従者ロージィの出来るまで
初めて顔を合わせた時は、ただの『可愛い女の子』だった。もちろん異性としてではなく、言いかえれば『妹』が出来た感覚に近かったのかもしれない。
そしてそれは、自分の中の庇護欲を満たすものだった。
5歳年下の可愛い女の子。田舎町の中で、女の子は町の住人たちから気楽に『お姫様』と呼ばれていた。その時は比喩表現だと思っていたが、成長し彼女の血筋を知ることによって、それが正しい単語だったのだと理解した。
リグリアセット公爵令嬢―――彼女は妹で庇護する存在で、そして……。
出会いは至極簡単な事。病で妻を亡くし、呑んだ暮れた男が誤って水路で死んだ。子供はろくに世話もされず、家に閉じ込められていた。男が死んだことにより、家を見に来た警らが衰弱したわたしを発見した。
当時6歳。物の道理が分からない年齢ではないし、家を飛び出すことも可能だっただろうに、わたしはそれをしなかった。それはきっと、死んだ男……自分の父親が、酒を飲んでいない時だけは優しく、父親らしい顔をしたことと、先に死んだ母親の思い出話をしてくれたからだと思う。
ともかくも保護されたわたしは、孤児院に送られることになった。けれどすべてが肌に合わない。規律もマナーも約束事も含め、そこにいる奴ら全部が憎かった。自分以外に世話されている子供が、みんな諦めたような目をして日々を過ごしている事も嫌だったのだと思う。寂れた孤児院は崩れかけており、嵐が来るたびになお一層崩壊が進んでいくようだった。
孤児院に来て1年ほどで、本当に孤児院が崩壊した。建物ではなく財政面で。建て替え費用が無いという事と、出資していた貴族が『善意』の出し渋りをしたことが経営悪化に拍車をかけたのだろう。幸いにも預けられていた子供は少なく、たった5人。それぞれ別の孤児院に振り分けられることになり、わたしはリグリアセット公爵領にある施設に移された。
そこは以前いた施設よりよほど清潔で優しい空間だった。子供たちも多く、沈んだ顔をした子供もいなかった。世話人たちは優しく、そして時に厳しくわたしたちを躾けた。衣服は古くとも清潔なものが支給され、満腹ではなくとも空腹で倒れるようなことはなかった。1日2食の食事は温かかった。
施設では子供たちに読み書きも教えてくれた。今後生きていく上で必要になると判断したからだろう。後で聞けば、それは世話人たちの意向ではなく、リグリアセット公爵の考えなのだと教えられたのだが。
わたしは孤児でありながら読み書きを教わり、それなりの知識も身に付けることができた。新しい孤児院で1年ほど経ったその頃、孤児院に公爵本人が慰問に訪れた。それが先の人生を大きく変える―――。
「公爵様、ようこそおいでくださいました」
世話人代表をしていたマルガは、門まで出迎え公爵を迎え入れた。乗りつけたのは簡素な二頭引きの馬車。そこは警備も何もない孤児院だ。そして公爵本人も特に目立った警護を連れていることも無く、公爵夫妻とその愛娘。あとは付き添いがたった2名という、ありえない程の小人数で訪れたのだった。だが、この領地ではそれが普通であり特段珍しいものではない。服装も、まるで町人のような簡素なものだった。唯一愛娘であるアンヌの服だけは、少し凝ったデザインのワンピースだったが、それでも平民感覚の『一張羅』レベルで、決して華美すぎるものではなかった。
「もう少し早い時期に来るはずが、遅くなってしまって申し訳ない」
「いいえ。今年は豊作だと伺っておりましたから、きっとお忙しいのだと思ってましたわ」
「そうなの。どこの畑も手が足りなくて、順番に回っていたら時間が取れなくてごめんなさいね」
公爵夫人も困ったように笑いながら気さくに声をかけてくる。
ありえない事だが、この公爵領では公爵夫妻は領地を文字通り『走り回って』いる。田畑の世話、牛の世話。水利の会合。祭りの準備。子供たちの教育の場。彼らは身分を程よく使いつつ、領地と領民と共に暮らす公爵家だった。
「今日はちょっと……マルガさんにお願いがありまして」
「あら珍しい。ここではなんですから、応接室にどうぞ」
マルガに先導され、公爵一家と付き添い2名は孤児院の内部に進んでいった。途中で視線を感じると、そこには子供たちが珍しそうにこちらを除いている姿があった。
「まぁお行儀の悪いこと!」
マルガは腰に手を当て、怒った風に声をかけた。子供たちは面白がってそれぞれ『きゃー』『怒ったー』などと言いながら散ってしまう。それを眺めていた大人たちだったが、幼いアンヌは繋いでいた公爵夫人の手を離し、子供たちの後を追うように一緒に走っていってしまった。
