クレールの仕事
本編に登場する、執事クレール視点です。
主には「この手に再び」の回を主軸にしています。
バーガイル伯爵家。
ロットウェル国内でも名の知れた、有力貴族の名前である。
わたしはクレール。そのバーガイル家の筆頭執事をしております。
さて、昨日……当家のご子息が帰ってこられた。グレイ・バーガイル伯爵。すでに若くして伯爵の名を継承されているが、軍部に所属していらっしゃり、屋敷を留守にすることが多いためか、実質取り仕切っているのは前当主様である。
前当主様は足を負傷された時に気弱になられ、焦ることのない伯爵継承を思わず執り行ってしまったのだ。当時まだ、若干二十歳。グレイ様はその重みに懸命に耐えておられた。だが、奥様はあまり、その心労を理解されていないようではあったが。
当家には、頻繁に訪れてくる来客がある。一応、両家親族共に認められたグレイ様の婚約者だ。
アンヌさまは幼い時からグレイ様一筋で、出会って10年近く経つというのに、いまだに恋焦がれていらっしゃる。しかし、当のグレイ様はとても淡泊な方で、女性に興味がないのでは。とあらぬ疑いが一時かけられてしまったほど、表情もさほど動かないし、とにかく周りに淡泊で興味が薄い方なのだ。
えー……女性に興味が全くないというわけではないのは、長年お仕えしているわたしが保証しましょう。
グレイさまは【魔法士】という、一般の方ではできない技能を磨かれた方である。知り合いでもあったファーラル様は、ロットウェルでも屈指の【魔法士】なのだが、その方に指南していただくことにより、グレイ様はその力を飛躍的に伸ばされた。そして、その能力を見込まれ、辺境警備隊の副隊長に指名されたという。
自分の周辺が最近騒がしくなってきていると、うんざりと零されていたから、もしかしたら指名ではなく志願だったのかもしれないが。
母上であられるミラビリス様は、辺境任務赴任に憤っておられたが、前当主はそれでこそだと喜んでおられた。これが男親と女親の違いなのかとしみじみと感じいった次第である。
最近、隣国のドルストーラ国との関係がきな臭くなってきており、辺境警備をしていたグレイ様も心休まる日々は少なかったと思われる。1か月に一度の簡単な近況報告の手紙が届くだけで、本人の帰郷は半年に一度程度。中央都市に軍の用事で戻って来ている日もあるはずだが、グレイさまはほとんど屋敷に寄らず、軍の宿舎で寝泊まりされていた様子。
そんなグレイ様が、辺境警備の任を解いて戻ってくることになり、屋敷は静かにけれど確実にざわめいていた。
「グレイ様が戻ってこられるんですって」
「ほんとに!?」
集まっていた侍女やメイドたちから、きゃーと明るい声が飛ぶ。グレイ様含め、旦那様も貴族にありがちな高慢さなどがなく、平等に扱ってくれるということで(逆に興味もないようだが)実はこの屋敷の求人の倍率はかなり高い。
「もしかして、アンヌ様との結婚のためかしら……」
「バカね。そうだったら奥様が吹聴されているわよ」
「それもそうね」
呆れたような、複雑な声が響く。どうやらアンヌさまは侍女たちにあまり好かれていないご様子だ。
「軍のお仕事を辞めて戻って来られるのなら、伯爵家当主として腰を落ち着けるということ?」
「ううん、軍を退官されるわけではないみたい。なにか事情があって、一時休職ってことみたいよ」
「どういうこと?まさかお怪我でも!?」
侍女の高い声に、思わずびくりと体が揺れた。
怪我などという情報はなかったので、違うと分かっていても体が強張ってしまう。
「違う違う。彼氏によると、誰かを保護して連れてくることになったらしいわよ」
どうやら話の中心にいるメイドには、軍部に彼氏がいるらしい。機密事項でもないが、簡単に吹聴するものがバーガイル家に勤めていることは好ましくない。後々、しかるべき処置が必要、と。
「お偉いさまかしら。緊張しちゃう」
「あんたが何することも無いわよ。クレールさんに任せておけばいいんだって」
「まぁねー。偉い人だったら、わたしたちが関わることなんてほっとんど無いだろうし」
「部屋付きの指名されるかもしれないのよ。緊張するじゃない」
「あんたはすぐに、テンパっちゃうからね〜」
「あはははは」
女たちの笑い声が響く中、手元に各種情報を手早くメモ取り、足早に立ち去った。
翌日にはグレイ様の副官をしているジュネス・ロア様がお見えになった。彼はすでにロアの本家から籍を抜いているはずだが、なにやら大きな後ろ盾があるようで、そのままロアの名前を名乗っている。時期か来れば、彼個人が爵位を賜ることだろう。その時が本当にロア家との決別だ。
昔から子犬のようにグレイさまの後をついて回っていた少年は、そのままグレイ様に続いて軍籍に身を置き、それが元でロア家から勘当された。それでも構わないと、自分の矜持を守った少年―――いや、今は立派な青年だ―――を、わたしはグレイ様の『味方』として心強く思っている。
彼なら、何があってもグレイ様を裏切らないだろうと信じられるからだ。
「クレールさん、こんにちは」
「ご苦労様です」
単騎で駆けてきたジュネス様は、馬番に愛馬を預けると、装備も解かずに走り寄ってきた。
「グレイ様からのご要望をお伝えいたします」
「どうぞ」
「東の別館を整えておくように、とのことです。ある程度の生活ができる用意をお願いします。来客は少女が一名。グレイ様の責任ではないのですが、大怪我をして回復したところです」
「かしこまりました」
客人に対して何があるかわからないので、メモとしては残さない。すべて頭の中に詰め込んでいく。
「あと……」
「なんでしょうか」
「……クレールさんがいつも見ているグレイ様ではない姿がみれると思いますが……そっと見守ってあげてください……」
目を伏せて情けなさそうに呟いた姿は、なんとも悲しげだった。ただ、言われた意味が分からず首をかしげていたが、その理由を知るのは翌日―――。
確かに今まで見たことのないグレイ様の姿だ。
おかげでメイドたちも仕事にならない。減点だらけだ。総入れ替えでも提案してみたほうがいいかもしれない。
紹介されたライナ様は、不安げな表情を隠すことなく視線を彷徨わせている『普通の少女』だった。少女の侍女を探しておけと命ぜられたが、いま屋敷にいる者たちではグレイ様も安心して任せられないだろう。
それに、いまはそれどころではない。
グレイ様の帰宅を嗅ぎつけたアンヌさまが、間違いなく屋敷に飛び込んでくるだろう……。
奥の居間に消えていったのを確認し、玄関前で待機することにしたのだった。
―――さぁ、伯爵家執事としての仕事をしましょうか。
次回更新は本編です。
そろそろファーラルさんに会いに行きたいところですが…