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ビーノの苦悩

「ビ――――ノ!!」


 背中から聞こえた自分を呼ぶ怒声に、ビーノはびくりと肩を揺らした。今日は久しぶりの休日であり、一人ぶらぶらと大通りを散歩がてら買い物していたのだが、見つかってはいけない人に見つかってしまったようだ。


「……ひっ」

「ちょっと顔貸しなさいっ!」


 ずかずかと大股で近寄って来た華奢な女性ティファニアは、ビーノの腕をむんずと掴むと、問答無用で来た道を引き返し始めた。ビーノはこれでも軍人の端くれである。思い切り振り払えば掴まれている腕は取り戻すことが出来ると分かっている―――分かっているのだが、ビーノはそれが出来ない。


「お、俺この後用事が……っ」


 こんな言い訳で解放されるわけがないとわかっているのに、つい口に出てしまうのは防衛本能の一環だと思う。


「はぁぁぁ?なに、用事?それってわたしの用件より大事なの?どうなの」


 ぴたりと足を止めたティファニアは、顔だけ後ろに向けると半眼で睨み付けてきた。

 いつもは小柄で笑顔を振りまき、にこやかな人間性であることから『可愛い』や『愛らしい』と評されることが多いティファニアなのだが、今は東洋の国で言う『般若』のようでとても怖かった。吊り上がった視線がビシバシとビーノに突き刺さってくる。


「あぁあ……そ、それ……は……」

「ほら、発言を許すわ」


 掴んでいた腕をあっさりと手放すと、腕を組んで仁王立ちになった。こういうところは、彼女の夫と何故か重なって見えるところである。


「えっとー……俺じゃ、ティファさんの……質問に答えられないと……思うんです、けどぉ〜」


 しどろもどろになりつつ―――決して視線を合わせないように下を向きながら思った言葉をそのまま口にしたが……間違いなく自分を睨んでいるであろうティファニアからの威圧感が増したのが分かった。


 ―――こぇぇええぇぇええ!!


 ふと周りを見れば、近くを歩いていたはずの通行人は消えており、傍の商店の店員も遠巻きで眺めているのが分かった。修羅場だと思われているのだろう。修羅場に間違いはない。だが、一般的に思われているであろう『男女関係のもつれ』などという甘いものではない。ビーノにとっては、ちょっと切実に命に関わる事案なのだ。


 ―――誰か助けてくれぇぇ


 心で泣いても味方は現れない。


「質問ですって?洗いざらい吐いてもらうから、うちに来いって言ってるの!」


 暫く会わないうちに、間違いなくティファニアの口は悪くなっていた。

 連れて来られたのは14番外地の一軒家。可愛らしい家なのだが、連れ込まれそうになっているビーノには、地獄の門のように映っていた。掴まれていた腕を離されたと思うと、放り投げる様に玄関の中に突っ込まれる。


「ダーリンはいつ帰ってくるのよ!」


 一緒に玄関に突撃してきたティファニアは、ビーノの襟首を掴んでガクガクと揺さぶる。もう立派な悪役である。


「特別任務っていうから我慢してるのに、どれだけ掛かってるのよ!ダーリンは無事なんでしょうね―――はっ、まさか……浮気を隠す言いわけなんじゃないの!?はっきり言いなさいビーノ!」


 マクルノ隊長の愛妻であるティファニアは、熱烈に自分の夫を愛していた。夫以外の男は案山子(かかし)だと公言して憚らない。美男子としても有名なファーラルに関しても清々しいほどに興味がなく、男として認識しているのはマクルノだけだと全身が語っているのだ。

 ちなみにビーノの事はマクルノの『副官』として認識しているだけで、『男』とは思っていない。


「ティ、ティファさん、おおお落ち着いてっ」


 がくがくと揺さぶられつつ、されるがままになるしかない。


「わたしがこんなに寂しい思いをしているのに、どうして帰ってきてくれないのよぉぉぉぉ。ダ―――リーーン!うわぁぁああんんっ」

「ティファさん……」


 気丈な性格で、ビーノを脅すことはあっても、決して涙など見せたことのないティファニアだったが、今日はどうやら限界だったらしい。ビーノを揺さぶっていた手を止め、それでも首はしっかり締め上げつつ大粒の涙をぽろぽろと零して泣きだした。