「アンヌ!」
「まぁいいじゃないか。ゴート、付いててくれ」
「かしこまりました」
慌てた公爵夫人に対し公爵本人は笑って受け流し、後ろに控えていたゴートと呼ばれた男にアンヌを任せると、マルガと夫人を促し応接室に向かっていった。
このゴートという男は、中央都市にいた頃から公爵と共に過ごしてきた、いわば乳兄弟である。いまは公爵家の執事のような事をしているが、実は武闘派なのは公爵だけが知る事実。
アンヌは頭の両側で結ばれた髪を揺らし、子供たちを追いかけた。残念ながら運動神経はあまりよろしくない上に、まだ幼いアンヌにはとても追いつけるものではなかった。そのはるか後方を、ゴートが悠々と歩いて追いかけている事のも気づいていない。
何度か来たことのある孤児院の為、アンヌは子供たちの居場所に見当をつけ走り出した。ピンクゴールドの髪が、ぴょこぴょこと揺れ動くのを追いかけ、ゴートも付いて行った。
けれど残念なことに、なぜか子供たちの姿はなかった。その時彼らは後に公爵に挨拶するため、それぞれ自室に戻って着替えをしていたのだが、そんなことはアンヌは知らない。彼女は姿のなくなった子供たちを探して孤児院を彷徨っていた。まるで一人取り残されたような感覚に、アンヌは涙腺を緩ませた。
「おとぅさま……おかぁさま」
オレンジ色の瞳がうるうると潤みだした頃、通路の先でなにか気配を感じた。アンヌは泣くのをやめてそちらに向かって駆け出し―――
中庭にいたのは、背の高い男の子だった。長い黒髪を背中で一つに括り、一心に木刀を振っている。型も手本も知らないだろうに、その一振りには迷いもなく、そして勢いとキレがあった。ゴートは離れた場所からその少年と、不思議そうに眺めているアンヌを見守ることにした。
「なに、してゆの?」
「……誰」
最初に声を出したのはアンヌだった。舌ったらずではあったが、その意味は理解できたのか黒髪の少年ロージィは素振りをやめて顔を向けた。
「あたし、アンヌよ」
「ふーん」
「おにいちゃんの、おなまえは?」
「……言いたくない」
「にゃのったら、なにょるの!」
ロージィの返答に、アンヌは文字通り地団太を踏んで怒った。本人は激しく激昂しているのだろうが、幼い女の子がツインテールを揺らして怒っている姿はなんというか……面白くて可愛いだけだ。
「あはははは」
「もー!」
邪気のない素直な姿に、ロージィは久しぶりに声を出して笑った。ずっと笑うことを忘れて生きて来た。愛想笑いはしていたけれど、こんな風に声を出して腹を抱えて笑ったのは思い出せない程久しぶりの事だったのだ。
「おれはロージィ。いましてたのは、剣の練習」
「ねぇロージィ、アンヌにもおしえて」
いきなり呼び捨てかよ。と思いつつ何故か訂正する気が起きず聞き流した。それよりも後に言われた言葉の方が問題である。
「だめ。危ない」
手を伸ばすアンヌから木刀を遠ざけ、首を振る。その途端、可愛い顔を膨らませて再び地団太を踏んだ。
「あはははは」
どうやらその姿がツボらしく、ロージィは先程と同じように声を上げて笑っいしまった。そして笑われている事が分かるので、アンヌはますます怒るのだ。
「アンヌもつよくにゃるの!」
「ああ笑った。……アンヌは『お姫様』なんだから、強くなくていいんじゃないか」
笑いすぎて出た涙を拭いながら、ロージィは当然のことを口にする。たが、それがアンヌには不満だった。
「おとうさまとおかあさまにはゴートがいるけど、アンヌにはだれもいないの。だからアンヌは、じぶんだけでつよくならなきゃ」
「……」
幼い少女から零れ落ちた言葉は意外なものだった。まだ年端もいかない幼子が口にするような内容ではない気がする。ましてここは、安全で平和と謳われているリグリアセット公爵領の、まさにお膝下。
「そうだロージィ!いいことおもいついたわ」
小さな手を打ち鳴らし、アンヌはオレンジ色の瞳をキラキラと輝かせとんでもないことを口にする。
「ロージィがアンヌのきしさまになってよ!」
「―――では、近いうちにご返答いたします」
「勝手を言いますがよろしくお願いします」
「そんな事……この件が決まれば、選ばれた子は今より更に良い暮らしが出来るでしょうし、多くを学ぶことが出来ますもの」
応接室での会談が終わり、公爵たちは揃って廊下を進んだ。先にあるのは大きなホール。子供たちの学習の場であり、時にはバザーも開かれる。雨天の日には子供たちの遊び場にもなっている場所だ。今その場に、子供たちが精一杯の小奇麗な服で並び立っていた。
