、ライナも読みたいものがあれば、遠慮なく部屋に持っていっていいから。あ、夜更かしは禁止だけどね」
ライナはそう言われて、本棚から一冊の本を取り出した。ペラペラとめくると、独特の紙とインクの匂いがする。中身は難解な文字が多すぎて、まだ読み進められるとは思えなかった。そしてふと目に止まった、カラカルな背表紙に引き寄せられた。それは王子様とお姫様を描いた、子供向けの童話だった。
――― わぁ、かわいい。
可愛い挿絵もあり、文字も難しくなかったので、ライナはそれを読みたいと示すため、グレイに駆け寄った。そして、可愛いお姫様の描かれた挿絵部分を広げてみせる。
「――――」
口パクで『かわいい』と伝えるライナの頬は、本への期待でほんのりと赤く染まっていた。そんな頬を思わす両手で包み込むと、耳共に顔を寄せた。
「ライナが可愛いよ」
「〜〜〜!」
グレイはライナが期待に瞳を輝かせている姿のほうが、よっぽど可愛いと思ったままに、行動し、口にしていたのだった。
◆11時。グレイが兵舎へ出発した。
部下の兵士だけでなく、他の部隊の指導も任されてしまったと嘆きながらの出発だった。ジュネスはそんなグレイを無理矢理馬車に押し込み、二人そろって出かけて行ってしまった。バーガイル家に来てから、いつも傍にはグレイかジュネスがいてくれたので、少し不安な気持ちもある。
「ライナお嬢様、お昼までどういたしますか?」
けれど今はニーナが傍にいてくれるし、なにかあればクレールも走ってきてくれる。それにもともとは、貧しい辺境の村出身だ。生粋のお嬢様ではないのだから、精神的にも肉体的にも弱いつもりはない!とライナは思ってぃた。
〔この本を借りたの〕
グレイの【精霊士】授業は、思っていたよりスパルタだった。そして【魔法士】への勉強よりも、先に【精霊士】について学ぶ方が先だということで、ファーラルの意思には反しているが、目下教えてもらっているのは【精霊士】についてであった。
いままで精霊との付き合いは自然体で行っていたので、それを頭の中で組み立てて考えるという構図がライナの中にはない。そのため、出だしから少し躓いている気がした。こういう自由な時間を復習に使うべきなのだろうが、いまの誘惑に勝てず、勉強部屋で借りてきた童話穂読むことにした。
「では、居間でお読みくださいませ。いまはいい風が吹いていて気持ちいいですよ」
ニーナに促され居間に行くと、確かに涼やかな空気が流れてきていた。ただ精霊たちも一緒に流れてきていた。ページをめくることも邪魔してくることに苛立ったライナは、結局自室の窓を閉め切り部屋に籠ったのだった。
◆12時。グレイとジュネス不在の昼食だ。
食堂にはファヴォリーニだけがいて、相変わらずミラビリスの姿はない。そのことに安堵しつつ、ニーナがテキパキと椅子に座ったライナの準備をしてくれた。目の前に並ぶのは、輝くばかりに磨かれた銀食器!
本来は夕食に使用するアイテムだと思われるが、ライナのためにクレールが朝から磨いて用意してくれていたものだ。ファヴォリーニは軽めの昼食という内容だったが、ライナのは軽めの夕食という感じだった。メインはファヴォリーニと同じようだったが、前菜からオードブルまで少ないながら用意されている。
「ライナ様、ここではその一番奥のスプーンを……」
「貝殻を外すときは、こうして……」
「ナプキンを使用するときは……」
「使い終わった食器は……」
「食器がぶつからないように……」
横から容赦なく飛んでくるクレールからのダメ出しに、ライナは必至でありながら、泣きたい気持でもあった。美味しい食事なのに美味しく感じられないこの悲しさをどう表現すべきなのか。
「クレール、そんなに一気に伝えても混乱するだけだろう」
そんな中、助け舟を出してくれたのは―――ずっと我関せずだったファヴォリーニだった。特にいつも何も言われないので、ライナも最近は気にしていなかったのだが、彼は彼なりにライナの様子を注視していたのだろうか。
「まずは基本マナーをじっくり教えることだ。細々したことは、あとからその都度教えたほうが効率がいいだろう」
「かしこまりました」
「今日はこの、貝のリゾットが美味い。冷めないうちに食べさせてやりなさい」
ファヴォリーニはそれだけ言うと、手元にあった新聞に視線を戻した。ファヴォリーニ自身の食事はすでに終わっているようでメイドに食器を下げさせる。食べ終わったのだから食堂にいる理由はないはずなのに、ファヴォリーニはそこから動こうとしなかった。不思議に思いつつ、リゾットを攻略するためにスプーンを握る。
「ライナ様、ゆっくりお召し上がりください」
「――」
