素描と涙
本編「母親の顔」とリンクしています。
思いがけず手渡された息子ジュネス様の素描。色もない、本当にあっさりとしたデッサン画でしかないというのに、メアリナーデ様の目には色付きで見えているようです。
「奥様、ようございましたね」
「ジェームス、ほら見て。目元は昔と変わっていないと思わない?」
バーガイル伯爵が帰っても、メアリナーデ様は嬉しそうに何度も何度もその素描を眺めていらっしゃいます。あまりにも触りすぎる為、紙がよれ始めてしまいました。
「ああどうしましょう、ジェームス!」
「奥様。こちらの額に入れてはいかがでしょう」
大切な素描を受け取り、額縁の中に丁寧に入れるとメアリナーデ様は再び嬉しそうに微笑まれました。それはそれは、輝かんばかりの微笑です。
「ありがとうジェームス」
素描の入った額を受け取られると、メアリナーデ様は何度も何度もその上を指でなぞられます。薄いガラスで守られた素描は、直接触れることが無ければ傷むことはないでしょう。
「ジュネス……わたしの、大切な……」
微笑んでいたその顔から、ぽたぽたと涙が溢れ、ガラスの上に水滴が落ちていきます。わたくしは白いハンカチを差し出し、涙を拭かれるようお渡ししましたが、メアリナーデ様が拭かれたのは頬ではなくガラスでした。
「死ぬ前に一度でいいから、直接会いたいものね」
「そのようなこと、仰らないでください」
「でもそれが、今のわたくしの最後の夢なのよ」
もし本当に再会が叶えば、喜ばしいことなのに―――本当にメアリナーデ様が命の炎を消してしまうのではないかと、少し恐ろしくも思ったのです。
メアリナーデは悲しい人です。
自分ではどうしようもない流れに翻弄されています。
実母とは縁を切り、夫とは別居。息子とはほぼ離縁。
メアリナーデは一切悪くないのに、運命とは残酷です。