侍女は見た!
侍女リリー視点です。
本編『バーガイル伯爵家の騒動』と『恋の後始末』の前後くらいの感じで。
わたしはリリー・オペリエッタ。バーガイル伯爵家でミラビリス奥様の侍女をしている。
実家は落ちぶれた下級貴族で、わたしと姉と、年の離れた3人の妹と2人の双子の弟がいて、もちろん両親も健在で、当然のように祖父母も元気いっぱいで同居している。辛うじて所有している領地からの納税は微々たるもの。とてもこの大家族を養っていけるほどのものではなく、わたしと姉はそれぞれ別のお屋敷に奉公へ出た。行儀見習いも兼ねて、中央都市へと上京してきたのだけど、あまりの都会っぷりに最初は開いた口が塞がらなかったわ。
なんとか叔母の伝手を辿り、更にそこから他の知り合いに声をかけ、それを幾度と繰り返して辿り着いた就職先が、伝統あるバーガイル伯爵家だなんて、あまりにも出来過ぎの現実に思わず頬っぺたを抓っちゃったわよ。
最初は洗濯メイドから始まったけど、実家でなんでもこなしていたのが功を奏したのか、手早く確実な作業を認められて、他の子たちより早く侍女ポジションに辿り着いたわ。
けど、どうしてこんなに早く出世したのか、そして周りの子たちが羨むでもなく憐みの目で見ていたのか……わたしはすぐに実感することになる。
ミラビリス奥様はとにかく偏屈!いい年して我儘だし、勝手だし、すごくお美しい方なのに絶対損してる。私室に閉じ籠ってなにをするわけでもないのだけど、言葉が辛辣で若い侍女の子なんて涙目になってたり。
残念ながらわたしは世間の荒波に揉まれて暮らしてきたから、冷たい言葉も態度も、さらっと受け流しちゃえるスキルをすでに身に着けていたわけ。実家が貧乏で使用人なんてろくに雇えなかったから、食糧の買い出しはわたしの役目。市場でごつい親父さんに声を張り上げて値切ったり、交渉したり、時には財布を掏られたり、迷子を見つけて一緒にお母さんを探したりもしたわ。
色んな経験がわたしを強くしてくれているの。こんなお上品な方の流麗な言葉なんてわたしの心には刺さったりしないというわけ。
けど若い燕を囲ったりもなく、伯爵夫人のして最低限の社交はこなされていたし、わたしにはそこまで扱いづらいご主人様ではなかったのだけど。
それにしても下っ端メイドをしている時は気づかなかったけれど、大旦那様であるファヴォリーニ様とは疎遠な状態。同じお屋敷に住んでいるのに、軽く別居してるみたいに思うくらいだったわ。朝食はなし。というか、まず起きてくる時間がお昼。よくぞそこまで眠れるものだと感心しちゃうわ。朝食兼昼食を済ませて、届いた手紙や招待状の整理を済ませると、あっという間にお茶の時間。刺繍をしたり本を読んだりしながらだまーって過ごされる。正直、無言が苦しい。
それが落ち着いてからが真骨頂!
やれ仕立て屋を呼べとか(遅いって!)
宝石商を呼べとか(だから遅いんだって!)
全身エステするから手配しろとか(だから以下略)
今になって髪型が気に食わないとかも当たり前だし、怯えたり困っている侍女を見ると余計にイラッとするみたいで、発する言葉が徐々に厳しいものになっていく。
わたしはどこ吹く風と云わんばかりの対応なんだけど、他の子たちはそうはいかなかったみたいで、時々『お暇をください』と退職していく子もいるのだった。みんな真面目に考えすぎなんだと思うんだけど、友人に言わせるとわたしが考えなさすぎるんだと言われた。
ミラビリス様だけでも手一杯の時に、嵐が追加される時がある。
アンヌ・リグリアセット公爵令嬢だ。これはきつい。正直ヤバい。さすがのわたしもこの人はかなり苦手だった。
うちの伯爵家にはご子息が一人いて、グレイ様とおっしゃるのだけど、ご両親に似たんだと思う―――すごく寡黙で冷静。大旦那様はもう引退されたけど、グレイ様は軍に入り隊長とか副隊長とかしていると聞いた。あの若さでその地位はすごい事らしい。実力があるからこそなんだと、奥様が自慢げに話していたのを聞いたことがある。
まぁそれはともかく。このアンヌ様。実はグレイ様の婚約者という肩書なんだけど、典型的な貴族のお嬢様。しかもあのリグリアセット公爵令嬢だし、とにかく美人だし、じっとしてたら本当に美人だし、黙ってたら可愛いし、笑った顔も毒舌が入らなければ天使だと思う。あと、グレイ様が絡まなければ、ね。
どこがいいのか、ミラビリス様のお気に入りで頻繁に屋敷を訪れる。ファヴォリーニ様はあまり歓迎していないのか、仕事が忙しいのか(たぶん7対3の割合じゃないかしら?)全然顔を出されない。まぁ、もともと足がお悪いのだし、用もないのに出歩かれない方なんだけれど。
と、まぁそんなこんなで気が付けばミラビリス様付の侍女の中で、わたしは一番先輩になっていたのでした。そして気づけばメイン侍女はわたしだけで、あとは人手が必要な時だけ他から補充して補うっていう形に収まっていた。
なんてこったい。
そうこうしている日常に変化が訪れた。
あのグレイさまが、なんと少女を囲い始めたのだ!!
―――おっと語弊があったかも。なんでも身寄りのない娘を連れ帰ったそうなのだけど、なんと奥様から隠すように別館に連れて行ってしまうし、冷静で寡黙で、表情筋使ったことありますかってくらい無だったグレイ様が、その少女ライナに対してだけは笑うし微笑むし甘い顔をするし些細なことで嫉妬するし抱き上げるし離さないし……ベ、別人デスカ?
わたしだけでなく、屋敷の使用人全員ポカーンよ。もちろん奥様も旦那様も唖然。うちの息子どうしちゃったの!?って奥様が叫んでもわたし支持したわ。
そして、なにがどうなっているのか……わたしの理解できる範囲ではわからないのだけど、ライナが来てから伯爵家は変わったわ。
確実に活気が生まれたし、奥様の無理難題(今思えばあれは寂しさの感情表現だったのかも)もなくなったし、旦那様と一緒に食事を摂られるようになったし、二人で笑いあっている姿を見た時には、不覚にも目の奥が熱くなったものよ。
あれよあれよという間に、アンヌ様とグレイ様との婚約は解消されることが決まり、今度はライナが押し上げられている。
奥様は乗り気だし、今回は旦那様も全面支援の方向ぽい。もちろんグレイ様は拒否されないだろうから無問題。ライナの身分の問題があるけど、なにやら策があるとかどうとか?意外とアンヌ様がすんなりと受け入れたらしいのが、ちょっと怖いんだけど、最近見た顔には以前のような覇気はなかったから、やはりまだ引きずっているのだと思う。ああいうのは淑女の矜持なんだろうか。わたしには無理だ。
グレイ様はジュネスといま、異国へ任務に行っている。帰ってくるのはいつになるかわからないけど、帰ってくるまでにはなんとか、あのやる気まったく見えないライナを淑女らしく輝かせなくちゃですね、奥様!
時々出てくる、ミラビリスの侍女リリーでした。