クレールから自由に食べる許可をもらったライナは、嬉しそうに笑うと温かい食事に夢中になった。その姿をクレールもニーナも笑顔で見守ってしまう。そして、新聞の隙間から無邪気な少女の姿に心を癒されている前当主の口元は―――確かに少し緩んでいた。
◆13時半。テーブルマナーを教えてもらいつつの時間は、気疲れしてしまう。
今日は思いがけずファヴォリーニの一言で助かったが、毎日助けてもらうわけにもいかない。やはり、出来るだけ早くマナーを身に着けるべきだと心に誓った。
そしてこの時間はライナの自由時間である。15時まで心ゆくまで遊ぶのだ、中庭の奥にある森で。ライナは手早くドレスを脱ぎ捨てると、朝着ていた簡素なワンピースにもう一度袖を通した。部屋を訪れたニーナが思わず声を上げる暇もないほどの早業で、ライナは帽子を被って裸足のまま中庭に駆け出して行った。
「お嬢様!」
後ろでニーナが呼んでいるが、ライナは一度だけ大きく手を振ると森の奥へ走って行ったのだった。まさか裸足で行ってしまうとは思っていなかったニーナは、本館で仕事をしていたクレールにどうすべきか相談に行った。
「グレイ様より、よほどのことがない限り、自由時間はライナ様の好きにさせる様にとの仰せです。中庭にいる分でしたら、グレイ様も何もおっしゃいませんよ」
「でも裸足ですよ、裸足!」
「……裸足は出来るだけ控えて頂くように、グレイ様から進言して頂きましょう。今日はとりあえずこのままで……湯を沸かしますか?」
「そうします。きっと足の裏まで真っ黒で戻ってらっしゃるでしょうから」
声は出ずとも元気に走り回るライナは、貴族社会にいる14歳とは全く違って見えた。思考も態度もずっと幼く、そして行動的だ。いままでの価値観は狂わされている。
「ライナ様が健やかであることが第一です」
「そうですわね」
ライナの境遇は、グレイが気づいた限りをクレールとニーナには伝えてあった。父と兄の徴集。村の潰滅。連れ攫われた村人。母の死。その母が目の前で惨殺されたらしいということをグレイが告げた時、ニーナは顔を覆って涙を流した。その時、初対面の時ライナが『母の手』であるニーナに触れられただけで泣いてしまったのか分かったのだ。
「お嬢様はこのまま変わらなくてもいいのかもしれませんね」
「……」
ニーナがぽつりと零した言葉に、クレールは返事を返せなかった。
その頃ライナは、気によじ登り、しっかりした座り心地のいい枝を見つけて寝ころんだ。森の木漏れ日の中で風と光がライナを包み込んでくれる。精霊たちは無邪気に遊んでいるし、いい天気だし、深く深呼吸して気分を新たにしつつ―――目を閉じた。
◆15時。木の上で目が覚めたのは、約束の時間10分前だった。
慌てて木から滑り下り、別館に向かって走っていくと仁王立ちで待ち構えていたニーナに捕まり、速攻でワンピースを脱がされた。丸裸にされ恥じらう間もなく、足の裏を含めた全身の汗を拭われる。そしてそのままの勢いでドレスを着せられ、朝にグレイと勉強をしていた小部屋に放り込まれた。
「ライナ、遅刻です」
「……!」
珍しく片眼鏡をかけた男が待ち構えていた。ジュネスである。
「わたしに与えられた時間は2時間です。わかっているでしょうが休憩はありません。有益に使います」
そうして始まったジュネスの一般教養勉強会は、他の誰よりも手加減なく厳しいものだった―――……。
◆17時。ぐったりしつつなんとかジュネス先生から解放されたライナは、そのままジュネスと本館の玄関へと向かった。すでにそこにはずらりとメイドたちが並んでおり、クレールを筆頭とした執事たちも揃っていた。
暫く待っていると、玄関扉が大きく開き―――グレイが帰宅した。
「おかえりなさいませ、グレイ様」
召使たちが一斉に頭を下げて迎える中、ライナも同じように頭を下げようとしてできなかった。脇に下から入れられた太い腕が、ライナを持ち上げていたからだ。
「ただいま、ライナ」
満面の笑みでライナを抱き上げ、その腕の中に囲ってしまわれれば、ライナからその暖かい檻から抜け出すことは出来ない。それはもう、すっかり学習済みだ。
「―――、――」
口パクでおかえりなさいを伝えると、グレイは顔を寄せ、柔らかな頬に口付けを落とした。触れるだけの素早い口付けだったが、それでもライナの頬にはグレイの唇の感触があり、見る間にライナの頬は赤らんだ。
「すぐに照れるところが可愛い。ライナが迎えてくれるから、もう一回やり直そうかな。そしたら今度は違うとこに……」
「!」
思わず手を突っ張り、グレイから距離を取ろうとしたが、そこでグレイの腕が緩んだ。そしてそのままゆっくりと廊下に降ろされる。まだ顔を染めたままのライナの頭を撫で、緩んだ顔をさらに緩めた。
