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ロージィと決闘

本編マーギスタ編に入るまでの間話です。


 ライナの脱走劇の後、少々身の回りはごたついたが結局は以前と変わらない状態に戻ったと思う。父親と母親の関係が前に比べて穏やかになった気がするが、それは良い兆候なので黙っておく。下手に口に出すと素直ではない大人たちは、また意味もないいがみ合いをするかもしれないからだ。

 寒さが増してきたのが原因なのか、ライナは最近屋敷の中で大人しくしていることが増えた。大人しく、というと語弊があるが。最近は厨房に出入りして料理長に師事しているらしい。本当は火器のあるところに連れて行きたくはなかったが、周りから『過保護すぎる!』と怒鳴られた。それに母親の味を再現したいと申し出られて断れるはずもなかった。

 良かったことがあるとすれば、ライナの手料理が食べられるようになったことだ。元々料理は得意ではないらしいが、それでも何もできない貴族の娘たちに比べれば、十分すぎるほどの腕前だろう。ちなみに料理長はライナのじゃがいもの皮むきを絶賛していた。




 いつものように出仕し、鍛錬場に向かう。馬車に揺られるその膝の上にはバスケットが一つ……これはなんとライナの弁当!試作品だし不格好だし、と言葉はなかったけれど、その恥ずかしそうな顔を見ればわかる。嫌がるライナを制し、ニーナにバスケットへ詰めてもらい、意気揚々と仕事に向かっているのだ。

 美丈夫と謳われた人物とは思えないほど、脂下がった顔。


「……グレイ様、到着するまでにはその表情…何とかしておいてくださいね……」


 呆れ顔のジュネスが、じっとりとこちらを眺めてくる。


「仕方ない。お前にも一口分けてやる。昼食が今から楽しみだ」

「ニーナは二人分として詰めてくれたはずですが……」

「夕食のデザートにプリンを作ると言っていたし、帰ってからも楽しみだな」

「……聞いてないですね……」


 幸せオーラ全開のグレイは、城についても無駄に笑顔だった。そんな幸せに笑顔を無駄に振りまいた結果、働いている使用人、登城していた娘たちが色めき立たないわけがない。


「バーガイル伯爵だわ!」

「何あの笑顔っ」

「すてき〜〜!」

「かっこいいのに、笑ったら可愛いなんて……っ」

「わたし、今日仕事でよかった!」

「非番だったら損してたわよねっ」


 きゃいきゃいと楽しげな声があちらこちらから聞こえてくる。完全に職場放棄だろう。いつもは人通りのまばらな通路に、溢れかえるほど女性たちが詰めかけていた。そしてその様子を兵士や武官を含めた男たちは、呆然としたり呆れたり、妬んだり僻んだりして視線を向けてくるのだ。居た堪れない……。

 だが、当の本人はまったく意に介さずバスケットを両手で抱えてずんずんと歩を進めていった。変わらず満面の笑みで。少しくらいは自分の影響力というものを実感してほしいと切に願うが、その心の声が主に届いたことはない。



 大事なバスケットは、兵舎の執務室に置かれた。誰も触ることは許さないと精霊で結界まで張ったようだ。使いどころを盛大に間違えている気がするが、今さらそれを言ったところで恐らく思い直してはくれないだろう。

 そして模擬剣を握りしめた男は―――先程までの穏やかさを脱ぎ捨てて鬼上司へと変貌した。


 体を極限まで疲弊させ、底力を発揮させる。というメニューでもあるのだろうか。無かったとしても作るかもしれない。いつもながらのハードメニューに部下たちは次々と地面に転がっていった。


「なんだ、もう終わりか!立てっ」


 鍛錬場の真ん中に仁王立ちになり、屍の如く転がる部下たちを叱咤しているのはもちろんグレイ・バーガイル伯爵だ。どこにそんな体力があるのかと謎ですらあるが、彼の体力は底なしとしか言いようがない。部下たちと同じだけのメニューをこなし、さらに3対1の打ち込みを連続で行い、全員を地面に転がす。しかも嫌味なほどに余裕な姿。


