看病
「無声の少女」最新話にて投稿した【中央都市】冒頭の補完作品です。
読み飛ばしても本編に影響はありません
両手を塞がりながらもなんとか戻ってきたジュネスは、信愛する主の天然ぶりを心底嘆いた。相手はまだ幼さの残る少女であるが、れっきとした『女性』である。しかも男に襲われ大怪我をし、一時は生死の境をさまよったという。それはどれほど恐ろしい経験だっただろうか。そのことはグレイ自身が一番理解していると思っていたのだが……どうやら思い過ごしだったのかもしれないと、ジュネスは室内の光景を見て頭が痛くなった。
駐屯部隊副隊長、鬼のグレイ。訓練でも自ら模造刀を構え、隊員を打って打って打ちまくって強くしていくと言われている男が、なんという蕩けた顔をしているのか。とても部下たちには見せられない。
「ジュネス、持ってきてくれたか」
グレイは扉の前で棒立ちになっているジュネスよりも、その手にあるスープ皿が大切なようだった。無言で差し出されたスープ皿を慎重に受け取ると、とりあえずベッドサイドのテーブルに置く。
そんな姿を眺めつつ、ジュネスは氷嚢をタオルで包んでいつでも使えるように準備をした。
「飲みこめるか確認したいから、とりあえず少しだけ水を飲んでみようか」
グレイの言葉に、ライナは小さく頷く。素直なその様子に満足したのだろう、グレイは水差しからグラスに水を注ぐと、ライナの唇に当ててゆっくりと傾けた。そして本当に少しだけ口に含ませる。少し恥ずかしかったが、まだ体が重くて動かないことは事実だったので、今はそのやさしさに甘えることにした。
「舌に馴染ませて、ゆっくり飲みこんでごらん」
けれどライナは、それどころではなかった。この数日水分を摂取していなかった為、口の中に水が入った瞬間、喉に強烈な渇きを覚えたのだ。一気に噴き出す「水が欲しい」という生物としての欲求が心を満たす。
それでもなんとか、できる限りゆっくり飲みこんで大丈夫だとアピールしなければならなかった。ここで噎せこみでもすれば、グレイは水どころかスープもくれないかもしれない。暖かなスープの湯気と、甘い香りがライナの空腹中枢も激しく刺激していたのだから。
「大丈夫そうだ。よし」
安堵したグレイは、テーブルに置いてあったスープ皿を引き寄せ、スプーンを手に取った。
―――ま、まさか!?
この時ジュネスとライナの声が出ていれば、まったく異口同音で叫んでいただろう。しかし残念ながら声は心の中で発せられていただけだ。おかげでグレイを止める助けにはならなかった。
「あーん、してごらん」
―――うわぁぁぁあああ
ジュネスは庇護欲を掻き立てられて止まらなくなっているグレイに頭を抱え、ライナは美丈夫な男に笑顔でスプーンを差し出されるという照れるだけでいいのか、困っていいのか、でも男の人怖いし、けどけどこの人は優しくしてくれるし、というか『あーん』とか恥ずかしすぎて無理!!という混乱した思考回路の渦を漂っていた。
「グレイ様、それは誰か看護師に頼みましょう。素人がすると誤飲の原因になりますよ」
「お前……それは飲みこむ力が弱まったご老人方に対してだろう……」
ジュネスの助言に、グレイは呆れたような視線を向けた。
「彼女に対しては、保護した俺に責任がある。ちゃんと食事をするか心配だしな」
頑として譲る気はないらしい。
結局ライナは差し出されたスプーンをおずおずと銜え、スープを完食させられた。いや、途中からは空腹も手伝って躊躇いなくスプーンに食らいついていた気がするが。
お腹が満たされ、うとうとし始めたライナを見て、ジュネスはグレイに退室を促したが、椅子から立ち上がることもせず、上掛けから覗くライナの手を取った。
誰かが触れた感触に驚いたのか、ライナの目が見開かれた。その瞳の中に一瞬、怯えの光が奔ったのをグレイは見逃さなかった。
「眠そうな顔をしている。眠るまで傍にいるから安心していい」
優しく手を撫でられ、その感覚が母にされているように感じる。ライナの瞳から怯えが消えて涙が浮かんだ。その様子を見ても、グレイは何も言わずただライナの手を撫で続ける。
まさかこの間、ジュネスが内心で『何言ってんですか、アンタ!』などと叫んでいたとは誰も知らない。
「ファーラル議長がお待ちですよ……」
こそっと耳打ちしてみるが、こちらを見ようともせずに『待たせておけばいい』と言い放った。
ライナが完全に寝入りそうになる前に、ジュネスはライナの頭に氷嚢を乗せた。タオルに包まれているのでひんやりしていても、どこか優しい。
「ゆっくりおやすみ」
その声に導かれるように、ライナは再び意識を閉ざした。
グレイさん、とりあえずイケメンに戻ってください…