「ダーリンのバカ。バカバカー!」

「……ティファさん」

「ビーノはもっとバカ!最初からちゃんと連れ帰ってくれてたら、こんなことにはならなかったんだからね!バカ!役立たず!」

「すいません……」


 涙声で怒鳴られつつ、反論せずに罵倒を受け入れるビーノ。その足元に一匹の猫が擦り寄って来た。愛らしい白猫で夫妻の愛猫キティだ。しかし、以前見た時は大きかったお腹がすっかりべったんこになっていた。


「あれ、キティの出産終わったんですね」

「……ぐすん。もうずいぶん前に終わったわよ……キティ、おいで」


 ティファニアは締め上げていたビーノの襟首から手を離し、キティを抱き上げてその毛並みに頬ずりした。暖かで優しい温もりが心を癒してくれる。


「子猫はみんな里子に出したから、キティも寂しいのよね……」


 愛猫を抱きしめ涙を流しつつ、ぽつりと呟くその小さな姿は痛々しいものがある。どんなに気丈に振る舞っていたとしても、彼女はマクルノとは12歳も歳の離れた新妻であるし、住宅街であるとはいえ、毎日女一人猫一匹の生活は不安も大きいだろう。


「……ねぇビーノ」

「はい」

「ダーリンの帰還は、本当にまだ不明なの?わたし、ダーリンに言いたいことがあるのよ」


 そういってビーノを見てきた顔には、すでに涙の痕はなかったが、まだ目は赤く充血していた。確かに長すぎる不在だとビーノ自身も感じていたこともあり、なんとか情報がないものかと記憶を掘り返してみる。


 ―――最近あった作戦会議で……なにか……。


 この数日の出来事を思い起こしつつ整理していた時、ふと思い出された記憶の断片に、思わず顔を上げ視線を彷徨わせた。


「そういえば……一か月先の任務計画会議の時……最近ずっと隊長は空欄だったのに、名前があったような……」

「!!!」


 ぽつりと零れた言葉に、ティファニアは勢いく顔を上げてビーノを見た。その視線に気づかないままビーノは頭の中の記憶を掘り起こして整理していく。


「一か月先は……ああ、白薔薇城内警備計画だったかな。でも戻ってきてすぐに任務なわけないだろうから、帰ってくるとしたらこの数週間で―――それにしても特別任務とやらがもうすぐ完了するって事なのかな。全然情報がないからわからないけど……というか、大隊長はどこからその情報を手に入れたのか―――」

「そぁんなことは、どうでもいいっ!」

「うわっ」


 ティファニアは頭にキティを乗せ、空いた両手で再びビーノの胸倉を憑かんで揺さぶった。


「その話、本当よね?ダーリンの名前が出たのよね」

「た、たしか、そうで、す……」


 揺さぶられ、舌を噛みそうになりつつ是と答えると、目に見えてティファニアの表情が輝きだした。まるで太陽を浴びた花のよう。


「あとちょっとなのね!待つわ、わたし待つ!ダーリンが帰ってくるんだわ!」


 きゃーっと喜びの声を上げ、キティを抱き上げてその場で頬を染めて満面の笑みになった。


「早く帰ってきてほしいわ……ダーリンに育児休暇が取れるのか聞かなくちゃいけないし!」

「……えっ」


 ぽろりと零れたティファニアの言葉に、ビーノは激しく反応を示した。その様子がおかしかったのか、小さく笑うとまだぺったんこのお腹に手を当てて微笑んだ。


「育児休暇よ。ビーノは知らないっぽいよね。あ、調べておいてくれてもいいのよ?」


 つまり、調べておけということ。


「えぇええ、ティファさん……おめでた、ですか!?」

「そうよ。でもサプライズにするから秘密よ!」


 安定期にも入っていないだろうに、動き回って男を力づくで引っ張ったり、興奮して泣いたり怒ったり―――


「安静にしててくださいよ!」

「あら優しい。ありがとーね」


 ティファニアはにこにこと笑っているが、ビーノは妊娠を夫であるマクルノより先に知ってしまった事実に恐怖していた……。


 ―――隊長〜〜早く帰って来てくださいよぉぉ。


というわけで、マクルノ隊長はもうすぐ帰って来るそうです。

つまりグレイも……

つまり…本編「第三章」の終わりが見えているということで…。

げふんごふん

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