「まだ、いけま…す!」

「ロックか。よし来い!」

「やぁぁあーーー!」


 辛うじて立ち上がった一人の青年兵。年の頃はジュネスと同年代くらいだろうか。疲労で震える足を叱咤し、なんとか立ち上がり向かっていくが、同じく腕が震えていて剣筋が定まらない。何度かその剣筋を避け、ロックがさらに一歩を踏み出したとき、グレイは受ける事無くその剣を弾き飛ばした。衝撃で足元がふらつきそのまま膝をつく。

 その姿を視界から外すと、倒れた状態から座るところまで回復したらしい部下たちを見渡した。


「他にはいないのか」

「バーガイル伯爵」


 まったくふいに、この場で聞くはずのない声が聞こえてグレイは勢い良く振り返った。まっすぐ歩いてくる男の姿を目視し、数多に疑問符が浮かぶ。


 ―――なんでこいつがここに?


いつも笑みを湛えている薄い唇。切れ長の目。黒い髪は綺麗にセットされている。そして姿はこの場に似つかわしくない燕尾服。そして手には細身の剣が握られている。あの刃の輝きは真剣だろう。


「ロージィ?どうした」

「決闘を申し込む!」

「はぁ?」


 突然突きつけられた物騒な言動に、グレイはぽかんと口を開けてロージィを見返した。そんな二人を取り囲むように部下たちは引き下がっていく。なんて薄情な。


「なに言ってるんだ。だいたい決闘って……」

「アンヌ様の名誉を穢し、アンヌ様の長年の純情と恋心を粉砕した貴様にこの決闘を拒むことは許されないっ!」


 刃をグレイへと突き付ける。その目はギラギラとした殺意で溢れている。


「あー…えー…」

「副隊長!あの別嬪さん振ったんですか!?」


 グレイが思わず口ごもったのを見て取ると、部下の一人がからかうような声を上げた。それを起点として周りの兵たちから続々と遠慮のない声が飛んでくる。


「しかも公爵令嬢だろ」

「美人で公爵令嬢って、最高じゃないか」

「しかも子供のころからの許嫁だったよな?」

「確か令嬢が副隊長にぞっこんって……」

「それに家族ぐるみでの付き合いだって聞いてたけどなぁ」

「あれだよ、この前連れて来てた女の子。あの子に骨抜きだったじゃないか」

「マジで!?」

「あの子、成人前の子供じゃなかったか?」

「え」

「え」

「まさか、副隊長……」

「その趣味が……」

「部外者は黙ってろ!!!」


 自分の名誉(というか云われなき性癖)にまで話が飛んでいきそうになるのを、グレイの一喝が霧散させた。声はなくなったが、部下たちからの視線が無駄に痛い。


「ロージィ、そのアンヌはどうした。アンヌが俺と決闘して来いと言ってるのか?」

「心優しきお嬢様はそんなことは望まれていない」

「自己判断かよ……」


 思わずうんざりとした声が出るが、ロージィはそんな態度も気にしていないようだ。


「わたくしが無断で行うことだ。それによって命を落としても後悔などない」

「いやいや。公爵家の執事を殺したら俺が査問会にかけられるから」

「安心しろ。ここに遺言状がある」

「……」


 胸ポケットから取り出した封筒の表には確かに『遺言状』とある。ここまで用意周到ということは、この決闘も思いつきではなく、重厚した結果ということだろう。


「はぁ〜〜……アンヌはここにお前が来ることを止めなかったのか」

「お嬢様は現在、リグリアセット公爵領に戻られている。お嬢様を領地へ送った後、屋敷の手入れのために戻ってきたことになっている。お嬢様はこのような野蛮なこと好まれないだろう。だが!わたくしはお前を許すことは出来ない!」


 血走った目がグレイを捉えて離さない。

 ロージィはアンヌに付けられた専属の執事だ。執事であり忠実な狂犬。何度か手合わせをしたことがあるが(アンヌが無邪気に見てみたーいと言うからだ)その戦いのセンスは侮れないものがあった。負ける気はないが、正直あまり対戦したくないタイプなのだ。力と【魔法士】としての能力の合わせ技で戦うグレイと違い、ロージィはその戦闘センスで翻弄してくる。素早い動きとフェイントを持つロージィは彼さえ了承してくれるのなら部隊に欲しいほどの人材なのだから。