「公爵様、いつもありがとうございます!」
「「「ありがとうございます」」」
年長らしき男の子の言葉に続くように、小さな子たちも声を出しぺこりとお辞儀をしてくれる。その表情は誇らしげであり、ふくよかな頬は飢餓とは無縁であると知ることが出来た。剥き出しの肌には大きな傷もなく、包帯をしている子もいない。無暗に暴行を受けた形跡がないこともまた、公爵夫妻を安堵されることになった。
「あら、そういえばアンヌはどこかしら」
子供たちを見渡すが、愛娘の姿が無く夫人は眉を寄せつつ夫を振り仰いだ。
「ゴートが見ているから心配ないよ」
「そうだけど……」
やはり姿が見えないのは心配でしかない。だが、すぐに子供たちに囲まれ、お構いなしに話しかけられてしまえばその輪を振り払うことはできなかった。
「奥様、わたしの刺繍みてください!」
「ぼくは粘土でこれ作ったんだっ」
「公爵様、絵を描いたんです」
この日のためにと仕上げて来た色々なものを、それぞれ手に持ち見せてくる。我も我もと寄って来る子供たちに、マルガは慌てているし、侍女も戸惑っている中、公爵本人だけが笑って作品たちを一つずつ眺め『素晴らしい』と褒め続けていた。
マルガは子供たちの中に、少年の姿が無いことに気が付いた。
寡黙であまり触れ合わないロージィ。言われたことはやるし、規律も守る。けれどいつも一人で、輪の中に入ろうとはしない。その姿が無く、探しに行こうと一歩踏み出したとき、扉が開いてロージィが姿を見せた。
「ロージィ、どこに行って―――アンヌ様とご一緒だったの?」
「はい」
連れていたのは公爵令嬢だった。そして当然のようにロージィと手を繋いでいる姿を見て、マルガは目を丸くして驚いていた。小さな紅葉のような手が、ロージィの手としっかり繋がれている。人と触れ合うことをされているのかと思われていた、あのロージィと!
「アンヌ、お兄さんと一緒にいたんだね」
母親に抱き付いたアンヌに優しく問えば、アンヌは瞳を煌めかせて微笑んだ。
「ロージィよ、おとうさま!あたしのきしさまなの!」
その後はとんとん拍子に話が進んだ。
まず公爵夫妻が孤児院でマルガに依頼していたのは、アンヌの友達を見つける事だった。本当はある程度の教養ある10歳ほどの女の子を要望していたのだが、殊の外アンヌがロージィを気に入り、女の子という制約はあっさり立ち消えた。
また友達ではないが、アンヌを尊重しつつも、ある程度砕けて接しているロージィの姿に、従者見習いという立場を与えた。教養の点においては問題なく、あの年頃の子供の中では群を抜いて優秀だったといえるだろう。まだ伸びしろがあるという理由により、ロージィには様々な教師が付けられた。
教養やマナーの部分ではゴートが指導をしていたが、もう一つ。剣の才能に目を付けたゴートはこれまた自ら指導を行っていた。だが、その才能は予想以上のものであり、近年剣を振るわなかったゴートでは、体力的にも能力的にも上回るロージィを教える事が困難になっていった。
そうしてロージィ9歳の時、引き合わされたのがフォーデックだ。
2、30代だっただろうフォーデックの正しい年齢は分からない。ふらりと現れた男は、ゴートとも公爵本人とも顔見知りのようだった。
フォーデックはロージィと軽く打ち合いをし、その才能と伸びしろを確認すると、5年もの間剣の指導を続けた。
毎日アンヌがゴートの授業を受けている間、ロージィはフォーデックが暮らすことになった丘にある一軒家に赴き、そこで日々鍛錬に勤しんだ。言葉少なな師匠はそれでも確実にロージィを鍛えていったのだった。
そうしてロージィ14歳の時、再びふらりと姿を消した。
「あいつは気紛れだから」
「あとは自分で磨けってことだろう」
公爵とゴートは突然消えたフォーデックをそんな風に評した。
「またどこかで会うこともあるさ」
あまりにも突然すぎる別れに戸惑っていたロージィだったが、それどころではなくなる。
アンヌが恋をした―――。
バーガイル伯爵家嫡男、グレイ。アンヌが恋した少年。
ロージィはただそれを見守った。見守り続けた。それしかできなかったから。けれどアンヌは振られてしまった……否、身を引いた。
彼は少女の10年にも及ぶ恋情を思い、グレイを憎み恨み―――そして心のどこかで安堵していた。
彼女の一番近くに、いまはまだ居続けられる現実を。
ロージィの身の上話です。
そして意外な人物の名前が出てきましたよー
そうです、ロージィの剣の師匠はあの人なんです。