「ごめんごめん、嘘だよ。本当反応が可愛い」
「ぼっちゃま!レディになんてことを!さっさとお着替えしてらっしゃいませ!」
背後から飛んできた厳しい叱責の声に、我に返ったグレイは返事もそこそこに自室に駆けこんでいった。そのあとをジュネスが追いかけていく。
「はぁ……クレールさん。ぼっちゃま。あんな方でしたか?」
「慣れですよ、慣れ」
ニーナの口から洩れたため息に、クレールは平然と返した。そして置いてけぼりになっているライナを誘導して食堂へ向かった。
◆18時半。バーガイル家の夕飯が始まった。
さすがに夕飯にはミラビリスか現れた。緊張しつつ、マナーを思い出しながらナイフとフォークを使い、ゆっくりと食べていく。見ていないと思うのに、ミラビリスの雰囲気と視線が怖くて。なかなか思い通りに食器を操れない。結局この夕飯も、半分ほどしか食べられなかった。が、昼食でリゾットをしっかり食べられたおかげでそんなに空腹感は感じずにいられたのが幸いだった。
◆19時半には食堂から退室し、別館へ移動した。
昼間分からなかった一般教養の箇所を教えてもらうため、ジュネスを捕まえて質問をした。彼はライナのその『学ぶ姿勢』に気分を良くしたのか、30分間みっちりと教えてくれた。途中でニーナが風呂のために呼んでくれなかったら、さらに延長していただろう。
◆20時。お風呂も手伝うというニーナを断り、一人で入った。
子供ではないのだから、出来ることは自分でしたいのだ。本当はドレスだって一人で着たいところだが、如何せん、貴族のドレスは造りがややこしくて一人で着ると時間もかかるし、着終わった見栄えが悪すぎる。ワンピースなら一人でも楽々だというのに……。
ニーナが『しばらくしたら、コルセットをしますからね』と言っていた。コルセットがなんなのか、ライナには分からないが、いい予感のしない単語だなとは思った。
◆21時半。のんびりお風呂に入って寝るまでは自室で童話の続きを読んだ。
お姫様と王子様の幸せな物語。自分には悲しい事ばかりで、何一つ当てはまらない。そう思うと自然とため息が出た。
「ライナ、起きてる?」
トントン、と軽いノック音がして顔を出したのはグレイだった。この時間はニーナの就業時間外なので、ライナの傍にはいない。狙ったようなタイミングだと思ったが、実際狙っていたのだろう。彼も風呂上りなのだろうか、髪がしっとりと濡れていて、無駄に色気を振りまいている。
「今日、昼間は何してた?俺に教えて」
グレイはソファーで本を読んでいたライナに近づくと、その隣に当然のごとく腰を下ろした。そしてライナの頭を撫でつつ、額に唇を落とす。驚いてしまったがそれだけで、ライナは少し頬を染めたが抵抗しなかった。そんなライナを見ていたグレイは少しだけ表情を曇らせた。
「あと、一緒に……いてあげられなくてごめん」
しっかりと目を合わせたまま、グレイはライナに謝った。
傍で守ると決めたのに、それが実行できていないことが悲しいのか苦しいのか。グレイは小声で『ごめん』と何度も繰り返す。ライナは聞いていたくなくて、そんなグレイの口を自らの手で蓋をした。
「……?」
「―――――」
ライナはゆっくりと口を動かす。読み取れなかったグレイが首をひねると、もう一度ゆっくりと何度も同じ言葉を口にした。
――― 謝らないで。
グレイは言葉を受け取り、ライナの視線の強さを目の当たりにした。それだけで不思議と幸せな気分が沸き上がってくるのだ。そうなると二人の距離感がもどかしくなる。
つい、未だ自分の口を押えている可愛い手のひらをペロリと舐めてしまった。予想外のことにびっくりして手を離したライナはそのままソファーから落ちそうになり、慌てたグレイに支えられた。
「驚き方も新鮮だ。ははは」
そういうとグレイはライナをそのまま横抱きにするとベッドに運び、柔らかな敷布に横たえた。なんだか恥ずかしくてライナの頬はどんどん熱く、赤くなる。だが、そんなライナの様子を見ても、グレイはそれ以上触れては来なかった。彼は首元までしっかりと上掛けを引き上げ、ライナの柔らかな髪に一瞬触れるとすぐに離した。
「また明日、おやすみライナ」
「―――、――」
ゆっくりと口パクで紡がれた単語に、グレイは幸せそうに微笑み、我慢できなかったとでもいうべき性急さで、もう一度ライナの頬に口付けを落とすと部屋の明かりを消して出ていった。
その後姿を見送りながら、もう一度心の中で繰り返す。
―――おやすみなさい、グレイ。
だが寝ようとしたライナは、口付けを受けた額にグレイの唇の感触が残っていて、なかなか寝付けない夜を過ごしたのだった。
結局グレイはただのセクハラ……げふんごふん。