ある雪の日
本編開始時期より過去です
新雪が積もり、小さな村は真っ白に包まれた。太陽が昇りその雪が反射されると、視界に広がるのは眩しいほどの白銀の世界だ。
そんな白い世界で一人遊んでいた少女は、一度大きく体を震わせると慌てたように家に駆けこんでいった。
「寒い〜!」
「寒いに決まってるでしょう。まったくもう」
家の中に駆けこんできた少女ライナは、母親が場所を開けてくれた暖炉の前に陣取り炎に向けって両手を掲げる。じんわりとした熱が冷え切った体に染みこんでいくようだった。
「だって、真っ白なんだよ。こんなに積もったの久しぶりだったし」
外気との気温差で火照った熱は、そのまま滑らかな頬に熱を逃がした。赤くなった頬と、嬉しそうな表情が白銀のように眩しい。ライナは未練があるように視線を窓に向ける。もちろんそこから見える景色も白銀の世界だ。
ライナの視界には常人には見えないという『精霊』が嬉しそうに飛び回っているのも見えていた。よく見かける緑色の精霊ではなく、全身真っ白な華麗な姿をした精霊たちだ。
「これだけ積もると雪下ろしも大変なのよ」
「手伝うもん〜」
「はいはい期待してるわよ。さ、これ飲みなさい」
そう言って母から差し出されたマグカップには、熱々のホットミルクが入っていた。濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。
「屋根は父さんに任せて、ライナは家周りを手伝ってちょうだい」
「はーい」
これだけ降ったということは、屋根の上にも同等の雪が降り積もっている事になる。今は大丈夫かもしれないが、このまま放置してさらに降り積もるようなことになれば、重さに耐えきれなくなった家屋が倒壊してしまう危険性があった。
「屋根はアロイスに任せる。俺は社に向かう」
「え。アロイス大丈夫なの?」
母親は黙々と雪かきの準備をしていた父親ディロの言葉に戸惑いを隠せないようだ。息子であるアロイスはまだ14歳になったばかりで、一人で屋根の雪下ろしをさせたことが無かったからだ。
「大丈夫だよ、母さん」
ディロと一緒に準備していたアロイスは、母親を安心させるように微笑み、テーブルに乗っていた小麦パンに噛り付いた。天候がどう変わるかわからないため、手早く済ませてしまうに越したことはない。今朝はのんびりと朝食を摂っている時間もないだろう。黙々と咀嚼し、ライナと同じく用意されていたホットミルクを喉に流し込んだ。
「俺は社の雪下ろしをしたら、村で人手の足りないところを回る。アロイスはここが終わったらフォーデックのところに行ってやれ」
「師匠のところ?」
「あいつは出不精だからな……ほっとくと雪の重さで家が潰れるまで出てこないかもしれん」
「……」
確かに剣の師匠をしてくれているフォーデックは、人付き合いを意図的に避けている風でもあるし、この積雪すら人と会わなくて済むといういい口実にしてそうだ。
だが、彼が住んでいる家は小屋とも呼べるような代物で、決して丈夫でもないし快適な住まいとも呼べないだろう。そこに好き好んで居ついているので村人は特に何も言わないようだが。
「じゃあわたしは、腹ペコになるだろうあなたたちの昼食を用意してますからね。しっかり働いてらっしゃい」
「「はーい」」
「いってくる」
防寒着に包まれた子供たち二人が家を飛び出していき、その後に続くようにディロが落ち着いた足取りで自宅を後にした。そんなそれぞれの後姿を見送り、母親は腕まくりをして台所に向かったのだった。
ディロは社に向かうと言っていたが、実際は『社までの道を作る』という作業が正しかった。道は雪に埋もれてしまい、見ただけでは全く分からないような状態だ。だが、ディロは精霊に大よその道の場所を教えてもらい、それを切り開いていった。炎の精霊でも呼び出せれば簡単な作業なのかもしれない。実際、一部の精霊士の中には除雪に炎の精霊に頼るものがいるという。だが自然の理に反する可能性があり、なにより精霊に頼り切った生活への依存を良しとしないディロは、決して炎の精霊を呼び出すことはなかった。