「……アンヌの事は俺と彼女の問題だ。だからお前と戦う理由がない」

「よくも、ぬけぬけと……っ」


 細身の剣を構え、いまにも切りかかろうかと足を踏み出したロージィだったが、その動きが突然不自然に止まった。


「な……っ」

「すいません、お手数おかけしました」

「お前の尻拭いは何回目だ」


 動かない体に困惑していたロージィだったが、突然現れた人物を見て合点がいったようだ。


「ファーラル議長……」


 突然の大物の登場に、兵士たちは慌てて敬礼する。その後ろにいるのはジュネスとガーネットだ。どうやらファーラルを呼んできたのはジュネスらしい。それであるならば、動かなくなった体にも納得がいく。ロージィには見えていないが、恐らく間違いなく、その体は精霊によって抑えられているのだろう。きっとグレイにはそれが見えていたから堂々と決闘を断ったのだ。


「まぁいい。今度纏めて借りは返してもらう」

「えっと…お手柔らかにお願いします、師匠(せんせい)

「ところでロージィ」


 日陰のない鍛錬場の暑さと砂埃に辟易しているのか、ファーラルは顔を顰めている。顰めつつ動けないロージィへと声をかけた。


「アンヌがここに戻ってくるのはいつだ?」

「……」

「別にだんまりする理由はないだろう。調べればすぐにわかることだが、手っ取り早くおまえから聞くだけさ。まさか機密でもないだろう?」

「年明け後、街道の雪が溶けたらと……」


 ぽつりと零れた言葉は弱弱しいものだった。何をどうしてもピクリとも動かない体に、勢いが削がれてしまったのが正しいかもしれない。


「あとひと月はあるな。よし、ロージィ」


 ファーラルが腕を一振りすると、見えない体の拘束が瞬時に解けた。あまりに突然の事で思わず足がたたらを踏む。なんとか剣を突き立てて転倒を防ぐが、気が付けば真正面にファーラルが立っていた。


「議長!危険ですっ」


 驚いた兵士の中から声が上がった。何しろ武器を持ったままの決闘希望者なのだ。だがそんな声に頓着した様子もなく、なにやら楽しげに顔を寄せた。


「おまえも今後の駒に加えてやろう。師事する人物を紹介してやる」

「は?」

「え」


 潜められた声は、近くにいたロージィとグレイににしか聞こえなかったようだ。なにやら不穏な単語が聞こえた気がする。駒とか駒とか。

 そんな二人の疑問など無視し、今度は高らかに声を上げた。まるで周辺にいる人物すべてに知らしめるように。


「面白くなってきた!ガーネット、クレイツに期間限定の弟子を紹介すると伝えろ。1か月壊さない程度にしごいてやれと言っておけ」

「かしこまりました」


 ガーネットはファーラルの言葉を書きとめつつ、あっさりと快諾の返事をする。それを最後まで聞くことなく、あははははと楽しげに声を上げているファーラルは、完全にこの場で浮いていた。そして改めてファーラルが告げた名前を思い返し―――誰のものでもない驚愕の声が上がる。


「クレイツ様!?」

「それって議長の一人でしょう!」

「伝説の近衛隊隊長……っ」

「御年60じゃなかったか!?」

「バカ、あの御仁に歳なんて関係あるかよ!」


 口々に上がる声と、その言葉の意味にロージィの思考がようやく追いついたころ……グレイは無言で燕尾服の肩を叩いて励ました。


「まぁ、頑張れ」

「仕事の合間にでも差し入れに来てあげます」


 グレイとジュネスから嬉しくない言葉を掛けられ、ロージィは意気込んで城に乗り込んできたことを後悔したのだった。

 そしてロージィは一か月の間、兵でもないのに城の独身寮に放り込まれ、朝から晩までクレイツの使い走りと訓練に体を酷使されることになったという。



 一か月半後―――

 リグリアセット公爵領から戻って来たアンヌは、出迎えたロージィを見て首を傾げた。


「あら?ロージィ、なんだか体格が良くなってない?」

「お嬢様をお守りするために、鍛錬を積んでおりました」

「ほんと、真面目ね」


 くすりと笑みをこぼすアンヌの表情の中に、出発前にはあった陰りが無くなっていることに気付いた。まだ少し憐憫はあるだろう。だが激しいほどの感情の渦は見られなくなっていた。それを感じ、ロージィもまた自分の中にあったグレイへの憎しみを昇華させたのだった。



ロージィ君にも本編では活躍してほしいものです。

がんばれー

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