地道な作業で道を開いていく父を見送り、アロイスは屋根に上り雪をどんどん下に向かって落していった。そしてライナは家を囲う雪を除いていったのだった。アロイスが落とし、ライナが遠くへ放る。この繰り返しを何回繰り返したか―――屋根の上にあった雪は取り除かれ、家の周りも幾分かすっきりとした。
寒いはずなのに肌着まで汗で濡れているのがわかった。
「ライナ、体が冷えるまでに家に入ろう」
「うん」
まだ11歳であるライナにとって、雪かきは重労働だ。それでも家族の役に立てることは喜びだったし、なによりこれが普通だと思っているので苦にもならない。
「ご苦労様、二人とも」
家に入った兄妹を出迎えた母親は、二人にタオルと着替えの準備された暖かな暖炉前に迎えてくれた。暑いほどだった熱が冷えてきて、ぶるりと体を震わせる。
「ほら早く着替えなさい。本当に風邪をひくわ」
「はーい」
手早く着替え、暖炉の炎で体をじっくりと温める。凍るようだった指先に感覚が戻ってきて、無意識に安堵の息が漏れた。アロイスとライナは肩を寄せ合い、時にはふざけて笑いながら緩やかな冬の時間を過ごした。
台所から母親が料理する音が聞こえてくる。
暖炉の薪の爆ぜる音がする。
微かに聞こえてくる村の男衆たちの声。
飛び交う精霊たちは楽し気で、ライナも自然と笑顔になった。
兄妹で見える世界は違ったけれど、それでも生きている時間軸は同じで、それがなにより大切だった。
「さぁアロイス、フォーデックさんのところに持って行ってね」
昼食の準備をしていたと思っていたが、どうやら母親はフォーデックへ届ける食事を用意していたらしい。テーブルに置かれたのは大きなバスケットに詰め込まれた食材。そしてスープの入った小鍋だ。
「わたしもいくーーっ」
「そういうと思ったわ。二人の分も入ってるから三人で分けて食べてちょうだい」
張り切って挙手したライナへ、母親は諦めていたように苦笑した。どうやらアロイスについてフォーデックのところへ行きたがる予想されていたらしい。
「鍋もバスケットもソリに乗せちゃいなさい。二人で引っ張っていけばいいわ」
「帰りはわたしが乗っていい?」
「アロイスが引っ張ってくれたらね」
「えー。めんどくさいなぁー」
アロイスはうんざりとした顔を見せていたが、その口元は笑っていて本心からの言葉ではないと語っているようなものだ。そしてライナも、兄がきっと願いを叶えてくれると信じているから、無条件に甘えられる。
「夕方には帰ってらっしゃいね」
「「はーい」」
母親に見送られ、子供たちは一路フォーデックの住む小屋へ向かった。
小屋までの道路は予想通り雪に埋もれていた。だがライナにはディロと同様、精霊が見える。見えない道も精霊が導いてくれるので安心だ。それでも荷物を積んだソリを引きずって雪道を進むのはなかなかに骨が折れる。しかもフォーデック宅までは上り坂なのだ。
なんとか辿り着き、フォーデックの小屋を見上げた二人は―――口を開けて止まった。
「……お兄ちゃん、これ……」
「……ライナは入っちゃダメだぞ」
「うん」
小屋の上の積もった雪の重みで、粗末な屋根はすでにぎしぎしと悲鳴を上げ始めていたのだった。太陽の熱により溶け始めてはいるが、それでも安心できる状態ではない。
「おまえ達、何用だ」
突然背後から声をかけられ、アロイスは勢いよく振り返った。そこには見慣れた男の姿。
「師匠!」
「いつ倒壊するかわからん。近づくなよ」
「……そういう師匠は?」
「いまから雪下ろしだ。ここは―――こんなに雪が降るんだな」
そう呟いたフォーデックは、村を見渡すように目を眇めて瞳を細めた。その横顔はどこかを懐かしんでいるようでもあり、ただ単に感嘆したようにも見える。
「手伝います」
「わたしもー!」
「危ないぞ」
立候補した子供たちに、フォーデックは事実を淡々と告げる。まして小屋の屋根はぎしぎしときしんでいるのだ。決して安全性は高くない。だが、そんなことで怯んでいるようではこの村の中では暮らしていけない。ましてこの季節を毎年乗り越えていかなくてはならないのだ。
「少なくとも師匠よりは、雪下ろし上手いと思いますよ」
くすりと笑ったアロイスは、フォーデックに余裕のある笑みを見せたのだった。
結局雪下ろしはフォーデックとアロイスが手分けして行った。ライナはその間に家の外で火を熾し、持ってきていた鍋を過熱させた。本当は炎の精霊に頼んでしまいたかったが、ディロが良しとしていない行為をライナがするわけにもいかず、雪下ろしが終わるまでハラハラしながら見守るしかなかった。ぎしぎしと音を立てていた屋根から原因である重さが取り除かれた時には、アロイスは再び汗にまみれていた。
「ライナ、家の暖炉に火を入れてくれ」
「はーい」
倒壊の危機から一時的にではあるが回避できた室内に踏み込み、室内の寒さにライナは鳥肌を立てた。慌てて暖炉の薪に火をつけるが、小さな炎はなかなか大きくならない。ライナはまだ外にアロイスとフォーデックがいる事を確認すると、小さな炎に視線を集中させる。
炎が爆ぜるその欠片の中に、小さな炎の精霊が見えた。
「お願い。早く燃えてほしいの」
そしてポケットにいつも持ち歩いているハーブを一つまみ、暖炉の中に撒きいれた。その瞬間炎の揺らめきが大きくなり、ちろちろとゆっくりと薪を舐めていた炎が膨れ上がる。けれど突然の大きな炎にも、ライナは一切動じない。小さな炎の精霊たちが懸命に願いをかなえてくれようと頑張っている姿がライナには見えているからだ。
普通ではありえない速さで薪が燃え、室内が温かく満たされていく。それを肌で実感してライナはほんわりと微笑んだ。
「ありがとう、最高よあんたたち」
少しだけ大人びた顔で、ライナは精霊たちに微笑みかけたのだった。
冷え切っていたはずの室内が、予想以上の温かさで満たされていることを不思議そうにしていたフォーデックだったが、特に言及することはなかった。ただ一瞬目を眇め、ライナを目視しただけだった。アロイスはライナの仕業だと勘付いていたのと、単純に冷え切った体を温められる喜びに、それどころではなかったということもある。
母親が持たせてくれた食事を三人で平らげると、フォーデックはアロイスと木刀で型の練習を始めた。いつもは屋外での稽古だが、今日は足元も悪かったので屋内になった。アロイスに雪下ろしを手伝ってもらったことに対する駄賃の意味合いもあるようだ。
アロイスが奥にある少し広い部屋で練習している間、ライナは居間の本棚を漁っていた。難しい単語は分からないが、簡単な文字なら読むことが出来る。母親が薬草の知識を書き留めてくれた指南書は、簡単な単語などで綴られているのだ。
パラパラとページをめくっては本棚に戻し、また手近な本を抜き取ってはペラペラとめくる。フォーデックはそんなライナの行動を特に咎めもしないので、何度かその動きを繰り返していた。そんな時―――
「あ……っと」
一冊の本の間から、一通の封書が滑り落ちた。白い封筒にしっかりと押された印章がある。
「馬が二頭……かわいい」
寄り添うように描かれた二頭の馬。その馬を縁どるのは下方に先端のある縦長の五角形。
「盾?」
盾型の枠の中に収まっている二頭の馬。微笑ましくも、なぜか強固に思える印章だった。だが、その時のライナは紋章がどういうものか分からなかったし、特段気になるものではなかったため、そのまま記憶から消えていった。
「手紙は見ちゃだめね」
ライナはすでに封切られた手紙の中身に多少興味を得つつも、それをぐっと耐えてもう一度本に挟んで本棚に戻した。
もしこの時、彼女が手紙の内容を読んでいれば―――運命は違う回り方をしていたのかもしれない。
―――ディロの血族を守れ。
その一文をライナが見ていれば……あるいは。
最後の数行が書きたかっただけでした。
フォーデックさんをお忘れの皆様。
まだ出番は(当分)先ですが思い出していただけると嬉しいです(笑)